徹子の部屋 内容:〜複雑な家庭で幼少期を…約40年ぶりに実母と再会〜ムロツヨシさんが今日のゲストです。出演: ムロツヨシ
[音楽] 独特の存在感と確かな演技力で見る人の心をぐっと掴む俳優の室強さんです。どうぞこちらおいでください。 [音楽] よろしくお願いします。です。 9 年前にご出演だいた時には複雑な家庭環境について伺いました。その後とても大きな出来事があったそうです。ま、詳しく伺います。 [音楽] はい、よろしくお願いいたします。 よろしくお願いいたします。 お願いいたします。 9年ぶり2 回目のご出演で はい。9年ぶり2回目。 前回と同じ一のスーツ はい。あの前回 9 年前出させていただいた時に初めて仕立てたスーツでこちらに出演させていただきましてその同じスーツを今日来てここに参りました。 内側に名前が書いてある。 そうですね。思い出のはい。いいですか?ちょっと今回も どうぞ。 こちらに すいません。見えますでしょうか?強しと書いて。 あ、本当だ。 はい。 これを前回、え、哲子さんが見ていただいた時に、あら、やだ、ダダダサいって笑ってくれたんです。いや、ちょっと本当に書いたのやったの、あなたはちょっとダサいわって笑ってくれたのが非常に貴重な思い出をいただきました。このおかげで。 そうですか。 本当におかげで大事にスーツ大事にしてます。 はい。 室さんテス子の部屋の放送開始と同じ 1976年生まで はい。そうです。はい。 哲子の部屋はその日から始まったわけなんですけど はい。だから50 この部屋と僕子さんの部屋と僕は同い年という同じ年ということですね。ありがたいです。本当にそんなさんの成長を見ると哲子の部屋の歴史の長さ感じる。 そうですね。こ一緒ですからね。 そうですね。 ま、前回はあの壮絶な幼少期のお話をしてくださったんですけど はい。うん。 ちょっと買つまんでおさいはしてみましょう。 はい。私のま、ま、えっと、1976年の 1月23日に生まれまして、ま、4 歳の時に、え、両親が離婚という形を取りまして、その後真剣を父親が、あ、親父が撮ってくれたんですけど、ま、その後すぐに今写真映ってるこの家族は親戚の家になるんですけども、おばの家族ですね。おばの家族に 引き取っていただいて、 え、あなたはね、 はい。それでおばの家族、それから祖母ソフトに育てていただきました。ま、そんな幼少期ですね。はい。 いや、皆さんのお世話になって はい。そうですね。そこからもずっとおばとはえっとおばあちゃんもおじいちゃんも天国に今行ってますけども。そうですね。おば、おばはまだ一緒にはい。家族やらせていただいて。 それお母様とは4歳で別れてから1 度も会ってなかったが実は進展があった。 はい。9年前こちらに出させてた時はその おっしゃった通り、え、4歳の時からお 会いしてなかったんですけども、えっと、 哲の部屋に出させていただいて、哲さんの 部屋にその後まさんの明者サンマさんの 番組に出させていただいて、またこのま、 追い立ちと言いますか、このお話を3さん とちょっと笑いながらさせていただいた ところを、え、事務所に手紙いただきまし た。サマさんとの番組見まして、私が早で ございますと。で、1 度会いませんかということで、そうですね、今から何年前だろう? 77、7年前、え、ぐらいですかね? 6 年前になるかな。一度お会いさせていただきました。そのはい。きっかけが思って。 で、どうでした? いや、あの、なんですかね。うん。なんか緊張するかなとか何か思うかなっていうよりはすごく冷静な自分がと、えっと、産んでくれたお母様は本当に喜んでいただいたということと、あと謝罪をだきまして、ま、 4歳の時に離れてしまって申し訳ない。 ただそこにその本当に僕は悪いという 気持ちはなくてですね、本当にそこういう 人生で良かったと言いますか、あ、ま、 良い選択にしなければいけない。自分が そのお立ちのせに何かすることは一切 なかった人生を歩んできましたので、もう 謝らないでくださいという少しお話をさせ てもらったり、写真を撮らせてもらったり とかさせていただきましたね。はい。随分 お母様に会うかどうか迷ったんですけど。 そうですね。あの、お手紙いただいて、 えっと、今も一緒ですけど、事務所の社長 と長年連れってるマネージャーと話し合い まして、こういう手紙が来たけど、どう するかと、会うべきか合わないべきか、 本当にいろんな人の意見をいただいて、 もうここまで来たら会わないという人生の 選択もありだろうと。で、特にその決断を するまでに至らなかったんですけども、ま 、随分ある程度時間をかけて悩んだんです けども、ま、いろんな僕先輩もいまして、 とある先輩のリリーフランキーさんがその 話をした時に、ま、リリさんもいろんな お父様とお母様との距離感があるしたので 、あの小説を読んではい。ま、それで ちょっと相談したいんですけどつって、え 、お酒を飲みながら相談した時に リリーフランキンさんの一言で合わない より合う後悔っていう風におっしゃって、 その一言で決めましたね。なんだかその 一言になんだかあの決断の頂いたですね。 率の頂いたまでは大げかもしれないです けども悩んでたのがすごい殻を破れてうん 。会うことにしようという風に決めさせて いただきましたね。はい。感謝してます。 実際にお母様に会った感想は、 あの、うん、やはりそうですね、なん、すごく複雑な感情とかはなくて、あ、この方がというのとあって 40 年ぶりですよ。 そうですね。40 年ぶりぐらいにあった時、ま、あってお会いしてくれてありがとうございますというのと、お願いありがとうございますというのと、で、近況を聞いてなんでしょうね。嬉しいとか悲しいとか今までなんでこんなことしてくれたんだとか一切本当に思わないな。 なんか感情がないと言ったらそれはそれで 冷たい人間になってしまうのかもしれない ですけども、そうですね、なんか感情が そこまで大きく揺れることはなく、ただ 元気でいらっしゃよかったなという気持ち とでも心から初めて、え、自分の人生で 言える、言えた言葉がありましたね。産ん でくてありがとうございますという言葉を はいはい伝えさせていただきましたね。 やっぱり映画やとは違うなっていう感じが あったんですよ。そうですね。何かこう フラッシュバックするようなことは、ま、 なく思い出はあるんですけどね。口紅が ついて自分の方に口紅がついた思い出だと かあ、両親が喧嘩した後僕が布団かぶって 隠れてるところに布団から顔出して終わっ たよっていうそういうなんかそういう 思い出はあるんですけどもねなんかそう いうことをその時は思い出すことなくただ すごくあこがお母さんだったんだなだった んだなっていうことに産んでくれたんだ なっていう風にははい思いましたね。うん 。で、お母様とは連絡先は交換しさん、 あの、おっしゃっていただきまして連絡先を交換しませんかという風に言っていただいたんですけども、ま、そこはあの何でしょうね。あの、僕はやはり育てていただいたおば家族がいますので、そちらの家族の気持ちを考えるとですね、今ここからうん。 あ、産んでいただいたお母さんと連絡を取るということはうん、私はしないということをお伝えさせていただきました。もちろん今あの産んでくれたお母様にも新しいご家族があるので。 あ、そうですか。 そこと考えると私はもうそこで本当に産んでくれた感謝とここからは別々の人生、ま、もちろんこうやってこういった場所でお話しさせてもらうこともありますので、あの健康とかあ、そのいい時間があ続いてることを願ってることは確かですが うん。 はい。 お母様とは顔が似てました。 はい。あの写真撮らす僕は思わなかったですけどその時やっぱ、え、親しい友人たちに写真を見てもらったらあ、似てるって即頭で言ってましたね。やっぱそうか。 よく見たら確かに言われてみれば似てるのかなっていう風にはい、思います。 でも育ててくださったおば様にはなんと報告、 えっと正直、えっと3 年間ぐらい言わなかったんですよ。 そう、 なんか2人きりになる時間がありまして、 そういえばあのわ僕は秀さんって呼んでるんですけど、あの、秀さん、あの、ちょっとそういえば伝えば忘れたというか、ついていいかわかんなかったんですけど、今 2 人きれなんでいいですかつたら何でしょうって言われて、実はあの、産んでくれたお母さんと会いましたっつったらそしたらもう本当に即頭であら良かったって言ってくれました。 あ、そう。 はい。それ以上は何も聞かなかったですね。 すごい言い方ね。 はい。もうそれ以上何の何の話をしたんだとか聞くともなく、あら、それは良かったつ。 それは強しにとってそれはいい、いいことだよっていう意味でのあれ良かった。で、その会話は終わりましたね。強いなと思いました。何か僕もそう感じました。何か そうですか。じゃあ、ま、一見落着っていう。 そうですね。はい。またこれから何かがある、起こることもあるかもしれませんが。はい。 一応。 はい。 さて、お父様とは 22歳ぐらいから会ってない。 そうですね。あの、はい。 えっと、大学も生かしてもらって感謝しております。あの、親父とはですね、父親とは、え、そうですね、 22 歳大学をやめまして役者の道に行きますと報告した次の年ぐらいからなってない。そうですね。 ちょうどこの頃ですかね。 この頃まだ一緒に、えっと、親父と同居してた頃ですね。 この次の年ぐらいに1 人暮らしを始めまして、そこで親父に手紙を置いて、 なるほど。 こっからはそれぞれの人生を歩んでいきたいと思います。歩みましょうということで。はい。 なるほど。 うん。ですね、そこから で、お父様のことをどんな風に思ってらっしゃる? えっと、ずっと尊敬しております。 あの 、え、自分のことは、あの、それこそ 先ほど言いましたおばのとこに預けた父親 でございますが、え、新しい女性を作って 、あの、子供おば家族に預けた男では ございますが、仕事してる姿がかってです ね、その後お酒を飲んでる姿が非常に楽し そうで、何でしょう?僕は父とより男とし てなんて自由に生きてる男なんだろうと いうことに憧れと尊敬がありました。それ は今でも思ってます かっこよかったですね。仕事してる姿が大工でしたけど。 ええ、そうです。 はい。だから今となって言えることはそりは女性に持てるって言ったら変ですけど、女性を引きつける何かはあったんだろうなとは思います。はい。 そうでしょ。うん。その後お父様とは連絡は取ってる? えっと、1 度家を出てから数年後に祖母のことで電話をしたことが 1 度あってからはもう話もしてないですかね。うん。 はい。で、あの、私は1度、ま、今携帯 電話を持っていたところで、僕の携帯電話 を知っていたんですね。で、ある程度ある 時、ま、親父ともう1回連絡取らなくなる であろうと思って電話番号を変えたんです ね。もう1回自分の中で1人として自立し て独立して生きていくためにみたいな きっかけもあったので、ま、電話番号変え てでも残しておいたんですね。 あの、他の人にはもちろん仕事関係友人には新しい電話を伝えたんですけど、今でもあの残してあるんです。前の携帯を。だから前の携帯がなるということはほぼ うん。 お父様ね。 お違うですね。そうなんですよね。だから僕まださ、そうだ。そのきっかけがだ、親父から離れるためってわけではないんですけど、ある時夜電話があってきて知らないから。これ知らなかったんですけどね。で、出たらあ、ついつ俺だ俺だって言う。 知らない高い声の人から電話がってきたんですね。で、私のこと強して呼んでからうん。 どの先輩だろうな。こんな高いおじさん知らないなと思って。親父だよ。親父、親父って言ってんですよ。多分ちょっと歯も弱ったのか。す、だから滑舌もちょっと俺の僕の知ってる親父じゃなくて声の高さも違ってでも聞くからに話し方となんかあ、これ本物の親父だってすぐ分かったんですよ。 うん。 うん。そしたら久しぶりも言わずいつ会える?強し会えるって言うから。いやいや会わないよ。 なんで急にこのタイミングで電話かけて、 あ、会おうと思ったのて。いや、何にも ないんだけど頑張ってるな仕事会おうって 言うんですけど、ま、ま、まあ、また 考えるわつって。ま、それで、ま、笑って きったんですけども、その後もう12、 2度電話し、あの、電話かかってきた時に 出ましたけどね、あとは今留守伝に いろんなのがちょっと電源もほぼ入れて ない状態なので留守伝にさっきの高い声で 強し強していうのが残ってますね。それ、 あ、元気なんだなと思ってますけど。そう ですか。はい。 親父はもしかしたら白場もろうと思ってるかもしれないですけど、ま、それはやはり先ほども言いましたけど、おバ家族を大事にしたいので。 そうですよね。 はい。やっぱりそこは親父にこうやって、こういうところ使ってというのは申し訳ないですが、親父が元気であればいいですし、親父が、親父のことを私が好きであることは本当に変わりないですので、 あの、今も新しい年前に戸籍を見たら新しい女性がそばにいてくれてるようなので、 はい。 そのがもしかしたら冷たい決断かもしれないですけど、合わない幸せというものが僕はあるのではないかと 49 歳の今は思うので、また変わることもあると思いますが、 ま、室さんから連絡することはない。 そうですね。今はおばを大事に、え、おばに、え、強しを育てよかったと思ってもらえる時間を 増やせたらいいなと思ってます。 ま、ね、おば様には随分迷惑はかけて、迷惑をかけました。はい。 あの、お仕事がない時、役者として成立しない時も随分ご迷惑をかけましたしはい。 今の家族はおばい家。 はい。おば。そうですね。おばの娘にある 2 人と、ま、妹ともう呼んでますけども、妹 2人と うん。今時々4人で集まったり、もちろん 、えっと、妹たちには子供がいるので メイクを1個たちと一緒にご飯食べたりし て、え、ひみさんがちょっと1回うちの おばが怪我をしたもので腰をそれを気に 一気に家族の集まりの時間を増やしまして 、やっぱり元気な人だったので着々の人で 魚屋の主人をやってた女性ですから、もう 着きで1回ね、怪我をする時ちょっと元気 がなくなるところがあったので、ま、 ちょっと美味しいお肉食べてもらっ あの旅行に行ってもらったりは今してますね。一緒に行けたらいいんですけど、まだその時間作れません。ま、 1ヶ月に1 回はみんなで集まってご飯を食べてはい。非常にそれが楽しみになってくれてるみたい。 家族で断結して そうですね。お支えてはい。あの東京の病院に連れてったもので横浜のおばは横浜ですけどもあの車で僕が運転できる時はちてとかでご飯を食べに行ってと はい。え、地元の友人も来てもらってみんなではい。 秀さんを盛り上げるっていうのはやってます。はい。 もう子供たちがまたもう遠慮しなくなって昔 元もそうですけど強し君のお金でご飯食べるなんてそんなんも嫌だみたいな。そんな偉そうになんか焼肉連れていこうとして数年経つと人は変わりますね。高い肉しか食べないんですね。 そう 家族ってすごい変わったらすごいと思いました。 そうでもしょうがない。 そうですね。ま、ありがたいと思って綺麗に食べてくれるんで。 はい。おめい子たちがま、それは嬉しいなと思います。 それからあの幼馴染みからワに連れてってとかて言われてる。 そうです。20 代の時本当にあのバイト台しかなかったですしバイトしながら演劇というものをやるとバイトをする時間がない。これ今こんな生活費がないということで、ま、随分お皿馴染みもおばにもですけどお金を借りましたね。 なので、え、1度僕は37歳で1度職業 成立って呼んで言ってますが、あの役者と して来月再来月もご飯を食べれるっていう 年が37歳だったんですけども、ま、その 時にえっとお金を幼馴染みに返そうとし たらいらないとあのふざけるんと言われ ましてそのお金はいらないんですよ。 家族全員を財布持たずにハワイに連れて もらって初めて返し成立ですって言われた 。 お金は受け取らない。それがもうなくなっちゃうからって。 それで行ったの? それでまだ行けてないです。ずっとお値だりされてますけどね。うん。お値だりさけど、今全部あの、えっと、幼馴染みと人たちのもう飲食で私ですから、もう、もう十分返してるんですよ。 どさん、聞いてください。全部総合して計算しないようにしてますけど、計算したら 3 倍ぐらい返してるんです、私。だけど実際には返してないから僕はハワイ連れてくまでお皿み家族この恩返しが成立しないわけなんですけど。 なるほど。 だ、ここで強く言わ払ってるんです。もう そうなんです。 そうなんです。まあまあ、これを継続できるように頑張れればいいなとは 思ってますけど。 まあ、今はおば様と本音で話せるようになっただけでも はい。 それこそ初めて、え、 40 代と後半になって初めて弱ねだったり、え、愚を言える、家族に愚を言える男になることができたな。 聞いてくれるという信用をできる男になったなと思いましたね。 良かったですね。 そうです。時間かかりましたけどはい。 子供の頃はもうここで嫌われたらもう居場所がないと思って そうですね。本能でもここにおばおじえおばあちゃんに嫌われたら私の居場所はないだろうというのと なんかついつい人の顔色を伺うような風 そうですね。 だから姉貴と同じことをしてはいけないという、姉と同じことをしてはいけないということで顔色を伺って僕はあの同じ迷惑をかけないようにしていきますという風にはしてましたね。本能的ですけどもはい。顔色伺ってあられる嫌われるんだったら良い子のふりでもいいからしようとかはしてましたね。 でム室さんにとって家族っていうのはどんなもの? 今まだ正直本当にあの分からないです。 それこそどこまで甘えていいのかも正直僕 はまだ分からないですしな。どうやって 支えていいのかも分からないですし僕はで もお願いされたことをとにかくとこと返し ていくしかないので家族というのはでも 先ほども言いましたけど頼れる存在場所に はなりました。 家族をやらせてもらってるっていう感覚が初めて、え、出てきましたので、そっていただいた感謝はずっとしてましたが うん。家族を一緒にさせてもらってるっていう感覚は本当にそうですね。 2024 年去年ぐらいからじゃないでしょうかね。はい。 じゃあ今の家族はおば一家。 はい。おば一家。はい。私がなんとかおさというか調になって頑張りたいなと思いますけど。 なるほどね。 はい。 でもそれがあるのはなんて幸せなことか。 そう。そうですね。本当につまでも1 人ではないですし ね。そう、そう。 うん。支えるべき方が人があ、親があ、いるっていうのはうん。そうですね。ありがたいですね。 そうですよね。本当。 はい。 で、4 月から舞台問という、それはどんな舞台なんですか? はい。あの、自分が、ま、大事にしてる 場所、自分の居場所、自分の城と言ったら 大げさかもしれないですけども、やっぱり ずっと演劇をやってきたものですから、 あの、自分の劇を芝居を演劇を作ら というのが無式というものでございます。 その最新作が4月から始まります。4月の 5日からかな。で、5月にはあの、 いろんな地域を回せていただいてはい。ノ だとかいろんなとこ はい。 福岡方が大阪きますけど、今回あの野党で 1 度僕は立たせていただいたことがあるんですけども、野演劇道というところがありまして、えっと、中田達也さんが作った芝居小屋あの劇場なんですけども はい。で、まあ 2024年の1月1 日にあいうことが起こりまして、え、すぐにう劇団のスタッフに集まってもらって うん。 え、もう 2024年の1 月にはもうとにかく来年の式に喉公講公園を入れたいと。 もちろんご迷惑かからない形ができた場合に限りますが うん という風にすごくまいてもらってもちろん復興を願いながらあ今もそうですがえっと先月もご挨拶させてもらいましてまで行って状況を把握くとどういったことがご迷惑でどういったことがご迷惑じゃないのかもしっかり把握しなきゃいけないんですね。 [音楽] え、え、今年の5 月にどういう状況になってるか、まだまだ分かりませんが、え、野演劇道の皆様には是非やっていただきたいという言葉をいただきまして、え、決定させていただきました。 え、ただ演劇道のもう 200m 近くにはあの仮説住宅もありまして、 ま、そういうとこでお芝居いをすることが本当にいいことなのか、それからその地域の皆様に救いになることなんて何 1 つないんじゃないかという思いもありますが、ま、お芝居いをやってきた人間としてその場所でお芝居をやって皆様に何かしら何か笑い声なのか、もしくはうん。 う、そうやってやってるところを見ていただいて何かしらの感情を持っていただけたら、あ、やっていいのかなと思いまして、今はやることを決めております。 はい。 でも複雑な家庭環境で育った室さん、自分の家庭を持つことは考えています。 そうですね。 結婚 可能性はないのかなと今んところは思います。 え、寂しがり屋でそれこそコロナなんていうものがあった時はもう 1 人に耐えられなくて自分のためだけに頑張るのは限界外界かななんて思いましたけど今はどうでしょう?またそれこそ舞台もある時は特に 1 人でやっていくしかないのかなんていう風に思ってしまう自分もいますね。はい。 うん。まあね。 そうです。 なるようにしかならないですよ。 はい。 あの、元気なかった、あの、天国に行くちょっと前のおばあちゃんがすごい元気なかったんですけど、 [音楽] 1 回お見舞いに行って強し彼女はつったらいないって言った時だけ大爆笑したんですよね。そう。 あれ忘れられないですね。おい、元気ないんじゃなかったのかつって。 八強しは絶対無理だと思う。結婚病室で大爆して 面白いば そうなんですよ。何を見抜いてるのか分かりませんけども、それを今手子さんに思い出しました。 相当面白いおばあ様です。 そうです。大爆笑しておりましたね。はい。 そりはいいことでしたね。 そうですね。ま、今も笑ってると思います。一緒に ね。亡くなる前にそんな大爆笑なんてね。ただ僕が結婚してないっていうだけでね。本当にそうです。 [笑い] でもなんでおばあ様そんな笑ったんですかね? 分かり今哲子さんが笑ってる理由と同じかもしれません。 多分同じだろうなって言われかもしれない。 [音楽] 今充実した毎日を そうですね。もうこれから明日からまた 9年後ここにこのスーツを座ってることを そうです。 目標しながらはい。9 年後またよろしくお願いします。 よろしくお願してますね。 ありがとうございます。貴長の言葉ありがとうございます。 子の部屋は寺で過去の放送会を配信中。 無料見逃し配信は安間ティーバーで [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] He do [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] お [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] ちょ [音楽] [音楽] Idon’tdoshit thehigh [音楽] [音楽] to [音楽] enmake [音楽] [音楽] Idon’tneed Don’twithme.Ithink I’m [音楽] [音楽] kid Neverletthemget insideyourhead.They tellyouwhattodoin lifeinad ofeverythingyouknow you don’tletthemguide yourlifeight forwhatIlovewith everybreath.My thingsIwonfor Iusethemalltopushme tomybest treattheworofjust like ifonlyI [音楽] life notallIandIprayallI needfuckmeinthe mirrorsobutnever seenclearIdon’t reallythinkanyone cansavemeand honestlyI’mnot reallyIwantsavingI liketobemyownworst enemythere’snorisk ifyoudon’ttryit anythingsoI’mjust keepbyingeverything seeyouinthenextlife tobeabettermeIdon’t thinkmyightanditget [音楽] love thisshowup Idon’tIdon’ttake shitIgotnolovefor theifyouwplaytough andwthisupandmakea stat upIdon’ttakeshit lovetheifyouandthis showupandmake everythingIdosoate everywordImoveso desplikeIgotagainst people [音楽] [拍手] [音楽] Ilovethechthehthe whenrunIalwaystake whatIalwaysgive100 don’tneedabundplay thegamelikeit’s nothingI’malways thankfulfor somethingdon’ttake forgrhumblenowwake upit’stimetolookat theen work
徹子の部屋 動画
内容:〜複雑な家庭で幼少期を…約40年ぶりに実母と再会〜ムロツヨシさんが今日のゲストです。
出演: ムロツヨシ
WACOCA: People, Life, Style.