@落語 #板倉俊之 #明石家さんま#村上ショージ「俺ではない炎上」「吉本チャンネル騒動記」
「俺ではない炎上」
――いやあ、SNSってのは便利だなんて言うけどね、あれは便利じゃなくて“便所の落書きが世界中に拡散する”装置だよ。落語の世界にゃ「人の噂も七十五日」なんて言葉があるが、あれはSNSじゃ通用しない。七十五秒で炎上、七十五年しがみつくんだから。
でね、インパルスの板倉が映画の試写会で面白いことを言ったんだ。「炎上防止策は、迷ったら上げない」。そりゃ正しい。だが考えてごらんよ。迷うってことは“やりたいけどヤバいかも”って心が半分はあるわけだ。それを止める勇気、なかなか持てないのよ。だって「これ言ったらウケるかも」って思ってんだから。芸人がネタ思いついて「迷ったら上げない」って言ったら、ほとんどのネタは世に出ねえんじゃねえか。
しかもだ。「それでも燃えることがある」って、彼が愚痴ってた。コンビニのおかずをレンジで温める。普通は立てて入れたら倒れる。倒れたら「あー、バカだな」ってウケるかと思って撮った。ところが倒れなかった。あ、こりゃ珍しい!って写真を上げたら「お前んちのレンジ汚いな!」で炎上。――いや、倒れなかったことじゃなくて、レンジの汚さで燃える。人間の想像力ってすげぇよな。誰も中身は見ない。フチの焦げ、ガラスの曇り、それで人格が決まっちゃうんだから。
これ、恐ろしいことだよ。SNSの炎上ってのは「事実」じゃなくて「見え方」なんだ。現実の裁判は証拠を集めて弁護士が戦う。SNS裁判は写真一枚、文章一行で有罪。弁護もなければ控訴もない。しかも陪審員が何万人もいて、全員が匿名。これで冤罪にならない方がおかしい。
映画の原作は「俺ではない炎上」っていうんだそうで。身に覚えがないのに「お前が犯人だ!」って炎上する。いや、これは他人事じゃない。例えばあたしが落語やってるとしてだよ?「談志のモノマネが下手だ」って言われるならまだしも、「談志の愛人だったに違いない」なんて言われるかもしれない。そんときゃ説明しようがない。「違います」って言ったら「必死に否定してる!クロだ!」ってなる。何を言ってもクロ。じゃあ黙ってたら?「沈黙は認めた証拠だ!」って言われる。これを現代じゃ“炎上の詰み”って言うんだな。
まあ昔から「村八分」なんてのはあったけど、あれは村に住んでるから八分される。今はWi-Fi繋げば、どこにいても村八分。便利なんだか不便なんだか。
それでさ、板倉が言った「こういう炎上もあるんだ」って、あれ、芸人としては一番いいオチなんだよ。つまり自分のネタじゃなく、世間が勝手にボケてくれる。電子レンジ一つで世間が大爆笑。いや、大炎上。これはもはや“天然の大喜利”。ただし命がけの大喜利。
けど考えてごらん。江戸時代にも炎上はあったよ。長屋で「隣の女房が井戸端であんなこと言ってた」って噂が広がる。火の用心の夜回りと同じ。ひとりが「カンカン」って鳴らすと、あっという間に広がる。違うのは江戸の炎は消えるのに、SNSの炎はアーカイブされるってこと。火事より始末が悪いんだ。
そこで私が提案する炎上防止策。「迷ったら上げない」は甘い。「自信があっても上げない」。これが一番だよ。いやいや、それじゃ何も発信できねえ? そう、だから今の若者は“発信しない才能”を持ってるやつが生き残る。昔はしゃべりが上手い奴が出世した。今はしゃべらない奴が勝つ。無口でスマホ持たない奴が現代の勝ち組。……これじゃ落語家なんて絶滅危惧種だな。
でもね、笑い話にしてるけど、SNSの炎上っていうのは結局「人間の心の寂しさ」だと思うんだ。誰かを責めないと自分が保てない。誰かを燃やしてるときだけは、仲間がいる気がする。つまり炎上は“現代の祭り”なんだ。昔は神輿を担いで「ワッショイ!」。今は誰かのアカウントを担いで「炎上だワッショイ!」。ただし神輿は無事に戻るが、炎上したアカウントは戻らない。これが現代の哀しさよ。
――てなわけで、インパルス板倉の「俺ではない炎上」。いや、もしかしたら“俺でもある炎上”。我々誰にでも降りかかる火の粉ってやつで。
お後がよろしいようで。
2幕目
「吉本チャンネル騒動記」
いやいや、世の中ってのは面白ぇな。金があると「事業拡大」って言うし、金がないと「夢を語れ」って言う。
このあいだ聞いたんだがね、吉本興業が数十億円の資金調達したんだと。数十億だぜ? あの会社、芸人に払うギャラは数千円とかケチるくせに、資金調達はゼロが二つ三つ違うんだから。芸人は一回舞台に出て五千円でカップラーメンすすってんのに、会社はファンドってやつで億の単位をかき集める。いや、芸人は汗で笑いを絞り出し、会社は笑顔で投資家を絞り出す。どっちが芸人だかわかんねぇ。
でね、さんま師匠がラジオで説明してた。「吉本チャンネルみたいなもんや」って。これがまぁわかるようでわからねぇ。だいたいおじさん世代に「サブスク」なんて言ったら混乱する。「サブスクってなに? 鯖すくうのか?」ってなるんだ。さんま師匠も困って「吉本チャンネルや」って言ったんだが、それ聞いて余計にわからなくなってんだよ。「チャンネルってどこ回せば出るんや」ってね。リモコンに『吉本』のボタンはついてない。
で、そのチャンネル、ダウンタウンから始まるらしい。なるほど、最初から天下取った連中にやらせる。安全牌だな。でも本当の勝負は若手だよ。「チャンネル作れ」って言われても、カメラ回したら3分でネタ尽きるやつが山ほどいるんだ。若手の番組、30分番組なのに5分で終わって、あとの25分は延々とスポンサーのCM流すとか。これじゃ「吉本チャンネル」じゃなくて「QVC」だ。
さんま師匠が言ってた。「どっかのチャンネルが当たれば、かなりの人数が食えるようになる」って。これ、夢のような話だな。だけど俺は知ってんだ。芸人の世界は「かなりの人数が食える」って言葉の裏に、「かなりの人数が食えない」が隠れてんの。100人の芸人が配信やって、当たるのはせいぜい1人か2人。あとの98人は「食える」んじゃなくて「食われる」んだよ。会社に。で、最終的に全員で食えるのは「会社」だけ。芸人は胃袋じゃなくて胃酸扱いだ。
でね、面白かったのが村上ショージ。さんま師匠に「お前もやるんか?」って聞かれて「やりたい!」って。いいよなあの人、やる気だけは芸人一。だけど考えてみな。ショージのチャンネルよ? 24時間ずっと「ドゥーン!」って言ってるの。ファンも最初は笑うけど、3分で飽きる。サブスクの料金払ってまで「ドゥーン!」聞く奴が何人いるんだ? そりゃ資金調達しなきゃ続かねぇよ。
で、金の話になると厄介だ。村上が「お金いるやん、それ見るために」って言ったら、さんま師匠が「タレントによって違うらしい」って答えた。一律じゃねぇってよ。つまり人気者は高く、無名は安い。あれだ、芸人版の物価高騰。霜降り明星のチャンネルは1,000円、だけど無名の若手は月額10円。しかも10円でも払うやついない。これが資本主義ってやつよ。笑いは平等じゃなく、需要と供給で値段がつく。芸人はネタよりレートで勝負。
いや、考えてみりゃすごい時代だよ。昔の芸人は舞台に立って、観客の前で生きるか死ぬかの勝負してた。今は配信の向こうで「コメント」だ。「草」だ「www」だって。芸人は客の笑い声じゃなくて、文字の「w」に救われる。もう「人間国宝」じゃなくて「配信国宝」だよ。桂米朝が生きてたら怒鳴ってるね。「俺は高座で育ったんや! なにが配信や!」って。で、吉本は「それをNFTにします」って商売する。
でもさ、考えると吉本ってのは賢いね。テレビ局の力が落ちて、芸人の数は増えすぎて、舞台だけじゃ回らねぇ。そりゃ新しい市場を作らなきゃ潰れる。昔は「笑いは無料」だったんだ。「テレビでタダで見れる」。それを「笑いは有料」にした。おかげで芸人は「お笑い配信アスリート」だ。サブスクという競技場で、視聴率ならぬ「解約率」と戦う。見事勝ち抜いた者だけが、笑って飯を食える。
いやしかし、「数十億円の資金調達」って言葉に、どこか胡散臭さを感じるのは俺だけか? だって「数十億円調達しました!」ってニュースは出るけど、「数十億円失いました!」ってニュースは出ねぇんだよ。投資ってのはそういうもんだ。芸人の未来に投資? 違う違う、芸人の未来に投資するって言いながら、実際は「会社の未来」に投資してんの。芸人は投資先じゃなくて投資対象。金融商品扱いだよ。株と同じ。「お笑い株」だ。上がれば儲かる、下がれば損切り。で、会社は必ず手数料だけは儲ける。
最後にひとこと。さんま師匠は「頑張ってほしいですね」って締めたけど、俺はこう思う。「芸人に頑張ってほしい」んじゃなくて、「芸人を食い物にしないでほしい」ってね。だって芸人ってのは笑いを売ってんじゃなくて、自分の人生を切り売りしてんだ。サブスクで切り売りしたら、人生は月額制になる。俺たちの落語もそうだ。「笑い」はタダじゃないけど、「芸人の人生」まで値段つけられる世の中は、なんだか笑えねぇよな。
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