#落語 #小池栄子 #宮迫#太田光「ワンナイ問答」「見られてる怖さ」
@落語 #小池栄子 #宮迫#太田光「ワンナイ問答」「見られてる怖さ」
「ワンナイ問答」
いやいや、みなさんね、テレビってのは昔から「笑わせてくれる」もんだと思ってるでしょう?
ところがね、裏をのぞくと、笑ってるのはお茶の間だけで、舞台の上じゃ血みどろの戦争やってんだから。
フジテレビで「ワンナイR&R」って番組がありましたよ。雨上がり決死隊にドンドコドンにガレッジセール、それに女優でグラビアから上がった小池栄子。今思えば豪華メンバーだ。だけど豪華メンバーが集まるとどうなるか? ピリピリしてんの。
小池栄子が言ってましたよ。「芸人さんたちピリピリしてて怖かった。グラビア上がりの私なんか、文句言われるんじゃないかと思って」ってね。
そりゃそうだ。芸人からすりゃ、毎日ネタ考えて、舞台で転げて、笑い取れなきゃ打ち切りだ。そこにグラビアから来た美人が、にこにこ座ってるだけで注目を集める。そりゃ「おいおい、ふざけんなよ」って空気も漂う。
だけどね、そこが人間の面白いところでね、芸人同士も「仲良しチームです」なんて顔してるけど、実際はライバル関係。
「今日は宮迫がウケた、ぐぬぬ……」
「ほんこんのツッコミが刺さった、ちくしょう……」
「山口智充の歌声に客が酔ってる、やめろよそんな武器!」
もうね、バラエティ番組っていうより、リングの上で殴り合いしてるのと同じですよ。
で、小池栄子が言ったんです。「まあ、宮迫さんがいなくなるとは思わなかったけど。リーダーだったから」って。
これがね、笑い話みたいに聞こえるけど、芸能界の縮図ですよ。
その時は「この人がいなくなるわけない」「この番組は永遠に続く」って思ってる。だけど、芸能界ってのはすぐひっくり返る。昨日までスターだった人が、今日にはYouTubeで焼肉焼いてるんだから。
……いや、別に悪口じゃないんですよ?(ニヤリ)
ただね、談志が生きてりゃ言うでしょう。「テレビってのは残酷なもんだ。人を持ち上げては落とす。その落ちた姿をまたネタにして笑うんだから」ってね。
考えてみりゃ「ワンナイR&R」って、名前からして「ワンナイト・ロックンロール」。つまり一晩の宴会芸なんだよ。恒久的に続くもんじゃない。そりゃあバチバチして当然よ。みんな「この一夜で目立たなきゃ」って必死。
小池栄子もそこで「女優魂」ってのを出したんでしょうな。グラビア上がりだからってナメられちゃいけない、と。「バカ殿」ならぬ「ワンナイ姫」になってやる、って気迫で立ち向かった。結果、今じゃ立派な女優。ドラマや舞台でも一目置かれてる。
だから彼女が笑って回想できる。「まあ、宮迫さんがいなくなるとはねぇ」って。裏を返せば「私はまだいるよ」って宣言でもあるんです。
芸能界ってのはね、まるで落語の世界みたいなもんでね。
大家さんが「いつもありがとう」って笑ってる裏で、大家と店子が賃料で揉めてたり。
芸人が「仲良しです」って言ってる裏で、袖に引っ込んだ途端に「あいつのボケ潰しやがったな」なんてブツブツ言ってる。
人間ってのは、表と裏、表情と本音が違う。だからこそ面白い。
で、みなさん。小池栄子の回想から学べることがある。
「この世に永遠はない」ってこと。人気も番組もリーダーも、いずれ去る。だけどその時、「怖かった」とか「バチバチしてた」とか、正直に振り返れる人間だけが生き残る。
嘘で塗り固めた奴は消える。焼肉屋で煙にまかれても、正直者の女優はちゃんと陽の当たる場所にいる。
だからこそ落語家もね、テレビの真似して「みんな仲良しです」なんてやらなくていい。高座の上で毒を吐いて、本音をぶちまける。それで嫌われても、「ああ、あいつは本当のことを言った」って残るんですよ。
談志がそうだった。だから今でも名前が消えない。
──つまりね、芸能界の教訓はこうですよ。
「リーダーもいなくなる。番組も終わる。だけど笑いは残る」
……で、その笑いの残りカスを、いま私がこうしてしゃべってるんです。ありがたいでしょ?
おあとがよろしいようで
2幕目
「見られてる怖さ」
お前さん、テレビってのは怖いもんでね。画面に映ったら最後、何を喋ったか全部残っちまう。昔は落語家だってさ、寄席でいい加減なこと言って「いやぁさっきのは冗談、冗談!」って逃げられたんだけど、今じゃ動画サイトで切り抜かれて「談志、失言」とかタイトルつけられて、勝手に再生数稼がれてんだから。俺の失言で儲けるなってんだ。
で、太田光がNHKに出て「高畑勲に見られてると思ったら怖い」なんて言ったってんだ。あいつも珍しく正直なこと言ったよな。だって普段は、誰も聞いてない深夜ラジオで好き放題言ってた男が、急に「見られてる」ってビビりだしたんだから。NHKのカメラの前だと、急に良識派の仮面かぶる。そりゃお前、仮面舞踏会だよ。
でもね、「見られてる」って感覚、これが芸人にとっちゃ一番の地獄なんだ。落語や漫才は、観客が笑えば成功、シーンとしたら失敗だろ? ところが太田が言うのはもっと陰気な「見られ方」でさ。「高畑勲があの世から見てる」「野坂昭如が見てる」って。死んだ人にまでチェックされてたら、そりゃ身が持たねえよ。俺なんか談志だからね、死んでからも絶対に人を見張る気満々だから。太田、お前の背中にもう俺の目が乗ってんだよ。
考えてみりゃ「火垂るの墓」って映画そのものが「見られてる」映画だよ。観客があの兄妹を見てるんじゃない、逆なんだよ。節子と清太がこっちを見てんだ。「お前ら、戦争知らない顔してポップコーン食ってるけどよ、俺ら本当に死んだんだぞ」って。あれ観ると落語の「饅頭怖い」なんか吹っ飛ぶね。怖いのは饅頭じゃない、視線なんだ。
ところが現代はどうだ。みんな見られることに慣れすぎちまった。SNSで自撮りして「#今日の私」とかやってんだ。昔の江戸っ子が聞いたら腰抜かすよ。「自分の顔を自分で売る? なんだそれは、見世物小屋の商売敵か?」ってな。高畑勲はあの世から呟いてるよ。「お前ら、自分を映す前に、もっと世界を映せ」ってね。
野坂昭如に至っては、酒飲みながら「あんなもんアニメにすんな」とか文句言ってそうだ。だってあの人、自分の原作がアニメになったとき、必ず「いやぁアニメなんかで描けるもんか」って言ってた。ところが完成したのを見て泣いた。泣いたけど「いや俺は認めねぇ」って言った。頑固だよ。頑固親父が焼酎片手に「俺の節子を返せ」って言ってんだ。あの世からも文句言ってるに決まってる。
で、太田はその「見られてる」恐怖をNHKで告白した。これがまた滑稽なんだ。だってNHKのカメラなんて、見てるのは受信料払ったおばちゃんと、家でだらだらしてるサラリーマンくらいだろ。高畑勲の霊がわざわざチャンネル合わせて「ネタドリ!」観てると思うか? 成仏してる監督が「今日は太田がどんな屁理屈を言うか」って楽しみにしてるわけねぇだろ。でも太田は勝手にビビってる。まるで自分のオナラが隣の家まで届いてると勘違いする小学生だ。
それでも人間ってのは、誰かに見られてると思うと急に背筋伸びるんだよな。俺だって落語やってる時に「談志、今はもう死んでるんだから自由にやれ」って言われても、いやいや死んでも見てんだよ俺は。あの世からも檀上チェックしてんだ。「あぁ、あそこのクスグリが弱いな」とか「そこで間を取れ」とか。芸人は死んでも客席から離れられねぇのさ。
だから太田が言った「怖い」ってのは、実は芸人の幸せな恐怖なんだよ。だって見られてるってことは、まだ芸が注目されてるってことだから。誰にも見られない芸ほど惨めなもんはない。寄席で一人しか客がいないとね、その客の視線が逆に怖いんだよ。「お前だけのために俺は落語やってんのか」ってね。芸人は人数が多すぎても怖い、少なすぎても怖い。結局、怖さと仲良く生きる職業なんだ。
ただし現代は違う。「見られる怖さ」より「見られない怖さ」の方が支配してる。YouTuberが必死に「お願いチャンネル登録して!」って頭下げてんだ。見られなきゃ存在しない。太田が「怖い」なんて言えるのは幸せ者なんだよ。俺に言わせりゃ「怖がる前に、ありがたがれ」ってな。
もっとも、芸人が本当に恐れるのは、死んだ人に見られることじゃない。生きてる身内に見られることだ。太田だって奥さんの光代に「あんた、また変なこと言ったでしょ」って睨まれるのが一番怖いはずだ。あれは高畑勲の霊より効く。
最後に言っとくけどな、見られてる怖さってのは裏を返せば「生きてる証拠」なんだ。高畑勲も野坂昭如も、結局は「俺たちを忘れんなよ」って視線を送ってるだけなんだよ。だから太田、お前はその怖さを笑いに変えてりゃいいんだ。ビビりながらしゃべってるお前の姿を、今度は俺があの世から見ててやる。
──これが本当の「ネタ取り」ってやつよ。
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