【映画『五十年目の俺たちの旅』撮影の舞台裏】 岡田奈々「最高ですよ」 中村雅俊が監督・主演の二刀流
視聴頑張ってください。
はい。 あとペラペラっと言わない方がいいね。頑張ってください。可愛くどっちかっていうと 頑張ってください。
はい。 よかったらありがとうございます。 ありがとうございます。 よい。 はい。 俺たちの旅は初監督ですか? あ、そうそうです。そうです。 俺もほら、 あの、監督としてやるってのはあんまり慣れない。頑張ってください。 はい。
やっぱり
おめだグロくと、 あの、やっぱり3人揃うとあの時の なんですかねなっちゃうんです。 喋り方といいね。
あ、
うん。 50
年経っても
ねえ。ファイトファイト ファイトファイト
ファイトファイト ファイト
ファイトファイトファイト ファイトファイトファイトファイト早 なんて言ったんだよ気になってちょっとなんか行って 何にも言わないよ。えよ。家ら。お、 これは怪しいです。
うん。 怪しいですね。
怪しいですね。 まゆみちゃんじゃないよ、本当に。 50
年ですから。だよね。 50
年ってすごくない? れた子供は50歳。50。そうだ。 そうすよね。ええ、
これお2 人がこうやって一緒にあの撮影するのは久しぶりなんですか? 久しぶりですよ。 ドラマとかね、さんとかうん。 2
時間で一度ちょっと出ました。ちょっと ありましたけど。うん。 なんか久しぶりって感じがします。 ああ、そうだよね。 まだその映画家で出演のオファーを聞いた時って皆さんそれぞれあのどんな気持ちだったかどのように思られたかちょっとお聞きできればと思います。 ありえないって思いましたね。 え、でも果てよと思ったら 3 人元気じゃないかってのあったんで、ま、やればできるなと。あとはいろんなまあ困難なものがあるんで、それを乗り越えば大丈夫なのかなっていう風に。だから結果としては行けるかもっていう風に思いましたね。 来たかと思いましたけど。 そう。
いや、50 年ですけど集結してなかったんですよ、ずっと。 これ ずっとやって話がなんか自分の中でもずっと集結してなくて 話え これで終わりっていうのはやっぱないとねずっとおめだ引きってできるわけないじゃんとだって 50 年も昔だよ何にも覚えてないもんてね昔の作品見返したんだよ ああ
何にも覚えてないよ ええ本当ですか
もう何年綺麗に忘れてさ へ まるで前世の自分を見せられてるみたいだって。お前昔こんなことやってたんだぞって。うん。 ああ、俺こんなことやってたんだと思って。だからこう 50年を50 年にわって思い出すのに大変だった。 うん。 もう色々記憶をたってやっと昔のグズに今戻った感じ。 うん。
大変だったよ。本当に 巻き戻すのにね、時間を。 懐かしいね。
うん。 なんかすごいね、やっぱ。 うん。
あの、あの黄色い 建物が見えますけど、あそこから変です。 だってほとんど毎日来てましたから。 じゃあいいかな。行くよ。 はい、行きましょう。
はい、行こう。 はい。 ああ、はい、はい、はい。それ オだ。 消えたな。おい、全て 50年前に乗った気ですよね。すごいわ。 ここの ああ、特にあのはね、こう 明るくね。 ああ、ちょっと俺コード忘れちゃったやろ。もうあんま変わってないや。 うん。
Gメディア7とかずっとだ。 あ、そうだよね。
ここが1 番思い出の場所って言えば思い出の場所ですよね。ここでやっぱり始まってるから。うん。 そういう意味ではこう集まった時すごい嬉しかったです。あ、またここに来たんだって。 4 人一緒に会うっていうのは久しぶりですよね。久あってちょっと変わられたところとかって なんかそういうなんか合ってないっていうブランクってそんなに感じないですね。 ないない。 ちょっとね、貧尿に尿気味だね。 それはしょうがないですよね。
あ野さん、 え、
それだけは言わないでください。 やっぱり監督で斎藤監督っていう監督がいたんですけど、やっぱり監督がこの俺たちの旅の世界を作ったってのはやっぱりあるんで。 で、まあ、残念なことに斎藤監督亡くなっ て、やっぱりじゃ誰ができんだっていう話 になるとやっぱ俺も含めてあの、みんなも こうジャージしてもやっぱりやれる人い ないんじゃないかと思っていたんですよ。 だから、あの、俺脚婚のか松さんから松、 お前やれって言われた時は、えと思って俺 みたいな、もう絶対できないっていうのが あったんで、まあでも岡松さんに言われ たらイエスと言うしかないんで、ま、そっ からを決めて、ま、できる限りその斎藤 さんが作ったその世界を継承していくって いう作業はちょっとなんとか頑張って やろうという風な、ま、決意がありました けど あ、洋子さんの階層と同じような。あの、それ大丈夫です。こ、 そこはちょっと似てるところもあるけど、 え、 基本はもうカメラ目線のここ中での動きにしよう。 落ち着いて 触ないで。つらし。こんな時だけ優しいから嫌よ。 こんな時だけ優しいから嫌。 まみちゃんなのか。 伝わらないで。 はい。 え、そうですか。触らないの方が話してって言っちゃってるから オンリーだけもらっときますか?あ、次やる。 これはもう戻らなきゃならないんだよ。 いやいや、俺はまだこれ。 オッケーです。
はい。
はい。
はい。 チェックします。 はい。もうら、お前どうぞ。もう少しここに。はい。 はい。
いいすか?
オ。
はい。オッケー。 はい。
じゃあ見た目いきますよ。 のて何が受けたかって考えると、あの、 あのドラマがやっぱり後味は切なさなんですよね。 だからやっぱり生きてるっていうか 青春とかそういう言葉ってのは結局俺らは感じてんのはなんか切なさが という感じなんで 一応50 年経っていいおじいちゃんになったけどなんかそういう切なさみたいが別の形で出たらいいなっていう感じはすごく思ってますよね。 本当に努力家だから、あの、10年ごとに 会えばまた色々進歩してたしね、映像関係 のこともかなり研究してると思う。自分で あのパソコンなんか出始め頃に持ってきて 色々編集してたよ。自分のあのコンサート の映像なんかをね。だからちゃんと勉強し てんだよ。うん。実はね。だから大丈夫だ と思うよ。実際現場でも堂々もんだよ。 うん。 必ずいい作品になると僕は思ってます。はい、 ありがとうございます。 なんか最初からね、なんかすごい安心できて現場もすごくあのぶれてないします。 いいですね。 なんかネクスト行くんじゃないの? ネクスト。そうそう。 監督さんでもあるんですけど、やっぱり役者さんですから演じる側の気持ちもあの納得してやらせていただいてるのですごくあの安心してこうした方がいいんじゃないとかアイデアをいっぱいいたんで うん
はいのやりやすいというか 良かったなと思ってます努力なさっててロケ現場にも本当遠いんですよくさんのロ 現場があっても全部もう3 回ぐらい行かれてるみたいですごく努力されてるんですね。だからすごいなと思いましたね。 まあでも監督やって思ったんですけどうん。 撮影日クランクインで大体終わってますね。 そのクランクイまでのやることがものすごい多くてだからもう大体きっと監督さんはそのクランクインになるとほっとするんじゃないかという うん。 あのあとは撮影現場にいて自分が思った演出をすればいいみたいなえ。だからそれまでがものすごい大変だとはつい知らずえ。本当にあのちょっとびっくりもしたんですけどええ。 あいつ何けてあげた。 いいじゃないですか。 回しときゃよかった。 今の今のありですね。ありですね。しときゃ 1
回それやりましょうか。 今ぜひやってください。はい。 オケ。 今日もすごい早起きでもう 3 時半起きだったんですけど、ふとなんかあ、そういえば 50 年前にこんな時間に起きて撮影したことあるなってのが第 1回目のラストシーンなんですよ。 うん。うん。なぜかあの1回目のラスト シーンから撮影が始まって、それもあの 岡本町の坂道なんですけど、やっぱりそこ であの初めての撮影がそのラストシーンっ ていうのがですごく撮影しながらまた結果 見てもすごいしっくりしててもうあの段階 で初日なのに出来上がったっていうのが その俺たちの旅のあのラストシーンですよ ね。やっぱりあそこからスタートしたんで 自分の中ではあそこで本当にもうお田グズ カスけってま実際ほらあんまり知らない じゃないですか知らない同士が集まって あのシーンを作ったってのがすごくあの 多分みんな行けると思ったんじゃないです かね。 のシーンでい、さっきこう話したんですけど、僕ここ 1時いつも悩んでたんです。 役ですよ。
うん。
うん。
いつも1 向いてね。 で、なんかあのみやったってこう弾けたのは 1個だけ覚えてるんですけど
うん。 就職できたみたいなそれだけだったんですよね。 あとはもうみんなもうお前おどうしたんだ?大丈夫かずっと言われてました。 うん。 だめだ。俺ち言ってましたからね。 私はですね、当時 16 歳だったんですね。ま、高校生だったんで学校に通いながらだからそのままセラー制服のままこちらに来て着替えて仕事をしてたっていうか役員になってあのやらせていただいてたのでまあ大変でしたね。 うん。 そのイメージすごく強いよね。 そうですか。 可愛くてもだってバ持ってくる。かぼ持ってくる。そうですね。 お兄ちゃんとかいて。 で、ツインテールで学学学もそうだったんですね。で、そのままあの役柄でもこう髪の毛 2つに割ってうん。うん。うん。ね。もう 斎藤厚生監督にそのままでいいって言われまして うん。 はい。やらせていただいてたみたいですね。 いや、僕50年目にあの妹と 2人で話すが結構かったんです。 ああね。そっか。 めちゃくちゃ 成長してる。
ええ、もう恥し。 いやいやいやはないんだけども、特にっていうのはないんだけども、やっぱりこの投資で改めて見返してみていろんなこと感じたよね。ま、若かったから一生懸命頑張って多少はまあね、達成感もあったけど今見返すといろんなことが本当にうまく噛み合ってたのね。ええ。 びっくりするぐらいも本当にやっぱりこの仕事は共同作業だなってつくづく思った。自分の作品っていうよりほら そうですね。
客観的に見られたからさ、 本当にあれうまく言ってたんだなと思う。 で、とりあえずね、印象としては楽しかった。 うん。 何のせいかわからないけどね。とにかくね、役者人生振り返ってみてもこんなに楽しい仕事場はなかったな。 うん。うん。本当に楽しかった。 うん。 ボールの
はい。 中村組で良かったですか? 最高ですよ、
中村組。 はい。もうやっぱりあの分かってくださいますから大変なのも分かってくださいますし、 もう1 回やろうかとかどう、どうとかなんか優しいんですよ、すごく。 うん。 だからもう本当に良かったなと思います。 やめろ。 おしに来ました。 はい、カット。 はい、カットさん全編終了です。 はい、お疲れ様でした。 あの、ま、 はい。はい。はい。 はい。ありがとうございます。 はい。お疲れ様でした。
疲た 秋野大さんペです。 はい。お疲れ様でした。 どうもありがとう。 ありがとう。そうね。もう変態してもいいやん。これを最後に。ま、でも 10年後はあるかな。 あると思います。
はい。 若一元気なら、 え、10年後もう1 回あの秋野さんやるって言ってます。またね、あたらしいんちゃんありがとう。ありがとう。また監督です。 いやいや、ありがとうございます。はい。 どんなところをあの皆さんに視聴者の方に見てもらいたいってのはありますか? やっぱり俺たちの旅ってなんで受けたんだろうっていうのを考えるとやっぱりある不のテーマってありますよね。 うん。人を好きになることとか、親子の 問題とか人生どう生きるかっていうそう いうこう10年何十年経っても変わらない テーマみたいなのそういう普遍のテーマを やっぱりちゃんと紳摯にこう描き続けてき たっていうところが受けたんじゃないかと いう50年前ね。 やっぱりそれは今回もちゃんとあるぞということともやっぱりやっぱりみんな見た人に俺たちの度やっぱりいいなっていう風にそう言って欲しいなっていうのその一言ですね。 いや、ちょっとちょっと自分はちょっと怖いんですけれどもあのやっぱり変わらぬ 3人の友情がやっぱり 1番見ていただきたいですね。 ま、まゆみもそれなりにあの頑張らせていただきましたけれども、まだなんかちょっとどういう評価が得られるのかちょっと怖いんですけれどもはい。見ていただきたらなと思います。 ちょっとあの詩人みたいなところて ポエムみたいな本書く人だから脚言書く人だからそういうところまで深みまで降りていけたらなと思ってますけどね。 それをだから俊君が色々考えて業感を色々膨らましてるんですよ。膨らましたりして今努力してくれてるからね。多分そういうドラマになると思います。 はい。
よろしくお願いします。 はい。中村組と呼ばれるの慣れましたか? あ、そうですね。ま、すぐ慣れました。 え、あのええ。
1975年から放送されたテレビドラマ『俺たちの旅』が映画化。主要キャストを演じた中村雅俊さん(74)、秋野太作さん(82)、田中健さん(74)、岡田奈々さん(66)が参加した撮影現場を取材しました。
【関連動画】
#中村雅俊 #秋野太作 #田中健 #岡田奈々 #俺たちの旅
【各パートはこちらから】
00:00 映画!50年目の『俺たちの旅』撮影風景
02:06 映画化での出演オファーを受けて
03:53 映画!『俺たちの旅』撮影風景
05:14 お互いに変わったところ
05:52 初めて映画の監督をつとめた心境
06:52 映画!50年目の『俺たちの旅』撮影風景 
08:45 監督をつとめる中村さんを見て
10:13 監督をつとめて中村さんが感じたこと
10:49 映画!50年目の『俺たちの旅』撮影風景
11:13 50年前の撮影時を振り返って
15:06 映画!50年目の『俺たちの旅』撮影風景
16:57 映画で見てほしい部分
 
						
			
WACOCA: People, Life, Style.