グレース・ケリーは、1929年11月12日にアメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれた女優で、後にモナコ公国の公妃となりました。彼女はアイルランド系カトリックの裕福な家庭に生まれ、父ジョン・ブレンダン・ケリーはオリンピックボート競技で金メダルを獲得したアスリートであり、母マーガレットは元モデルで大学講師でした。グレースはハイスクール卒業後、家族の反対を押し切り女優を志し、ニューヨークで演技を学びました。1949年に舞台『父』でブロードウェイデビューを果たし、その後ハリウッドからの誘いを受けて映画界に進出しました。彼女はアルフレッド・ヒッチコック監督のお気に入り女優として、『ダイヤルMを廻せ!』、『裏窓』、『泥棒成金』などの作品で主演を務め、1954年には『モガンボ』でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、1955年には『喝采』でアカデミー主演女優賞を受賞しました。彼女の美貌と演技力は「クール・ビューティー」と称賛され、同時代の女優マリリン・モンローとは対照的なイメージで人気を博しました。しかし、人気絶頂の最中、ヨーロッパの君主であるモナコ大公レーニエ3世と結婚し、女優業から引退しました。結婚後は3人の子どもに恵まれ、公妃としても病院を設立したり、バレエ学校を支援するなど精力的に活動しましたが、1982年9月13日に脳梗塞を発症し、翌日に52歳で亡くなりました。彼女の死後、モナコではカジノの営業を一日間中止して喪に服し、多くの王族や要人、ハリウッド俳優が参列する中、モナコ大聖堂で葬儀が行われました。。
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