江戸時代後期の浮世絵師であり、妖艶な美人画で知られる渓斎英泉を紹介します。

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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日は渓斎英泉について勉強していきましょう。

渓斎英泉。1791年生まれ。江戸時代後期の浮世絵師であり、妖艶な美人画で知られます。

英泉は、徳川11代将軍家斉統治下の寛政3年に、江戸で生まれました。英泉の家は下級武士であり、12歳の頃に木挽町狩野派の絵師である狩野白珪斎に絵を学びました。
英泉は15歳で元服すると、北条藩主・水野忠韶に仕えました。しかし間もなく上役と仲違いし、家を追われることとなります。
英泉は武士としての出世の道を断たれたため、美人画で知られる浮世絵師、菊川英山に入門します。
英泉の初期の作品が、『浮世風俗美女競 一泓秋水浸芙蓉』。1823年、英泉32歳頃の作品です。英山の作風を踏まえた美人画ですが、迫力のある顔立ちとなっています。
英泉は、葛飾北斎とも親しくしており、北斎の娘であり美人画の名手として知られる葛飾応為とも知遇を得ていたと考えられています。
そして英泉は、美人画を描くだけでなく、娼館を運営し、遊女たちに親しみました。

英泉の作品を見ていきましょう。
「雲龍打掛の花魁」。1830年代、英泉40代の頃の作品です。英泉はすぼめた首と猫背を特徴とする美人画のスタイルを築きました。
「江戸八景 隅田川の落雁」、1840年代、英泉50代の頃の作品です。後年の英泉は名所絵も数多く手掛けました。

1848年、英泉は59歳で亡くなります。天保の改革で娯楽が厳しく制限されると、英泉は画業を離れて文筆家として暮らしました。現在では、妖艶な独自の美人画を描いた浮世絵師として評価されています。

以上!

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