皆さんは、未唯(mieミー)さんをご存知ですか?
未唯さんは、「ペッパー警部」でデビューし、 1970年代 に爆発的なブームを巻き起こした、ピンクレディーのミーとして活躍していた人物です。
現在も芸能活動を続けている未唯さんですが、実はピンクレディー解散後に3億円もの借金を背負う事になったと言われています。
そこで今回は、未唯さんの活躍を振り返りながら、3億円もの借金を背負った理由や、恋愛、結婚、離婚、子供について。
そして、現在の活躍についても紹介していきます。
未唯さんは、1958年3月9日に静岡県静岡市で生まれました。
ピンクレディーとして共に活躍することになる「ケイ」こと増田恵子さんとは、元々高校の同級生でした。
2人は、1973年に受けたヤマハ主催のオーディションに合格。
授業料免除の特待生にも合格したことから、ヤマハボーカルスクールに通うことになります。
そして2人は、講師の勧めもあり、当時人気のあった「キャンディーズ」にあやかる形で「クッキー」というフォークソング系のデュオを結成し、プロデビューを目指すことになったのです。
それからは、ヤマハ所属のセミプロ歌手として活動して、同社の新商品発売イベントや、キャンペーン開催時に参加して歌を披露することもあったといいます。
しかし、なかなかデビューは叶わず、オーディション番組「君こそスターだ!」に出場したものの不合格に。
そして、最後の挑戦と決めて応募したのが「スター誕生!」でした。
2人は、1976年3月14日に開催された「スター誕生!」第16回決勝大会において、当時ほとんど無名に近かったフォークグループ、ピーマンの「部屋を出て下さい」を披露。
その結果、8社ものレコード会社や芸能プロダクションから獲得の意向を示すプラカードが上がり、デビューのきっかけを掴んだのです。
そして、2人はピンクレディーとして、1976年にシングル「ペッパー警部」でデビュー。
この楽曲は、売上60万枚、出荷ベースではミリオンセラーのヒットとなり、1976年の「第18回日本レコード大賞」で新人賞受賞。
翌年に掛けて、ロングヒットとなりました。
そののちも、次々にヒット曲を出したピンクレディーは、オリコンで連続9曲1位、10曲連続ミリオンセラーとなり、当時の新記録を打ち立てました。
さらに、ピンクレディーは全米デビューも果たし、ビルボード総合37位を獲得。
全米三大ネットワークの一つであるNBCのゴールデンタイムで冠番組を持つなど、確実に実績を積んでいきました。
そのような中、ピンクレディーは1981年に解散を発表し、4年7ヶ月の活動に終止符を打ちました。
解散後の未唯さんは、ソロ活動をスタート。
当初は、ピンクレディー時代とは変わらないほどの忙しさだったといいます。
1984年には、6枚目のシングル「NEVER」が、ドラマ「不良少女とよばれて」の主題歌に起用され、オリコン週間10位以内にランクイン。
未唯さんにとって最大のヒット曲となりました。
また、1998年からは、アニメタルファミリーのアニメタルレディーとしても活動しています。
解散後も順調に活動を続けていた未唯さんでしたが、実は、自分なりのビジョンを持っていたようです。
未唯さんは解散後、ソロ歌手や女優、ダンサーなど、やりたいことが色々とあったようで、中にはアメリカで活動する誘いまであったそうです。
しかし、未唯さんの考えていたことは両親から全て反対されてしまい、結局、ピンクレディー時代に関わっていた人々に、もう一度お世話になることになったのだそうです。
https://youtu.be/87FFU0ExsZ4
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