皆さんは、鈴木早智子をご存知ですか?
鈴木は、1988年から1996年にかけて、相田翔子とのアイドルデュオ「Wink(ウインク)」として一世を風靡した人物です。
しかし、相田が活動休止後も大活躍する一方、鈴木は表舞台から姿を消し、薬物・自〇未遂騒動やセクシー女優デビューなどで世間を騒がせました。
そこで今回は、鈴木の全盛期の活躍を振り返りながら、薬物・自〇未遂騒動やセクシー女優デビュー、不倫の噂、事務所との金銭トラブル、現在の活動内容など、さまざまな情報を紹介していきます。

1969年2月22日、鈴木は広告関係の仕事をする父親と、専業主婦の母親のもとに生まれました。
3兄弟の長女で、4歳下の弟と8歳下の妹がいます。
小学2年生の時から歌手に憧れていたという鈴木は、中学生の頃にアニメソングのオーディションに合格したものの、辞退しています。
そんな鈴木が本格的に歌手を目指すようになったのは、高校へ進学した1984年のことでした。
入学から間も無くして高校を休学した鈴木は、一時的に都内港区の青山に所在する芸能事務所に所属することになったのです。
そして、1985年頃には高校を退学。
喫茶店や、建設会社の事務などのアルバイトをしながら、都内港区の乃木坂にあった笠井幹男のボーカル・スクールで、レッスンを受けるようになります。

芸能界入りのきっかけは、1987年に青年誌「UP TO BOY(アップトゥーボーイ)」主催のミス・アップ・コンテストで、第7代グランプリを獲得したことでした。
そして鈴木は、1987年1月23日発売の「UP TO BOY(アップトゥーボーイ)」3月号のグラビアに登場。
3月23日発売の5月号で、表紙と巻頭グラビアを飾りました。

当時芸能事務所に属していなかった鈴木でしたが、彼女のグラビアを目にしたアップライトミュージック社長・森裕平が、設立したばかりの自社に所属させます。
しかし、当初の主な仕事は電話番やスケジュール管理などの雑務ばかりで、翌年の1988年1月に端役として出演したテレビドラマの他は、目立った芸能活動をおこなっていませんでした。
そのような中、鈴木に大きなチャンスが訪れます。
なんと、1988年にミス・アップ第9代グランプリである相田翔子と、アイドルデュオ「Wink(ウインク」結成し、4月27日のシングル「Sugar Baby Love(シュガーベイビーラヴ)で歌手デビューを果たしたのです。

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