羽生結弦 2024年06月16日
ISUの瞑想ぷり何を今さら日法スケレン 恋愛審査に賛成ISU総会が行われており その動画を見た方が内容をお伝えくださっ ていますま色々瞑想してるねって感じ ついに衣装にスポンサーの広告を載せて Okだってさフィギュアにスポンサーが つかないのは衣装にブランドのロゴが入ら ないからだという意見は昔からありました 以上のデザイン性や世界観を壊すからと いう理由だったと思うのだけど収益性最 優先ってことねまゆずる君の紫or igin様の脇の下などに密やかにguc 合なんてロゴが入ってたら見つけた瞬間に 狂気乱舞するでしょうけどこれまでも いろんな切ないスポンサー広告がリンクの フェンスに貼り出されてたわけであれが 選手の胸元同音とかあったらやれやれと ばかりが向上するんじゃないかしら知らん けどで何でも芸術性重視のルール変更だっ てジャンプのAI判定というまずは スポーツとしての根幹を放置し芸術性と いうはもことしたものを重視するとか少し 譲る君が出る試合で行われたどう見ても 美しさを感じない演技のあらゆる項目に どんどん仮定されていく壊れた計算機かよ ていうあの絶望感忘れてないよウクライナ フィギュアスケート結局のところこれは スポーツですブライアンボのカート ブラウニングゆずるを含む全ての偉大な スケーターは皆偉大なアーティストであり 偉大なジャンパーでした彼らは全ての要素 を兼ね備えていましたこれはスポーツです から最高の選手が勝つべきです日本スケ レンの平美木さんはAICさに賛成なん だってそれゆずる君が毎回ひどい採点で いじめられてる時なぜ発言しなかったの ゆずる君がいなくなったら突然そういう ことを言って何を考えているのやら若い 世代に本当に良い影響を与え新しいファン を獲得したいのであればフィギュア スケートをもっと面白く分かりやすくし なければなりませんスケーター審査ファン が本当に切望しているのはAI最低支援 システムなのでその資金を優先的に投資し たいと思っていますゆずる君に対して ISUがルール変更と称して何をしたか ゆる君が得意なことゆずる君の得意な ジャンプLアクセルゆずる君しかできない ことそれら全ての配点加点をえげつなく 下げ最後にはゆずる君のスケートのミルク の新骨である音楽表現とつなぎの パフォーマンスを採点項目から外して しまったね誰かを貶しためのルール変更 どこかの国を勝たせるためのルール変更 そんなものをずっと見てきたリーザだから こその発言は重たいよリーザが世界トップ に踊り出てきたのはゆずる君と同時つまり 彼女は今のフィギュアスケートの一承人 みたいなものISUは昨年の総会でも日本 の人気選手が引退したから客が減った課金 が減ったと嘆いていたのだから色々焦っ てるのでしょう もし観客を取り戻したいのならまずはプレ 兵小5輪シーズンからのゆる君の出た試合 の表彰台3人だけでも最低をやり直しその 不正を詫びゆる君から奪ったメダルと賞金 を返してくれたならきっとファンの何割か はまた試合の会場に戻ってくるんじゃない の知らんけどまささんおはようございます レシ呼んできましたいつもながら気遣いの 方ですねシのことなので詳細かけないです けどり君にあんなに気を使わせてどうする んよって気持ちでいっぱいです Twitterのざわつきもしっかり把握 されているってなんであんなことで ざわざわする自分の発音がどう影響するの か今一度考える時ですねまささん こんばんはいやいやISU困りましたね こじらせたスカーフがさらにねじねじして 首をさらに閉めてるじゃんもうどうしよう もないブランドの名前入りってわ何それ ちょっとねなんか違うそこじゃないんだ よってこと だからまく分かっちゃいないってこと マリ人一よになる可能性があるね山君では 花がないし消去法でマリ人かアダム君か アダム君は何で禁止されてるバック フリップを入れてるのかわからんしあれは 見てて美しくないアクロバットとしては 面白いけど例えば体操のように足を まっすぐ伸ばして着するなら綺麗だろう けど難しいよねこれはあれは見てて美しく ないそうなのよね特別に難しい技ってわけ でもなく氷も荒れるのにあだの君が入れた のも反骨精神って面白さしかない気がする な例えば体操のように足を真っすぐ伸ばし て着するなら綺麗だろうけどそれよね 初めましてマサさんのパワーを常日頃尊敬 しています毎日楽しく読ませていただいて ます日本スケレンの方がAI導入をはで やったのはAIで判定したら困る方だ今 議会から引退したからですよきっとあと 日本のフィギアは伊東緑さんの時代 カタリーナビットに絶対勝たせてもらえ なかった過去があります鑑定の項目で芸術 性の比重が多くなると欧米路の利に沿った 試合運びとなり技術の日本人スケーターは また表彰台から遠ざけられるかもしれませ んだから今更構成の判定をえいでなんて 初出いるんですよ多分北京前にAIを導入 して欲しかったなAIで判定したら困る方 が競技会から引退したからですよきっと そうですねきっと芸術性の比重が多くなる とベロの利益にでしょうねまたにはかの外 駅前にAIを導入して欲しかったなきっと これからもやらないんじゃないですかハ 譲るはやっぱ別次元だって言えるわけい 固定観念を覆した羽譲るはやっぱり別次元 だった派手な言い回しと捉える方も いらっしゃるでしょうがハ君に限って言い すぎではないからねハ君がなぜ唯一無理な のか今更だけど考えてみたなぜハ譲るは 唯一無の存在なのか多くの人たちが語る ハニ君のすごさもエスとしておりませつつ 勝手にハ譲る別次元理論倍サナ覚え書き みたいなものですが1番別次元だな固定 観念を覆したなと私が思うのはやっぱり何 と言っても平章ゴリ一連のハニ君です何度 遡ってみてもミブするレベルですこの現象 は世間一般のこれまでのゴリ金メダルの常 と固定観念を覆した事実ですしかもハ君は その時23歳ですあの頃ハ君を一眼知る 人物オサコチの言葉五輪直前にひどい怪が 連勝和剣骨の周辺まで及びさすがの王さん も不安だったと語っていますが譲るは決め たら後ろを振り向くことなく突き進み一気 に爆発させるのです譲るほどものすごい エネルギーで進んでいける人間を私は他に 知りませんこの地球上で譲るだけです人間 を超越したスピードでパワーを蓄積し1月 中旬にに4回転を飛び始めていました私に はゆるが他の戦士とは全く違うセオリー さえ通用しない人間であることが分かって いましたでもユズルを甘く見たライバル たちは羽入は無理だろうチャンスが巡って きたと考えていた違いありませんチーム ブライアン新たな旅路そしてこれね本人の 貴重な言葉にも鳥肌が韓国語林会場入りの 時の心情をハ君は語ります本当に びっっくりです今回は怪我があったので皆 さんが心配しながら待ってくれる心配し ながら応援してくれるという気持ちが ひしひしと伝わってきましたオリンピック の会場に入った時は応援してくれる皆さん にみんな大丈夫だから安心してという 気持ちでいましたそしてみんなが心配して くれている気持ちも全部受け止めて ちゃんと帰ってきたよという気持ちで滑れ たらなと思っていましたオリンピックに 入るまでの3ヶ月はとても苦しいものでし たがオリンピックの会場に入るまでにここ まで流行りたいという具体的なゴールを 決めていたんです自分が決めたゴールさえ 達成できればオリンピックで勝てるって 完全に信じ込んで練習していましたその ゴールを達成できたのは平アに向かう前日 の最終練習の時でしただから会場に入った 時は自分は勝てる準備ができたという感覚 でしたE&Gインタビュー24回記事より この言葉に震えが止まらない本当に ギリギリですよでも勝てる準備ができたん だねしかし余裕で勝てると思ったのが韓国 へ出発する前日となどんな心の像をお持ち なんでしょうか初練習の羽をメディアが 囲む韓国入りした初練習この様子中継で見 てたけど本当に何かをまといリラックスし ている羽君に私はさすが北そえんでしまっ た地下にある練習リンクでゆるは初練習を することになりましたいよいよ95日ぶり に譲るがメディアの前で滑るわけです怪我 をしてからずっとけの場に出ていません でしたから世界中の報道人が押しかけて 練習リンクを360°取り囲みました誰も が片を飲んで見つめていました大沢コチ ずっとカメラがハ君を追っているんだけど いつ4回転が出るのかって片を飲んで見 てるカメラマンメディア中継放送そのよう な雰囲気の中でハ君はこの楽しそうな姿 笑顔内村公平が信年を覆された瞬間謎で しかないこれが本物勝つためには 積み重ねる練習だけが全てと言った常識と いうか当たり前過ぎて論ずるに値しない 心情も平明の羽生選手が金メダルを獲得し たことで覆されたこの呆然実質のような 言葉が物語っているよねあの3ヶ月間彼は 一体何をやったんだあれは漫画だもう謎で しかないこれが本物まわっていらっしゃい ましたよねを練習を積んできましたていう オーラというより金メダルを得るための オーラをまつってきましたていう演技だっ た凄まじかった内村選手この羽に上ずる 選手のオーラまつっていたものって地球上 の物質的な日常にあるものでなくいくつで は語れない何かそう羽聖主の努力の 積み重ねと知恵によってつかみ取った別 次元の勝利だったと思えてならないハニ ヒール選手競技時代にはたくさんのありえ ないと思わされた実証があったでも全ては ハ君の血の滲むような努力の結果他はない 努力し続けたから得られる宇宙レベルの エネルギーどうしてもハ君を考える時この 思考回路になってしまう私何度語っても 語り尽くせない羽譲るのすごさすごいこと が普通って見てる私普通じゃないからね 表情が清々しく輝いて見えたのはまた リンクに立てる大会に出ることができる心 からの喜びだったのですあとはもう思いの まま飛ぶだけそれにしても私にはこの映像 何度見ても映画のワンシーンにしか見え ない主局のダニーボーイダニーボーイさて 何をどう勝てば曲維持振り付けし書意 スケート医師キースジャレットデイ ディットウルソン伊藤里にはニ譲る各会の 天才たちが出会って時合作られた フィギュアスケート市場に3000と輝く べき夢のプログラムだと思いますただただ うっとりと見入っているとスケートの優雅 さやメロディの素朴さに騙されて滑りも ピアノもどれだけ高度な技術を駆使して いるのかその驚くべき複雑さをうっかり 見落としてしまいそうですそれにしても ダニーボーイって一体どんな曲なんだろう アイルランド民用であること別名をオドン デリーの歌ということURISEミ勇の 元歌であること切ない歌詞を持つことこの 辺りはプログラムの初演以来すっかり周知 されたしなんなら本さんから羽生選手に リクエストがあった時にすでにイメージを 膨らませていた人も多かったのではない でしょうか私もその1人でしたしかし実際 に披露された衣装と髪型はそんなイメージ からとんでもなくかけ離れていました庶民 の民用ということでシンプルで地味な スタイリングを想像していたら白く 光り輝く優雅な上手にびくのそして かっちりと固めたオルバ曲の背景に画然 興味が湧いたのはそんな風に今日疲れた からです作曲家の名前は分かりません元に なったと式メロディは16世紀末17世紀 初島まで遡ることができるらし1855年 町のフィドル引きが引この名もない メロディを初めて財布したのは アイルランド伝統民用の発掘保存活動をし ていたジェーンモスという女性でしたその 場所がロンドンデリーカウンティ現北 アイルランドだったことから出版時に便利 上ボンドデリーの歌というタイトルがつけ られたということです以来様々な歌詞が つけられた中でイングランド人の弁護士で 作詞家のフレデリックウェザリー アイルランド人ではないしアイルランドを 訪れたこともないが作ったダニーボーイも その1つでした元々は違う曲の歌詞だった のを人気が出なかったために手直しをして モンドデリーの歌見つけ替えたということ ですそれが第一次世界対戦勃発の1年前の ことでしたちなみにウェザリーは作詞作曲 家として当時エンタメ会ではかなりの セレブだったとかリクスコッターの初の さし絵が彼の刺繍だったことも面白い自身 の葬儀にはボンドデリーの歌が流された そうです悲しきタイミングのネと言います かこのダニーボーイがブレイクしたのは第 1次世界大戦がきっかけでした対戦中英国 兵士の妹にフランスを訪れたオペラカシ エルシグリフィンがこの歌を歌いそれが ホームシックの若い兵士たちの金銭に触れ たのです間もなく別の女性歌手を起用した レコードも発売されました今もダニー ボーイは第一次世界大戦の相性過衆的な アルバムには必ず含まれています歌詞の 意味は昔から様々に解釈されてきました 息子を戦地に送り出した親の心情だいや 戦地に行ったのは恋人だいや危を逃れて中 をよぎなくされたアイルランド移民の歌だ 実はこうした受け取り方の自由がダニー ボーイのミルクであり成功の要因の1つだ とも言われていますなぜならば1つの解釈 に限定されなかったことでユニバーサルな 不平性を獲得したからですというわけで レザリアリーを念頭に歌詞を作ったのかは 分かっていませんなお作手をした1910 年は自分の息子を亡くした年でもあったと のことともあれレザリアにーボーイとは別 にハニ選手のダニーボーイを見てどんな 情景が目に浮かぶかと問われれば自分の 場合はやはり戦地に送られた息子であり 戦場であり故郷の花咲緑の丘であり 懐かしい人々の顔S第1次世界大戦当時の 男性のようにきっちり撫でたオルバ ファンタジーをアイスでは少し変わってい たスタンドカラーがりりしい制服軍服お 連想させる衣装それに剣を仰いだり天に手 を伸ばしたりする仕草が多い振り付け原曲 の自子を知ってこうした仕草を見るとどう しても悲惨な残業生が繰り広げられた第一 次世界大戦で残業の底から希望をつもうと する青年兵士を脳裏に浮かべてしまいます ファンタジーをアイスではインクが戦場で あるかのように迷彩柄に染まっていました 振り付けにある家君と膝をおる動きも戦場 での出来事負傷する場面なのかもしれない と思ったり洋学や映画ドラマ小説などで 第一次対戦で傷ついた若者たちの描写に 触れてきたせいか自分はそんな風に構えて しまうんですよねこうした個人的な解釈の 正当家じゃないけれどほぼひ羽君はこう 言ってくれていますその人が持ってる背景 や価値観で全体の色も変わっていく逆に そういうことができる余白がないなんか 納得するだけで終わっちゃうっていうかあ こうだよねはいてなっちゃう羽譲るという 人が演じてる時になんとなく見えてくる 風景とかも多分あって同じ演技でも それぞれに全く違った風景が存在している そういう表現の世界ってすごく面白いなっ て思いますそれでも本人の言葉にもある ようにこの作品の各となるテーマが希望で あることに間違いはありません今回 ダニーボーイについて調べる中でも何度も 希望という言葉に出会いました例えばこの 記事で知ったのですが2013年にダニー ボーイをテーマにドキュメンタリー映画が 作られてたんですねミュージシャン初め たくさんの人がダニーボーイと自分の 関わりを語るといった内容らしく面白そう ですでその監督を務めたジェームズメイ コックという人がこの歌が喪失会や別れ シラもテーマにしながら気持ちを明るくし てくれるのはさっていった人にもいつの日 かまた会えるという希望を与えてくれる からだ感情や経験など人間の根本の部分に 触れるからこそこれほどまでに大きな文化 的影響を持つことができたという内容の話 をしています喪失の事実と再会への希望 そうですよね何があっても絶対にその希望 はあると曲の背景だけでここまで書いて しまいましたが肝心のプログラムの感想は それはもう羽譲るというプロスケーターの 芸術のエッセーがこれでもかとまった プログラムなわけで1小説ごとに ハイライトがあると言っても過言ではあり ませんだから語りすことは難しいこんな時 に高山Cさんがいてくれればと切実に思い ます涙私の考える彼のスケートの エッセンスはジャンプ前の細かなステップ はもう言い尽くされた感がありますが無 重力感感染の否定危機迫るレベルの音爆 表現フレーズアクセント変調イズム ダイナミクスと両単位で細かいエンデル両 単位で好きのないラインの美しさその他 多数等々ダニーボーイではこれらがいかん なく発揮されいるだけでなく彼のスケート とピアノとの相性の良さを改めて感じまし たピアノは打学期なので音は割とすぐに 消えていくその消えていく音の余韻を表現 するセンスにとんでもなくひいでているん ですキースジャレットのダニーボーイは 2002年の東京コンサート版は トランスクリプションが複数入手できるの ですが源さんに渡され今回の音源にもなっ た1996年までなコンサート版には残念 なことにそれがないそしてこの2つの演奏 は全然違うんですよね東京版は多分滑るの 難しい仕方なく演技の流れをできる限り 東京版の楽譜に書き込んでみましたがイも 小説単位で情報量が多すぎて大変な作業 でした電後の羽君の滝汗も当然というもの ですよこれほど精密なプログラムを滑る ことのできるスケーターは他にいないと 断言できますそしてそこが機械的で記述を 広め会的な消費にならないここで思い出す 女子のがまた素晴らしいベルビプレスリー は個人的に気にいたダニーボイについて 天使が書いたものと言って自らの葬儀で 演奏されるよう望んでいたそうです天使と 兵士ハニ選手のダニーボーイにはその両者 が見えるような気がしますSenna3 素敵な考察をありがとうございます誤解を 恐れるに申し上げますと当初から晩年の プレスリーの慈しみ溢れた箇所を コスチュームや髪型で彷彿とされました ただ当初からこの携帯を野する方から伊藤 さんが攻撃されていて1年後のお休みに つがったと思うとなかなか言い出せません でしたやっと言えますクレスリーの天使か 悪魔かの声と相まって彼の生涯をも 思い出されました私は場の影響で イートルズ世代また田中なのにクレスリー で育ちました羽さんの背後に彼を見たの です声も聞こえました居の2日間でした コメントありがとうございます一生 デザイナーさんの件は困ったことだと見て いましたが給料の件はまた別の事情だと 思いますよそんなことでへこむような方で はないでしょう現地で素晴らしい演技に 青春時代のスターのおかげまで感じられて 幸せな時間を過ごされてよかったですね ああそうだったのかロンドンデリーの歌だ と思ったこの戦慄まだ子供だった私の 思い違いや記憶違いかと思ってたんですよ 元々はロンドンデリーの歌として紹介され その後いたの変遷を経て今に至るだったの ですね詳しく調べて分かりやすくまとめて くださりありがとうございますゆる君ほど 余韻を生かす演技が巧みなスケーターはい ませんよねSWANしかりハルキーしかり でもその余韻を全編で効果的にそして演出 の1つとして生かしたダニーボーイは音楽 と共にある芸術としての歴史に残るものだ と思いました余韻の深さゆえに見る人の その人が持ってる背景や価値観で全体の色 も変わっていくその幅も深さも大きくなり それゆえに忘れたい過去があったとしても その傷でも届く深い癒しを与えることが できるんだろうなと彼の祈りには シャーマニズムにも通じる癒しを感じます 期待の芸術かかと芸術とは何のために存在 しなぜ人々に求められるのかその答えが ここにあるそう思いました素晴らしい記事 をありがとうございました彼はなっている 音だけでなく音の消え方まで大事に大事に 表現しようとしていますよね本当に音楽の 化身のような人ですなんとなくしっとりと かなんとなくかっこよくではなくどうすれ ば得が表したいことを伝えられ しっかりと理論的に分析をしているん だろうと思いますその上であして 入り込める見るものも引きずりこめるのが 他に例を見ない才能ですね
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