東日本大震災特別企画「ともに」。宮城県気仙沼に移住し、気仙沼を毎日、撮り続けている写真家がいます。幻想的な「風景」の写真が多いのですが、その風景の先に見つめているものがあります。

日の出前の気仙沼港です。

写真家 かとうまさゆきさん
「ほぼ毎日、市場の近くにいるので」

写真家・かとうまさゆきさん(71)。10年前に気仙沼に移住し、港町の景色を毎日、撮影しています。

写真家 かとうまさゆきさん
「人間の目で見るよりも望遠レンズを通すと圧縮されて見えるので、迫力ある映像が撮れる」

加藤さんが映した海の街・気仙沼です。

写真家 かとうまさゆきさん
「東の方向から太陽が上がってくるが、風向きと湿度によって、空が赤からピンク色になる」

気仙沼の冬の風物詩、「気嵐」。

写真家 かとうまさゆきさん
「気嵐って、日本中探してもこんなに素晴らしいところないんですよ」

かとうさんの写真や動画は全国のテレビ局や出版社などから提供依頼が絶えず、知る人ぞ知る、気仙沼の名カメラマンです。神奈川県出身で撮影のため国内外を飛び回ってきたかとうさん。気仙沼は妻の生まれ故郷。結婚前から気仙沼をよく訪れ、いつか移住しようと決めていました。

写真家 かとうまさゆきさん
「気仙沼の魅力の中に『船』がある。フェリーの行き交いもあり、大型の近海マグロ船もあれば、小さなタグボートから、イカ釣りの船から本当に色々な船があるので、ここで見ていて飽きない」

夫婦で気仙沼に家を建て移住しようとしていた矢先、東日本大震災が発生。かとうさんは直後に神奈川から駆けつけ、迷いながらもシャッターを切りました。
2013年にようやく気仙沼に移住し、妻・千加子さんの母親と3人での暮らしが始まりましたが程なくして、千加子さんが病に倒れ亡くなりました。

写真家 かとうまさゆきさん
「気仙沼に来てゆっくりできた…というのがあまりなかった。女房が亡くなって、一人娘だったので、今度は義母の介護。介護やこれからの生活をどうするか相談…、気仙沼に来て分からないことも多くて。気仙沼市の方たちにも色々お世話になったので、その“恩返し”を今、している」

『気仙沼への恩返し』。

かとうさんは自分の写真や動画が、気仙沼に、全国から人が訪れるきっかけになればと考えています。この日はカキ養殖の取材のため大島へ。訪ねたのは以前、雑誌の取材で、印象に残ったというヤマヨ水産。こちらのカキはぷっくりと厚みがあり、味わいが濃いと評判です。

写真家 かとうまさゆきさん
「全くえぐみがないです。おいしい。おいしさが分かって初めて写真につながる」

ヤマヨ水産の小松武さん(47)です。津波で自宅や養殖施設が全て被災しましたが、その2年後に養殖を再開させました。かとうさんはこの日、5月の初め頃に出荷予定の『春牡蠣』の選別作業を撮影しました

写真家 かとうまさゆきさん
「いいですね!その笑顔、欲しいですね!アップを撮らせていただいて…このぷりぷり感を…」

ヤマヨ水産 小松武さん
「こういう表情でやってんのか…と、なかなか撮られる機会も少ないので、…こそばゆい」

ヤマヨ水産 小松武さん
「見ただけ、表面だけではなくて、『おいしかったからそれを撮りたい』。『紹介したい』と言っていただけるのは本当に心強い」

写真家 かとうまさゆきさん
「漁業に関わる人たちの『負けねえぞ!』という、ど根性が見える。写真を撮っていて見えてくる。気仙沼ってのは魅力ある街なので、これを全部、撮り尽くすまでは仕事はしていきたい」

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