この作品は、1926(大正15)年に「文藝春秋」に発表された、泉鏡花が53歳の時の作品。
主人公が、子供の頃に読んだ不思議な絵本にまつわるお話です。
「絵本」というと、多くの人が思い浮かべるのは
親が子供に読み聞かせる、何かためになる物語、といったとこでしょうか。
でも、泉鏡花が描く絵本は、ただの絵本ではありません。
絵本の物語が、得体の知れないものだったら?
読み聞かせをしている者が、魔性の者だったら?
というお話です。
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本文には、意味の分かりにくい表現が出てきますので
少し解説しておきます。
○冒頭、この物語の舞台となる小路の様子を描く文章があります。
「狭い小路が、霞みながら一条煙のように、ぼっと黄昏れて行く」
明治の頃は、現代と違って、街のそこかしこに街灯があるわけではありません。
夜になるとほぼ真っ暗になることでしょう。
それを踏まえてこの文章が描いている光景を想像すると、
日が暮れるにつれ、小道が見えなくなっていく様を
一筋の煙がかすんでいく様になぞらえているわけです。
とても雅な表現です。
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○もう一つ、黄昏時が過ぎて夜になっていく様を描く文章があります。
「門も、欄も、襖も、居る畳も、ああああ我が影も、朦朧と見えなくなって、ただ一条、古小路ばかりが、漫々として波の静かな蒼海に、船脚を曳いたように見える」
暗くなるにつれ、自分の影さえも見えなくなってくるが、小路だけが船が通った後のように見えている、というのです。
雅ですねぇ。
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○うら寂しい小路に、そぞろ歩く人々の気配がし、ふと女性の声が聞こえてくる様をこんな風に表現しています。
「幽かに人声――女らしいのも、ほほほ、と聞こえると、緋桃がぱッと色に乱れて、夕暮の桜もはらはらと散りかかる」
女性の声がするだけで、パッと真っ赤な桃が現れ、桜がはらはらと舞っているような心持ちになる、と言っています。なんとも美しい・・・。
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○木戸に「貸本」と、読める紙を見ている子供。
それは「幻かもしれない」ということをこんな風に表現します。
「紙が樹の隈を分けた月の影なら
字もただ花と蕾を持った、桃の一枝であろうも知れない」
紙と見えるのは月の影かもしれない。
文字も桃の枝がそう見えるだけなのかもしれない、と言っています。
複雑で優美な表現ですねぇ。
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〇この物語は、無残に殺められた女の復讐を描いています。
どういう女かと言いますと
「巳巳巳巳、巳の年月の揃った若い女」とあります。
生まれた年や月日時刻が「巳」の 揃った 女と言っているのです。
へび年、4月、巳の日、巳の刻に生まれた女、というわけです。
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〇泉鏡花が好んで使う「逢魔が時」。
いったいどんな時なのでしょう。
これは、太陽が隠れて、夜になる時間帯を指します。
暮六つ、酉の刻、今でいうところの午後5時から7時ころ。
現代と違って、江戸時代以前は、
夜には明かりもなく真っ暗になります。
次第に薄暗くなる時間帯なので
妖怪などの魑魅魍魎が跋扈すると思われていたのでしょう。
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〇美しいお嬢さんが幼子に見せる「草双紙」
「絵解えときをしてあげますか……読めますか」という下り。
この「草双紙」こそ、題名にある「絵本」のこと。
幼子に母が話して聞かせる様を「絵解き」といいます。
そんな草双紙に「描かれているもの」とは何か、
これが判ると、ぞっとすることでしょう。
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