第二次世界大戦後のドイツ。15歳のマイケルは、体調が優れず気分が悪かった自分を偶然助けてくれた21歳も年上の女性ハンナと知り合う。猩紅熱にかかったマイケルは、回復後に毎日のように彼女のアパートに通い、いつしか彼女と男女の関係になる。ハンナはマイケルが本を沢山読む子だと知り、本の朗読を頼むようになる。彼はハンナのために『オデュッセイア』『犬を連れた奥さん』『ハックルベリー・フィンの冒険』『タンタンの冒険旅行』といった作品を朗読した。
だがある日、ハンナは働いていた市鉄での働きぶりを評価され、事務職への昇進を言い渡される。そしてその日を機に、ハンナはマイケルの前から姿を消してしまうのだった。
理由がわからずにハンナに捨てられて長い時間が経つ。マイケルはハイデルベルク大学法学部に入学しゼミ研究のためにナチスの戦犯の裁判(例としてフランクフルト・アウシュビッツ裁判)を傍聴する。そしてその被告席の一つにハンナの姿を見つけるのだった。
アウシュヴィッツ強制収容所の元囚人の著書には、ハンナはアウシュヴィッツの手前のクラクフ近郊の強制収容所の女性看守の6人の一人として名前が挙げられていた。いったん収容した囚人を「選別し」順次アウシュヴィッツに「死の行進」で送った未必の故意による殺人容疑(自分が選別し送れば囚人が殺されることを知ってそうした)と、収容所がある町が爆撃を受け、収容所が火事になっても開錠をしなかった結果300人の囚人が焼死した事件についての未必の故意による殺人容疑(開錠しなければ収容所内に閉じ込められた囚人が焼死することを知って開錠しなかった)が問われた。
公判でハンナは「次々と囚人が送り込まれるから、収容所の容量を考えるとすでにいる囚人をアウシュヴィッツに送るのはやむを得なかった」と証言するが、「すでにいる囚人は死んでもいいと考えたのですか」と判事に反論される。また原告の娘は、ハンナがお気に入りの若い娘たちを夜中に部屋に呼び、物語を朗読をさせていたこと、始めは知性のある親切な人だと思ったこと、病気やか弱い人を助けているように思ったが実は彼らを優先してアウシュヴィッツ行きに選んでいたことを証言し、ハンナの心証は悪くなる。
収容所の火災については、ハンナは「爆撃で混乱している市街地へ、収容所を開錠して囚人を出すことはできなかった」と証言。判事らが火災の報告書の証拠調べに移ると、報告書は6人の看守が共同して作成したものだというハンナの証言にたいして、開錠しなかったのもハンナの指図であったと他の元看守がこぞって証言し始める。判事は筆跡鑑定をしようとハンナにペンと紙を渡すがここでハンナは筆跡鑑定を断り、報告書を自分が作成したこと、自分が開錠しないよう指図したことを認める。
傍聴席のマイケルは、ハンナが自分を含めて人に本を朗読させることを好む一方で、自分が朗読することは拒んだことや、自分がメモ書きで知らせた情報を知らないことで行き違いが起きたこと、鉄道会社の事務職への移動を拒否したこと、さらに筆跡鑑定を拒んだことから、ハンナが文盲であることと、それを隠していることに気付く。マイケルはハンナが文盲であることを裁判官に言うべきか悩み、大学のロール教授に相談するが、ハンナが文盲であることを恥じていることを考えると伝えることはできなかった。裁判でハンナは殺人で無期懲役、ほかの5人の女性看守は殺人ほう助で懲役4年という判決が下される。
マイケルは大学卒業後、結婚し一女をもうけるが離婚する。1976年に西ベルリンに移転したマイケルは、ハンナの服役している刑務所に本を朗読したテープを送り始める。ハンナは朗読と、本の文章を照合しながら少しずつ独学で文字を学び、マイケルに手紙を出すようになる。服役から20年後の1988年にハンナに仮出所が許されることになった。唯一彼女と連絡を取っている人物としてマイケルの名が挙がり、身元引受人の依頼が刑務所からマイケルのもとに舞い込む。依頼に応じたマイケルは、ハンナの出所1週間前に刑務所のハンナと面会をしに行く。そこで、出所後の生活の用意がしてあることをハンナへと告げる。出所の日、ハンナは首を吊って自殺してしまう。刑務所へハンナを迎えに来たマイケルはハンナの独房へと案内され、遺書らしき物のうちマイケルにあてたくだりだけを刑務所の職員から読み聞かされる。
1995年、マイケルは成人した娘とともにハンナの墓参りに訪れるのであった。
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