神山まりあ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2413263 / CC BY SA 3.0

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神山 まりあ(かみやま まりあ、1987年2月17日 – )は、日本のファッションモデル、イメージコンサルタントである。
G.M. Image Consulting 代表。
イデア所属。
2011年(平成23年)の『ミス・ユニバース・ジャパン』であり、同年9月12日に行われた世界大会、ミス・ユニバースに日本代表として出場した。
東京都渋谷区出身。
富士見丘中学校・高等学校卒業。
成蹊大学文学部卒業。
2011年(平成23年)のミス・ユニバース・ジャパン優勝者として知られ、同年9月にブラジル・サンパウロで行われた、ミス・ユニバース世界大会に、日本代表として出場。
神山の特技のひとつには英語があり、もともと好きだったことに加え、高校時代の海外でのホームステイや、大学時代のハワイ生活などを通じて、本格的な英会話を身につけたという。
さらに、大学での専攻も英語であった。
また、神山は高所恐怖症であるが、ミスユニバースジャパンのファイナリストとなった後には、それを克服するためにバンジージャンプに挑戦したという。
神山は小学校1年生から高校2年生まで、NHK東京児童合唱団に所属していた。
合唱団ではヨーロッパなどへの国外公演旅行も多く、神山らはヴェルサイユ宮殿で歌った最初の日本人となった。
中学、高校ではダンス部に所属し、高校時代には部長を務めた。
ダンスは、部活動以外でもスクールに通って練習し、得意なジャンルはヒップホップだった。
神山は大学でもダンスを続け、ダンスサークルに加わっていた。
大学3年生の終わり、「助けてくれる人が誰もいないところで、どこまで自分が挑戦できるのか試したい」との理由から、大学を休学してハワイに移住した。
ハワイにはアメリカ合衆国の就労ビザを取得して滞在し、家探しから自力で行った。
移住後には、アラモアナ・ショッピングセンター(ホノルル)のアパレルショップで働きながら、英会話を身につけた。
それまでは「雪ん子みたいに肌が真っ白だった」という神山だが、サーフィンなどもしながら過ごしたハワイ生活の結果、色黒になったという。
ハワイで気に入っていた場所として神山は、ラニカイ・ビーチを挙げている。
『ミス・ユニバース・ジャパン 2011』に応募するにあたり、東京在住であった神山は初め、東京オーディションの受験を考えたものの、日程の都合から大阪オーディションを受験している。
コンテストでは2010年(平成22年)12月5日、約4,000人の応募者のなかから、先ず15人のファイナリストのひとりとして選出された。
その後、大阪代表としての約半年間のトレーニングを経て、翌2011年(平成23年)6月17日に東京ドームシティ(東京都文京区)で行われた決勝に参加、15人のファイナリストから優勝者に選ばれた。
この際のマスコミ報道において神山は、職業は販売員、出身地は大阪であるとも紹介されている。
神山は、2011年(平成23年)9月12日にブラジル・サンパウロで行われたミス・ユニバース2011世界大会に、日本代表として出場した。
大会に先立つ同年8月には東京で壮行会が行われ、神山が世界大会で着用するナショナル・コスチュームも発表された。
衣装のテーマは、「椿と刀」で、同年3月に発生した東日本大震災からの復興に団結して立ち向かうとの思いから、日本国旗の白と赤を基調にデザインされたものであった。
大会の結果、神山は上位16人に残れず、入賞を逃した。
神山は、祖父、祖母、父、母、私、妹の6人家族である。
さらに、愛犬でウエスト・ハイランド・ホワイト・テリアの『プリン』がいる。
妹は、ミスユニバース・ジャパンの栄養士、エリカ・アンギャルに憧れて、大学で栄養学を学んでいるという。
2016年(平成28年)1月13日のインスタグラムの投稿から2015年(平成27年)1月9日に入籍し2016年(平成28年)1月10日に結婚式を挙げていたことと妊娠していたことを明かした。
7月24日、第1子男児を出産。
^ a b c “2011年度代表:神山まりあに決定!”. What’s New, MUJ. ミス・ユニバース・ジャパン (2011年6月18日). 2011年8月21日閲覧。
^ a b “TGC’1…

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