心にしみる朽極の昭和まち /遊里 帯広 釧路(北海道)
A Showa Town of Sublime Decay That Touches the Heart / Walk around the nightlife districts, Obihiro Kushiro (Hokkaido)
帯広
帯広の夜の盛り場は、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて形成された複数の横丁・小路によって特徴づけられる。八丁堀は、帯広駅北側に広がった戦後の青線地帯を母胎とし、のちに歓楽街として整備され、雑居ビルと木造飲食店が混在する独特の密度をもつエリアとなった。いなり小路は、帯広神社周辺の門前町的な立地に戦後の小規模飲食店群が集まり、細い通路にスナックや小料理店が軒を連ねる横丁文化の典型を伝えている。新世界小路は、昭和30年代の都市拡張と消費文化の高まりの中で生まれた娯楽エリアで、映画館「新世界」など周辺娯楽施設との結びつきが強く、歓楽と飲酒文化が交錯する街として発展した。エイト街は昭和40年代以降、帯広駅前の市街地整備とともに生まれた比較的新しい飲食街で、区画整理後の整った街区内にスナックとバーが集積し、近代的な雑居ビル内店舗が多い点が特徴である。帯広のスナック街は、農業王国・十勝の中心都市としての経済力と、広大な平野をバックに集まる労働者・観光客の需要に支えられ、時代ごとに形を変えながらも「小規模店舗の密集」という北海道的横丁景観を今日に残している。
釧路
釧路の歓楽街は、港湾都市としての発展、炭鉱景気、漁業・海運産業の隆盛を背景に独自の構造を持って形成された。鉄北センターは、釧路駅北側の鉄道関連施設に近接して生まれた昭和40年代の商業集積で、当時の都市再開発的性格をもつ「センター型商店街」の一つである。周辺の労働者人口を見込み、雑居ビル形式の建物にスナック・酒場・大衆飲食店が多数入居したことから、駅裏の夜の拠点として長く機能した。炭鉱の閉山や人口減少により往時より規模は縮小したが、廊下型アーケード空間と昭和風情の店舗配置が独特の景観を形成している。栄楽街は、釧路川河畔の繁華街「末広町」一帯に近接して形成された戦後型飲食街で、観光客・漁業関係者・地元住民が行き交う混在的な夜の街として発展した。木造の小規模店舗が密集し、狭い路地に暖簾が重なる典型的な港町型横丁であり、湿度の高い気候や海霧の中に灯が揺れる光景は釧路の風土性を象徴する。昭和中期には映画館・旅館・料亭など周辺の都市機能と連動し、一大歓楽圏を形成した。釧路のスナック街は、港湾労働者と漁業者の社交の場として成立した歴史を今に伝え、衰退と再生を繰り返しながらも「港町の横丁文化」の核を保ち続けている。
集落町並みWalker
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/hyoshi/index.htm
6 Comments
Nice to see that inn at 22:28 & then the people singing with everyone watching – as you say, 'sublime decay' but always facinating!
いつもありがとうございます。怪しい妖しい路地も昼間では化粧が剥げてしまうのが寂しいです。変わった造りの長屋路地は土地の広い故ですか? お疲れ様でした。
とんちんかんのラーメンやっるかなあ
集落さん、いつもありがとうございます。ご無事で何よりです。朽極の昭和のまち、凄いです、私はとても一人では歩けません。
釧路の鉄北センターは昭和42年に設立かと記憶しています。 幼少期にこの近くに住んでいました。 当時は鉄北センターの両側にびっしり色んなお店が営業していました。
釧路は漁業の衰退と大きな製紙工場が撤退したので、町自体の衰退がとまりません。以前は道東で一番の町でしたが、人口減により帯広市と変わらない人口になりました。なので昔は栄えたであろう繁華街も、少しはずれれば衰退がとまらないですね。