あの橋がついに取り壊しに…。炭鉱最盛期から人口96%減となった国鉄万字線沿線の町の今

かつて炭鉱で栄えた国鉄万字線の沿線の町は、現在は軒並み人口が90%以上も減りました。しかしまだまだ魅力はいっぱいです!
そしてあの歴史ある橋がついに撤去となるそうです。。。
今回は朝日炭鉱や朝日駅の跡地、そして万字炭鉱のかつての市街地などを巡りながら、ポンネ湯のテイクアウト温泉を汲みに行きました。
ぜひご覧ください!

過去の万字の動画はコチラ

17 Comments

  1. 新年早々取材お疲れ様です。 オープニングの岩見沢 雪が少なくて驚きです! 積雪の辻褄合わせが怖い😨

  2. 数年前に訪れました。
    炭鉱遺構、私はかつての繁栄を想像しながらの探索が好きです。
    ちなみに本日めでたく江別も北区も大雪になりました(笑)

  3. 減った人口のうちの美流渡の一人です。
    万字駅の隣にジンギスカン鍋の博物館があります、不定期ですがジンパもやっています。
    先日NHKテレビの、有吉のお金発見突撃カネオくんで放送していましたね。
    万字駅のホームは駅舎から階段を降りた下の方にありました、今は残っていないでしょうが。
    ポンネ湯の少し前にある橋の下流側には、昔の橋がまだ残っていますよ。
    雪の解けた春先が撮影には良さそうですね、次回を期待しています。
    ありがとうございました。

  4. いつも興味深い動画をありがとうございます。
    「2026年の年始は雪が少ないねぇ」なんて言いあっていましたが、本日(1/8)にドカンと来ましたねw
    少年のころ万字線に載ったことがあるのですが、沿線の寂れた風景や錆びたレールなど、当時の風景を思い出しました。
    次回の動画も楽しみにしています。

  5. 朝日炭鉱跡、大々的な整備(工事)は去年の9月に終わっていて、見学できますね。去年10月にはイベントで本坑坑口のフェンスが開けられて近くまで入ることができましたよ。でもなぜかあの整備中の看板は残ったままなんですよね。年に数回朝日町をうろついてるオッサンより。

  6. 万字へは10回以上通いました。ポンネ湯も万字小学校が残っていて昇降口前に手作り浴場があり、週に一度入浴ができた20世紀末に利用したことがあります。
    11:15 一軒だけ残っている民家は元魚屋さん兼雑貨屋さんで、当時は貴重だった新鮮な魚を仕入れて、万字炭山地区に配達するなど地区全体の方がお世話になったそうです。
    10年前にはその手前(駅側)にも2~3軒の住宅がありましたが、全て無人化、老朽化のため取り壊されました。
    朝日駅は、以前は駅前の道が道道の本線で、その先を橋で渡っていました。駅舎と道道を挟んだ向かい側に商店があり、そこのおばちゃんが国鉄朝日駅の出札口で委託業務(きっぷのみの販売)を行っていました。青い塗色はオリジナルにはなかったですね。駅名標看板は当然廃止後に作った手書きです。朝日炭砿営業当時の写真パネルは私が訪れた時にはまだありませんでした。

  7. 朝日駅と万字駅は綺麗に保存されてますね😊万字線の他の駅は志文を除き、自然に還ってしまいましたからね😅万字炭山も当時は隆盛を極めていたんですね😅

  8. 朝日駅と万字駅は綺麗に保存されてますね😊万字線の他の駅は志文を除き、自然に還ってしまいましたからね😅万字炭山も当時は隆盛を極めていたんですね😅道道38号線はかつてよく使いましたね😅北海道に行っても夕張市に行く事もなくなりましたが、いつか気が向いたらまた行ってみます😊

  9. 昔〜し、上志文の新宮村橋のバス停(今は無いのかな)の所にきらく園と言う日帰り温泉が有りました。当時中学生だった藤圭子さんが親子で出演していましたね。(園の隣に建つ家に寝泊まりしてた筈)出演後に夜遅く温泉に入ってた。市内に通う女子中学生も良く通ってた男子は恥ずかしいのか余りいなかった様な!3~4人で来ると女子の方が大胆だったね。😮跡地後ろの川に未だ源泉が湧き出てるらしいとの事。

  10. 寂れている方のみ扱われていますが、お菊様のおわす万念寺の少し手前には人気の宿泊施設のメープルロッジがあります。
    こちらは札幌からのリピーターが絶えない人気温泉宿となっています。
    陰を扱うなら陽の方も扱って欲しいです。

  11. たまに仕事でそちら方面いきますが、ホント過去の人口との差が激しいところなんですよね。まだ少しでも人口がいるのが救いですが。

  12. 万字市街地…ホントに「市街」があったんやで?(炭鉱末期の幼少期に一度だけ親戚の家に遊びに行った事がある)
    もう記憶もうろ覚えだけど、あの駅前通りにズラッと長屋が並んでてな、通りに一軒だけあった雑貨屋の公衆電話(本体に手回しハンドルが付いてて、それをグルグル回して交換手と通話して、手動で先方に繋いでもらうスタイル)で実家に電話したのは覚えてるわ。多分、それと同じ雑貨屋、20世紀末まではギリ営業していたのは当時二輪で立ち寄って覚えてるんだけど、なんか資料館っぽいものになった末に今は廃墟化してるっぽい。
    あと徒歩圏にタダで入れる公衆浴場が二軒もあって両方に入った。行き帰りはもちろん万字線、帰りはわざわざ遠い方の万字炭山駅まで歩いて乗ったw

  13. 園児だった2000年頃、母方の祖母が万字に住んでて、よく行きました。
    寿町とかも長屋が沢山あったし、今の朝日ぐらいに栄えてました。
    今は祖父母の墓参りで毎年行ってますが、街並みは廃墟化や墓じまいが進み、38号は年々、直線化と増幅化が進んで所要時間が短縮されてます。

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