人々が消えた炭鉱町…三菱美唄炭鉱の今「前編」〜日東、東明、盤の沢、我路〜
こんにちは。ガリマサです。本日もご視聴 いただきまして誠にありがとうございます 。今回私は北海道美師に来ております。 今回はかつてこの地に存在しました美炭鉱 中でも三菱美炭鉱を中心に現在の姿をお 届けしたいと思います。 [音楽] 美師は私の母親の出世地であり、そして私 にとっても幼い頃から慣れしんだ第2の 故郷と言っても過言ではない町です。 左前方に私の先祖が眠る茶しない墓地が 見えてきました。この一角に単鉱で 亡くなられた方の追道費があります。今回 の物語はここから始まります。 [音楽] 日等美単鉱として始まったこの鉱山は 1967年に平するまでに104名の準職 者を出し追が混流されました。 その後立替えなどを経て2008年に現在 の形になったそうです。 [音楽] こちらはかつて茶し内墓地の片隅にあり ました茶子内炭山郵便局の後地です。 2013年に私が撮影した写真が残ってい ました。 1949年には美師には2局の普通局が ありました。当時北海道で普通局が2局 以上あったのは札幌、室ロラン、そして この美だけだったことからも当時の美の 反栄が伺えます。ちなみに現在はこの建物 はもう残されておりません。 このように今回の動画ではかつて単鉱で 栄えた美師の2025年現在の姿を紹介し ていきたいと思います。 続いて私がやってきた場所は三菱工業美 鉄道の透明駅の後地です。美鉄道の駅の 後地でこのように綺麗な形で駅舎が今でも 残されているのはこの透明駅のみとなって います。保存してくださっている方々本当 にありがとうございます。 [音楽] 三菱工業美鉄道は石炭輸送のための専用 鉄道が全進です。 [音楽] こちらが今も保管されている美道2号機関 車の現在の有資です。 1972年に三菱炭鉱は平山となり、この 美鉄道も廃止されました。 [音楽] こちらは透明駅のプラットフォームの後 です。 線路が敷かれていた場所は後に サイクリングロードとなりましたが、それ も廃止され、現在は立ちいることもでき ません。 [音楽] 車は堂道135号ビバイフラ野線を走って います。 913年に飯田炭鉱として開発が進められ 、後の1915年に三菱が買収したことで 生まれました三菱美炭鉱生産量をどんどん 伸ばし前術の三菱工業美鉄道線も運行させ 、最には年間160万tもの生産量を誇っ たそうです。 こちらの左手にあります から単鉱の移行を見ることができます。 ビバイ鳥上水上です。 横には以前のサイクリングロード、つまり 元々は微バ鉄道の線路跡ということ でしょうか。 [音楽] 移行が見えてきました。三井美単鉱の原端 ポケットです。原端ポケットとは石炭を 一時的に保管するための施設です。 それでは再び美単鉱の歴史に軽く触れ ながら車を走らせていきます。 [音楽] 時の1956年には美全体の人口が約 9万2000人に達し、そのうちの実に約 6万人が単鉱地区に住んでいたそうです。 さらに単鉱別の人口で言うとこの三菱美 炭鉱の地域だけでも約3万人の方が住んで いらっしゃったそうです。この景色を見て しまうととても信じられません。 現在の美士全体の人口はおよそ 1万8000人となっています。 この辺りが三菱工業美鉄道線の万野沢駅の 後地となります。現在は支有地となって いるため立ち入ることはできません。また 駅舎なども残されていないようです。 優勢を極めました三菱美炭鉱ですが、 1972年に平山。その歴史に幕を下ろす とともに人々も山から姿を消しました。 現在その後地にはわずかな重かは残されて いるものの、住民はほとんど住んでおらず 、かつて存在した単鉱の施設なども ほとんどが森に帰ってしまっています。 こんな街の1つガロにこれから向かいたい と思います。 車はガロに入りました。ガロには現在も数 名の方が暮らしていらっしゃるようです。 またかつてあった炭鉱町の中でもガロには 現在も数件の建物が残されているため見学 に来る方も少なくないようです。私も そんなガロの魅力に取り憑かれた1人です 。 堂々沿いからはこのような移行も見えてい ました。井戸か何かでしょうか? 画面に映っている写真はかつての流星を 極めたガロを象徴するような建物の数々 です。当時の大都会と言ってもいいこの ガロの町ですが、現在は一体どうなって いるのでしょうか。 前方で道が二股に分かれていますね。右手 の方に進んでみましょう。 別れ道の右手に見えるのがガロ劇のA者室 の後です。かつてはガロだけでこのような 映画館や劇場が3件もあったと言われてい ます。 当時の単鉱の方々やその家族がここで娯楽 を楽しんだんでしょうね。 それではガロ劇を後にしましてもう少し先 へ進んでみましょう。右手に比較的大きな 建物が見えてきましたね。 こちらは焼き鳥ガロという焼き鳥屋さんの 後地です。 2010年代に入ってもまだ営業されてい たので記憶に新しい方もいらっしゃるので はないでしょうか。 [音楽] 比較的新しそうな家もありますね。炭鉱が 平山してから立てられた家ということ でしょうか。 はとても雪の多い地域なので、このように 切害で完全に潰れてしまっている廃欲も たくさんあります。 それでは焼き鳥ガロから1本裏手の通りも 見てみましょう。 [音楽] 特徴的な石作りの建物が見えてきました。 こちらはかつて七夜だった建物です。 さらに奥へと進んでみましょう。水の音が 大きくなってきたのがお分かりいただける でしょうか?正面に小さな滝も見えてき ました。ビバが流れています。紅葉 スポットとしても良さそうですね。 客の対岸には当選回数15回の衆議院議員 岡田春尾の成果がありましたが、2024 年に残念ながら取り壊されてしまったよう です。 [音楽] それでは七夜がある交差点を曲がってみ ましょう。こちらの建物も完全に東壊して しまっています。先ほどとは逆方向から見 た七谷の様子です。 当時非常に立派な建物であったことが伺え ます。 [音楽] この石垣きもきっと当時から残されている んでしょうね。とても歴史を感じます。 [音楽] こちらも廃になっているようなのですが、 比較的新しそうな家に見えます。 窓のアルミ冊しなんかは古さを感じさせ ないですよね。 この辺りから一気にヤブが深くなりました 。この映像は10月の末に撮影したもの です。真夏はもっとヤがしげっていますの で、ここに入ることもためらわれる でしょう。奥の方にも建物が見えますね。 レガ作りでしょうか? [音楽] こちらは先ほどのガロを裏手側から見た 様子です。 では焼き鳥ガロの周辺を後にします。 堂々135号を挟みまして、向い側の路ジ にも行ってみましょう。 [音楽] 家の中は生活感で溢れています。火材道具 を全て置いたまま崩れてしまったという ことでしょう。 [音楽] すぐ右手にはプレハブ小屋が見えてきます 。 旧ガロ神社法物展示書です。ガロ神社は 2020年代に入り、100年の歴史を 閉じたそうですが、このように訪に保管さ れているのですね。余談ですが、私にとっ てガロ神社と言ってまず思い浮かべるのは この美炭鉱物語。ガロその愛の中でガロ 神社のお守りがとても重要なものとして 登場します。 もう少しこの道を進みますと、左手に少し 開けた場所があります。 三菱工業美鉄道線のガロ駅の後地です。草 がしげっていない季節であれば プラットフォームのおかげを見ることが できます。 こちらはかつてガロ駅前に立っていた立派 な旅館。そしてこちらは昭和7年のガロ 市街地の写真です。そしてこちらは昭和 45年のガロ商店街の様子です。非常に 栄えていましたが、現在の駅前通りはこの ような姿です。 前方に現在のガロの象徴とも言うべき建物 が見えてきました。ガロ遊便局の後地、 そして当時併設されていたという浴上の 大きな煙突が印象的です。その立派さから 当時の郵便の多さを感じさせます。それ だけ多くの住民がここに住んでいたという 証です。 当時から残るガロ郵便局は今どのような 思いで現在のガロの町を見下ろしているの でしょうか? [音楽] こちらはガロ郵便局の裏手にあります 局の後地です。 先ほどご紹介した映画の中でも届くシーン が描かれていました。 [音楽] 続いてこちらもガロ郵便局の裏手にある 建物なのですが、この奥にガロ神社の後地 がありますので行ってみましょう。 長い石の階段が見えてきました。 [音楽] 昭和16年10月流とあります。 それでは長い階段を頑張って登ってみ ましょう。2020年代に入ってガロ神社 は閉じられているのですが、果たして現在 はどのような姿になっているのでしょうか ? こちらがガロ神社の後地です。やはり劣化 は目立ちますが、現在も騒な姿で立って おられました。 ガロ神社の損者昇格記念費もまだ残されて います。 [音楽] さて、こちらは約20年前のカーナビが 示すこの辺りの地図です。ガロ郵便局の 後地にはしっかりと郵便マークが残されて いますが、実はこのガロ郵便局2014年 に一次閉鎖となりましたが、その後一次 閉鎖が解除されることはなく、2023年 に廃止となったばかりなのです。先ほどの 焼き鳥ガロは大島民芸者という名前で載っ ていますね。 続いてはこちらに書かれているガロ ファミリー公園や国スキー場の方に向かっ てみます。 [音楽] その前に美鉄道の線路跡を見てみましょう 。 こちらが微バ鉄道の旧線路跡。つまり後に サイクリングロードとなる場所ですが、 現在は荒れてしまっています。こちらも かなりヤブが深いです。し身の隙間から わずかにプラットフォームの後を見ること ができました。 [音楽]
1972年に閉山した北海道 三菱美唄炭鉱。その遺構や炭鉱町(東明、盤の沢、我路、常盤台)の2025年現在の姿に迫ります。
7〜11月まで約4ヶ月間に渡って撮影を行いました。
人々が去った町は今、どんな姿を見せてくれるのでしょうか。当時の貴重な写真と共にお届けします!
4 Comments
今回もお疲れ様でした🙇
ご自身のルーツになる街だったのですね…僕は4年前から林道・廃墟等の活動するにあたり沼東小学校が行きたい所として何度も繰り返し美唄市には訪れています🚙
今年の春先に自家用車で5度目の挑戦で小学校前まで行きましたが、校内に入ろうとした時に羆らしい声を聞いたので即引き返しましたが😰
僕自身は美唄市には何も知らずに沼東小学校跡地だけを目的地して訪問していましたが、ここ数年は美唄市近郊を含め年に10回前後は訪問しています。まだまだ知らない・行けていない場所が多数あるので…。
後編も期待しています、気を付けて活動されて下さい👍️
僕の死んだ親父が三井美唄炭鉱でした。それで僕は小1まで美唄に居て、その後閉山に伴う親父の転勤で、福岡県大牟田市(三池炭鉱)に引っ越しました。と言うことで三井美唄炭鉱も取材していただけると非常に嬉しいです。
この辺、見どころがいっぱいですよね😊
後編は円形校舎とメモリアルパークでしょうか❓☺️
日東の墓地とはレアで驚きました。
素敵な動画ありがとうございます😊