【地理雑学】人口減少列島編・小諸の誘致失敗・清里のファンシー廃墟の実態を探る/国道141号/中部地方/長野県

国道141号/人口減少列島編
小諸の誘致失敗・清里のファンシー廃墟 はい、ドラレコ風景を次々に雑学解説する動画、国道141号沿線自治体の人口はどうなっている? 〇小諸は佐久に負けたのか?新幹線誘致の真相! 〇清里が繁栄し、そして衰退した理由を考える 等々、今回は自治体の人口減少について掘り下げていきます。 見所は、小諸と清里! 地理調査に徹底的に時間を割いて丁寧に仕上げました。 今回も脚本くわ蔵、音声はなつきでお送りいたします。 ではでは、国道141号へGO! はい、まずは動画冒頭で脇道へ曲がりました。 本筋が国道18号、脇道が今回走る国道141号です。 実は、国道141号は上田市街地から続いているのですが、 国道18号との重複区間が多いので、今回は単独区間が始まる小諸市街地からスタートしました。 もちろん上田市もいつか国道18号でやりますので、気長~にお待ちくださいね! そして、なんだか歴史がありそうな通りです。 もしや…!? Googleアースを見てみましょう! う~ん、国道18号筋は田畑が多めで、新しく整備されたバイパスなのはわかります。 そして、国道141号と国道18号との間! 旧街道筋っぽい短冊形の地割(じわり)の道があります! やはり、歴史がある道のようです。 調べてみると、やはりここ、小諸市は「北国街道(ほっこくかいどう)」の道筋の町。 中山道から分かれて一つ目の宿場町で、大いににぎわっていたといいます。 しかし、小諸といえば、そう、新幹線の誘致合戦のお話が有名です。 北陸新幹線のルートは、最終的に佐久市を通ることになり、 ちまたでは『佐久が勝って、小諸が負けた』とよく語られています。 ところが、小諸市街地を実際に走ってみると、ふと違和感を覚えるんです。 『寂れてないぞ?』と。 少なくとも、各地を巡ってきた私の目から、寂れた町のようには見えません。 本当に元気がなくなった町は、街路からすでに荒れているんです。 小諸市街は街路も管理が行き届いていて、人の元気な営みが透けて見えてくるようです。 ではまず、北陸新幹線がなぜ小諸市ではなく佐久市を通ったのか、探ってみましょう! 様々な要因が絡んだことが考えられますが、 とても合点がいく記事を書かれている「九州大学の井野俊介氏」の研究成果を見つけることができました! (※URLはコメント欄の1番トップに書かれています) 時系列で簡潔に述べると… ①(いちばん) 山の上のある軽井沢駅に新幹線を通すのは難しいだろうと、「鉄道公団」も言った。 ②(にばん) それを受けて、小諸市と軽井沢町が手を組み、両街(りょうまち)の間の「平原駅(ひらはらえき)」通過案を誘致運動として繰り広げる ③ 佐久市も、新幹線誘致の優位性を示し、熱心な誘致運動を続けていた。 ④ 公団から上がってきたルートは、衝撃的だった! なんと、通すのが難しいと言っていた「軽井沢駅」を通す案だった! ⑤ はしごを外された形の小諸市。 軽井沢町が抜けた後、佐久市の誘致運動の優位性を越える案が出せない。 という感じの流れなんだそうです。 ほかにも、政治的な力が働いたのだろうと推測もされています。 面白いので、よろしければ目を通してみてください。 そして、実際に新幹線を佐久市を通す計画に対し、 佐久市や小諸市の誘致合戦の言い分がどこまで考慮されたのかまではわかりません。 ですが… 軽井沢を通すのが決定となると、軽井沢に近い平原駅は通さず、 平野部が広く、より発展しそうな佐久市へ線路を通すのは、 むしろ必然の流れだったのかもしれません。 そうです。 田中角栄が掲げた「利益ではなく、地域と国の発展のために鉄道を敷く」という考え方を、 国や国鉄も引き継いでいた可能性もあるわけです。 そして、結局新幹線は小諸市は通らなかった… しかしです! 小諸市は廃れていないんです。 そして、その廃れていない証拠が人口増加率。 「-1.43%」で、マイナスですがほとんど減っていない、日本の市町村で上位2割に入る成績です。 ネットで負けたといわれる佐久市に劣らない数値なんです! 小諸市には何かある! もっと深く探ってみると…! 「おしゃれ田舎プロジェクト」 がヒット! この北国街道・小諸市の歴史ある建物を、 居抜きで「とりあえず、やってみることができる」お店の立ち上げができる仕組みを作り出したんです。 居抜きなので、初期コストは抑えられるうえに、古民家が使える!というわけです。 小諸市を愛する、町おこしの立役者たちの熱量もあいまって、それがさらに人を呼び… 最終的には、「URであーる」までもが土地の開発計画を立てるに至ったんだそうです。 そして、確かに人口減続きだった小諸市、現在は転入超過が起きる年もあるんだとか! 誘致を逃し、廃れはじめていた。 ですが、逆に危機感を持つことができ、逆にいい方向へ向かったのかもしれません。 こんな感じで、今回は街の人口減の対策についても追ってみましょう! 新幹線誘致に成功した佐久市の悩ましい問題や、 清里は本当にメルヘン廃墟なのかどうかまで、探ってみましょう! あ、下ってますね! 地形図もチェックしておきましょう。 もしかしたら人口と地形が関係するかもしれません。 さっそく見てみると、なかなか面白い特徴が浮かび上がります。 まず北側には、どーんと浅間山(あさまやま)。 そしてこの辺り、平原交差点付近は、北川に削られて段丘状になっているのが分かります。 その表面は、浅間山の溶岩や火砕岩に覆われているんです。 さらに塚原のあたりには、浅間山の噴火で吹き飛んだ岩石が小さな山となって残っていて、 これが「流れ山」と呼ばれる地形となっています。 また湯川(ゆかわ)は浅間山をぐる~っと大きく回り込むように流れていますが、 これは岩屑なだれ堆積物にせき止められた結果だと推測できます。 こうして見ると、佐久盆地はまさに火山活動の痕跡に形づくられた土地だと分かります。 地形と人口の増減に、直接的な関係はなさそうです。 ですが、10万人をゆうに養える広さがある盆地だということはよくわかります。 街中へ入ってきました! 広々していていい感じの街です! ニトリを越えると~ おお~、町中に入ってきた感じはしますが、建物間にゆったりスペースが採られている感じですね。 あ、長土呂東交差点! この地下から新幹線が出てきます。 ここが中心部ですね! 佐久市は、人口減少が進んではいるものの、その度合いはわずかです。 直近の人口増加率は「-1.21%」で、日本全国の市町村の中でも上位2割に入るほど健闘しています。 その理由はどこにあるのか? もちろん移住支援制度もありますが、 今や多くの自治体が同じような施策を行っています。 佐久市を際立たせているのは、やはり交通インフラの充実でしょうか? 北陸新幹線の駅とその周辺の再開発により、コンパクトで近代的な都市づくりが進みました。 さらに上信越道に加え、今後は中部横断道の開通も控えていて、この利便性の高さが大きな強みです。 ただし、駅前の発展が続く裏側で、郊外では人口減少が目立ち、 市内での差が広がっているとも指摘されています。 市長も「佐久平駅(さくだいらえき)だけでなく、合併前からの各中心地も大切にする」と発言しており、 これからどんな施策が打ち出されるのか、注目されます。 おお、ぐるーっと佐久平を周る、湯川(ゆかわ)です。 段丘になっていますね。 おおっと、切通です。 ここは、千曲川(ちくまがわ)の河岸段丘のようです。 20~30mの高さがあります。 そして、千曲川流域、水田が広がっています! この先はほとんど河川による堆積物です。 一方で、背後の崖の上までは浅間山の岩屑なだれ堆積物に覆われています。 ここら辺にも岩屑(がんせつ)なだれが流れてきていると思いますが、 千曲川が削って、土砂を堆積させたんですね。 そして注目すべきは、湯川の北側、段丘の上。 ここに佐久市の人口のボリュームゾーンが広がっているんですね。 そして、片側1車線になりました。 そして、千曲川を渡って… ふたたび片側2車線になりましたね~ 2014年から浅蓼大橋(せんりょうおおはし)の拡幅工事が始まっています。 徐々に徐々に進んでいるようですね~ あ、跡部(あとべ)交差点です。 実は佐久市内は、国道142号と重複区間でした。 ここで別れます。前回走った道路ですね! そして、右側へ行けば国道254号でした。 この左側ブロックには野沢(のざわ)地区と、さらに千曲川を渡った先に中込(なかごみ)地区があります。 先ほどの佐久平駅周辺の「浅間町(あさままち)」と合併して、旧佐久市が誕生しました。 これらの街が一番の中心部です。 片側2車線のバイパスが続きます。 そういえば、この佐久から韮崎へ向かう国道141号、旧道はどうなっているんでしょう? Googleアースを見てみましょう! 今走っているのが、国道141号で… 東側に崩れてはいますが、短冊状の地割(じわり)が見えています。 う~ん、北国街道でも中山道でもないのに、なぜこんな町割りなの? 実は江戸時代、家の間口の広さで税金が決まっていたため、 道路に面して細長い短冊形の地割が広がっていったんです。 ここに残っているのも、そうした江戸時代に発展した街並みの名残のようです。 調べてみると… この道は「佐久甲州街道」や「佐久往還」と呼ばれた脇街道で、中山道と甲州街道を結んでいました。 一方、先ほど見た国道254号筋は「下仁田街道」や「上州姫街道」と呼ばれた別の脇街道です。 郊外に出てくると、こうした江戸時代の街道筋が、一目でわかるように浮かび上がってきます! 盆地が終わって、片側1車線になりました。 しばらく走ると、佐久穂町(さくほまち)へ入ってきました。 人口増加率は「-5.24%」。全国の中央値くらいで、特別に多いわけでも少ないわけでもありません。 ただ、高齢化率は「38.8%」で全国の上位6割、出生率は全国の下位2割と、数字だけ見ると厳しい現実もあります。 そんな中で注目されるのが「ジーバ共和国」。 佐久穂のおじさん・おばあさんが主体になって、農業体験や移住支援に取り組んでいるんです。 ユニークな挑戦ですが、人口を大きく押し上げるまでには至っていないようです。 ですが、考え方を変えれば、この谷あいの狭い氾濫原にできた町で全国中央値に踏みとどまっているのは、 むしろ健闘していると言えるのかもしれません。 全国のほかの市町村と差別化できるとすれば… やはり小海線の存在。 ローカルな鉄道とはいえJRが走っているのは結構大事なことのかもしれません。 また、気候的にも雨が少なく日照時間が長いといわれています。 そして、夏は比較的涼しい。 そして、雪は降るが溶けるのも比較的早いそうです。 八ヶ岳の東麓に位置すること、標高が比較的低いことも気候との関連があるようで、 西麓(せいろく)と比べてやや暖かく、やや日照日数が多いということが挙げられるようです。 気候も人口減少との関連の一つになりそうな気がします。 あ、左で十石峠(じっこくとうげ)方面です。 国道299号ですね! そして、この辺りが佐久穂町の中心部です。 Googleアースを見ていると、佐久甲州街道、佐久往還のルートが手に取るようにわかります。 実際に古地図、ひなたGISで本当に佐久往還ルートなのか見てみると…? やはりそうです。 短冊状の地割がされていて、建物が密集している通りが旧街道で間違いなさそうです。 あ、こちらで国道299号との重複が終わります。 右へ進むと、麦草峠(むぎくさとうげ)です。 こちら周辺の標高がおよそ800m。 麦草峠がおよそ2100m。 1300mも標高を上げていくんですね~ 八ヶ岳の北端、蓼科山(たてしなやま)の頂上付近を越えて茅野(ちの)市へアクセスする道路です。 小海町(こうみまち)へ入りました! データを見ると、佐久穂町とほとんど同じ傾向を示しています。 人口増加率や高齢化率等、佐久穂町とほぼ同じ。 移住支援も力を入れている点も共通しています。 そして両者に共通するのは、八ヶ岳東麓ならではの恵まれた気候、そしてJR小海線が走っていること。 さらに「八ヶ岳」という全国区のブランドを背負っている点も、 町の人口を“中央値”に踏みとどまらせている要因の一つかもしれません。 とにかく、国道141号沿線は風景がいいですね! これは7月の映像なのですが、小諸市から佐久市、佐久穂町、小海町と、それぞれとてもいい雰囲気です。 この風景そのものが、移住のきっかけになる…そんな可能性すら感じさせてくれますね。 あ、小海町中心部です。 ここもGoogleアースで見てみると…? 分かりますね、佐久往還の街道跡! 松原湖入口。 こちらを右へ登っていっても、麦草峠へアクセスできます。 お、標高上げています。 ここは深いV字谷(こく)で、崖を切り出すより、標高を上げて道筋を探している感じです。 千曲川は左側に流れています。 そして、南牧村(みなみ まきむら)へ入りました~。 実はこの村、ちょっと面白い豆知識がありまして… ここからわずか20~30km北東、群馬県にもまったく同じ漢字の村があるんです。 そちらは『南牧村(なんもくむら)』と読みます。 距離的にも近いのに、読み方は違う。 同じ「南牧村(みなみに、まきの、むら)」ですが、両方の村ともあまり相手を意識していないようなんです。 唯一発見できたのが、付近の村や町で消防相互応援協定を結ばれていること! なんだかそれを知ると、仲悪くないんだって、ちょっと安心しますね~。 あっ!電車! 2両編成です! こうして見ると、『意外と乗ってるのかな?』なんて気になりますよね。 実はこの小海線、採算面では少し苦しい路線なんです。 沿線自治体とJRが一緒になって存続のための取り組みを続けています。 しかし、JR東日本が今のところ廃線を検討している、という声明は出していません。 もし廃線になったら、沿線人口はやはり減るのでしょうか? 調べてみると、もともと人口減が進んでいた自治体で鉄道が廃止される例はあるものの、 『廃線になったから人口が一気に激減した!』というケースは見つけられませんでした。 もちろん鉄道がなくなれば不便にはなりますが、 代わりにコミュニティバスや移動販売などで暮らしを支える仕組みが整えられます。 つまり、鉄道のあるなしは“人口増を妨げる要因のひとつ”にはなりえても、 “人口減の直接の原因”とまでは言えないようです。 南牧村(みなみまきむら)役場です。 ここが中心部なんですね。 この先、標高をググっと上げて、台地へ出ます! ん?
今のは何だ? 牛のオブジェのようです。 これ「牛だるま」と呼ばれる南牧村商工会の方が地元を盛り上げようと作って、様々な場所に置いているらしいです。 これは楽しいかも! 牛だるまを探し回るのも楽しいし、観光収入も上がる可能性があります。 あ、正面の山で、千曲川とはお別れです。 いよいよ標高を上げていきます! おお~視界が広がりました~! これが野辺山高原(のべやまこうげん)です。 右手側に八ヶ岳が鎮座しています。 野辺山高原は八ヶ岳の東麓、火山岩や、火山麓扇状地(かざんろくせんじょうち)堆積物という地質です。 火山から流れてきた土砂でできている台地ですね! そして、南牧村の人口は… なんと、1.3%増加です!増えています! 国道141号沿線で初の増加になります。 高齢化率は30%とやや高めですが、近年のトレンドでは人口増が実現できています。 ただ、10年単位の長いスパンで見るとやはり人口減が進んでおり、 人口そのものが少ないため、一桁人が増えたり減ったりしても、大きく数値に出てしまいます。 それでも、長野県全体の人口減少スピードと同程度に踏みとどまっているようです。 個人的に魅力を感じたのは、学校と農業、そして自然がつながっていること。 子どもがのびのび育つ環境があるのは、都会ではなかなか得られません。 これが、急激な人口減になっていない一因かもしれません。 農業と自然の力です。 牛だるまが終わったら、次は山梨県です! いよいよ清里地区へ入っていきます。 さぁ、清里です! ネットではファンシー廃墟群などと言われる街ですが、実際の所はどうなんでしょうか? 最初に私の印象を申し上げると、かつての超巨大ファンシーブームが台風のように通り過ぎただけで、 観光地そのものの人気は大きく変わっていない、という感じです。 現に、車で行ける清里テラスは今も人気ですし、 少々離れてはいますが、道の駅・南きよさとでは駐車場に車が止められないほど盛況でした。 駅前には確かにファンシー廃墟と呼べそうな建物も数件ありますが、管理されている物件もあり、 悲壮感が漂う雰囲気ではありません。 では、清里の盛衰(せいすい)を簡単にたどってみましょう。 清里はもともと、清里農林学校や牧場宿舎、国民宿舎やドライブインができるなど、観光地の素地(そじ)を持っていました。 そこに1970年代、女性向けファッション誌「an-an」「non-no」で取り上げられたことが引き金となり、タレントショップが急増。 別名「高原の原宿」と呼ばれる大ブームが巻き起こります。 ところが2000年代に入ると、そのブームは急速に沈静化。 一気に撤退や閉店が進み、ファンシーな廃墟が目立つようになり、「清里は衰退した」と言われるようになったのです。 ですが、実際に見てきた感じですと… 「高原原宿」が衰退したのは確かですが、自然に囲まれた観光地自体が衰退しているようには見えません。 一過性のブームが通り過ぎた、というのが正確だと思います。 ちなみに、清里の原宿ブームが過ぎ去り始めたころ、本家の原宿や渋谷はどうなっていたのか。も調べてみました。 2000年代に入ると、渋谷原宿は、外資系ブランドの進出が進み、価格が比較的安く若者のファッションの多様化が起こっていきます。 また、古着のお店が目立ち始めたのも2000年前後だと推測されます。 価値観が多様化すると、清里の“ファンシー一辺倒”はその中の一つの価値に過ぎなくなり… しかも、人が暮らす住宅街からはかなり距離があり、まさに自然の中にあるんです。 原宿のようにブームを巻き起こすようなパワーを持った人や企業は、原宿渋谷に出店し、 清里は取り残されていったのだと推測されます。 地価の上昇や建物の老朽化で維持管理が難しくなり、一店が撤退すると周辺も連鎖的に撤退していった。 そうした背景もあるのでしょう。 しかし、一過性の「ファッション」ブームは去っても、人気の「自然」観光地であることには変わり無いのだと思います。 それにしても… 「an-an」と「non-no」の影響力と言ったら… 当時の雑誌のパワーを思い知らされますね! さあ、その清里を抱える最後の北杜市です。 高齢化率は40%と高めですが、人口増加率は「-2.24%」。 減少はしているものの、周辺の自治体に比べると抑えられている印象です。 他の市町村と差別化されている部分はどうでしょう? 観光では、ユネスコエコパークの「南アルプス」と「甲武信」という2か所を有しています。 そして何より都市圏から近くなってきました。 甲府が近く、東京へもアクセスは難しくありません。 都会へも自然へも行きやすい、この二面性が大きな強みです。 東京からの移住を考えたとき、第一候補とまではいかなくても、 条件によっては上位に入ってきそうな場所だと感じます。 そして、当然のように農業体験や移住支援なども手堅い。 この支援を他地域からの移住に繋げることができるのは、都市が近い大自然を持つ、北杜市のような自治体なのかもしれません。 そして、これらが人口減少を抑えている要因なのかもしれません。 ただ、やはり地方自治体だけで解決するには限界がある印象です。 本来は国が進めるべき出生率の対策がまだ十分でない中で、自治体だけで人口増を目指すとなると… 結果的に自治体同士の人の取り合いにつながってしまいます。 それが日本全体の利益という視点で見て、本当にプラスになるのかは慎重に考える必要がありそうです。 う~ん、重くなってしまいました! 美しい風景を見ながら再び元気にドライブしましょう! 高原を下っていきますね~ ちなみに、佐久盆地の標高は700m前後。 野辺山高原は1300m前後。 そして、この先の北杜市街地が480m前後です。 800m差があります。下るわけですね! そして、右側、田んぼが広がっていますね~ これから面白いものを見せますよ! 地形図です! この地形図、国道141号の西側、畳の模様みたいになっていませんか? この美しい縞々、棚田なんですね~ 見事ですね! やっと北杜市役所までやってきました。 まだ下ってますね~ ではでは、そろそろ国道141号・人口減少列島編、終点に近づいてまいりました~ いかがでしたか? やっぱり地方自治体は頑張っているんだなというのが見えてきました。 また、国の方針の矛盾点も浮かび上がってきました。 現在は、地方自治体同士で人口の取り合いをさせているような形になってしまっています。 実は国も現在その方針の矛盾点に気づき、方向転換を図ろうとしています。 これからの国の政策にも注目です! と今回は軽くない話になってしまいました。 せめてコメント欄は、「ここの渋滞はヤバイ!」とか 「ここのグルメはうますぎる」なんて楽しいことを書き込んでいただけると嬉しいです! こんな感じで、のんびり、ですがしっかり地理雑学お届けします。 次回も気になる方は、チャンネル登録しておくと、お勧めに表示されやすくなりますよ~ 次回は国道413号・道志みちを走ります。 〇旧街道はなぜ大回り?標高を変えない先人の知恵 〇なぜ幅狭ではなく、幅広の谷のほうに橋が? 〇なぜ道志川は上流域ではなく中流域が急峻なのか? などなど、先人の知恵と地形を見ながらバイパス、現道、旧道を追っていきます。 小さな地理雑学も、積み重ねると壮大な何かが見えてくる…! 気がします。 ではでは、動画のご視聴ありがとうございました。 なつきがお送りいたしました~。ばいば~い。

小諸は新幹線誘致合戦で小諸に負けた?清里はメルヘンファンシー廃墟群、実際は?など、ネットで書かれていることの印象は合っているのか、これらを探りながら、人口減少列島の日本の自治体の姿へ迫ります。

〇小諸は佐久に負けたのか?新幹線誘致の真相!
〇清里が繁栄し、そして衰退した理由を考える

他、「交通・道路・路関連雑学」をテーマにテンポよく解説!

■■以下雑学、地理案内一覧

【街道】Googleアースで発見!謎の短冊地割とは?1:23
【鉄道】小諸は佐久に負けたのか?新幹線誘致の真相!2:08
【自治体】小諸市だって負けてない!佐久に劣らぬ魅力とは?5:07
【地質年代】浅間山がつくった典型的“流れ山地形”とは?6:45
【自治体】佐久市も小諸に負けてない!人口増加率は互角の勝負8:57
【地質年代】なぜ湯川は大きく迂回するのか?その理由を探る!10:52
【街道】再び登場!謎の短冊地割と佐久往還の跡12:48
【自治体】佐久穂町の人口増加率…山間地にしては驚きの健闘!14:43
【自治体】小海町も佐久穂町に互角!?原因を徹底調査!18:12
【地名】長野と群馬に同じ名前?「南牧村」の謎20:42
【鉄道】もし小海線が廃止されたら…沿線自治体はどうなる?21:51
【自治体】南牧村の人口減少…「一見良さそう」に隠された真実24:46
【自治体】清里が繁栄し、そして衰退した理由を考える27:07
【自治体】北杜市はなぜ人口減少に強い?優等生の秘密を探る30:27
【まとめ】国の責任? 31:46

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#日本 #長野県
#国道141号 #北国街道 #佐久往還 #佐久甲州街道
#解説 #地理 #地形 #雑学 #ドライブ #観光
#nagano #drive #japan

16 Comments

  1. 読み間違いや言い間違い、変換ミス、表記の揺れなどにはできる限り注意を払っていますが、雑学や画像の情報量が多く、また更新の都合上、デバッグに十分な時間が取れない場合があります。

    もし内容を他でご紹介いただく際は、ぜひご自身でもう一度ファクトチェック・ご確認いただけますと安心です。

    また、万が一誤りや気づいた点などありましたら、コメント欄で私や皆様と共有していただけるととても助かります。
    あと、足あとにコメントも大歓迎ですので、ぜひ残していってくださいね~

    13:17 短冊地割について、江戸時代の間口税は「伝承」「俗説」的に語られるものが多く、江戸時代以前に実際に間口税が存在したという記録はある。
    だが、全国的にその税が存在したかはわからない。
    ということだそうです。

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    以下、参考リンク

    空間統合の高速化がもたらす不均等発展 :北陸新幹線建設と、小諸・岩村田の都市間競争を例として/井野俊介
    https://ocu-omu.repo.nii.ac.jp/records/2003095

    清里高原の観光開発について
    https://bunkyo.repo.nii.ac.jp/record/4328/files/BKSW310015.pdf

    各都道府県の基本データ
    https://uub.jp/

    地域人口分析・将来人口シミュレーション
    https://jinko.susarea.jp/index.php

  2. 小諸については、小諸駅はすぐ近くに島崎藤村の詩「小諸なる古城のほとり」で有名な懐古園があり、新幹線の駅建設は難しかったと思います。むしろ中込や岩村田など信越本線から外れていた市街地の中間及び軽井沢に新幹線の駅が出来たことは、北佐久地域全体にとっては良かったのでしょうね。佐久穂町は私の地元府中の姉妹都市(旧八千穂村)ですが、1990年頃は中央高速が繋がり、上信越道と長野行き新幹線はなく、L特急あさまなどは碓氷峠越えを要し、L特急あずさの存在で特に東京多摩地域からは軽井沢よりも清里など八ヶ岳の方が行きやすいイメージが強いですね。その分観光や移住地としても選ばれやすいのでしょう。この辺りで面白いのは日本一海から遠そうな地域なのに小海など「海」がつく地名が多いことですね。小海町のホームページによるとせき止め湖の名残のようです。

  3. 今回も気持ちの良い動画をありがとうございました😊地方の特に三桁国道沿線はどうしても人口減少が目にみえるカタチで現れています、俗に言う「シャッター街」です、更に地方の街を走ると街路を歩く「人間が居ない」のです。コレが人口減少か‼️と現実の重さに気がつきます。
    動画を観た方々に田舎の現実の一旦を感じてもらえるならこの動画に大きな意味がでて来る・・・と思いました
    一寸、重いかなぁ
    道の成り立ち、街の成り立ちには必然がありますね、ソレに気付きをもたらしてくれるこの動画に感謝します❤

  4. ここのところ清里駅前を取り上げる動画がいくつもつくられましたが「駅前」だけで論じるのはさすがに酷いと思いました。

  5. 真偽は分かりませんが小諸駅へ新幹線が通らなかったのは小諸駅周辺が城址だったので住民が新幹線の駅建設に反対したという話を聞いた事があります。
    佐久市の中心は中込ですね。中込はちょっとレトロな感じの街並みなんですが、バイパスが出来た事でロードサイド店舗が増えて旧市街が寂れるという全国で見られる現象となっているのでしょう。
    野辺山は鉄道の最高地点があります。国道141号のすぐ近くです。野辺山駅はJRでは最も高い位置にある駅です。

  6. 父親が小諸出身だったこともあり、この地域の栄枯盛衰を感じます
    と言っても、幹線道路から見える街の景色から感じてるだけなので実態はわかりませんが
    発展する土壌があって道(交通)が整備されるのか、道路整備することで町が発展するのか
    いずれにしろ新幹線と高速道路がこの地域を大きく変えたと感じます
    軽井沢と清里の明暗も、首都圏からのアクセスの良さが大きく関係してる気がします

  7. 北陸新幹線が当初は軽井沢を通らない計画だったのになぜ通る事になったのかというと、新幹線の建設基準は原則として最急勾配は15‰とされていてその基準を守ると日本有数の片峠である碓氷峠ではトンネルで抜けても地上に出られなかったのです。しかしながら軽井沢の集客力を捨てると営業面で大きな影響が出る為、旧国鉄は軽井沢経由を主張し結果としては基準を大きく上回る30‰の勾配で碓氷峠を越えて建設し、なんとか軽井沢の手前で地上に顔を出しています。代償としては新幹線としては異例の急勾配が長く続く区間となり、それに対応した車輌を準備するのが必要となっています。
    在来線時代は66.7‰でしたので、半分以下の勾配に抑える為かなり北側を迂回して登っています。
    軽井沢は冬以外の春夏秋は観光客で賑わっていますので、多少の所要時間を犠牲にしても通したのは正解だったと思います。

  8. 麦草峠は蓼科山の頂上を越えるわけではありません。蓼科山は麦草峠の北西6キロあたりでかなり離れております。
    この辺りはとても好きなところですので、楽しく拝見させていただきました。

  9. 141号線小諸佐久区間のバイパス区間では無く本道走ってもらいたかったな〜
    でも久しぶりに地元の風景見れたので嬉しかったです

  10. 字幕まで丁寧に作り込んでいる力の入れように驚愕!!
    自動認識じゃなくてちゃんと書き起こしてるのね…
    ここまで丁寧な動画というのもなかなか珍しい。
    中味も見応え抜群で最高ですわ。
    久々に清里まで出かけてみようかしら…

  11. 他県民として、佐久穂町が合併前の佐久町が、佐久市と混同していなかったのかが気になる所です。

  12. なつきの声は、もしかしてAI?リアルな人間?リアルな人間だったら、もう好きすぎる。地理雑学じゃなくてもいいので、朗読でもなんでもやってほしい。ずっと聞いていたい。

  13. 国道の経路案内標識をご覧の通り、小諸は上田とともに重要地の指定となっています。
    高崎から長野方面を目指す際には、小諸が最寄りの重要地として案内されます。
    旧川越街道、国道254号は松本が終点となる前までは東京小諸線という路線であり、
    いかに地域の中心地であったかが伺えます。

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