映画 もののけ姫のその後を考察します。 奥出雲のたたら製鉄のその後をみながら、この地で生きたアシタカとサンがその後、どのような人生をおくったでしょうか? 劇的な結論が、あなたを驚かすことでしょう。
こんにちは。黄金仮面の運気 の上がる神社チャンネルに来ていただき ありがとうございます。 今日のプレゼンは映画「もののけ姫」 の主人公 アシタカとサンが その後、どのような人生を歩んでいったのか 奥出雲地方やその周辺地区の現状から 考察したいと思います。 映画「もののけ姫」は室町時代 から奥出雲地方で盛んに行われた「たたら製 鉄」の大規模自然破壊に対して 動物たちが抗議の戦いを行っ たものでした。 森の神、獅子神は首を切られて その首を取り返すために何もかも枯らし てしまう分泌液を出します。 大きな大木のある森も、タタラバも 全て飲み込んでしまい、それでも首をさがし て拡散します。 首を取り戻した獅子神。その 瞬間、分泌液は変化して 自然再生の元になります。小さな 植物が一面に広がり、物語は終焉 を迎えます。 アシタカは好きだ。でも人間を許 すことはできない。それでもいい。 サンは森で私はタタラバで暮らそう。 共に生きよう。これで映画は終 わります。この続きはどうなったでしょうか。 現在、昔ながらのたたら製鉄は 日刀保たたらを残すだけです。 たたら製鉄は鉄の需要が高まった明治 初期に最盛期を迎えますが、西洋から 先進的な製鉄方法が導入され たたら製鉄は、大正時代に終わ りを告げます。 森の動物たちが抗議した自然破壊はどうなっ たのでしょうか。 たたら製鉄の跡地を訪問します。 大原新田です。見ての通り 削られた山の斜面は、棚田に変わって います。 大原新田は、上空から見ると斜面 がきれいな棚田になっていますが、近くで見ると 結構な段差があります。 棚田造りは、労力がかかったことがうかがえます。 福頼棚田です。展望台から見 ると棚田が地形に合わせて作られ ているのが見れます。 たたら製鉄は山を削り、木々を伐採し ますが、その山は30年かけて元の 姿に戻り、削られた斜面は、棚田 に変わりました。そこでは仁多米 が作られています。村人たちはそん な循環の恩恵を受けながら、長きにわたって たたら製鉄を行ってきたのです。 鉄穴流しという方法です。 とにかく山を崩して、水 を流して最終的に砂鉄 を取るところでは、こういった大池 中池、乙池というような、こういっ た溜まり場を作っておいて かき混ぜながら比重の軽い 土砂だけを除いていくわけです 最終的に砂鉄を取る樋というとこ ろでは比重の重い、砂鉄だ けが残るという比重先行 法という方法です。 この鉄穴流しを秋の彼 岸から春の彼岸まで。 たたら製鉄は砂鉄を取った後 その土砂は斐伊川に流されました。 斐伊川を流れ下った土砂が宍道湖 を埋め立て新たな水田地帯を形成しました。 この土砂の量は東京ド ーム約161個分にも及ぶと 試算されています。現在の斐伊川 の河口付近を探索してみます。 川の中央にきめ細かい砂が堆積しています。 これがたたら製鉄から排出され た土砂なのでしょう。 川に流れ込んだ「土砂」は、ゆっくりと 下流に流れていき、堆積し、水か さが増え、水害を起こすこともありましたが 結果的には豊かな水田地帯 を形成しています。 宍道湖河口まで来てみました。 遠方に水鳥がいます。このあた りはバードウォッチングに適しているのかもしれません。 土手の反対側は水田が広がっています。 奥出雲町の「たたら製鉄の資源循環 型農業」は2025年8月に 世界農業遺産として認定されました。 森の動物たちの戦いが報われたようです。 サンはその後どうなったでしょうか? これは、金屋子神乗狐掛図と 言われ江戸時代後期に描かれたものです。 広瀬町から奥出雲一帯で見られる絵図です。 サンがモロに乗っている姿によく似ています。 動物も顔つきや体型などよく似ています。 金屋子神は、白鷺に乗って 出雲国の桂の木に舞い降りました。 製鉄技法の伝来です。 それを見つけた村人が神社を建立し、神に たたら製鉄の操業全体を仕 切る責任者についていただくと、たくさんの 鉄が取れた。と言われています。 出雲地方に製鉄業が広まる室町時代 に金屋子神の神社が造られたり、伝説 に合わせて「桂の木」が植樹され たりしています。 当時からたたら製鉄に携わる人たちは 神を非常に恐れいろんな方法で崇め ました。なぜなんでしょうか サンはアシタカと別れたその後 金屋子神社で「金屋子神に習合し 自然破壊を精神面から怖がらせる活 動をしていた」と考えると製鉄関 係者が「恐れて祈り」をあげていた 理由とつながりそうです。 アシタカはその後、たたらばで暮らそうと 言っていました。同時に人間 と自然の共存を強く望んでいました。 奥出雲の追谷村に、卜蔵家というたた ら製鉄の中心的な一族がいました。 この一族は、室町時代からたたら製 鉄で荒れた土地の再生に積極的に取り組んでいます。 アシタカが、ここ の一族に合流し人と自然の共生 のため、棚田で問題解決を図ったと考え ても良いでしょう。 アシタカとサンは金屋子神社の祭礼で 定期的に会っていました。 人間と自然との共生の象徴として 棚田つくりが始まると、もはやアシ タカはサンと別れて暮らす理由はなくなったの です。 時代はややずれますが、たたら製 鉄に従事していた方々は、たたら場の近く に、住宅を作って住んでいました。 これは雲南市にある菅谷たたら 山内の住居です。 村下という、職場でいう工場長クラス の方の家です。かなり広くて炊 事場もあります。 工場長から、次の位の方の住居です。 流しがあり、窯もありま す。生活には十分な住 宅です。 櫻井家はたたら製鉄で財を成した一 族で1738年に建てられた 母屋はとても豪華です。 アシタカとサンは晩年、このようなイメ ージの住居で生活していたのではないでしょうか。 ヤックルと白い犬たちも一緒です。 製鉄に関係する人は現在でも 金屋子神社に参拝します。 この習慣は約500年の時代を超えて 現在も継承されています。 これから金屋子神社に参拝します。 たたら場の歴史を理解し、アシタカとサン のその後を想像し、この豊かな出雲地方 を作ってくださった神様に感謝します。 今日は怖さは感じません。奥宮 も行ってみます。ここは、私が 過去に感じた、本当に怖いくら い、ご神気が強いところなのです。 皆様も機会があれば参拝ください。 小さな鳥居をくぐった瞬間、画像に一瞬 変化があります。御神気パワーなので しょうか?この時も体がしびれています。 参拝が終わったら棚田で作られた仁多米 をいただきましょう。 仁多米は昼夜の寒暖差が大きい中 ミネラル豊富な岩清水で育っているので 甘味と旨味がぎゅっと詰まったお米になってます。 出雲ポークも柔らかくて、甘くて、仁多米 に合っていて美味しいです。 ここは仁多米ご飯のおかわりができるんです。 仁多米は、地元のお酒造りにも使われてい ます。酒蔵を提供している道の 駅を訪ねてみましょう。ここでは、仁多米を使 用した「仁多米ブランド」を利き酒 サーバーで比較したり、試飲して買うことがで きます。車運転中なんで 甘酒ソフトクリームをいただきました。 甘すぎる酒粕のパワーにびっくりです。 好きな味です。 伝統的な製法にこだわった刀剣作り。 また雲州・そろばん造りの伝統。 四季を通して、様々な風景を見せてくれ る棚田、仁多米、そば、お酒など。 それと地元の風習をかたくなに守りな がらも、柔らかい口調の出雲弁で観光 客に優しい人々。皆さんも ぜひ、訪れてゆっくり時間を過ごして みてください。 アシタカとサンのその後は、棚田造りが定 着し、二人は奥出雲で 一緒に住み始めました。ヤックルと 山犬たちも一緒です。映画 「もののけ姫」は金屋子神社を舞 台に、500年の時を経て、仁多米 に実を結びました。これが私の結論 です。 最後までご視聴いただきありがとうございました。 また次回のプログラムでお会いしましょう。
映画 もののけ姫が奥出雲で、その後、どのような人生をおくったのか調査・考察します。その過程で、この地域の奥深い歴史がわかります。
また、金屋子神社(奥宮)に参拝しましたが、ご神気が画像に写っていました。 アシタカとサンのその後の結論は、きっとあなたの想像とおりだとおもいます。以外な産物がこの地で結実していました。
We will investigate and consider what kind of life the characters from the movie “Princess Mononoke” led in Okuizumo. In the process, you will come to understand the deep history of this region.
Also, we visited Kanayago Shrine (Okumiya), and the divine aura was captured in the photos. The conclusion about what happened to Ashitaka and San afterwards is likely just as you imagined. Unexpected results came to fruition in this area.