日本のふるさと遠野まつり2025 郷土芸能パレード

り [音楽] [音楽] [音楽] ありがとうございます。 [音楽] ます 。 基本高いところから取るんで、あの、大丈はい。 ま、近づてないよう ごい皆様日本 にお知らせました。 まもなく町北大学都市1代目日本の道祭り が本日から2日間盛大に開催されます。 1日目の本日から市街地を中心に京都芸能 パレードの披露。 の明日はその8番組で南部と馬巡りが開催 される予定です。本日は市街の京都芸能 団体によるハリーが行われます。 中から受け継がれてきたの宝である京都 芸能が1台し トレトに 秋の工作を上への感謝のとに参ります。皆 様の皆さん 増う 少々お待ちくださいませ。 皆様改めましてこんにちは。本日はお足元の悪い中お集まりいただきまして本当にありがとうございます。 [音楽] [音楽] 令和7年度日本の古里東祭り4お越し くださいました。 本日司会進行を務めてまいります私村井幸 と申します。どうぞ皆様よろしくお願い いたします。 さて、このマですが、毎年祭りのスタート といえば東の大庫の皆様による優勝な塩部 でが上がります。 前に青人大庫の皆様からをいたいます。 1988年12 月に先任子と命名以来東野の伝統芸能と伝統文化を根廷に話題子による新たな創想像捜索の思考錯誤を繰り返し現在の形となっています。 [音楽] これからも想像の精神をもに党のの伝統 芸能との融合を試みながら叩き続けたいと 思います。当の千人大子の皆様からの メッセージをご紹介させていただきました 。 それではお待たせいたしました。日本の 故郷東祭りスタートです。 [音楽] [音楽] あ [音楽] あ。 [音楽] あ 。 よし。 [音楽] あ [音楽] 。 [音楽] は [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] う [音楽] や [音楽] Ja. [音楽] や。 [音楽] い [音楽] [拍手] [音楽] んだけんだけが入 [音楽] はい。 [音楽] し [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] よ。 [音楽] [音楽] [音楽] う [音楽] 。 [音楽] [音楽] う [音楽] う、あり [音楽] はあ 。 [音楽] [音楽] ら [音楽] [拍手] 大 の皆様ありがとうございます。大きな拍手をお願いいたします。日本の故郷東南祭り毎年党の千林太鼓の皆様の塩部で上がります。今年も本当に送部をありがとうございます。 まもなく日本の故郷東の祭りオープニング セレモニーが行われますのでもう少々お 待ちくださいませ。 日本の故郷東南祭り 本日から2日間盛大に開催されます。 1日目の本日は市街地を中心に京都芸能 パレード。そして2日目の明日は東の八番 宮で南部やぶ場巡 などが開催されます。 本日は少し雨模様となっておりますが、 たくさんの皆様に朝早くからお集まり いただいておりまして誠にありがとう ございます。 遠方からお越しいただいている方々も いらっしゃいますので、どうぞ存分に登を 味わっていただければと存じます。 オープニングセレモニーが間もなく始まりますが、準備が整いますもう少々お待ちくださいませ。ちょっと待って。 すいません。の店長を中央の方に移しますので一緒に立ち上がっています。 はい。 可愛いもん、それ。そう、そう、そう、そう。 [音楽] 中身 [音楽] から ご来場の皆様大変お待たせいたしました。 ただ今より令和7年度日本の故郷 東祭り開会セレモニー を始めさせていただきます。 開会の宣言を 故郷東大使木 大輔様にお願いいたします。よろしくお 願いいたします。 あ、こんにちは。えっと、ご紹介に預かりました佐々木と申します。 えっと、私、あの、今日10年ぶりに東の 末裔に参加するんですけど、ま、この雨な ので、あの、どうなるかなって、あの、 心配しながらそこに座らして千人代行見 させてもらったんですけども、もう仙人 代行を見るのも多分20年ぶりぐらいで、 もうこんなに面白いもんだったかと思って 、もうめちゃくちゃテンションが上がり ました。なのでちょっと雨で心配してたん ですけど、あの太鼓の音に元気付けられて 、もう今日1日ものすごい楽しみに、あの 、しています。で、あの、ア肉の雨では あるんですけども、このなんていうか自由 にならない自然と一緒にやるっていうのが 、ま、それも祭りの一部かなと思いますの で、ま、こんな年もあるさということで、 あの、この天気ごと今日1日楽しみたいな と思っています。今日の祭りを、あの、1 年に1回の祭りを楽しみにしてる人も多い と思うんですけども、あの、私のように 久々に来たって方も多いと思いますし、 今日私の友人も京都から、あの、初めて 祭り見に来たって方もいらっしゃって、だ から毎年初めに、毎年楽しみにしてる方も 久々の方も今日が初めての方も いらっしゃると思うんですが、あの、この 雨ですね、あの、楽しんでいければと思っ てます。というわけで、え、令和7年度 日本の故郷祭り開会を宣言いたします。 ありがとうございます。佐々木大輔様。市 のご出身で現在は実業家として東京でご 活躍でいらっしゃいます。本日は藤野祭り のために駆けつけてくださいまして本当に ありがとうございます。 それではここで日本の故郷東の祭り実行 委員会会長でございます。た田和彦党の 市長がご挨拶を申し上げます。 [拍手] 皆さんおはようございます。おはよう ございます。 え、愛肉の雨ではありますが、 準備をしてくれた皆さん、そして参加して くれる市民の共同芸能保存会同会の皆さん 、本当にありがとうございます。そして この会場にいらしてくださいました市民、 そして日本の皆さん、それから、え、世界 の皆さん、世界中から来た皆さん、本当に ありがとうございます。 今日は 、え、様々な有効 的な交流をしております。インドネシア からも大使館の皆さん、インドネシアから も来てくれました。それから近くからは、 え、住田町長さん、小船市長さんも来て くれました。その他たくさんの皆さんに来 ていただいております。ありがとうござい ます。東の大使の皆さんたちも本当に ありがとうございます。 私たちは 、ま、残念だな、雨だなと思うんですけど も、この殿野は 自然の恵みに 本当に 生かされているところであります。です から雨も風も様々なこと試練はくれます けれども、全て一緒に乗り越えていか なければならないという風に思います。 しっかり 近くの友達、遠くの友達と 幸せで健康な世界を作っていきたいと思い ます。 2日間あります。明日も 8万さんでやぶめとかババ巡りもやります 。 この自然の恵みに感謝しながらみんなで 健康幸せを願いながら楽しみたいと思い ます。一緒に楽しみましょう。今日は本当 にありがとうございます。 [拍手] それでは続きまして、本日ご出席を いただいておりますご来の皆様を代表して いただきまして、お二方よりご祝事を頂戴 いたします。 初めに党の市議会議長でいらっしゃいます 様、どうぞよろしくお願いいたします。 [拍手] え、皆さんおはようございます。 おはようございます。 え、東野の山々山に囲まれたこの凡地に多くの皆さんにこの世にお移でいいただきまして心から感謝を申し上げます。今東野の山々山の神々がこの人に今おります。 神々と共に我々は日々幸せな生活をしてこ られております。 東のには数多くの強度芸能があります けれども、先人が今まで継承してきた貴重 なこの財産を今に切る我々が 将来に渡り永遠に引き継いで伝えていく ことが我々の役割だとこのようにこのお 祭りを気にさらに心を新たにしいるところ であります。 雨の中 大変残念でありますけれども、この雨にも 負けず有な響きと前に堪能していただく ように心からお願いを申し上げます。本日 この日のために一生懸命準備立ちわって くださいました皆様に中心より熱くか音礼 を申し上げます。最後に結びになります けれども、 世界の平和と 人類南様のご健康とお幸せを 心から心から願って簡単でありますけれど も挨拶に開させていただきます。よろしく お願いします。 [音楽] [拍手] た様誠にありがとうございました。 続きまして、中日インドネシア大使館政治 部一等初期官でいらっしゃいます、きな アングライ様、どうぞよろしくお願い いたします。 [拍手] Yangterhormat WalikotaTonoBapak KazikTada.Yang terhormatKetuaDPRD BapakSuom 様議会議長 様の Pertama-tamasaya inginmengucapkan terimakasihatas undangannyapadahari inidansayaingin mengucapkansaya sangatbahagiadapat hadirdifestivalpada pagihari ini市のごいき感謝よりえより感謝を申し上げます。えっと本日はですね、祭りに参加させていただき大変に損じます。 IbuBapaksekalian, hubunganIndonesia danJepangtelah berkembangdan meningkatsecara indり関係 hubunganantara IndonesiadanJepang inididasarkanbukan hanyapadakebutuhan, tapijugarasa kebersamaandanrasa salingpercayaantara masyarakatyangadadi keduanegara えっと、この関係はですね、えっと、両国の人と人の、えっと、交流の中でまたは信頼関係を非常に重要だと思ってます。 Untukitupada kesempataninisaya inginmengucapkan terimakasihyang sebanyak-banyaknya ataskepercayaanyang diberikanoleh masyarakatJepang khususnyamasyarakat TonokepadaIndonesia dankhususnya KabupatenPurbaling に えっと代理しまして または特にプルバリンガ市に対しても心 より感謝を申し上げ Sayasangatberharap agarhubunganantara TonoCitydan Kabupaten Purbalinggainidapat menginspirasi semua hubungan-hubungan yangadadiIndonesia danJepangdan khususnyauntuk memperkuatlagikerja antaryangadadi IndonesiadanJepang の日本インドネシア の他の地域にもインスピレーションに与え 様々な分野でもえっと協力関係を深 tentunyakamijuga berharapagarsini darisemuapihakyang adadiIndonesiadan Jepangdapat meningkatkankerja dankolaborasiantara indesiadanJepangdi masadepan はのシナジー が祈り者 と他の地域にも協力がより強くそ区の人々 にもえっとつがるようにインパクトがある [音楽] terucapkan yangjelassupaya semuabisaterima kasih 改めて [拍手] 誠にありがとうございました。ご来の皆様 を代表していただきましてご祝を頂戴 いたしました。それでは改めまして本日 ご列席をいただいておりますご来の皆様を ご紹介させていただきます。 当野市議会議長田様 はいよろしくお願いします。 中日インドネシア大使館政治部一等初期官 アングラ様 [拍手] 中日インドネシア大使館エンジェル ノベリアチャンドラ様の [拍手] 市国際家コーディネーター堀明子様、 [拍手] NGO ハビセンター顧問弁護士女張様、岩手県議会議員萩野幸様 [拍手] こんにちは。楽しみましょう。 [拍手] 県南公域進興局長菅原健二様 大船都市長淵神清様 はい火災屋のご支援に感謝申し上げます。本日はおめでとうございます。 住田町長田健一様 はい。田でございます。 おめでとうございます。 [拍手] 株式会社YDK 代表取締役社長坂本ひ子様でございます。 [拍手] 株式会社YK乗務取締り役山県一郎様。 はい。本日はおめでとうございます。 [拍手] 民和の故郷党の大使五藤県一様おめでとうございます。 [拍手] 民馬の故郷東の大使木大輔様の故郷党の大使藤光一様 [音楽] [拍手] 今おめでとうございます。 [拍手] 民間の故郷東野大使鈴木さんの古党の大使亀田歩様 [拍手] はい。雨にも負けず風を負けず頑張りましょう。 [拍手] 東合人会長中川子様本日おめでとうござい来の皆様誠にありがとうございます。どうぞ [拍手] 2日間よろしくお願いいたします。 [拍手] ここで日本の故郷東の祭り開催にあたり メッセージが届いておりますのでご披労さ せていただきます。 初めに自民党総務会長衆議院議員で いらっしゃいます鈴木俊一様 日本の故郷東の祭りの開催を心からお祝い 申し上げます。2日間にわって繰り広げ られる盛大かつ大阪な模し。最終日の東の 南部安ぶめに至るまで東の八番軍様と合同 開催という歴史的にも興味深いお祭りに 深く経緯を表します。 この祭りが民和の里党の豊かな実りとなり ますことをご期待申し上げますと共にご 参皆様のますますのご検証ご活躍をご記念 申し上げます。誠にありがとうございます 。そして武蔵の市長でいらっしゃいますの 安泰様より頂戴しております。 日本の故郷東祭りの開催をお祝い申し上げ ます。 暮らしに根付いた共同芸能が数多く現代に残され、芸術文化が豊かなのだからこそできるお祭りだと思っております。歴史ある芸能を受け継いで来られた保存団体の皆様に経緯を表しますともに今後も地域の宝として共同芸能が継承されますことを願っております。 本日はお招きいただきましたが、他の公務のため残念ながら出席が叶いません。お集まりの皆様のご検証とお祭りの成功を心より記念たします。日本の故郷の祭りに届いております。誠にありがとうございました。 [拍手] それでは皆様お待たせいたしました。道 案内の神と言われる猿田彦、昨山神楽を 戦闘に実行委員会ご覧の皆様、そして各 団体の代表旗持ちの皆様による行列が いよいよスタートいたします。ただいま から準備を行います。 それではご覧の皆様どうぞご準備よろしくお願いいたします。 [音楽] [音楽] [音楽] ぞ。 [音楽] [音楽] バイバイバイバイ バイバイ。 [音楽] [音楽] [音楽] 休憩 ソピアじゃ [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] さて、ここ東市交道 案内の神と言われる、そして各団体の代表 の皆様、旗持の皆様による行列がスタート しております。 去たことは神話の記述によりますと、口と 尻は明るく光っていて、目はやたの鏡の ように丸く大きくて真っ赤な方のように 照り輝いているという記されております。 またサルタ彦は天マ照ラス大御神に使われ た二の美が地上に降り立つ時行先を照らし 先動した神と言われております。 [音楽] [音楽] 本日は里山神楽の猿田彦が先動しており ます。 [音楽] その後ろに続きますのは日本の故郷東祭り 実行委員会会長和彦 市長を戦闘に実行委員及び役員各団体の 旗持ちの皆様の行が進んでまいります。 行列の実行委員の方々の多くは本日参加 する共同芸能の参加団体で活躍して いらっしゃる皆様です。 [音楽] ご来場の皆様、そして藤野祭りにご参加の 皆様、藤野の神々への感謝の気持ちを込め て更新してまいります。 [音楽] [音楽] はい。 目で [音楽] え、外山楽の猿 委員会の皆さんの行列が取りんでりました。え、今年もの祭りがやってきました。皆さんこんにちは。番組進行を務めます私高橋子と。解説はこの方 [音楽] はい。祭りの解説を務めます。市文化家学芸員の前川さおです。今日よろしくお願いします。さあ、今年も改めてやってまいりました。 [音楽] はい。 え、令7 年度の日本の風鎖と東野祭りです。 さあ、今年はですね、 58 団体の皆さんが参加予定ということでお話を疑っておりました。今年もちょっと雨模様になりましたけどもね、去年もすごい雨でしたね。 [音楽] そうですね。去年に続き今年も雨ではありますが、もうすでに会場には傘を差した、えっと、観客の皆さん続々詰めかけてきてますね。うん。 [音楽] はい。あの、先ほど開会宣言なさった黒里 大使の佐々木大輔さんのお言葉の中で、え 、自由にならない自然と共に祭りをやると いうお言葉だったり、あと東の市長からも 雨も風も乗り越えてやるんだというお話が あって、まさにそうだよな。 雨だからあの悲しあ、悲しいなとか残念だということではなくて一緒に祭りをやるっていう気持ちが大事なんだなと改めて先ほどのあのご挨拶皆さんの聞いて実感いたしました。 [音楽] そうですね。 皆さんこの祭りにかけるこう暑い心行きを感じますしでまたあのこう今年すごく雨不足であったんですがで、ま、また雨が降ってる、ま、それがちょっとこうなかなか人間の思いのようにならないんだけれども、ま、この東野祭りはこの、ま、雨でもその自分たちのそれぞれのやり方を工夫して、ま、参加されているっていうその自然に寄り添いながら自分に耳にかけるこう熱い心きを、ま、感じるようなオープニング はい。 で、実はですね、この猿彦の行列の前からこの駅前通りたくさんのあの共同芸能団体角かけというものをして各をですね、角かけというものをしていまして、え、角かけとはなんぞというところをまず今日は最初に伺いたいなと思っております。 そうですね。 そのこの角かけのその対抗や笛えに誘われて出てきた人たちも多いですがこれはあの角漬けとも言ってその普段その買い物などをしている関係のあるお店の前でま踊りを披露してまお花と呼ばれるまお金を借金をもら受け取ることを言ってます誰でも出していいものなんで実はこのお花 で実はですねえの放送席迎に本部がありま こちらで今東で取り組んでいるんですが、このようなですね、え、京都芸能の町東野というこれあの折り紙のにおるとポチ袋になりまして、え、ここでこの皆さんそれぞれですね、え、この土芸能団体かっこいいなとか、この都芸能を応援したいなとい こう団体さけたらこのこに本当あのなんと言うんですかね 1000 円ぐらいからで構くらいがちょうどいいんでしょうね。 そうええ。ま、 ま、でも、ま、小銭にでもですね、その自分の持ってる分で出せる分でいいと思うんですね。 はい。1円でもいいと思います。 ええ、これやっぱりその踊りに感動した気持ちっていうのを、ま、形として、ま、表すっていうものなので、これ、あの、自分たちもこう祭りに参加してるっていうですね、心意行きをあの、表せるものなんですね。 [音楽] はい。で、こういったその祭りを通してその街中の経済活動が、ま、活発になるというこう側面もあるので、ま、非常にこれあの実は結構ですね、岩手県とか東に、ま、独特ってか顕な風習なんですね。 他のと行ってもあんまりそういうにその品の受け渡ってのがあまりないところもあったりするので是非その踊りに感動したり自分も祭りに参加してるっていう気持ちを表すことでということでこのお花っていうのにま、ま、チャレンジというかですね挑戦してみてもいいんじゃないかなと。 で、渡す人はですね、あの、軽団体が再銭箱を担いでるところは、ま、そこにこう入れてあげたり、あとその 1 戦頭に立ってるそのお世話役の人にこうそっとこうあのお辞儀しながら渡すしてあげてもいいんじゃないかなと思っています。うん。 そうするとあの変定品っていうのがですね、もらえたりする時もあるんですね。 はい。あのオリジナルグッズ あの各団体バリエーション豊かですね。 そう、そう。 それぞれの芸能団体さん工夫して、ま、手のいであったりとかのオリジナル グッズを作っておられますので、そういったものをコレクションしてですね、祭りの思い出として、あの、撮っておくのもいいんじゃないかなと思います。 で、ま、皆様から頂いたお心はその各団体の応援資金となります。 え、なかなかこの共同芸能を継承していく 部分で、え、資金面でもなかなか今厳しい 作となっておりますが、え、皆様から、え 、お1人お1人からですね、お心いただい たそのものが積み重なって、え、各団体が 未来、英語をつがっていきますので、え、 是非皆さんですね、この本部の 隣にございます。え、藤市強度芸の共2会 のブースお立ちをいただきましてあの ポチ袋の紙をくださいというと渡せて いただけるかと思いますのよろしくお願い いたします。 えっと、昨日は私、あの、東野市都芸能の 2 会主催のですね、え、東の祭り全夜祭にも参加してきまして、 で、ま、その中でもやっぱりあの、角かけってあのこの京都芸能団体からの長期できますように来年もまた会いましょうというですね、お気持ちを込めてその変定例品を渡すと渡すんだよというお話もありましてうん。 [音楽] なんか、ま、意味が込められたこの角かけであります。え、マイカ様お話ししておられましたが、この地方ならではの独特のこれまた風習かなと思いますので、 そうですね。その祭りを、 ま、支えているっていうのがそのやっている人たちだけじゃなくて、見る人たち自身も支えてるんだっていうことをよく表している、ま、あの、本当熱い気持ち、あの、心きの形だなと思っています。 はい。ちなみに、あの、私昨日初めて知っ たんですが、そのじゃ、ポチベ誰に渡せば いいんだろう質問があったんですよ。で、 その中で、えっと、なんかね、反転来て袋 持っている人が、ま、前とか後ろとか歩い てるにわかりんですね。にわかりさんて いう方がいて、その方に私といいよって いうお話を伺ってきました。 ま、ちょっと様子見ながらですかね。そう ですね。 ま、実はその祭りのパレード以外の上外でもあちこちで、ま、神楽とか獅踊りが店の前で演じているのを見かけたら、あそこでお渡ししてもいいのかな。うん。うん。 思いますし、あと実はそのこう師匠取りなんかだとあのお花をもらうとえっと、ま、それをこう士が喜ぶ踊り方、ま、投げ草っていう踊り方があるんですが、ま、それを見ることもできますのではい。 [音楽] あの、そういった、こう、お花を通して、こう、あの、見れる演目っていうのも楽しんでいただけたらいいと思います。お待ちください。 さあ、そして今年も、ま、いろんなところ からですねのお客様いらっしゃってまして 、昨日のその全夜祭でもどこから来ました かなんていうお声があって、えっと関東 からあと、ま、兵庫県山口県なんかお客様 いらっしゃい、あと先ほどあの、その 佐々木大輔さんがお友達が京都から来てる なんていうお話があってです。本年も全国 各地からお客様来てくださっております。 で、その、ま、現地で楽しむもよし、そしてまた私たちのこのですね、中継で楽しむもよしということで、 そうですね。で、市街の私の友達もやっぱ今日来れないっていう風に、あの、連絡来た人にはあの、東のテレビも見れないっていう風に言われたので、ま、あの YouTube のでも配信、生配信をしているので、そちらの方を見るようにっていう風にお勧めしたりしています。 なのでこの東野テレビ実は世界中で見ることができるというですね、グローバルな 世界韓各国に配信しております。配信しておりますのではい。で、やっぱりそれを見て見てますっていう人たちからあのメッセージだいたりしてますので、こうみんなでですね、この祭りの場所にいてもいいなくても祭りにかけるあの熱い気持ちをですね、あのぶつけていただければいいのかなと思います。 はい。 さあ、そしてここで今年の毎年決めてるんですけど、マ川さんが決める、え、今年の東の祭り、この中継のテーマと参りましょう。今年は何でしょうか? そうですね、えっと、ま、息っていうのをちょっと思い浮かんでいます。 息。 はい。これ、あの、今日は雨模様ということで、ま、ギリギリまでの出演をその、ま、模索したり、その決断もかなり迷っておられた団さんもいる。 聞いていますが、ま、そこをですね、ま、あえて出るという風に来て来てくださっている、ま、心きを感じる団さん、今日見ていただけると 思いますし、またうちらもあのギリギリまでどころの団体さんが出るのかなっていうすごいこうドキドキしてその生放送のライブ感がですね、すごく強くて、ま、非常に緊張しているとこではあるんですけども、 ま、あの、そういったその生のその暑さてで出れない っていう団体さんも、ま、明日にかけたいからっていう今日はもう残念だけど出れないっていう風に言ってきた団体さんもいて、それも 1 つのやっぱりこう祭りの心行きの形なのかなっていう風に思っています。 そういったその今日、ま、特に普段見れないような息の姿を見ることができますので、その祭りの息っていうのを、ま、その生きとしたそしてその生であることで、またその心きを楽しんでいただければなと思います。はい。 では、え、令7 年度日本のと東祭の中継のテーマはということで、いろんなについて今マ川さんからお話しいただきましたがそれをこのマ川さんのお話だったりとか映像の中から感じていただけると嬉しいなと思っております。さあ、よろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。 さあ、この後パレードが始まります。 令和7年度日本の東の祭りの先人を、え、 飾りまして、え、これから手踊りの団体 ですね、手踊りの団体が入ってまいります 。さあ、少し対鼓の音が聞こえてまいり ました。さ、今年の先頭は華やかであり ます。ま、毎年華やかでありますけども、 え、今年2月に開催された東の物語 ファンタジーにて、え、第50回記念の 今年講演だったんですけど、え、記念 セレモニー、怖いでの記念セレモニーを 華やかに飾っていただきました差の皆さん 、これから先頭入ってくるところです。 雨も上がね。どこですね。 ま、空がちょうど明るくなって少し雨のもこぶりになってきて います。お天気温によりますと、ま、これから雨も小になり上がってくるであろうというところでありますので、 [音楽] そうですね。 うん。ま、今日はあの、それぞれの自慢の衣装を、ま、濡らさないように、ま、あの、 ま、あの、雨がっぱですね、ポンチとかを来て演じられる団体さんもあると思うんです。私こんなに雨合を大量に見たの初めてかもしれないんですね。 [音楽] ですけれども、 ま、それともちゃん、あの、その下の方に透けて見えたりもしますので、そういった衣装を少しこう注目しながらあと踊りの方見ていきたいと思います。 あの、昨年も触れましたけども、このかぱの下に見えるこの衣装というのもこのなんて言うんですかね、天校ならではと言いますかですから、ま、 これも見どの1 つとして、え、お楽しみください。のスタートです。 上7 年度日本の佐と学をいただくのは下号サ踊りの皆様です。下号サ踊りの皆様を戦闘に手リー団体によるパレードが始まります。下号査の皆様は今年 [音楽] 2 月に開催された東のぼ長語ファンタジーにもご出演されています。 下号 3踊りの皆さんに続きまして、宮三々踊り、南部田上踊り保存会、山口三踊り保存会、クレツボトラマと続きます。どうぞ皆様日本の故郷東の祭りお楽しみください。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] お疲れ様です。駅前通り取りの皆様が入ってきました。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] さあ、では先ほど もご紹介いたしました。トップを飾って下号踊りが入ってまいりました。そして一緒にですね、宮酸踊りと、ま、あの [音楽] 2団体と言いますか、2 グループ入っている形となっております。 入ってました。 はい。下三踊りは宮森町島下宮森下地区に転されている芸能で昭和 [音楽] 24 年に花巻市東和町内から伝えられたと言われています。 ま、森で大に行動していますね。駅前通りに入っておられますのは [音楽] あの小学校の方も平成 19 年度より、え、伝統芸能継承活動として、ま、この古から地域ある下に取り組んでいるということでありまして、 ま、いいですね。この継承のケができてきて、 そうそうですね。 学校で取り組まれて地域にも、ま、参加されてるというような形なんですけれども、ま、非常にこうスムースにな、あの、伝承活動されてるなっていう気がします。 で、この下サドリーの特徴はまずあの頭の方にかぶっているあのす傘に、 ま、その鼻が付いているものなんですけども、ま、近くで見るとそのす傘にこう、ま、近のですね、紙をこう切ってこうピラピラと下げているのが特徴になっています。 で、あとあの着物もですね、ま、色取り取りのこう衣装が特徴になっているんですけれども はい。今日ちょっと若干あの、ま、 今前半小学生の皆さん反転ですかね?はい。サの宮小学校の皆さんたちは反転で参加されています。うん。 [音楽] 4 年生、5年生、6年生。え、宮森小学校の 4年生、5年生、6 年生が踊っているということです。 サーの皆さんと一緒に勝サーの皆さんを配っています。 平成19年度より 電頭芸能としてからあのこの小学校の後ろから大人の皆さん下号芸能保存会の皆さんが入ってきていますがってかな踊りを繰り広げます保存会の皆様のご指導をいただきまして [音楽] [音楽] 4年生5年生6年がっています。 [音楽] [音楽] [音楽] おおおお。 [音楽] 近い。 [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] ັ [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] せろされて [音楽] [音楽] [音楽] パレード駅前通りには 田上踊り保存会の皆様が入ってきました。 [音楽] [音楽] ラ [音楽] [音楽] オには南部田上踊り保存会の皆様が入ってきました。 東地方唯一 残った田上踊りを大切に次の世代へ継承し ていきます。南部田上踊り保存会の皆様 です。 さあ、ただいま南部田上踊り保存会の皆 さんが入ってまいりました。 なんとなんと今田上踊りは東の地方でただ [音楽] 1つこの団体のみと伺っておりますが はい。あのなかなかですね、タの伝承が難しいなんですね。 え、なんで難しい? で、主にこのタウェ踊りは 1月の15 日前後、正月に行われている芸能で、で、それ以外の季節にこうあまりやらない芸能だったらしいですね。 [音楽] ええ。で、これ実はその、ま、1 年間のその農作業の様子を、ま、もしっててか真似ているものなんですが、 これはもうそもそも江戸時代に、ま、東南部家に使えていた大である方正在門っていう方が、ま、角門花関っていうあの席を開いて、で、その後に農業技術をあの、ま、あの、向させるためにその楽しみながら農業ができるということで、ま、伝えたう [音楽] だと言われています。 あ、じゃあその同時の 1 年間をこう踊りというか初にして楽しく覚えてた上やろうぜみたいな感じですかね。 [音楽] うん。 なんか不思議な音がします。そうですね。 今こう、あの、じゃっていう音が聞こえてくると思うんですが、これはあの瓶さサさらりという踊り手が手に持っているサさという楽器です。 [音楽] さは ま、この細いあの竹焼きを束ねてすり合わせている道具、あの楽器なんですけども [音楽] はい。 はい。これがあのこの南ぶ上踊さんのこう 1つの大きな特徴になっています。 で、今、あの、あの、内話はっていう、あの、作、高作、満作って書いて、あの、内 [音楽] 1話した道具を持ってるのが、 ま、あの、って呼ばれている踊り手なんですけれどもはい。こういったです。あの、全体ですね、脳作業の形をあの、したような動きをしていきますね。 [拍手] うん。うん。 で、この先ほどのあ、サっていう楽器をすり合わせている 楽器は実はあの 1000 年以上の歴史を持っている楽器なんで新年 [音楽] はい。あの平安自体に流行ったあの上踊りの形である電学っていう芸能の中でよく使われていたものです。 [音楽] あの後方に反転を来た方が持っている。 あ、そうですね。はい。ですね。 そうですね。サさ、サさです。で、これがいわゆるその太陽踊りの原型をよく伝えているものですね。 [音楽] [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] [音楽] はまだ出てきたよ。 [音楽] [音楽] オープレート前山口三踊り保存会の皆さんです。 [音楽] 大正4年頃川村小 から現在は廃行になった土淵小学校山口文 を建設する仕事で生きていた大工さんが 山口集落におむ子さんに来たそうです。 その大工さんが踊りが好きで、その山口 集落にも何か共芸能をということで川井村 小国から自分の兄嫁を連れてきて教えた そうです。 三踊りは法年踊りとしてお祝い事や盆踊り などでよく踊るようになったそうです。 戦争により一時活動を中止しましたが、 昭和34年頃に復活し、現在まで踊り継が れています。 酸素踊りは12種類も踊り方がありまして 、太鼓笛の合津でその12種類が踊り分け られています。 山口三踊り保存会の皆様です。 さあ、雨も上がりまして、ちょっとかぱを脱いだ様子ですね。え、山口サも回の皆さん放送席前入ってきてまいりました。 [音楽] はい。あのすごい華やかな口三踊り [音楽] 子供たちも元気です。 そうですね。すごいけ声が響いてきます。 こちら土町山口伝えられている京都芸能といえばの物語の語り手である記然前の生まれた集落なんですね。 [音楽] はい。そこで非常に注目されてます。で、最初の年頃にあの宮市川村から向に大さんが伝えたけることでません。 からそれほど体力を使う踊りのは働きに行っている若者の力にとしてえられています。 あの結構えっと今この川村大小宮越市になるんですけども割とこの子も酸踊りが盛で団体さ結構あるんですよ。 [音楽] [音楽] 割と森岡丘から入ってきたと考えられる感じですかね。どうでしょうか? [音楽] やっぱりあの岩手県の内陸部にま、非常に顕あの芸能なんですけども特にこの地口と山口地区は小海道というその山口から宮に向かう同時にあるものですから、ま、その日に日の関係で伝わってきたいことですね。 [音楽] [音楽] そり先ほどの島参は花巻は そしてこちらはえ、ま、多分森薬ルートか なっていう実はやっぱりその共同というの は1つあの別の歴史を使えるものでもあり ますね。 見るとだっぱ入ってきたルートも違うので下本酸と山口酸なんか違いますよ。そうなんですね。やっぱりこさとりでもこの踊り言い方がこちらの方優雅な踊りでありますし、またあのフォーメーションもう [音楽] 12 周ということで踊りながらそのこうフォーメーションを変えていくのが見どでもあります。 [音楽] で、またあの物もあのえ、あの着物でトしていて非常にこう可愛らしいます。はい。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] さあ、続いてはクレツボトラマ保存会の皆さんが入ってまいりました。 [音楽] 虎ラマと言いますと、やはりやはりあの私は沿岸の芸能のイメージが非常に強いんですけどね。と思われると思うんですが、実はこちらのクレツボトラマはですね、その朝橋という人が一戦争に出した時に習いを覚えてきて、その後その友人の振り切り吉という人と改良を加えて現在の前の形がになっていると言われています。 [音楽] [音楽] 日戦争に行った時にじゃ沿岸の方に出会って教えてもらったとかそういう感じですかね。 [音楽] 多分大体あのそういった戦争だと同じ出身の人たちが同じ舞台で一緒になったりするのでそこであのお互いに情報交換したりま踊りを見せ合ったりするような交流があったと思われますね。 [音楽] さあ、そして今日はですね、本部前にはしごが立てられまして、 これなかなか見られない 円の毛でですよね。そうですね。はい。 [音楽] あのこの虎まの構成っていうのはまず虎の 今写っている虎、そしてあのコドリン 刺さらすりやり持ちやり持ちという風に なっているんですが遠目はですね主に4つ ありましてま入派はしごり差し派引き派と いう風になっています。 で、ちょうど今本席前にあの橋はしごがてました。 はい。直角に立てられていますので、 この後ですね、おそらく 1 番の虎ら舞いの花橋ご登りが演じられると思われます。いや、私本前というか放送席前でここで見るの初めてだが初めてですよね。 ま、ちょうどその手にさというあの道具を持っている踊り手 はい。こちらの方は竹の棒を 2/3 に、ま、細かく割ったものと木の棒を吸い合わせ、ま、サラサラときとさせています。 ちょ、その虎をですね、こう、ま、ま、かうようにですね、 虎の方の前に立って踊っている踊り手ですね。 あ、あの、投入士が満とヒラヒラってやるのとちょっと近い感じですか? そうですね。はい。うー。 さあ、これから橋ご登りが行われますが、あの、実はですね、モンから働きに来ている若者の方々が数年前からこのツボトラマに参加していまして、え、大変体力を使うトラマということでありますが、 [拍手] そうですね、非トラマはあの動きが激しくて、あの、こう若い人たちがやる芸能だという風に、ま、ま、言われていますね。 はい。でしかあのモンのこの方々のお力を借りて今年は [音楽] おやりになってるということ。あ、こちらクレツゴトラマモンゴルの方が参加しています。他の芸能団体もですね。インドネシアのネパ [音楽] メトナムからは参加される、ま、団体さんもあると聞いています。虎の中にモンの方入ってらっしゃるんですかね?そうですかね。はい。 [音楽] なんかあの虎が中越しで踊るので [音楽] 5 分以上続けることができないという先ほどもお話がありましてはい。今ちょうど直角に立てたはしご [音楽] を に登っているところですね。はい。そこ虎とがこの柱の周りをあのめくったりこう登ったりしています。ここが最大の見所の花と言われていますね。 [音楽] え、マイカーさん、私これ本当初めて放送席前も何もかにも初めて拝見たしますがいいや、これはすごいですね。 物語のようですね。はい。 ちょうど雨も上がってきたところでこのご登り [音楽] 1番の店場が演じられています。 [音楽] あ、どんどん上にこのさ田の方が 上がっていきますね。結構ですね。高いですね。あの電線のお [音楽] 同じ同じぐらいの高さ。今ちょうどお腹だけと支えて魚をすり合わせて乗っていますね。あ [音楽] あ、すごい すごいすごい拍がなってます。 それに虎が追いかけて はい。 虎ラがですね、こう口を開けて噛むような渋をして登っていきます。 [音楽] ちょっとこう海外の芸能でいいとこのサーカスのようなど息を飲んでおりました。このゲですね。 人間のですね。うん。非常に、ま、危険なあのね、場面ではありますけれども、ま、すごいスリルも満安定ですね。いや、ト役の方も休むことなくちょっとの頭で虎頭を被ぶって視界の異常に限られた中でそのはしごを登っていきましたねという。あ、そっか。 [音楽] これはあのどこから見えてるんですか?ま、おそらくもう口の隙間から見えてると思うんですが、今日はあの雨にはい。あの、ま、ビニ色をかけているので、普段よりもすごい視界の悪いところでこのはしご登り演じられています。 [音楽] 元々このお口の隙間からしか見えない視界 がさらに で狭められた状態で今ですね。すごいです 。今足だけで 魚を支えていますね。魚するのすごい見所 です。いいですね。 のテーマのですね。ここからどうやって? [音楽] あ、すごいす。 そのまま足を支えながら対降りてます。 はい。回転して着地です。あ、大きな拍手が上がってないから大きな拍手が上がっていますね。 喋らないといけないんですけどね。 息を飲んで、あの、喋るの忘れてます。いやあ、今日いいものをテレビを通して、え、また現地でもご覧いただいておりますの皆さんの大技橋ごりでございます。いい感じです。晴れ晴れが [音楽] ちょっと雨降ってた嫌ですもんね。 う。さあ、陽気に賑やかに進んでくれています。あの、なんかトラマって陽気な芸能のイメージがあるんですけども、だからあのはい。 [音楽] はい。現地の方々、え、の方々もくて元気なので、なんか前にすごい合うんだよという話をですね。勢いをげます。 [音楽] 会館の皆さん、 [音楽] 2 年ぶりの参加となりますが、かぼちゃから始め、若い力が多く関わり、これからもみんなで協力して頑張っていきますということです。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [拍手] さあ、続いては見越団体第 1 人が入ってきていまして、え、久しぶりの 2年ぶりの参加というの会です。 はい。会井さんは、ま、元はあの東野号農村専クラブの皆さんたちで、ま、今はあの農業などに取り組む青年のたちが中心になって、ま、有で参加されている手作りの見越団体です。 はい。 あの1 番最初の時のし会さんってかぼちゃでっかいかぼちゃを担いでたと聞いております。 そうですね。今は担いでらっしゃるのは、ま、マ島型、マト見越をつけてるんですが、ま、普通ですね、こうチーンをたくさんけるところにあのお花の生のお花ですね。トルコ企でしょうかね。生花をつけていますね。 [音楽] ああ。 はい。 これは以前からですね、自分たちの育てた花をこう、あの、さしてつけて、ま、それをよく導行く人に配ってくれたりしましたね。 [笑い] [拍手] いや、なんともこの第一次、東の第一次機関産業は農業でございますので、え、それらしいも そうですね。はい。 おみ越しですね。 うん。 で、この見越っていうのは、あの、ま、お祭りですね、神様が、ま、こう、腸内などを練り歩いたりする、ま、いわゆる神様の乗り物になっております。 [拍手] で、通常は、ま、あの、神社の形をしたものが多いんですが、ま、このようにですね、こう、あの、灯老の形であったり、ま、いろんな形のお見越しを担いで、あそこに様をこう、あの、巡ってもらうというようなものが見越なんですね。 [音楽] あの、これからお見越し団体者も出てくるんですが、それぞれ 変わったお見越しですよね。 そうです。そうです。 はい。 あとまず形もなんですね、あと担ぎ型にも注目してもらいたいと思います。 で、先ほどはあのこうせやせやっていう風な勢いのいい掛け声ですが、これは江戸前担という方になっています。 東京の東に都える 6のです。 さあ、では手団体そして、 え、お見越団体と通過たしまして続いては神団体第 1次が入ってまさせていただきます。 6 番です。 [音楽] それ [音楽] は [音楽] [音楽] [音楽] や [音楽] 共同芸能パレードイート洋保存会がスタートしました。豊楽保存会の皆さんのスタートです。 飯豊楽は土淵町豊地区に伝承される神楽で ひ神神社神社などに奉能しています。 消出した電所には運4年の所があったとい このことにはすに全していたとなります。 前行1時しましたが昭和 4時3 月復活当時にの内めて女性の前手を止れは現います。ただいまご覧いてる神楽は [音楽] [音楽] [音楽] 6神楽保存会の皆さんです。 青町の団体です。の東にびえる ザの麓元の神楽団体です。大々伝えられて きた芸能を引き継いでいます。本日は子供 たちの元気いっぱいのを披露させて いただいております。今募集してますね。 6カメラの皆さん是非一緒にやりましょう というそうですね 。 神楽ま神楽はちょっと獅踊りよりもこう参加人数もちょっと少ない神楽あの団体さんなので是非興味ある方は参加して欲しいんですがこちらあの青町前を中心に伝えられている神楽でこの後出てくる土町伊藤神楽の弟子楽と言われてます。 [音楽] で、またあの一時はあの8 番楽を取り入れたことがあるということなんですが、実はかなり歴史の古い神楽のようでその神社の中に奉能されているなあの旗があります。なんか神楽大源っていう風に書かれている旗の連合がですね、江戸時代の年合でありますのできこう歴史の空が伺われているま神楽でもありですね。 [音楽] はい。 あの、今年の東祭りのポスターが神となっ ていまして、 さ、これからその神楽をたっぷりご覧 いただくことになっております。お楽しみ ください。この後が登場です。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] から保存会の皆さの皆様しています。カは [音楽] さ続いて映像飯ご保存会の皆さんが入ってまいりました。 さ、東でも今年のファンタジー公園の問題ファンタジー公園にも登場いただきました。さあ、や はい。えっと、神楽は志町地区に減少されている神楽で、あの軍予連 1821年に立したと言われています。 ま、派としては東の山節派に属していて、ま、同じ同じ幅、ま、山節派の神楽の中でも、ま、演じられる円目がこう多いことも多い神楽団体になっています。 はい。そして、え、戦後1時中断したん ですけども、昭和43年に復活して、復活 当時に東の号のカメラで初めて女性の舞手 を許したと言われていまして、あの、 すごくですね、あの、揉めたというなって おります。 の当時、ま、今では、ま、非常に女性の前田神楽の相手さんが増えていますけども、元々神田神楽は、ま、山が伝えていて、その山虫っていうのはこう人金ていうのがその、ま、神様の山には女性を入ってはならないっていうタブーを守ってきたあの、ま、信仰だったのですから、ま、それでその山ム派の神楽も女性にはもうさせなかったというに、ま、長く言われてます。 [音楽] ました。ま、しかしながらやはりその女性もこうやってみたい方も増えてきてということで、ま、最初に受け止めたのがこち部のさん非常にあの、ま、俗にく東の女子なんて言われていて、非常に女性が世代になっていることで県内でも注目されています。 [音楽] うん。 ですからその女性の巻手を許したのが岩 県内また全国でも最も早いと言われていて 今度のこの飯洋からタを走てこう全国に 女性の巻手が広がって伺っております。 はい。今では勝たせないあの、ま、団体の ですね、主力になっていますが、今日は この女性たちの他にも子供たち、特に中学 生が頑張っているという風に話を聞いてい ます。 [音楽] ま、なかなかあの女性、あ、女性の手をし てもらってますし、女性のこの金を担当 する方も なかなか熟連の方ですね。そうですね。 難しいですよね。はい。 こちらの方、あの、ま、女性の相手が多いながらも早い店舗、激しい店舗で踊る、え、僕も多いので是非注目してもらいたいと思います。はい。た、はい、りました。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] や。 [音楽] さ、続いて野崎神村保存会の皆さんの演でご覧いただいております。え、野崎神楽は東の 8万に奉能していた山節神楽村楽の系統で地元山節の消福が伝え、え、明治の中頃に確立したと言われています。近年は少子で地元の子供たちの人間が減り、地域にこだわらず参加いただける方々にお願いして活動しているということです。 [音楽] はい。 ちなみに今3 団体六東神楽崎神楽とご覧いただいているんですけど、もしかして全部系統が一緒です。なんとなくリズムが似てるなと。あ、よくお気づきになりましたね。こちらの 3 団体は全部あの山虫派の神楽になっています。次はあの 3つの3 系統の神楽がありまして、こちらのはい。 東の山節の影、あとはその東の八根神社に属する東の八系の神楽そして花巻のあの酒と大津内神楽の流れを花巻林根系の神楽と 3 つの流れを組んでいる神楽が存在しています。 知らなかったです。 私、あの八だと竹と大内の系統はみんな一緒だと思っておりました。なので実はこのはこう [音楽] 3 つの系統がこう伝されているという、ま、 3つ楽しめるというですね。 で、ちょうど今はその系の神楽が続いてきていますが、こちらの神楽さんは、ま、ま、土のあの柏のうさ地区に伝承されている神楽で、ま、こちらの方もあの明治の中頃に成立したと言われています。 [音楽] [拍手] [音楽] 地元のあのひ神社やあの鎌神社に行動されている他にま遺産にもなっている神楽さんで、ま、ま、見て今ご覧になるように、ま、いつもですね、毎年子供たちがこう元気いっぱいに踊ってるんですね。 [音楽] 元気いっぱいですよね。 で、なかなかね、その宿の子さん少ないとは思うんですけれども、毎年やっぱりこう子供たちの活躍する姿がですね、目立てなんかむしろ増えてきてるかなっていうような感じをします。 [音楽] やっぱりこう一生懸命やってる姿を見ると自分たちもやっぱりこう子供の小さの子たちもやってみたいっていう多分気持ちになるんだと思うんですね。 [音楽] ま、後ろの方、あの、踊りではありませんが、反転を来てですね、この神楽にあの、一緒に歩いている小さなお子さんも見られます。 [音楽] 未来の前に そうですね。お母さんと一緒にちょうどなんかもう手を浮かしたりとしてね、神楽のリズムこう、ま、身についているようですね。そうなんです。 [音楽] だからその共同芸能新規の子供たって、ま、獅の笛え太鼓の音だったり、神楽の金の音だったりがこう身についていて自然と踊り出すという、そういったとこにもご注目いただきたいと思います。 [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] さあ、続いては店舗が変わってきたのがお 気づきでしょうか。大ち神楽保存会の皆 さんが入ってまいりました。大出林神楽は さを改ざした資格逃の子孫が伝えてきたと いう1000年の歴史を持つ藤号で最も 古い芸能です。昭和51年に 指定無経文化祭に指定されています。 市長大地区は小さな集落ですが、近年は移住者や首都権などから神楽を愛する人たちが参加し伝承しています。お前川さん明らかに先ほどの 3団体と店舗が違います。 そうですね。 こちらのあの、ま、東の神社に属する、ま、神楽で、ま、わゆるその新ト派の神楽、神様の神様の人と書いて新とって読むんですが、 [音楽] 新派の神楽と言われていて、で、その書の優雅さが特徴になっています。で、店舗も、ま、細くて 7 秒でやっているという風に言われていますね。 あともう1 つですね、あの特徴があってそのこういったあの神楽のこうあのフォーメーションいうんですかね。こうその複数人数が回う時にこう真ん中に真ん中にこう中央にこう寄るようなあの傾向がありますね。この追いやめたぐはなんかこう和踊りみたいですね。 [音楽] [音楽] で、これ、あの、幕踊りでもそうなんですけれども、これ、あの、は神社体祭ので、よい宮っていう、こう夜にやるあのはい。神楽ラがあるんですが、その神楽ラもこ、ま、暗い中でこう非常にこう狭い舞台の中でその舞をするもんですから、その舞台からですね、足を組み外さないように比較的こう中央の方にこう集まってくるような踊り方をしています。 [音楽] [音楽] これ、あの、踊りの、ま、書がですね、こう、 [音楽] 衣装もあの、非常に大きな影響んですが、この大神の場合はその演じられる舞台にこう大きな影響を受けて、ま、成立しているカメラだと考えられます。舞台。そうですね。はい。演じる舞台でその人のこう体の振り方だったり、その足のこうほ幅みたいなものがよずと決まってくると思われますね。 [音楽] は今日はこの日本さと東祭りでお楽しみただいておりますが今度は八神社で [音楽] ええ 楽しんでいただけたらなと 7月でしたか? そうですね。7月毎日7 月に報道されています。 ちょっと今日のこの姿を目に焼きつけてまで来 はい。 で、今日の踊りは、その通常です。連開祭の当日に見れる進学と言われている踊り方なんですけれども、これあの舞台ではなくてですね、こういったあの、ま、外の屋内の通りであったり、その神社の経の外で踊る踊り方なんですね。で、今日はこのあのパレードでは、ま、そのほとんどはその進学っていう踊り方で、ま、神楽はやってくると思います。 [音楽] [拍手] [音楽] 進学進学とは何でしょう?ではそれを後ほどまた伺いた時間ある時にまたお話したいと思います。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] さあ、続いては似た神保存会の皆さんの演でご覧 いいております。え、先ほどの新計のからまた実が変わってきたのを気づきでしょうか。 [音楽] 4 年に復活した山節県神村です。同じ系統のトロ神村先ほど登場いたしました。こちらに指示している神ということです。 はい。そうです。 こちら、あの秩父町地区に伝わる山節系の神楽で、ま、明治 23年1900 年に、ま、同じあの土町の伊東神楽から、ま、伝授された神楽なんですが、そう、ま、一時中断していても先ほど平成 4 年に復活したということなんですが、これあの実はその中断しても同じ系統であればもう 1 回あの教わってきて復活させるっていうことがですね、ま、非常にこう [音楽] 可能なものなんですね。こういう同じ系統だったらできるという。 そうだから、あの今回、ま、コスターが 神楽ということでちょっと色々見ていたん ですが、あの東の強度原能の中で神が最も 大きくの伝承が残っていて、あとその多様 性があるのが、ま、盗の神楽の魅力だから 多様という中でそのんですかね、教えて ああげますよみたいな同じであれば元々 小富の神楽があったというと同じの神楽 からそのもう1度教わってきてでそれを 復活さ いていうのがあって、で、ま、また普段もですね、その出演する時に出演するメンバーが足りないような時はですね、同じ系統の方であれば、ま、応援スチケットを頼んできて、ま、出演するっていうようなことも、ま、できるです。 多様性ですね。 そう、そう。 ある意味化さん感じの芸能伝承の仕方をしてしながら、ま、今、今に繋がっているということが、ま、特徴になっていますね。 さあ、今、ま、パレードということで先ほどマイカーさんがお話た進学ね、 というものをご覧いただいております。 進学っていうのは、あの、元々はその越し、あ、神様が、ま、表通りを歩くのに突き従って、 あの、踊る、踊り方なんですね。 街道で踊るみたいな。 そうですね。ま、あの、本来いで行う神楽がこう外に出て やるために、ま、作られた、ま、捜作、ま、作られてきた神楽ラなんですがうん。 てかです。 ま、角かけなんかをする時もこのこういった踊り方をしますね。 あ、そっか。じゃあいつもはこう舞台というかお部屋があって、ま、神座を設けてこう神様を招いて [音楽] うん。 ま、神の巨心となってこうご気ですとか戦行う芸能というのが元々の彼だという認識でしょうか。 そのパレード屋では外ではその神様の化である権様を戦闘にその神様に突き従う形で [音楽] あの踊舞うものなんですね。 求めちゃ神様を引き連れてやってくる芸能ということですね。 そう。はい。 では [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] て [音楽] さあ、続いては手の団体入ってまいりまして、もうね、この曲聞くとどこが来たかすぐわかるという、 [音楽] え、東町第10国自治会の皆さんです。 え、昭和56年から区民の協力でこの広国 大子、新、花東シ、そして区民が作曲を 手掛けた中国温度を披露しており、今年で なんとなんと41回目を迎えました。これ から先の10年50年と1歩ずつを 積み重ねて伝えてますのでよろしくお願い しますというコメント が分かります。そうですね。 木の国大工をね、あの皆さん踊れる人も多いんじゃないかと思います。手にあの太鼓のバチをまあまあもしたとこを 2 本持ってですね、こう勢いよく踊っていますね。 最近見られなくなりましたけど、昔東野の結婚式の最後日の国代踊ってましたよ。 そう大体結婚式の予として国代踊っております。はい。 結婚式上にこのなんて言うんですかね? このバ バチバチありましたよね。隣けみたいな。そうですね。貸出ししてくれてると思うんですけれども、 [音楽] ま、非常にね、こう男1 番街なら日本というあのこのあの歌がに印象的ですね。 [音楽] で、実はこの日の国代ですね、日本国内各地でも踊られていて、 [音楽] [拍手] これ元々九州の方ですよね。 そうなんですけど、ま、国だから熊本かなという風に思ってたんですが、あの交流してるあの菊市の人に聞いたらですね、いや、なんか知りませんって言われてちょっとショックを受けた時もあるんですが、ま、もしかして意外とですね、あの、本番のところでは廃れて伝わった先で残ってるっていうような、ま、パターンもですね、ま、あったりしますね。 [音楽] これでもそれまたあのいい芸能全国展開と言いますかと思います。おそらくこれがま、 [音楽] 100年200 年残っていけば、ま、おそらく将来はですね、ま、共芸能の 1つになっていくかもしれないですね。 だから先ほども言いましたが、もうあの家の中にいてもこの音聞こえるとあ、 15行ったなって。 うん。そうです。 行った、行った。 バなら日本店に歌ってしまうんですけれども はい。非常にこうあのね住宅街として多くの人々が今 ま住してきたり家を立てたりする中でまやっぱり地域の一体感をまするものとしてやっぱりみんなの踊れるのをしてまこの国大昔から取り組んでらっしゃいますね。うん。 [音楽] さお越しも後ろからやってまいりまし はい。 ちょど持を投げながら、あの、あの、見越の方もやってきていますね。 私たちのお持ちをいただきましたね。中国といえばあのお近にあの第一さ平神社 という、ま、ま、中江戸時代前からの歴史がある古い神社もありますので、ま、そういったところ古い歴史も残しながら新しい住民と一体になって地域作りに取り組んでる姿を是非ですね、見てもらいたいなと思います。 [音楽] [音楽] さんもあの様々な方々年代も様々な方々が参加していくんで参加されていますね。なんか踊りもってますね。 [音楽] はい。あの体を大きくして 1と踊ってますね。 いつもこの団体さん前段にお女性の方というか大人の方ましたっけ? あ、ましたね。この代をあの出してくれてるのはチームの女性の方々中心になったですね。 [音楽] さあ、踊りのおみ越し、そして後ろに、え、対抗乗せたが続いていきます。 [音楽] 最近はね、この国の祭りが近くなるともですね、下ます。 あの、この屋の上のが結構あの機の男の形で強です。 ちょっと多分あのミスター的なくタ叩いてらっしゃるのにミスター [音楽] 7 でね対の皆さんの楽しんでいただいています。 [音楽] はの心が男一 [音楽] [拍手] [音楽] あてのこ [音楽] はい。長第 16 自治会の皆さん、ありがとうございます。 [拍手] [音楽] 町対第15 区自治会の皆さんに続きまして、上瀬東祭り参加実行委員会の皆さんが入ってきています。 しいしスタート皆様手 [音楽] を合わせて火災をなくしていきましょう。 上瀬伝統の南部林でございます。 [音楽] 上瀬東祭り参加実行委員会の皆さん スタートしています。 [音楽] さ、続いて上瀬東の祭り参加実行委員会の皆さんのお見越がまず見えております。なぜになぜにこの東でコンピラコンピラと言いますと四国香川県の四国香川県のが神社ですがこれ昔ですねの人たちが盛坂に最国巡礼と称してこのコンピラグーにですね歴史があるんですね。 [音楽] の人た四国まで、 四国まで、ま、遠い、 ま、遠いんですけど、意外とこう短期間、ま、数ヶ月とかですねの短いその脳期の冬なんかに、ま、みんなのその集落の人たちの、ま、寄付をもらって代表で、ま、あのお参りに打っている風習があって、 で、ま、こちらの方のあの、上せにある、ま、コンピラ神社もその名残りとして立てられてますし、またあの市内各地には、ま、最高霊コンピラ島ってい [音楽] [拍手] 石もですね、非常にたくさん立てられていますね。 やっぱりコンピラ様は水の神様という今ご案はこちらのあの上瀬のコンピラ神社も水の神様っていう風に言っているんですが、これ元々はその現在の上瀬じゃなくて大町の山名といううが、ま、まっていたんですけれどもはい。 [音楽] これ、あの、ま、昭和通りっていう、あの、今駅前の方にある通りを昭和 40 年代に、ま、作られた時に移転し、現在の場所に移転したという風に言われています。うん。 [音楽] 今の建物は昭和59 年に、ま、今流されたものなんですね。うん。 [音楽] で、やっぱり水の神様らしくですね、この神社の下の方にこう様水路が通っているんですよ。 [音楽] これなんで大気町があのそちらの少し離れたところに神社かていうとあの城下町の人たちはの多くはその城下町のは外れの校内に自分たちがあの耕波の博をですね。持っている人が多かった。 [音楽] え、そうなんですか。 ですね。はい。 はい。 で、あの、自分たち街中から脳、農具を持って、ま、耕しに行くっていうのを、ま、意外と町の、ま、人たち、街中の人たちも侍たちもですね、やっていたですよ。え、 [音楽] [拍手] そうなんです。 ま、その名残りだと思われます。 はい。 伏的なこうご利役もあるんでしょうか? ま、水の神様なんでね。 ま、当然その事を消してくれる、ま、ご利役も期待できますね。 ま、先ほどこう皆さん手をて火災をなくしましょうとながあって、え、ま、今年先にあの大船の 3人活があって、今日大船市長の市長の LINE で来られてて、皆さんのに感謝しますって 成務のでおっしゃってましたがね、ま、ちょっとそういったことも祈りたい [音楽] はい。 ところところであります。で、南部林の方が引き続いてあの、入ってまっています。はい。 [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] あれすご [音楽] さ、上せ祭り参加実行委員会の皆さんの部続い て、あのコンピラ神社のおみ越の後に今上伝統の南部林が入ってきていて、南部林もやっぱりあの待ち方の形能のイメージが強いんですが [拍手] はい。こちらのあの上瀬の南部林の特徴はあのま、こういうの巻い手がの足の下半身に立っつけていう墓履き なんですね。 非常にこう、あの、歩きやすい起動力があるようなあの、属で、あと背中に鼻が傘をっているところが特徴になっています。で、その南部林は、ま、東のように、ま、非常に特徴的なゲ、待ち方の芸能なんですけれども、 これあの踊り方がですね、あの、ひたすらこう直線で進む踊り方をするんですよ。 手にもセンス持ってますしね。 そうですね。 やっぱりその街方のあの芸能こういったあの屋内芸能花町だったりあのシに伝わるその屋内芸能の名残りがまずセンスに出ておりますし あとこう基本的に直線濃度っていうのは待ち方 にしかないんですよね。せその直線に整備されているなのでこういったあのこう直線で踊るためにまあ作られてる芸能なんですね。 そう。私、ちょっと最近注目してるのが、 あの、おで今難部林があって、その、お 南部林の昭和40年代からの写真展示が そのこの前のお友祭りの時に行われて、 あと今この東南テレビにも関わっているん ですが、あの、南務子を記念こう記録に 残しましょうという動きがあって、あの、 8月8日あたりまでなんかおバの映像を 集めてうん。うん。 て、今多分東テレビの方で記録として今編集してると思うんですけども。 そうですね。こう意外化と追われるんです。この南部林っていう芸能は先ほど言ったようにしかないです。 で、他の芸能はあのその出汁を引いたりするようなこう行列して歩くだけでこういったあの手振り身振りをつけて更新してくるのは本当にこう南林だけなんですね。 [音楽] これなんでかって言うと、ま、その城下町にも団体が中心なんですけども、それぞれの村、村にも小さな町があるんですね。場町があって、で、そこだけはですね、村の中に直線の道路が作られる街場が形成されているので、だ、そこにもいわゆるこう村方の村方の中の町の芸能として名林ってのがある。 [笑い] いや、私た私もちょっと不便とで、え、なんでお供で何の林しと思って今の話を聞いてしたしね、お供。 そうなんですね。はい。町はこう直線のでこう町屋が迎え合って作られています。 お供以外にも折りとかあの荒松です。宮森の荒町なんかにも信名伝わっています。 はい。 [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] 新神がスタートしました。 [音楽] 名会様の皆様による参加となっています。東北です。 [音楽] [音楽] の昨年 に引き続き外国人実習生のインレアの皆 さんそしての皆さんが参加しています。 からの黒τηとします。 [音楽] [音楽] さあ、南部田積民用が聞こえてきまして、こちらもどの団体かすぐ分かりません。毎回 そうですね。やってまりました。6 日待ち新会の皆さんたちです。 さ、東ので最も古いおみ越がこの後からやってくるんですが、このままずお見越前にですね、出が ああ、 はい。 あの、七福人でスクをもたらすと言われている、ま、七柱の、ま、新物たちですね。で、この四人っていうのは元々は外国から伝わってきた仏教仏教上のですね、あれはインドの神様だったりするんですよね。今日はその外国人実習生のインドネシアの皆さんとネパールの皆さんが乗ってほじゃあもうその通りですね。 あの、リアルシの皆さんたちが、ま、あの、待っておられます。で、実は日本の仏教もあの、 ま、中国大陸から伝わって 伝わってきた系統と、あとず、あの、インドネシアとかマレーシアみたいに、あの、海の方から南から捕まった系統の仏教ってのが、ま、あってはい。なんかあの、日本の歴史を見る思いです。 だから、あの、ちょっと昨日前さんと話し てたんですけど、東の方で最も古いお見を 持っている6日待ち新会に、ま、あの、 インドネシアネパール、外国人の方々が出 てん不縁 と言いますかね。古いものとは最新のもの がそうです。多分これが日本の最先端なん だもグローバルローカルローな姿だと思う んですね。 で、今この餅を巻けながら今やってきたこの見越なんですが、ま、東で 1 番古い見越ででつって言うとですね、あの江戸時代の 1751 年還4年に、ま、東のその 6日持ちの長人たちがあの伊勢領 নিয়ে宮者、伊勢神社に奉能したものだと言われています。八 万様がお泊まりになる神社ですね。 そうですね。今日のあの八番 0祭でも見越があの八番宮を朝走して今日の夜そのこの伊勢 6 日の伊勢領宮神社に一泊宿泊されるという歴史のある場所になっていましたね。 はい。歴史のあるお越しでもございます。とても重いと伺ってました。 そうですね。これ非常に重いですよね。 はい。 あの、確か、あの、ま、合同調者の職員さん方がもう参加しているっていう風に聞いています。 なかなかあの、持ちもいろんな方々のご協力の元に参加されてますよね。 そうですね。 住民だけではなくてこういったこのね場所で働く人たも同じ地域の一員としてこういった祭りに参加するという今のクリニティ地域の形のまよく表しているかなと思います。 いや、今年参加人数多いなと思って拝見しております。 はい。あの、この見越ちょっと心配しておりましたけども、 え、重いので はい。多いのであのだから数年前ないと 6 日待ちのみ越活担なくて重いから大変そうだなと思って見てたんですが今日はあの安心しております。ま、人手で担っていうのはやっぱりすごいことだと思うですね。 通り長 7 こういったあの人数の少ない集落なんかですと見越しをまトなく車に乗せて巡行するところもあったりすると聞いています。 中学生 中の7番が [音楽] に お客様 り ました。 ի ի [音楽] [音楽] に [音楽] [音楽] さあ、続いては松田町 7区自治会の皆さんが入ってきています。 小中学生地域が一体となり作三島牧夫様歌 福子様による松崎温度松崎省の風景が 思い浮かばれます。一生懸命練習して まいりました。今日は成果を皆様にお広め いたしますとコメント届いています。 さあ、こちらも、あの、この松崎町の松崎温度はお馴染みになってきてますよね、地域の芸能として。 [音楽] そうですね、よくあの、こう温度っていうのはその地域の、ま、風景だったり自慢のいいところを、ま、歌にしてこう読み込むものなんですね。 うん。 にあのいい伊ろっていうのがあるので、ま、それが特徴になっていますね。 ただそういったこの松崎の風景も今少しまた新しい風景に変わってきていますよね。マイカーさん。そうです。 元々その松崎の白地区は、ま、ノ部にあたるんですけれども、最近ですね、車で通るとその松崎の 5 セクの人たちがあの登りを通りにですね、立ててるのを見かけるんですね。 私も見かけてさっきマイカーさんと登り端前からあったっけって話になってなかったよね。 はい。増えてるよねっていう。 そうですね。 で、この旗元々はやっぱりあの、ま、そんなに歴史が古いものではないんですが、多分中心市街地の待ち方の人たちが立て始めたのが、ま、広がっているようなんですね。 なので、えっと、ま、この松崎 7 区は、あの、ま、多く、あの、住宅地もあるし、商店もあるところなので、元はノーソングでも、ま、自分たちがあの、ま、今は待ち方なんだよっていう意識が、ま、こう無意識にですね、この登りを立てると いうとこにも現れていると思いますし、道路整備の関係で結構あの、直線の道路ね、松崎なくあるんですよね。 ま、直線道路はやっぱり街方の 1 つの特徴だっていうのもあるので、こういったそのノーソング部の風景とその街方の意識のこう踊りっていうのがこう融合しているのがこの松崎温度 7区の あの系かなという風に見ています。 うん。 ま、今も豊かな自然があるけど、ちょっとこの都会的な風景にもなり意識も変わって、え、いるけれどこうやって昔からあるでも増度は大事にしますよという。 そうですね。 やっぱりこちらもやっぱり新し住民の人たちも参加しやすいようなみんなで一緒にやれるっていうのそのちょっと地域のこうコミュニティを作りやすいような形で、ま、このバ崎温度取り入れて踊ってらっしゃるという風に聞いていますが、 ま、でもだいぶ歴史も長くなってきてる気がしますね。 新しいお家も増えてますしね。ちょこちょこちょ。 はい。是非ですね。 あの、ま、新しくに移り住んできた方もあの、近くの芸能に気軽に参加して声かけてみられと、ま、面白いのが見えてくるんじゃないかなと思います。松崎いいと思いますね。 いや、いいところです。 そうですね。私も松崎町に住んでますけどいいところです。 はい。 あ、大丈夫ですか?お話をして 大丈夫です。 大丈夫ですか? 松崎長広いんで大丈夫です。 いや、なんか今年ちょっとどこの団体者さも参加人数多い感じがします。そうですね。この雨で非常にこう、あ、ま、心配していたんですけれども、ま、かなりですね、あの、大人数がこのパレード参加してきてくださってますね。 [拍手] [拍手] さ、そして今少し雨が落ちてきた感じですね。はい。 またあの、見てる方々も少しを差し始めていますね。 [音楽] はい。是非ね、見る方もやる方もですね、この天校に負けず頑張ってレードやっていただけたらと思います。 自然と共にの はい。祭りでございます。 さあ、手踊り団体、巫手踊り団体ご覧いただいてまいりました。え、この後獅踊りです。 いよいよこの後首相団体第 1人が入ってまいります。 [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] 駅前通りの子供踊りの皆さんがスタートしました。 [音楽] の皆さんです。 昭和60 年当時の上中学校の生徒さんから獅の動をきっかけにおよそ 40 年続いている人子供自踊りとなっています。先踊り保存会の方々からご指導をいただきまして [拍手] 9名の子供たちが元気に踊っています。 [音楽] りの皆さんですもれ [音楽] に [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] け [音楽] [拍手] [音楽] あ [拍手] 、 さあ、師匠団体第1入ってまいりまし 可いらしい子供たちのトレでも取材をさせ ていただきました子供取りの皆さんが入っ てきています。さあ、なんとなんと号師匠 の伝承が始まって43年目というですね、 まく反世紀近いとい、ま、今日は60年 からやるとはい。 で、で、最初のこの、ま、獅頭は号中学校の生徒さんが、ま、手作りしたもの、獅頭で踊っているのをこう見てですね、その保育園児、エンジさんたちが、ま、憧れて自分たちも踊ってみたい、ま、自的に声をあげて、あの、ま、始まったもので、で、その中学校の卒業政策として、ま、 5 体の獅頭を、ま、保育園に起存したのが始まりだ 言われています。それから続いて今年はですね、え、年長時が踊っているということであります。 [音楽] そうですね。だからもう伝統の、ま、ま、保育園あの獅踊りなんですが、ま、かなりその歴史に物語ってるようなこと非常にあの同に行った踊りっぷりなんですね。 ですね。 うん。え、ちなみに6 月に地元の神町神社でもして、あとお盆にから毎日練習をしてきたということです。 [音楽] あのね、お家でね、黒式を持って、ま、踊って練習されているあのお子さんもいるという風に聞いていますね。 なんかね、音が鳴るとすぐ踊り出すそうで [音楽] ありまして、だから昔も今も変わらないんですね。子供たちのその師匠踊りに憧れる感覚と言いますか。 [音楽] そう。 ま、普通獅踊り、他の団体さんですと、ま、コ取りから始めていくんですけども、やっぱり最初のそのきっかけが獅頭をかぶってみたいというところで、ここは本当ちっちゃいあの子供の獅頭が特徴ですね。い [音楽] られない。そうです。すごい可いらしいチーズがミニミニ士なってます。 ただ踊りもね、非常にこう、あの、大人顔けのあの、体のフリーを見ていただければと思います。 ちなみに同じ上町の内師匠の日本の皆さんがご指導くださっているという [音楽] 150 周年のこの後ですね、上小学校の踊さん続いてきますので、こう進化を見ていただけるんじゃないかなと。 次は子供たちもこうなるよっていうこうなっていくよっていうね、見ていただけると思いますね。 学校を代行して教えていただい さこからしばらく師匠のりご覧いただきます。 [音楽] あの、私最近マイカーさんとこう解説にご意するようになりまして、なんとなくその [音楽] 建物とかあの幕の感じでどこの団体って分かるようになってきたんですけども [音楽] ああ、だいぶ慣れてきましたね。 さんのお話伺ったら、あの、もっともっと分かる人は動きで分かるとおっしゃって、例えばあの、頭の動かし方とか幕の切り方で団体分かるそこまでまだ足してないっていう。 [笑い] いやあ、でもね、それはもう本当にだいぶ慣れて うん。 マイカーさんも行けそうな気がします。 ま、そうです。 最近はそのあの頭のこう使い方とかですね、足のステップはだいぶ分かってきたなと思うんですが、まず初心者はですね、ま、基本の木ということで、 まず獅頭の 頭にかぶって獅頭の角の間のマークで分けろと 建物 はい。 [音楽] にしてる特のあるそのデザインシモルマークをですね、まずそこが 1つ特色ですし、あともう 1つは幕で 膜にちゃんと何体目書いてますのでそこで見るっていうのがこになります。はい。ではにご注目ください。 [音楽] お疲れ様です。 あ、なんか [音楽] あ [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] さあ、保育園が進化しました。マイカーさん。 はい。次にやってまいりますと号小学校りの皆さんですね。 はい。 こちらは保育園よりちょっと歴史がちょっとだけ 3年ぐらいあの新しいんですかね。今年で 40年目ということであります。 で、昨年は上小学校が創立150周年の 節めの都市でありまして、え、ま、今年は 上取りが、ま、40年という節めの年と いうことです。ますますやる気、元気 いっぱい4年生、5年生、6年生、19名 が参加しています。学校を代表して教えて いただいている保存会の皆さん、いつも 温かくに見守ってくださる地域の皆さんの 感謝の気持ちを込め踊っています。 あの、画面に移っている手に太鼓のバチのようなものをあの振っている踊り手。これ中大子っていう踊りなんですが、 これあの実は今珍しくなっています。あの団体の人数が少ないところだとこの中光の踊り手を省約してしまうところも出てきていますので、 これ人数のいる団体さんしか、ま、出てこない踊り手ですね。 あ、先頭はあの種含めていう風なあのこう瓢タをもしたものを振って踊る踊り手を戦闘にこの中大子のバチを持った踊り手が来てま、その後あの刀や戦争持った刀かけそして四構成がまなんですがなかなかこのね獅踊りができるところていうのは本当に大変なとこあのことだと思うんですね。 [音楽] [音楽] [音楽] ま、この小学校の皆さん、そして保育県の皆さんとご覧いただいておりまして、え、各の上町に伝わる師匠通り団体の皆さん、先ほども申し上げました内師匠取り、そして師匠取りの皆さんですとか、あと細越師匠取りの皆さんがそれぞれ。 それぞれ、あの、ま、板沢指示、内士、細士 3 段体あるんですが、それぞれでの地域で違う由来では伝わっているんですけれども、こういった祭りの時にはですね、合道に一緒になって、で、しかもやっぱり子供たちのそういった指導育成に取り組んでおられるという歴史がありますね。 [拍手] 面白いですね。あの、ちょっと昨日その 共同芸の教員会の全野祭の中で、え、 先ほどマ川さんの神田系と同じであればお 手伝いに行ったり継承したりする話なさっ てたんですけど、あの、昔その地踊りは それぞれ歌が違っていて、あの、盗まれ ないように歌が違って、例えば、例えば ですよ、おはようございます。 こんにちはっていう歌詞になったとしたらおはようございます。こ日はという風にしたりそういう盗まれない工夫もしていたよという話を伺いました。 やっぱり、ま、あの、近年でね、あの、少子高亡霊化の影響もあると思うんですが、ま、そん中で自分たちが伝えてきたものをなくしたくないっていう思いで、ま、そうやってその、ま、折り合いをつけながらこれをやっていこうという姿勢が踊りの中では見られますね。 [音楽] 変化してますね。 はい。はい。じゃ、ます。 さ [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] あ、終わり。 [音楽] [音楽] [音楽] さあ、続いては松沢指示踊り踊る会いの皆 さんです。えっと、昨年から参加をして おります団体です。昨年は雨という悪天候 の中、子供たちの熱意と頑張りで東の祭り 初参加を無事に終えることができました。 で、今年も増田小学校で 46 年に渡り継承活動を行っている増田師取りを子供たちの口生姜と共に地域の方と元気に踊りますということで、なんと今年も雨ということでありますが、 [音楽] そうですね、今年も、ま、残念ながら雨なんですが、ま、今年もですね、去年と同じようにこうすごい力いっぱいすごいこうね、いいあの表情笑顔で踊りを演じておられますね。 [音楽] もう46年ね、続けてきたんです。 そうですね。 これあの長野市町の長野市踊り保存会さんからま、協力を得て、ま、家族ぐるみ、地域ぐるみで一眼となって取り組んで来られたということなんですが、ま、小学校の師匠踊りと言いながら実はその [音楽] PTA の皆さんたね、不刑の皆さんたちも一緒になって取り組んでいるところです。 はい。 あの、だから昨年のその祭り参加についてもその方々がすごくこう一生懸命熱心になって、え、ご協力なさったと伺っておりました。このあの小学校子供たちの獅踊りの特徴はこの、ま、小さなこの獅頭の子供たちの獅頭がすごい可愛らしくてでもちゃんとこう大人けの [音楽] [音楽] あのしっかりした踊り方をやってるっていうとこがま、中国なんですね。 で、学校のですね、こうマークなんつけてんですね。寿司が頭には。 ああ、そっか。これ学校のマーク可いいですね。 そうだね。そうなんです。 北二場のマークですかね。今ね、松田小学校前生とあの、ま、 26 人ほどと、ま、伺っているんですけれども、ま、少ない人数は少なくなりつもちゃんとですね、あの、こういった踊りだったり、獅だったり、あと刀かけの踊り手を揃えて出場されておりますね。ま、すごい。 [音楽] あの、去年の引き続き 2 回目の出場ということで意気込みを感じます。 はい。 ま、去年も雨、今年も雨ですが、あの、きっと子供たちはもう、あの、強い大人に成長していくんではないと、あの、私個人的に思っております。硬い地域の硬い結束席をね、感じさせるあの沢踊りを踊り会いの皆さんですね。 [音楽] [音楽] ま、今、あの、世の中ではありますけど、やっぱりあの地域一眼となってこう子供を育っていきたいっていう動きも出ていますので、ま、それをこう間当たりしている感じがいたします。 [音楽] そうですね。 子供さん少ないと今やっぱりそれぞれの家庭で育てるみたいな、全部親が責任を産んだみたいな傾向も出てきてるんですが、こういったあの、ま、共同芸能や祭りを通して子供たちは地域みんなで見守って育てていくんだっていうような、こう気運をですね、ま、育む、ま、 [音楽] [音楽] 1 つの大きな要想がこの共同芸能になってるんじゃないかなっていう風に思っています。 ま、あの、共同芸能のある地域は人も育つなんていますしね。い やっぱりですね、こう多くのね、子供たちも大人ね、いろんなじいちゃん、おばあちゃん、あの、お父さん、お母さんに触れ合う中で人の付き合い方 や、あの、を身につけていくんだと思うんですね。 やっぱりもう師匠っていうのがね、やっぱり先生、学校の先生以外にもできますからね。 そうですね。はい。 あの、意外との学校の先生な大人の存って子供の成長にすごく大きいと思っていまして、まさにそれがまたこの祭りであり [音楽] ほど芸能なんじゃないかなと思っています。そのね、地域の中で色々なこう役割を自分も担うんだっていうような、ま、責任感なんかもね、育っていくんじゃないかなと思います。 [音楽] うん。うん。 [音楽] さあ、少しまた風が出てまいりましたね。 さあ、雨の中ではありますが、え、結構あの会場のをみっちりとしてきましたね。傘の [音楽] そうですね。先ほどあの雨は強まってるんですが傘の数が多くなってはい。非常にこう共同芸能を皆さん見る熱キには伝わってきます。 [音楽] [音楽] うん。 さあ、是非あのテレビの中継もお楽しみただいておりますが、もしよろしければ会場の方にも来てリアルな [音楽] そうですね。この後はい、夜まで、あの、 1 日目街中で共度芸能が繰り広げられますので、是非時間を見てあの出ていただければいいなと思います。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] 京都 に会の皆さんしてい [音楽] 林会の番 され張り前寺踊りとに小さの 1つとされております。 [音楽] で、昭和8 年に残念ながらその本であの家事があったので、ま、詳しい由来はあの分かっていないんですが、張山市からあの習ったという風に言われております。 こちら、あの、岩手県の指定文化剤にもなっておりまして、あの、こう、ま、林神社に属する獅踊りということで、ま、こちらの方獅頭の角の間の建物には八神社の新門、神社のマークである、ま、健康用羊門という風に入ってますがはい。こちらあの、こうこの図の星にこうギザギザの件がついたマークを頂いているところです。 [音楽] はい。 さあ、こちら、ま、あの、自然界の鹿そのもの足遣いですとか、また頭使いのさが特徴ということで、是非その辺りも注目していただけたらと思います。 で、こちらの上柳獅踊りの、ま、足の使い方の特徴はですね、ま、つ先でこう足をこう蹴り上げるようにして踊るのが特徴だと言われています。 [音楽] あともう1 つ、あの、あまり手と足をこう、ま、振らないで、こう、ふわっとした、こう、軽い印象で、あの、優雅に踊るのが特徴の獅踊りです。なんかちょっとリズムもゆったりしている感じがします。 [音楽] そうですね。あの、先ほどあの、早、あの、大手は八神楽さんもあの、やっぱりこうす雅なの形ですが、こちらの方も同じくやっぱ正神社に属する 自踊りですね。こういったあの優雅さ が特徴ですね。うん。 さあ、獅踊りお楽しみたいがあの師匠が通った後にいつもこう話題にしているようなカであります。 はい。 この獅頭の頭につけてる髪の毛のような こちらあの柄とかながら呼ばれている縦紙ですね。 はい。 これ、あの、何で作られてるかご存知ですか? えっと、ど、ドロ、 あ、そうです。 ドロ、ドロ、泥の木。 はい、正解です。 はい。泥の木という木で、ま、柳けれども、その、こう、これを薄く削ったものをけますが、こう、今削り立てのものはですね、今見てるようにこう白くてしなやかでこうふわっとした 感じのあの、ま、木なあの削った那の削りからカなんです。うん。 あとはその神様が寄りつくていう意味を噛むながらっていう意味もあるのでそこにこう神様が宿る象徴として頭の縦紙につけています。 [音楽] なんかこのですかをびかせるのがカ主さんが来ると同じ意味があるんだような。 そうです。そうですね。こういったあのこう木やですね。紙をこう激しく振るところに神様は宿るっていうのが日本の新透の考え方なんですね。 うん。 ちなみに、あの、昨日ちょっと全野菜で聞いたんですけど、泥の木ってどこだけにない?どこだりになって?今はなかなかね、自然に生えてるものがこう少なくなってきているので、 [音楽] 自分あの独自にですね、育てている団体さんもありますね。 そう、そう。あの、今年東の食祭で泥向き植えたらしいです。 ああ、 今までは炭杉とか空松など植えてたんだけども、今年は泥の木を植えてこう育てていこうっていうあ [音楽] 動きが出てきているそうでありまして そうです。じゃあね、東野には趣旨の森 [音楽] ができるわけですね。 だから今はあの東のこの月市町は姉さんのある月市町と宮森の境のすごいもうあのそれなりのトラックで行かないと行かないけない場所にしかないみたいな話を聞きまして [音楽] なかなかこのあの神長柄が手に入らないような他の地域ではま時期ですねずらテープっていうかビニールテープで代表していたところもあったようなんです [音楽] はい。 それができないところはワシを使った獅頭をあの用いている団体もありますね。 [音楽] わかんねえな。あちねこ [音楽] 山保存会の皆さんがスタートしました。 [音楽] 張山 市踊りは東物語の著者柳邦おが菅原神社にて実際に目にしたと言われています。物語分にも登場する歴史ある踊りとなっています。 [音楽] 東で唯一の字幕を使用し、ゆっくり優雅に踊るのが特徴で、昭和 [音楽] 49 年に岩手県の無刑民族文化祭に指定されています。 [音楽] さあ、マスチュア幕が見えてきまして、え、今ご案内ましたが、え、東野号で唯一の白幕なのですぐ分かりますね。山 ね。あ、そうですね。はい。 実は白幕ではあるんですが、先ほの柳と同じくまち家に付属する八根踊りの [音楽] 1つになっているんですね。はい。 はい。 なのでこの白幕に、ま、林根神社のの門をつけていたりするんですけども、これあの昭和 [音楽] 5 年にですね、あの陰の宮人新っていう方の前であの、ま、踊りを披露しために、ま、それをですね、こう膜にこう赤い持ちで染め抜いているのが特徴でもあるんですね。 [音楽] はい。 あの、見えますかね? 見えますかね?こちらもやっぱ研究門ですね。は八根神社。 はい。神社の新門である要門を頭のあの 建物として用いています。 で、ちょっとあの伺ったところの建物も 天用羊用で、え、膜も用門でこう同じ デザインなのでなんかね、喉元の柄って誰 なのかを判別してるんだよっての聞いたの 。 僕のは赤い朝のあの歯の門だよとかですね。なるほど。あ、 ちょっと多分あの方かな。 柱との間の色であの人の違いをつけてを見れるとかいうことですね。 [音楽] あ、色々あるんだなと思ってですね。 で、こちらの獅踊りは江戸時代に、あの、遠方年間 1673年から80 年頃に虎ラという老人があの、伊勢参りに行った時に、ま、覚えてきて伝えたと言われています。 [音楽] だからこの師匠にも入ってきたルートというか学んだルートがちょっと違ったりして、ま、そこからちょっとまた特徴が変わってくんですかね。 [音楽] そうですね。 意外とやっぱりそのこう、ま、いろんなとこから習って習ってきたっていうこと要するにこう、ま、ブランド自分たちがやってるのはこう中央ブランドだよっていうようなことに、ま、誇りを、ま、かつての人たちは持っていたようなんですね。 はい。 今ちょうどあのシがあの入ってきましたけれども、このテ舗がゆっくり目で、ま、足運びがすごいこう、あの、慎重な足運び [音楽] になっていますし、あと頭もですね、こうどちらかというと左右にこう振るのが特徴になっております。うん。 これ、あの、他の団体だとこう上下でですね、激しくこう救ったりするような乗り方ですが、こっちやはりあのはやち寝系のあの芸能団体らしくこう優雅で [音楽] はい。左右にこう振るようなになってます。 [音楽] はい。で、こちらの方はね、移住者の方も、ま、たくさん参加されてるという風にってますが [音楽] そうですね。あの、何ですかね?すごい盛り上がってるイメージがありますね。 [音楽] 張山地存会移住の方をいっぱい参加なさってて [音楽] そうですね。やっぱね、師匠の人たちがこうね、気軽にみんないろんな人に声かけて参加させていて、ま、それが非常大きな今力になってきてますよで、 [音楽] ま、参加されてる方の中にあのこの、ま、参加されてる体験をこう、ま、本に表してる方も、ま、いらっしゃる聞いてます。 [音楽] そうですね。はい。だからさっき話したん ですけど、あの師匠には盗まれたくない 意識が昔はあったと。で、あのなんか長男 に盗まれるから長男の長男にしか教えない という昭和頃までそんな話だ。一死 総電みたいな。そうですね。 あの、今も一総電東以外のあの、神楽団体さんなんかはそれをもう厳してる、厳しく守ってる団体さんもあるようなんですけれども、 ま、やっぱり今その選択しなければならないですね。 [音楽] 自分たのこの頭の踊り芸能をま、どう伝えていくのかっていうんな人に広く文を開いて伝えていくのか、あるいはその自分たちの地域の中でだけま、守っていって、ま、それが消滅しても、ま、仕方がないんだっていう考え方でやってらっしゃる、ま、東以外の団体でそういう風に、あの、自分たちのルールを変えないでやっていきたいっていう風に考えてらっしゃる団体もあ [音楽] [音楽] それどちらがしいとはもう言えないと思うんですね。やっぱりその地域の形の現れだと思うので はい。 ま、東の場合はやっぱりこうオープンマインドで広くあの文句を開いてる団体さんも多いようです。 はい。 [音楽] はグルの皆さんです。 [音楽] 祭りの花。それは地域の人々の希望と情熱 。そして商売繁盛。ご国法を祈願し 作り上げた掛けがえのない宝です。 愛越しを激しく揺るのは神様を目覚めさせ 願いを叶えてもらうためだと言われてい ます。 泉グループはその掛けがいのない地域の皆 様のためそしての発展を祈り社員一眼と なって担ぎますとのメッセージです。 泉グループの皆さんです。 [音楽] さ、獅の踊り団体の後見越団体第 2 次に入ってきています。さあ、まずはですね、こちらも立派なお見越でおな染みの泉の皆様です。さ、松木の花美越。 それは地域の人々の希望と情熱、そして 商売繁盛、5国法を祈願し作り上げた 掛けえのない宝です。見越を激しく 揺さぶるのは神様を目覚めさせ願いを叶え てもらうためだと言われております。泉 グループはその掛けのない地域の皆様の ため、そして市の発展のため社員一眼と なって担ぎますが社員さんだけじゃないん ですよね。はい。 こちらの団体面があの泉になっています。あの、ま、地元のあの企業である泉商店さん だけではなくてですね、ま、社員さん他そのご家族の方であったり、あとは、ま、あとは取引先、仕入れ先の企業さんでの 参加されている方も加えての大人数の見越しになってます。 で、今映ってるのは、ま、神社型の越しなんですが、これどれくらいのもさあるかと思われますか? ええ、重さですか?え、な、え、 何g、 ま、何kg? 何g? はい。何キgあると思います? 何?KG? ええ、 100kgじゃないですよね。ああ、 500kg。 いや、もっと実あったんですよ。あの、これ、あの、 SNSで発信されてるの見ると 1t あるそうです。1 t はい。ま、これのよく見るとその見越にいろんな金物金属がま、ついていたりしますね。 なのでこういったのも重さになってますし、あとこのこう支える担棒なんかもすごく太くて重厚なもんですから、ま、 [音楽] 1ということで、 いつもですね、大体50 人以上で、ま、担ぐことを、ま、 1つ目ドにして参加されていますね。 私だからあの、泉グループさん勝方多いんだけど、あの、重そうじゃないですか。 はい。はい。 人数多いんだけど重そうだなと思って見てるんですよ。こうな 触れないようなこう水平移動してくるような担ぎ方であのやってくる見越ですね。 へえ。 ま、こういうあの水平あまり激しく振らないでこう水平移動するのを開かぎとかっていう風に言われているんですけども 平はい。 ま、掛け声はですね、こう、ませ、ま、最近はせ夜やせ夜とその江戸前のソいやみたいな掛け声が多いんですがうん。うん。うん。 昔はよくあのこう平カ継がわっしっていうような掛け声も多かったですね。今あんまりワし流行んなくなりましたがね。 私和生してたんです。和してないですね。年齢分かります。 わし。わしいです。 わしょ。 このわしもそのか、その和条同計っていうその神様が来てくださったっていう意味がけ声になってると 和女同計 あるいはそのわ、その和っていうみんなの和の和を背負うっていうをわ、は背負いていう言葉がけ声になってるとも言われているんですが、 こどっちかというと、こう割とこうすーっとやってくるもんですからさっきのちょっと若い人たちには物足りないらしく、ま、こうな そやみたいにその短い足の店舗の あの角声を好ばれる傾向が、ま、だんだん出てきたんですが、 [音楽] ま、高齢化と共にね、またちょっと変わってくる可能性もあります。うん。 はい。あの、そっか、担み方の好みなんかあるんですね。 そうですね。 声はそのあの、ま、江戸前担に多いせイヤなんですけど担型は水平移道のあのあまり上下させない平着で来てる来てるなっていう 感じです。 平はどこのこう地域から出てきたものなんですか? いや、でもこれは多分ですね、その見越の重さなのかなっていう気はしてます。はい。 あ、じゃ、ちょっと重ければいいほどこうか。 あとやっぱこうあえて上激しく送りたいみたいなこの若者が多いとましかそっち前になっちゃうかもですの皆さんとを重りながらの育った江戸前に皆様に見てもらいたいです。劣化中の皆さんスタートしています。 [音楽] ヤ [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] യ [音楽] [音楽] はい。 [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] he [音楽] [音楽] さあ、お見越団体第 2 次続いては宇劣化州の皆さんが入ってまいりました。さ、今年決成 40年でこちらも節めの都市であります。 足のっを皆様に見てもらいたいですというこちらは江戸前という 江戸前えっと先ほどもちょっと紹介しましたが あのつ先を立ててまでリズムを取りながらま上下させつ前進してくる いう担ぎ方になってます。 こちらの美越市もあの神社型の越を使ってますが、ま、先ほどあのね、大船島とか仙沼とか松っていう市街の方々もう交流したり参加したりしながらできるニコ試だということですね。 結構そしてあの宇劣手の方々が別な地域にいったりもしているみたいですよね。 うん。そうですね。あ、あのね、今民祭っていう風に書かれてる人もいますが はい。 あの、やっぱ見越しが、ま、誰でもできる担だけ なかなかこう中の中で芸能団体があったりすると見越の方にあのはできないっていうパターンもだんだん出てきてるので、ま、こういったあの気軽に参加できる見越連ってのはやっぱり地域の人たちに他の地域と交流する大きな、ま、きっかけ にもなってるんじゃないかなと思いますね。 いろんな、あの、ちょっと私たち今背中の方見てるんですけどね、いろんな反転の方がいますね。 うん。そうだ。いろんなとこからこの祭りに来てくださってるんだなって 思いますね。 それはその先ほど大船都市のね、市長さん岩のでったっていう風に暗説してくださってますけど、 こういった祭りなんかの付き合いがある地域に何かあったりするとやっぱりね気になって助けたいっていう気持ちをきますから。 ま、これが普段の普段の付き合いの中で ま、重要ないざとなった時に重要なんじゃないかなと思いますね。 おし団は先駆がけ勇会の皆さんです。 [音楽] [音楽] [音楽] 会の皆さん、 平成9 年より参加している三美見越団体です。自分たちが生まれて育ったこの東野で解散される日本の古さと東祭りを盛り上げ自分たちや見ている方にも楽しんで欲しいと思い活動しています。 [音楽] 江戸前越で使われる船やという掛け声で力強く前に進んでいきます。先勇の皆さんです。 [音楽] さあ、この見越団体に入りたいという、あの、若い方々が結構憧れている団体さん、先がけの皆さん入ってまいりました。こちらもご案内ありました通り江戸前か。 はい。江戸前か。はい。 あの、この、ま、ちょっとつ先を立てて腰でリズムを取りながら、ま、若干こう、あの、見越をこう上下させつ、あの、前進してくる、あの、ま、元々はですね、東京江戸のあの、ま、者大とかなんかの見越の担ぎ方が全国に広まっていったものだそうです。 うん。うん。 やっぱりこうね、け声が短いくてその異性が良いのでやっぱ、ま、若い人がいるところでは好れる。 食い方ですね。 で、見越そのものは、ま、あの、神社型の見越で今担いで来られますけども、ま、後ろの方にあの、いろんな、ま、企業とかですね、あの、 ま、参加されてる関係の、ま、団体目を書かれたチンをつけた、あの、ま、今聞いてる出汁のような形で、 あの、進んでくるところで、あ、どんな人たちが来てるのかなっていうのが分かると思います。 あの、私数年前までは義勇さんのみ越って満頭っぽくなかったですよ。 そうなんです。あの、以前はこの超チームをつけた満頭み越を担いで、それがま、ちょっと寝えを思わせてるものなんですけども、それは今後ろの方にあのけ付け替えて、あの、見越しそのものは神社型に変えられてるみたいですね。 [音楽] うん。あの、応援者が増えたんですね。 そうなのかもしれませんね。 あの、とかなくなったのかもしれません。 いいことです。 はい。 さあ、ただいま放送席前駆けの皆さん見越してきています。 そうですね。こう若い人たちもたくさん参加されています。 [拍手] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] れ。れれ れ [音楽] [音楽] 組がスタートしています。 [音楽] 勢い組の皆さん、震災をきっかけにつがっ たくさんの絆は今年もまた1年に1度の 東祭りで再開します。これからも祭り見越 を通してさらにたくさんの絆についでいき たいと思います。 勢い組の皆さんです He れ [拍手] 浦 [音楽] さあ、続いては巫美越会勢い組の皆さん入ってまいりました。こちらま特徴的なお見越ですね。 はい。あの特徴のあるあの戦様のお見越しですね。 はい。こちら、あの、平成2 年に、ま、有の方々で決成戦して、ま、やってるあの見越試なんですけれども、 あの、女性の方々も結構多いんですよね。 そうですね。随分こちらはね、思いと伺って、 ええ、こちらの方もすごいね、あの、立派なこなので、ま、重いんですが、ま、女性の担いても頑張ってますという風に、あの、加ってるメンバーから聞いてます。うん。 [拍手] うん。で、ちなみにあのこのセ様っていう、ま、神様、 ま、東には各所がある神社もあるんですけれども、ま、女性の病気であったり、ま、小にご利なる神様言われていますね。 ま、重いけれども女性の方にも担いでただきたいお見越しでもありますよね。 そうですね。ご理学が うん。ご理学がありますからね。 さあ、勢い組の皆さんも、あの、やっぱり参加は楽しく思うになさっているそうであります。さっきの中のあの [音楽] 大きいおみ越しの前にこう小さいなんかあって、ま、別に 100 位でしたいるんですけど、なんかあれ子供ができたのかとかめてるんですけど、 [笑い] 何なんですかね。何なんですかね。 おおさんで親子で参加されてるというあの親子の神様なってますね。ちょっと最近こういう感じの増えてますよね。あのぜ前に小さいおみ越しま後ろに大きさんたちもね積極的に参加できるような形に工夫されてるんだなって思いました。 いいですね。元気ありますね。 団体の後は神団体が入ってまいります。 センターは水楽保存会の皆さんです。 [音楽] 昭和7 年に松大町外の合わせ石神楽をとして始まりました。石神楽は早の流れを含む神楽ですが一時しまいました。 その後大神に教えを受け復発しておるためだけ 大内行の踊りの手が入っています。 枠水楽は昭和 7年から検証されていまして、昭和 30年代までは間に回れていました。 [音楽] 昭和50 年代に入り、師匠たちの死ななどで一時えてしまいましたが、現在は現代表を中心に [音楽] 28の円目全部踊れるように練習中です。 [音楽] 平成24年には東日本大震災の新婚の 10連としてアメリカを行ってます。 平成26年には途えてしまった新をおよそ 40 年ぶりに復活させて現在もれています。 奥倉保存会の皆さんがスタートしています。 [音楽] [音楽] [音楽] 今 [音楽] [音楽] ます。 [音楽] て [音楽] [音楽] さあ、神楽団体第 2 人が入ってきています。ただいま枠水楽村保存会の皆さんが入ってきております。 えっと、先ほどマイカーさんからお話があって、東野の神田は 3 系とあって山梨系と、東野根系と、えっと、竹大つの林根系 はい。こちら花市の、ま、竹神楽、大つ系の神楽の流れを組む団体さんが続いてやっていますね。 この今ご覧いただいている宮森町部の枠水地区に伝承されている枠神楽は最初は昭和 [音楽] 7 年にあのあの崖神楽の流れを組んでいる大橋様の合わせ石楽を師匠としているんですがその後断した後には大内村の方に教えを受けて復活しているんですね、ま、あの分かる人には竹神楽のあの ゴないカラの手が入ってるよっていう風に言われています。これな、なぜぐらいに行ったんですかね?この届 [音楽] うん。やっぱりなんか繋がやっぱり繋がりのある人に、ま、わかるっていうのが、まあ、当時の、 ま、やり方ですからね。 竹と大街は一緒にもと考えてはい、いいのです。違うんですよね。 にあの、ま、ユネスコのね、あの無分解散になっている花巻の林鹿神楽ではあるんですけれども、やっぱりそれぞれのあの放内集落と集落にこう独自に発展していって、あの、伝承しているので、ま、やっぱりちょっと違う神楽だっていう風に式で見てた方がいいと思います。 [音楽] へえ。面白いですね。 そして先ほど、えっと、平成 24 年に東日本大震災の新婚の巡礼でアメリカ公園を行ったという話を今していたんですけど、あの、ただのアメリカじゃ何ていうはい。ただのあのアメリカじゃなくて、こちらあのニューヨークにある国際連合本部の美であの演じているんですよ。 [音楽] [音楽] 国連本部ですか? 国連本部です。 え、 はい。なぜ やっぱりあの、ま、東日本大震災ではね、世界から国から支援を受けてい、ま、それのあの、ま、報告っていうか、その人も兼ねてというのもあるんですが、この枠カ楽を、ま、国連に取った世界中の人たちがそれを見ているっていう、あ、 [音楽] ま、あの、ま、ことがあったんですね。私なんかこれ今年初めて聞いた気がします。 あ、そうですか。国連本部だって はい。当時あのね、いろんな新聞の中で、ま、国連本部であの芸能機能という風に、ま、あの、ま、新聞に乗っていますね。 はい。 ま、この時はあの話題演奏グループのオデこ座と一緒に枠神楽さん、 ま、出演しているという非常にすごく、ま、日本のね、誇る系能として演じておられたということですね。うん。 あの、ちょっと先ほどご案だったんですが、なんか平成 26年に届いていた進学を 40年ぶりに復活させた。 ま、あの、進学は、あの、こちらポ置いたんですけど、あの、屋外で、あの、ま、角かけであったり、パレードみたいな、あるはその 経のあの、車年の前で踊る芸能のやり方で基本はその越しに突きしがあったりする芸能が発展してくんですけども、こちらの神楽の場合は、ま、神様の自信であるのです。権源様と共にその外を歩く時に演じられる目うん。 なんですね。うん。 で、これって人数がないとできないですよ。 この同じ振りで、えっと、ま、剣を振って、あの、こう前進していくには ある程度の人数が必要なので、ま、それがやっぱりできるくらい復活しているということですね。 あ、そっか。 はい。 じゃ、平成26 年以降は大復活をことですね。 あの、国連で演じたっていうことに地域の人たちに注目されたと、 改めて関心を呼んだんだと思われますね。 はい。 赤 [音楽] さあ、続いては平倉金保存会の皆さんが 入ってきています。さ、こちらもは根竹 を継承土曜日を練習日とし、え、現在月舞 、女舞、荒舞、上舞など30円目ほど習得 しておりますが、ま、あの光継者で苦労し ておりますとありますけどね、そんな コメントもありますが、割とここもあの、 いろんな地域の方が入ってらっしゃる イメージがあります。そうですね。 地元の方みならず、あの、ま、他の地域でやりたいっていう方を積極的に受け入れています。 その上号町平倉地区に練習されてる田神楽ですが、最初はあの明治 [音楽] 34 年に、ま、宮森町の塚神楽から、ま、指導を受けているんですが、ま、昭は [音楽] 60年に、ま、復活して、あの、ま、訂 12 年から、ま、この、あの、花東和町の医者 [音楽] 10 日家ぐらを真い、ま、目の復活に取り組んできたという、ま、有者があったりします。 はい。あの、すごくこの東の市内の神の 保存であったり、現象にこう全体的にこう みんなでやろうぜと呼びかけて、え、 頑張ってるイメージがあってですね、あの 今年の8月24日の日曜日、あの東野区祭 2日目だったんですけど、あの時に東の 市民センター大育館の武ドホールで神楽 体験なんかも、あの倉の皆さんこう先生 だっ うん。具を古わるの歴史をこうみに学んでいただくていうあの模もあの東野市共ゲの協議会のちょっと主催のもに行ったというま、平倉さんが先生になったと伺っております。 そうですね。こういったイベントの時にも 受け入れたり、あるいは普段あの農家民泊 希望されている方であの希望される方には 練習にもう見ていただいたり、ま、体験し てもらうというような取り組みもされて いると聞いております。 今ちょうどこの目は 元様 ですか?あ、はい。 元げ前を前あのや、ちょうど本部席前でやるところになりますね。 あ、なかなかこう貴重ですね。本部前で [音楽] ね。言はやっぱりカメラのではもう中心になるその神様の化身でありますので、ま、この源様にですね、ま、あとあの頭を噛んでもらったりとして、ま、悪魔を払ってもらうような、こう、非常に 事実的な、 間違い的な要素の多い目になってます。 なかなかの若い世代の方が頑張って今月もやってらっしゃいますね。 [音楽] そうですね。この幕がですね、その今様の持ているがそのはやち根系のあの独特のあの幕になっておりますし はい。あとその神楽神楽ラの権源はこう上弦運動をするのが特徴です。 [音楽] ああ、 上弦運動。 はい。 これ実はあの大カ楽ラの方ではその前合運動をま、基本にしてるんですが、こちらの神楽ラの方は上下に振りを動かすっていうのがあの踊り方の違いがあります。 [音楽] はい。 ま、役場内であったり清めのしたり、また広国法場の祈りを支え満員です。 [音楽] 神楽ではね、この最初にあの、ま、神様をこのがあの権源様に招表させてそこに神様に来ていただき一緒に舞、 [音楽] 舞をあるいはそのお店するというようなことの信仰がに行きづい今も行きづいている芸能団体芸能ですね。あの、なんかその時々によるんでしょうけど、やっぱさげ様をあのお返し申すっていう儀式ありますよね。あ、 [音楽] [音楽] そうなんです。 最初にあの打ち鳴らしっていうのをこう対抗叩いてあの神様を天からま、どこからがお招きしそこに来ていただいて裁判をお返しするっていうことをやらないといつまでもずっとそこに神様っていう [音楽] そう私あの春祭りの時にあのお返しモンスのその舞トピアで拝見させていただあ初めて見たと思ってますっていますね [音楽] こういったあのこう歯が歯がためっていうんですがこう歯をこうカチカチカチ そのこう悪魔を噛み殺したりっていうその歯をにま、実的な力があるっていう考え方に基づいたあの場面になっています。 はい。 え、夜のですね、神田共演会今日は東の市役所本調査の中に会場変更となりましたが、その際も、え、結びにご前をやりますので、是非、あの、お客様方も噛んでいただけますので、 [音楽] はい。はい。 無秒即裁にね、祈りたい方是非様に頭を噛んでもらってください。 解除お越しください。 [音楽] さ、平倉保存会を持ちまして神楽団体第 2結びとなります。え、神楽団体の後師匠取り団体第 2人が入ってくるところです。 [音楽] [音楽] ああ [音楽] 。 [音楽] 土保会の皆さんです。 江戸時代松頃から伝承されている獅踊りです。明治 [音楽] 12 年東の南家から向鶴ずるの門を染めたをもらい、今も迎えず鶴の門を使用しています。 10月4 日八戸市の寝常祭りで踊ってきますとのことです。土淵踊り保存会の皆さんです。 [音楽] [音楽] [音楽] さあ、続いては師匠ラン体第 2 人でございます。さ、先頭土師匠取り保存会の皆さんが入ってまいりました。 はい。この 土淵踊りは、ま、現在あの柏崎地区を中心に伝承されている、 [音楽] ま、獅踊りで、今土町には獅踊りはこのこの [音楽] 1段体だけ になっておりますね。 はい。 あの、ま、江戸時代の末頃から、ま、伝承していると言われていて、あ、先ほどあの、見ていただいた月毛市町の八張山の流れを組むという風に言われています。 [音楽] あ、だからなんか緩やかゆったりしてますね。 は、あの、そう、表紙は非常にこう緩やかなゆったりした調子で進んできていますね。 [音楽] はい。うん。 で、こちらの方、あの、幕があの、明治 12年に、ま、8 番宮霊体祭に踊りを奉能した関係で東の南向家からのあの家紋である部会するもを用いるようになったという風に言われています。 [音楽] うん。 ちょうど今の士がま、振っている幕がこのこれが東の沢江戸時代 [音楽] 党を収めた東南部向け家の家紋は にの向かいずるものですね。 先ほどお話しびましたけども 10月4 日にそのな東の南部が東の南部の始まりと言いますかね。八野城祭りで踊ってきますという師匠取りの皆さんですね。 [音楽] のあの大殿様はま、名県八兵市の城という ところのお城において、ま、長くあの八の 収めていたんですが、ま、1627年4年 に所え、村となってに、ま、3泊4日で あのの道乗りをやってきたというところ から始まっています。で、ちょっと昨日、 あの、祭りの話をしていまして、え、八の 平南部から東の南部に、ま、皆さんやって こられた時に、精神は始め皆さんやってこ れた時にすごくその党のが荒れて政府が なくて無政府状態で町も荒れていて大変 だったところにこの南部子がお祭りをこう 推奨していたって話なんかも聞きまして、 やっぱりなんて言うんですか ね、祭りは人の心をこう納めて心を [音楽] 1 つにする手段としてその祭りが当時と言いますかね。そんな話もそうですね。 伺いました。あの、ま、東の南系が進行した、ま、東の [音楽] 58 万宮はあるんですが、まずやっぱり自分新しい土地に来た時に、ま、自分たちがこれまでずっと長く進行してきた、ま、八を、ま、祭りたいということで、ま、神社をあの、ま、立派にしていくんですね。 [音楽] [音楽] そして神社を作るとなると当然そこに祭りが行われますので、まそこにやっぱりあの一円の芸能が、ま、を報するというような形に、ま、次第になってたよ。しました。 [音楽] なので東宮今も明日あの連帯祭われますが、非常に広いバ [音楽] が、ま、整備されてそこで、ま、やぶサメであったり芸能が、ま、能できるような室に作られているということですね。 [音楽] うん。うん。 だから、ま、時代は変われてもこうやってお祭りをみんなで、え、選別してまた参加して祝えるということは平和の現れならなんて思いながら今拝見しております。そうですね。そしてそこの芸能を通しての歴史も分かるていう感じです。 [音楽] あの、ちなみにこの土士踊りの特徴はその、ま、つ先士がつ先立ちでその一旦この頭の角をこう下げてからですね、ま、を振り上げるように踊るのが特徴で、で、幕の方はですね、そんなにこう大きく動かさず、あの、ま、やさめにこう緩やかに振るのが特徴になっています。 [音楽] [音楽] さあ、月口市障類保存会の円部ご覧いただいております。さあ、ゆったりとしたエ、ゆったりとお楽しみください。 [音楽] [音楽] お [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] はい。さ、続いては子供たちの元気な声が聞こえてまいりました。子供たちもそして、え、大人の皆さんも頑張っております。 [音楽] 2歳から70歳まで活動しているという 子保存会の皆さんが入ってまいりました。 さ、昔はお盆にお寺で苦養踊りとして踊ら れたと伝えられております。え、現在では 無備を即裁悪僚として広く踊られています 。さ踊り終えた後のカながら財布に入れて おけば金銭でも幸せになれると言われて いるということです。 はい。ま、この織士踊りは、ま、江戸時代にですね、宮城県の栗原軍、かなりの獅踊りが伝えられたとも、ま、あるいはあの、お友 [音楽] [拍手] [音楽] 長を経由して伝わったとも言われている獅踊りなんですが、 この獅踊りもですね、小族あの着物で大体すぐ分かるんですね。 [音楽] あ、て言いますね。小族で分かるて はい。はい。 この師塩取り、あの、ま、どこで分かると思いますか? え、小族うーカスきとか あ、違う。 はい。残念です。あの、実はこちらのあの帯ビの色が [音楽] 黄色なんですね。 あ、こっちか。 はい。この帯の色の黄色であ、遠から、遠から見てもあの、現りしたな という風に分かっていると思います。 あともう1 つ、あの、こちらの方、あの、この地域はですね、ま、東南部の過労であった新田市 [音楽] うん。うん。 あの、新田小十郎という人がいて新飯市の領地であったので、その新田市の家紋が父 [音楽] はい。7 つの丸い星を重ねたあの貨紋を用いてますので、こちらの危さんもその父をマークにしていたりします。 [音楽] うん。うん。 これ他にあの石神危町の石神楽なんかも同じ市も 7つも星をあのもらってですね。 [音楽] あれあの南部県の食用もじゃないんだなと思ったら実は他の過労の地だったということですね。 [音楽] さあ、そしても子供たちの元気な声が聞こえていまして実はお師匠で今日どうなんでしょうね。 [音楽] 入ってるかどうか分からないんですが仲良し [音楽] 6年生ペアが獅後ろの方かしら。 あ町の老会でデビューして祭りを出ますよというちょっと情報があ、多分後ろの方かなと今思っております。やっぱり獅をね、獅をかぶって踊るのはあの憧れたちの憧れですからね。 [音楽] あの、なんか獅とか腰差しも、ま、新しく作成して子供たちその [音楽] 6 年生ペア自ら色を塗ったり、あの、制作に携わったそうであります。そうでした。 ちょうどあの今の指シの踊り手に腰に 2 本させてる尻ぽのようなものこれをあの差しという風に呼んでいる道具なんですけれどもあの尻尾方ではあるんですがそこが実あの神様が宿る閉塞のような [音楽] 役割をしているとも言われてそこにあの山の羽などをですねところが見所になっています。 [音楽] なんか、あの、昨シーズン山、あの、冬、昨シーズンの冬に、ま、山に餌が豊富だったのか、なんか山のがあまり取れなくて、今年はちょっと山の羽不足だって聞いて [音楽] おります。ええ、だからなんか貴重な羽だそうです。今年はですよ。 [音楽] だからこの四身の踊り、ま、東の自然の現れなんですよね。 その、ま、の木っていう目、そして、ま、山というトリプがですね、ま、野の先ほど不足してるみたい、その年、その年の自然の様子が 現れてくるものでもあるなと いう風に感じています。 この手の神の横から皆さんの自慢と [音楽] ちなみにこの指はあの鹿なんです。 なん鹿の指す古い言葉を、ま、指身とかの指身と言ったところからこの獅 [音楽] の名前がついてます。 はい。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] お [音楽] [音楽] [音楽] さ、続いてはお町山踊保存会の皆さんが 入ってきています。さあ、獅踊り、この 神柄でありますけども、え、山では保存会 のメンバーで毎年、え、手で神那を1本1 本作ってですね、ま、に参加しています。 ま、山の自慢ですよということであります 。そうですね。はい。こちらあのお友町 山谷地区であの伝承されている四士踊りな んですがあの先ほど言ったようその泥の木 っていう木をま山から切り出してまこう ちゃんとカ那で引いてあのそれをこう縦紙 につける金柄にしているということでま こう1枚1枚こう手であの引いて作ってる と大変な作業だと思っていますしその やっぱり木を育ててそれを切り出して くるっていうのも全て自標でやっ てらっしゃ っていうことなんですね。なのでやっぱりその頭がすごく自慢 [音楽] はい。 なんですよ。 で、なのでやっぱここの師匠通り、ま、あの獅の頭遣いにまず注目してもらいたいなと思っているんですがうん。うん。うん。 [音楽] ま、こう引き立てのかこういう風に真っ白で光沢の輝いていってこうふわっと柔らかくてですね。 [音楽] で、それをこうやっぱこうかっこよく見せるような踊り方をしてるんですね。はい。 [音楽] で、このこちらの山市踊りは、あの、救い頭踊りっていう風に言ってるらしいんですけども、こう頭をこうす、下にこう下げて下から救い上げるようにこう跳ね上げてますね。 [音楽] 頭を、 この頭がこういかにこう美しいか、あの、こう、あの、ふわっと舞い上げるようにあの、なっているかっていうのを見せるようなこの頭のあの、動かし方、獅踊りの人たちは切り方っていう風に言うんですけど、 [音楽] あ、の切り方みたいですね。頭遣いに、ま、見ていただきながら、あの、その神奈川の美しさも注目してもらえればいいかなと思います。 [音楽] ちなみに伺いますとによると神がなんか雨にたら終わりって伺ってだから 1年に34 回ぐらい交換するという話も聞きまして雨かってちょっとうん。 ちょっと気な気しますが、ま、やっぱり山梨自分たちでできるっていうやっぱり自信の現れなていう気もしますね。 あの、ちょっと換算しますとね、業者さんに頼むと噛んだがら 1本30円だそうで、あ、 そんなにしたんですね。で、それで 1等300本から400 本必要だから、あの、単純で 1万円だから、1等1万円で見てくれる ていう競技会の方ました。 なるほど。 だから自分たちで やるといいんだよっていう。 なるほど。 まあね、そんな貴重な柄なんですけども、落ちた柄を拾うとそれがね、守りになるとか、あるいはそのお金がお財布に入れておくとお金が溜まるっていう風に、ま、言う人もいて、ま、その先ほどね、目の前通りか、通りすぎていったあの観光客の方も拾っていかれてるのをあの目にしましたね。うん。だ、あの、財布にやると [音楽] [音楽] [音楽] 金が溜まるそうだって。そう、そう。あ、そうなんだと思って。うん。 [音楽] やっぱり、あ、そういったことが広く今知られてるんだなっていうのがちょっと嬉しく思いました。 そう、これあの拾うのがいいんですよね。 引っ張るんじゃなくて、 ま、元々その神様の一部をあの分けていただくような感覚なんだろうな思います。 うん。うん。うん。 さ、是ひ、あの、自然に降りたものを拾ってくださいませ。 [音楽] [音楽] [音楽] よ。 [音楽] はい。続いては町高取り保存会の皆さんが入ってきています。 [音楽] [音楽] お友町の高屋地区に連承されている 師匠取りです。え、名時代に長野師匠を 高屋の人々が、ま、あの習得学んだことに 始まっているということでありまして、え 、師士の踊り手が今も弱年化して 素晴らしいことです。10代から20代が 中心となっておりまして、激しい踊りが、 え、特徴です。ジャパンウィーク2005 年に参加し、またイタリア各地での講演を果たしているということです。海外でも声ありということになります。はい。こちらもあのさっき山塩さんとあの同じあの長野塩からま、伝わってきた系統なのでやっぱり同じくその獅頭の頭を下から救い上げるようないま、救い頭踊りを自慢にしているところです。 [音楽] [音楽] で、こちらもやはりあの近くですので大変美しいあの柄をつけて踊っていますがはい。これ先ほどちょっと言ったんですけどこれあの鹿ですっていうことの頭をしたものでちゃんと角がこう一応したものがあるんですが [音楽] これ鹿の画面をまか被ぶって踊っていてこれ今その鹿に対して人間が刀を振ってあのま追い払うような仕草をしてうん いますね。 これちょっと変だと思われるかもしれませんが、そのこの獅っていう踊り手はその鹿っていうのが、ま、自然の、ま、自然界の精霊の、ま、王様みたいな動物だっていう風に考えられている [音楽] 側面もありながら、その畑の作物を食い荒らす外獣でもあるっていうあの側面もあって、こうやってその人間とその鹿がこう対立するような場面もあるありながらあるし、あと人間 [音楽] と一緒にこう、ま、輪なって売れ遊ぶよう なこう自然と人間の対立と調和を、ま、 繰り返し踊っていくのが、ま、党士踊りの 特徴になってます。ま、あの、現代社会で も鹿のこう被害の話も農家の方々から聞い たりしまして、ちょっと現代を通じるもの があると思っております。そうですね。 はい。 ま、能の歴史顧問を調べていくと、ま、行くとなく鹿が大量としてあの畑を外をもたらすような記録が残っているんですが、ま、ある時はその狩猟は、ま、鹿を取りすぎて仕方がいいない時期もあった。 [音楽] [音楽] へえしたわけですね。私があのに来た 30年の前にはにはしかいなかった。 え、で、 1 そうです。 そうでしたか。 やっぱり持った、ま、あの動物の王みたい なイメージもあるんだけど、やっぱりやっ て人間と対立する場面があるということを その師匠には私たちに教えてくれてるん じゃないかなていうことで、ま、そういっ たメモされてます [音楽] 。さあ、取りを楽しみいただいております 。え、この後小師匠保存会の皆さんで、え 、師匠団体第2ラストとなります。で、 こちらの方高取りでは、あの、獅頭を神様 としてあの、祠を立てて拝んでいる獅源の 伝説もあったりしますので、非常にこう 獅頭大切にされているさんであるなという 風に感じました。 げます。 [音楽] ああ。あ。 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] ああ。あ。 [音楽] [音楽] [音楽] さあ、首相取団体第 2 人結びとなります。小西師匠取り保存会の皆さんが入ってまいりました。 昨年度の小西取りは、え、菊市西メラソン 交流団歓迎交流会で踊りを広がありました 。せっかく宴会の機会でしたので、平成 28年度岩手県博物館芸能鑑賞会の小木相 公園の中で何十年分に踊った八の獅坂森を 披露しました。え、東の師匠踊りの元祖で ある格沖の踊りの系統を伝えているのが 小日踊りであり、そして現から爆末まで 東野南部の巨長鍋倉場で地踊りをその様の ご覧にですね、入れたという優勝踊りで あるということです。はい。こちらの方 あのその昔という男が静岡県演習ですね。 州掛川というところで踊りを見て覚えてきたい伝が、ま、あって、それをお様の場合で踊ったということを大事にしていきます。 [音楽] なので、あの、こちらの士の [音楽] あの枠の方にですね、あの、ግ国助いが、ま、ついていたりするですね。 [音楽] はい。 見えます?ガ角風にも書いてますね。 はい。 それがその獅踊りを見て覚えてきた人の名前をつけているというところが面白い。すの墓っていうのがその式はい。 [音楽] はい。ありますね。すの墓。 うん。 なのでその言いをのこの獅頭にあのつけてそれを大事にしておられるということです。 [音楽] で、このままを見てあのま見ながらですね踊り方にも特徴があります。 割とこう比較的こう生し方、そのあの表紙がゆったりとしていて、ま、腰を一旦こう深く下げてから下からこうすぐな、 [音楽] どっちかていうと頭を下げるというよりかはその腰をこう一旦沈ませてから吸いるようなみ方を特徴にしています。 [音楽] [拍手] 結構あの小西師匠取りさんも、ま、諸説ありますから、あの、どこが古いとかここが始まりとか色々あってやっぱりあの元祖であることを誇りにも本当ろんなところに殿のが出向いて踊って発信してくれている団体さんなという [音楽] [音楽] うん。そう イメージがありますね。 あのね、ま、師匠踊りのあの発生の伝説を大きく分けると [音楽] その賀大謝あの鹿をお使いにしてる大 のあの関連で伝えられたっていうことあとあのそのクや人っていう踊り伝物を伝えたあのお坊さんがその鹿の衣子衣をまとって鹿の角都の杖をついてその踊っていたっていうところをまって覚えてき [音楽] [音楽] [音楽] 系統がありまして、 ま、いずれともいずれにしてもその最国わゆる京都とか奈良にあの出向いた時に覚えてきたものだっていう優勝を持っていたりするんですね。うん。あのちょっとあと話になったのが、あのあまりこう街方に師匠取りないよねっていう話になってですね。 [音楽] うん。そうなんです。 こちら基本的に師匠踊りはやっぱりこう在村方の芸能であってでその村からあの釣下町にやってきてそれをこうあの方の人や大人様に披露する [音楽] うん。 なのでその踊りのあの歌の中にまお城みたいにそれぞれのこうあのあと釣下町の街褒めみたいな。 [音楽] なんて素晴らしいあの様なんでしょうとか、なんて素晴らしいバなんでしょう、橋なんでしょうっていう風なその歌を歌詞にしてあのあの歌いな、ま、し方が歌いながら死が踊るようなものになっています。 うん。 あ、まだいいです。 なんか何でも褒めるって言いますよね。 うん。 何でも褒めるんだ。 そうですね。 やっぱこう褒めることによってそのこう祝福をしてそこのえっとま、あの悪魔を払ったり役払いをしていくっていうのが師匠踊りの特徴ですね。 ネガティブなことを口に出さず、あのいいこと言うて大事ですね。 今の社会で いわゆるそのって考え方であかじめお祝いをしていくことによってそこに幸福が訪れるという考え方をしてほ [音楽] [音楽] あ [音楽] こっち [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] 全て。さあ、日本のフ里と東祭りの集都ゲーのパレード。 [音楽] [音楽] え、最後の遠目として南部林の団体が、え、ただいま見えてきております。さあ、 1 番最初はですね、トップ飾りまして中町南部林ガ元祖。こちら元祖ですかね。始まり はい。こちらあのね、東野の城下町のあの南部林の発症の地という風にあの、ま、看板なんかも立って宣伝しているところです。 で、元々中町は裏町っていう風に古くは言われていて、その、ま、 1丁、今の中央通りの 1 の裏手に当たるとこでそこにたくさんのこう飲食店があの発達していって、ま、かつては江戸自体はあのゲ車集がたくさんいる花であったという歴史があります。うん。 で、その、ま、ゲ車集の芸である戦とか笛や対鼓のに、ま、踊りがこう、ま、っていって、そこにその元々侍の文化だっ [拍手] のがこの、ま、林の踊りの特徴になっています。 じゃ、踊り子さんの周りで包みを持ってる方は、ま、お侍いさんと文化であった林の文化で、ま、そこにこう町の文化が、ま、ミックスして融合している、ま、東の浄化下町そのものを表す芸能ですね。ま、この南部林子も元も京都来たものであるんですか? [音楽] [音楽] あ、本当ですね。 ま、そういう伝えを持っているんですが、ま、教のね、あの、いわゆる日本林みたいなのにはこういう踊りってつかないんですよ。 あ、そうなんです。 基本的にはこう行列する出汁を引いて行列するっていうのが、ま、基本になっていて、で、そこにこういうこう手煙を踊りがつくっていうのは、ま、遠の独自で発達していったものだと考えられます。ちょっと私不勉強で京都の銀はじゃ演奏だけみたいな感じなんです。 ま、そうですね。 林本当に林しだけなんです。音楽だけみたいな感じです。 遠野らしいですね。 で、この踊りもあの基本的には全進していく踊りなんですけども 2種類しかないんですね。 で、こう、あの、通りと帰り、 その、ま、あの、踊り子が、ま、子、子がですね、こう神社に向かっていくその通りっていう神社から帰るって帰りあの意味の踊りを生きず神社にお前りしますからすごいこう過ごしたような厳縮なあの雰囲気で進んでくんですが、帰りの踊りは、ま、人社から帰ってきてちょっとこうほっとしたあの、こう酒なんかをですね、いいておかげう [音楽] みたいな感じの足取りで、あの、こう六っていう足をこう、あの、ステップを そうですね、その舞伎の6 歩いです。ま、そういったちょっと違う足でこう帰っていくってことを表しています。今ちょっとお花を持ってこうちょっとおししてらっしゃるから通り そうですね。 これはあの神社にお花を持ってお参りに行くよってことをしているのでま、最初はあの花を持たんですが帰りの時はその花を持たないで あのこう手もうちゃんと放してきた 帰りなのでこう手振りだけで あの帰りは踊ることになってますね。 さあただ南部林の中町南部林の通り踊りをごいただります。 で、中町でもやっぱお子さんが少なくなっているので、こちらの市街の参加者、あの、神奈川大学東日本大震産で、ま、ボランティアの関係で、ま、東にたくさん来てくださるようになった、ま、神奈川大学の関係の方々も加わったりしております。この手に持ってる花は毎年こう新しく作ってるのが自慢なんだ。そうです。 [音楽] 開いてるよ。 [音楽] [音楽] 右 [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] 南林保存会の皆さんがスタートしています。国南部林の特徴は何と言っても踊り子のキみやかな [音楽] 冠りにあります。 他の南部林に比べて若干早い店舗と相待っ て金色の飾りが触れ合い心地よい音が 聞こえてきます。 豪華に飾った出汁王道古藤大国へシ線の 寝色が踊り子のつやかな舞と融合していつ までも心に響く舞となっています。 林保存会の皆さんスタートしています。 [音楽] [音楽] お [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] 線 [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] お [音楽] [音楽] さ、南部林をご覧いただいております。待方の芸能です。続いてはこ町南部林存会の皆さん入ってきています。さ、国町 [音楽] 南部林の特徴な何と言っても、ま、あの、ここで分かったりもするんですが、踊り子の嫌びやかな 冠にあります。 他の南林に比べて若干早いテンポと相まっ て黄色の飾りが触れ合い心強い音が聞こえ ます。 豪華に飾ったらしい王道太鼓笛線のネ色が踊り子のつやかな舞と融合していつまでもに響くことでしょう。さ、冠りが綺麗ですもんね。特徴と言いますか? そうですね。はい。こちら冠りのあのシャラシャラっていう音とあとま、ま、あとあれですね。前かけの方につけていて、ま、歩いてくるとすぐにあ、ブ林く町さん来たなってのが分かりますしね。 はい。 で、こちらの方、ま、紙はみんな一応ひつめでこう短く言ってで、あの、ま、冠りをこうつけるんですが、こちらあの手にはもみの枝を持っているのが特徴で、あの、まず最初に踊る通りの踊りではこのもみの枝を持って踊るんです。 その後帰りの方では、あの、このもみの枝を、ま、一旦こう手から外してあの両手を使った場合の賛になってきますね。 はい。 こちらの方、あの、衣装は、ま、揃いの衣装の赤い着物で揃えている感じです。 [拍手] こちらの国町南部林市は、ま、あの、明の頃からあの、ま、行われていたと伝えられていて、ま、対象、ま、昭和と途中断しながらもこう復興を遂げて、ま、現在昭和 [拍手] [笑い] [拍手] 41 年から継続して行われているところですね。 はい。平成19 年にはさもなっております。 こちらの冠りの横にあのそれぞれ思い思いのあれですね。花カ差しをつけているのがこう横から見て取れますね。うん。 ま、その関係もあってあの東の非常にあの美容街中美容室多いですよね。 あの、こう全国的には実は美容員の交産 [音楽] 件数が多い 2025 年なんですけども、はそんなこともなくいっぱいたくさんの美容院が 脈と受け継がれているのが またこういう芸能盛というのと関係あるんでしょうかと思う。 やっぱりそのうった普段からあの、ま、日本伝統の衣装をつけていると、ま、自分の例えばよ縮ったりとか、あの、人生の節めの中で着物を着てみたいっていうやっぱ気持ちが、ま、持っていくと思うんですね。そうなってくると当然、あの、今自分でなかなか着け難しいですから、ま、身近なあの、自分が普段お世話になってる美容師さんにもう頼んだりしてっていうのが、ま、自分たちのそれぞれの、ま、ライフサイクルの中で目いてるんじゃないかなと思っています。 た、 今日はちょっと昼のパレードはお休みをしますが、あ、今日お休みですかね。えっと、上町なんかはあの髪がなんで日本紙に言ってますね。 そう、そうなんです。 あの、神々町南部林は、あの、それぞれのその花と日本紙非常にこう大事にしてるので、やっぱりそれがこう、あの、雨でだとなんかこう、かぶったりしなければならなくなればそれを見せることが、ま、できないということで、ま、今日はあの、残念ながら、ま、こちらのパレードが出にならないで、ま、明日は頑張るという風におっしゃっております。 [拍手] もちろんそのね、準備をする美容師さんたちとかね、親さんたちも当日にはドタ場で出れないってなかなか難しい判断に なるのかと思ですね。 せっかく綺麗にこう作って教てあげたものをこに乗せたいそして子供たちとかも見てもらいたいっていう気持ちをやっぱり大事にしてましていきたいっていうことなると思いますね。 [拍手] だから今日今来部林の皆さんが全ての団体がもしかしたら出れないかもみたいな話があったんですけども、今日こうして、え、中町この後 1と3 段体この昼のパレード参加してもらえるてありがたいですね。大変だとは思いますけどもね。方々髪の他にもこのこうお化粧されていて、ま、そこやっぱりね、雨で大変かなって思います。 [音楽] [音楽] はい。 はい。 [拍手] 足 [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] なんでよ。 [音楽] [音楽] あ [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] よ。 いいよ。 [音楽] 先ほ [音楽] 4 [音楽] [音楽] さ、帰るから。南部林歩保会の皆さんに続きまして、北人林の皆さんも入ってきています。 [音楽] [音楽] [音楽] ご来場の皆様に列車の運行についてのお 知らせでございます。東駅初JRの列車な んですが、最終11日超駅の球となると いうことでございます。 J戦 18 時以降は残りの左のとなるということでございます。ご注意くださいませ。頑張ってお。 [音楽] これ以上 車内についておいたします。東内JR線 最終11時となっております。 11時午後時出発が最終の ご注意ください。来週共に共り17時午後 の 今JR東発 の列車は 列車 でございまし [音楽] はい [拍手] 。 [音楽] です。 ビして栄えた歴史 [音楽] を持つ人の南部林。それぞれの店が個性を 競い繁栄の証として小や孫に贅沢な着物を 集えました。そのため踊り子1人1人の 衣装が異なることが大きな特徴となってい ます。 でやかな踊り子 5 種類のし方み越など昔ながらの町屋の文化を喜く継承した人一部林でござい [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] 南部ヶ林 さあ、南部林結びの団体でもあり、え、昼の京都芸能パレード神々の集の結びでもあります。え、ナンブラシの皆さん入ってまいりました。 はい。 こちらあのね、勝、ま、東野の南部家の大殿様が映ってこられた後にこの太長に、ま、町屋敷をあの開いてそこからで、ま、内陸と海岸のあの、ま、商業の入通の中心として江戸時代は、ま、栄えていくんですけれども、ま、そでそれぞれでのお店の繁栄をですね、ま、表すかのようにこちらの 1町の1 の部林はそれぞれの踊り手の舞い手の着物 が色に異なるとが特徴になっています。 葉っぱがっぱ来ていても分かりますね。 そうですね。その下の方にこう色々な 色の着物を着てるなってのがあの木前でわかりますね。 はい。で、ちょっと先ほどあの中町でもあの言い忘れたんですけどもこう下は女の子の色取り取りの振り袖でありながら頭に木の絵っていう子をかぶっています。 これ本来はこの星はですね、成した男性が被るいか物なんです。 おお。 よくですね、あのエをやって、ま、男性が成した時に、ま、そのエを被せる人を、ま、仮の親になってもらって、ま、生涯付き合うっていう習がつてあったんですが、 で、まるかというと、うち断走してるんです。 なんですけども、男の子の、ま、この中に 見ることができる。 マジですか?ていうは、ま、 1 人はあのかつて平安時代寺代にはあの白師っていう風にこういった芸能を行う女性たちがその断層エを被ぶって断走してそれを舞を披露しているっていうことがあったりもしますし あともう1 つこのあの踊り手ま相手のこの舞子さんたちってのは実はチご列の意味合いもあってその期待の間に 2 つの腰丸をこう描いてる化粧の仕方をするわけですね。 で、これはあの、ま、宮りをしたり、そのこうに参加する要するに神様の子供であるっていうショットとしてこういったの丸いこう期待に、ま、眉のものを書く習ってのが、ま、日本古来あるなので子供のうちっていうのは男の子か女の子かよくわからないような状態であるっていうのも、あ、は、 1つ意味があると思います。 なんかそれって何でしょう?悪いものから守るとか寄せつけないとかそういうこともあるんでしょうかね。あのやっぱりその子供を病気とかまから守るためにあまり団長をりさせないで育てる風習ってのが各あったという風に聞いていますので、 [音楽] ま、こういったな、こう芸能の中にも男性である女性っていうような様子が入ま、残ってるんだなと思います。 あの、獅踊り同様本当あの、今 3 段体目の南部さんですけど衣装とか頭の感じとか手に持つ枝であったりとかそこでそこで分かりますね。見分けが。 そうですね。 やっぱりこの祭りのあの芸能や相族っていうのは日常じゃない自分になれるなあの瞬間に神様になったり獣になったりするような瞬間なんですなのでそれを持っていることてのが大事なんだろうなございますのさを引き込む際にを聞こにたれがござい [音楽] 先ほどごした通りと違って力強い動作で 表現する様子をお楽しみにいただきながら 動画をご覧ください [音楽] 。 [音楽] あ [音楽] ああ [音楽] [音楽] 。 [音楽] お [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] いよ。 [音楽] [音楽] ご縁ありがとうございます。一部林で ございます。 コの中たくさんの皆様ご援当にありがとうございます。 [音楽] 一市南部林は内陸と映画を結ぶ公の拠点として栄えた歴史を持つ一の南部林はそれぞれの店が個性をい遠の証として小山守り贅沢な着物をらえました。 [音楽] そのため踊り子1人1人の衣装が異なる ことが大きな特徴となっております。優雅 でやかな踊り子 の生しさ、豪華な汁など昔ながらの町屋の 文化を喜唱しております。 初めにご覧いただきますのは通りと言い まして秋のお祭りに8番神社のお見越しに 従って町内を寝り歩き6日町の新命神社 までお送りする時の踊りでございます。 ご国法則 を祝い神に感謝をするという気持ちを込め た前でございます。みんな迷惑 小さな子供から成人まで踊り子し方世話役創税百名今年も県外から踊り子に参加していただいておりますの気温林を参考にのらしさ町方らしさを加えた優雅でみな舞をどうぞご覧くださいませ [音楽] [音楽] 日本の里東の祭 南の秋に感謝するものでございます。 雨の中ではございますが、この後も共同の芸能共演会、神楽共演会などお楽しみいただければと思います。 皆様にお知らせがございます。 神楽共演会でございますが、16時30分 より市役所本調者の中にございます ステージで行われます。神楽共演会は16 時30分から予定通り行われますが、 市役所本調者の中にございますステージで 行われますので、是非そちらにもお越し くださいませ。 [音楽] さあ、令7年度日本の古藤東の末祭 20 日の集都ゲのパレード。え、ただいま結びを迎えた攻です。 さあ、マイターさんいかがでしたか。 はい、あの、番組の冒頭であのお話しましたけども、ま、今回の祭りのに、ま、一言で表すとこうやっぱ息かなという、ま、やっぱりこの悪いね、悪天校の中でも、ま、工夫してこのパレードに出場されてる団体さんのまず心行きを感じますし、ま、その姿とてもこう生きとして、ま、生な姿をたくさん見ることができました。 [笑い] で、やっぱりその東で、ま、暮らす、 生きるっていうことはこういった時間が あるからこそ、ま、で暮らしててよかった なっていう風に思えるなっていう風に 改めて実感した次第です。ま、非常にこう 、やっぱり私たちもこうね、この放送に 参加させていただいて、ま、東の祭りに 一緒にこう同じ場所に生きてるっていうな 、行の時間を感じてるっていう風に今年も あの感じられましたので本当にあの大変だ な、ま、見てる方も大変だと思います けれどもすごいこう見てるとですね、 みんなこう笑顔 が見えたりするんですね。こういった時間 一緒に過ごさせていただいて本当に良かっ たなと思っています。 本とあのまた私はちょっと生きるということも感じまして、え、この悪天の中ではありますけども自然と共に、え、そしてこの冷たい雨の中ではありますが、え、恵みを感じ、命を感じて前踊るという、ま、生きていくという なんか生命の パワーと言いますかね。そういったものも感じました。 をいっぱい結構うね、燃やしてきてるっていうのを実感したようなパレードだったと思います。 さあ、そしてここでお知らせなんですが、今ですね、東のファンクラブ会員募集中でありまして、え、無料です。え、入会金もなし、年会費もなしで、え、無料で、え、インターネットからスマホから登録できます。 この中で今回のこの祭り、今年の祭りの アンケートを、え、取っているということ でありますので、是非党のファンクラブ、 え、会員になっていただきました。あの、 党が大好き、党の応援したい、もっと党を 楽しみたいという方々誰でも入れますので 、是非お入りいただいてアンケートにもお 答えいただけたら嬉しいなと思っており ました。 さあ、ということで、え、ま、息を感じた今年の祭りということになりましたが、もう来年の日程がそうですね、もう来年決まっているそうですが、 来年は2026年令8年9月19 日土曜日、そして9月20 日曜日開催というもう早々に そうですね、もうあの5 連休になるんですね、来年のカレンダーと なので、ま、あの、ま、宿泊施設非常にこういっぱ になりそうですので、もしあのね、市街 から参加されるお友達がいるるっていう方 はもう早めに来年来ると決めていただいて 、もう即あの学施設施設に電話して いただきたいと思います。はい。あの、ま 、来年のこの祭りも気が早いですけども、 また来年に向けて一緒にね、頑張っていき たいと思います。はい。はい。 で、今日冒頭で触れました東市芸能協議 2 会も様々とこの東野の強度芸能をついでいくために頑張っておりまして、え、来年もまた全野菜もやろうかなんていうお話もありましたので、是非全ながら楽しんでいただけると嬉しいなと思っております。 さ、来年の話をすると鬼が笑いますけども、ま、来年と言いますかね、東の強度芸の今年のお祭りを経て前川さんがこう願うことって何かありますか?あ あ、そうですね。 あの、こう、ま、変わらずに続けることっていうのが、ま、あの、ま、ま、私も仕事柄、あの、そういしたいんですけど、でもあの、ま、その中で中の人っていうのは、ま、今日今回も入れ替わったり加わっていったりしているところもあるので、是非、あの、見ている方々もあの参加してみたい、手伝ってみたいという方はあの、ま、あの身近な団体さんであったりあるいはインターネットでホーム [音楽] SS団の気になったとはチェックしていて是非来年は一緒にあのまりを楽しんだり参加してみたいなと思います。 それはお時間となりました。ここまでは令和 7年度日本の佐藤の祭り 20 日ぶ神々の集都ゲのパレード解説をさせていただきました。進行は高橋 はい。解説は前川さ織でした。 ありがとうございました。 ありがとうございました。 じゃあ あれじゃ仲間はすご で、 あ

日本のふるさと遠野まつり2025 郷土芸能パレード

2 Comments

  1. 去年も雨だった記憶がありますが、なんとか開催できてよかったですね。
    これからも素晴らしい岩手、遠野であり続けてください

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