葛尾村再創造 一般社団法人葛力創造舎

[音楽] 福島県桂ラ村く 産形のほぼ中央に位置し、村の8割が森林 という緑豊かな光原の村です。 桂村は2011年に起きた原発事故で強制 避難指示による前避難が行われました。 震災前1500人以上いた人口は現在 300人弱に減少しています。 今後人口像が望めない中でどのように村を 維持していくのか。 その課題に震災当時から向き合ってきたが あります。 行きます。 こっち向いていきます。 [音楽] です。 5 月に開催された恒例のカをオタ上祭。 [音楽] 一般社団法人活力創造者が企画したイベントです。 [音楽] 東京や神奈川など損外からおよそ 50人が駆けつけました。 楽しいです。1年ぶりで はい。1年ぶり 学生の子が増えてこんな感じで 去年より20人ぐらい多いのか学生の子は 上なんて人生で経験できるのはなかなかないかなと思ってなんか 1個ずつ1個ずつ植えてくうちにその 9 月頃になったら美味しいお米になるっていう実感が湧いてきてすごく楽しみになりました。 オタ祭を企画した活力想創造者の下田ひ典さん。 損害の人と繋がることで新しい村作りに取り組んでいます。 [音楽] いかに移住してもらうかっていうのが目的なんだけど、やっぱそれハードルが高すぎて繋がりの中に、え、故里を感じる、自分を感じるってのがあるんで、だから村の形を最定義しているので、 [音楽] 下田さんは原発事故で途村の祭りも損害の人と共に復活させます。 交際踊りっていうのあんだけど交際踊りになっても復活させたんだね。 やっぱりこの年配の人とか懐かしいもんだ ね。やっぱりそういうのうん。うち やっぱり地元の をもう1度見つめ直すっていうの。そう いうとこに行くのかなっても思うね。 300人の村でも幸せに暮らしていける 方法はある。 村民ゼロの状態から故郷の再生に挑んだ 下田さんの取り組みを紹介します。 活力創造者の拠点には一風変わった民宿が 併設されています。 桂村での生活拠点として下田さんが自ら 手掛けた民宿です。 宿泊費はかかりますが、つでも実家同様に帰ってきて欲しいと 1年中鍵はかけていません。 [音楽] この日は6 人の学生が実家に宿泊していました。 ここに来れば誰かしらなんか思いを持った人に会えるっていうのが僕はすごい思っててやっぱそのなんか街づりに携わってたりとかなんか大学で都市の研究をしてたりとかなんかすごい自分の考えてることとやっぱ近しいことを思ってる人がこの村には集まってくれてるかなって思ってそういう意見を交換すればとしても僕は [音楽] に興味があるのでよく越させていただいてます。 [音楽] その村の外の人たちがこうなんだろ村のこう表面的じゃなくてもうちこなんか中で入ってこう関われるようななんかそういう機会を作ってくれてるのが本当にありがたいなっていうのも感じています。 [音楽] 下田さんは1985年生まれの40 歳。大学で自盤工学を学び、海外で移策を行う企業に就職した後、震災の年にタンしました。 [音楽] 元々その、えっと、桂村地元に帰って 地域作りに書かれたいなと思っていて、で 、転職先ももう決めて、で、いよいよ やめるぞっていうとこで自称出した時に 震災が起きたって感じですね。震災が、ま 、ただから正しくは震災が起きた からっていうよりはタイミングがたまたま 重なったって感じ。 桂村は事故のあった原発から30km圏内 にあり、村のほぼ全域で除染が行われ、 全民は避難しました。村がする中、下枝田 さんは近隣の地区で任意団体を設立。 ボランティアや公演被災一ツアーを勢力的 に行います。 2013年に法人化すると学生の協力を得 ながら損害以外で暮らす村民へヒアリング を開始。 ここで村とは何かを考える景を得ます。 行政的に地域とは何かっていうと限られたエリアがあってそこに何人住んでいるかっていう名簿で管理するって話でも実際村の人たちに言うと村例えば村はどこですかって聞くとここも村だしあそこも村だしみたいな感じ複数の村がある場合が結構多かった。 例えば避難者の方もそういうのもあって、元の故郷は二葉軍のこの場所ですけど、今のここの抑えなってるところも村ですよねとか、もうちょっと農村のその村とは何かっていうところの概念とのところを含ぼっていった。 村民の定義を拡張し、関係人口を含めてらう村を再想像する。そのための基盤として民宿を整備し、村と人がつがる様々な企画を展開しました。 [音楽] 復興ツアーっていうのがあの県の観光交流 局の主催のやつでそれで最初参加してで下 さんとまができてでその後田上と毎年参加 してるっていう下田さんがよく言ってる その記憶を継承してくっていうことは祭り とかこういう田上とかそういうのもそう ですけど それを継承してく 人が関係人口なんだと思うと。 この村が村であるためには、ま、村のその文化をどう繋いでいくか。 [音楽] 仮に全く文化がなくなっちゃったらもう 同じ場所であってもそれは全然違う カラオ村になってしまうから、ま、 カラオ村がカラ村であるためにこの文化 っていうのをちゃんと残していく、ま、 変化していくとは思うんですけど、ま、 ちゃんとこれまで鉄の上がってきた文化 っていうのをいかにこう保存して更新して いくかっていうところが今興味あるところ ですね。 17 年からはオ上祭で収穫した米で自酒の企画と販売を開始。桂村に新たな特産品が生まれました。 [音楽] 身近なところから泥臭く始める。 そう語る下田さんの活動は着実に村の姿を変えています。 何人かずつ移住したりとかしてくれる子もいるみたいでなんかあ、やっぱコツコツやってきてよかったのかなと思いますね。 [音楽] 本当の注意され一歩ですけど、少しずつは前で進んでるんだと思います。 ま、その元々やっぱり人がいなくなった ところをどうやって戻していくのか、まず は元に戻すっていうところが結構その 多かったというか中で、え、さらにその先 を見据えた、あ、取り組みをこう考えて いらっしゃったっていうところが、ま、 かなり面白そうだなっていう風に思っ たっていうところですね。それはあらゆる ものに色々挑戦したいって思いが今もあの 自分とこの学生活に連れてきてるような フィールド枠やったりとか若者が来てその 辺荒ってるだけでも本当に活気があるなっ ていうな感じしますんで いやこの村に若い学生が歩ってるなんて いうの本当にねあっ て感じだよね本当に 活力想像者は居住人口が0人になった状況 から関係人口を通じて新しい村づりに尽力 し地域の活性化に貢献していることが評価 され、令和6年度故郷作り大象団体表彰を 受賞しました。 [音楽] やっぱりなんかこういうことしてると村に 愛着がありますよねなんて言われるんです が正直好きではないんですよね。 好きか嫌いかってよりは割と家族に近い うん。親父や母親嫌いなとこもあるけどで も家族だから仕方ないなみたいなのに近い 感覚はあるかなと思ってます。で、自分の 中で何が変わったかって言うと、だから その村自体は結構変わってないと思うけど 、それに対して自分自身が昔はなんかただ 単に文句ばっか言っていた気がするし、で も今は自分でできることも増えたので、 文句言っても仕方ないから自分でやること やろうって感じのその自分のスタンスは 変わったかなって気はします。 ます。

2011年の原発事故により、一時居住人口0人となった福島県葛尾村において、関係・活動人口により成り立つ新しいムラづくりのかたちを生み出しました。村内に居住する215世帯にヒアリング調査を行い、その結果をもとに、新しい関係人口のムラづくりのビジョンと戦略を策定。魅力の可視化、地域と関わる機会づくりと、発信を推進しています。

★ふるさとづくり大賞(総務省HP)
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/hyousyou.html

★葛力創造舎

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★葛尾村
https://www.katsurao.org/

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