実現した理想都市【坂出人口土地】
こんにちは。本日は香川県堺出市にある 近元大建築ファン憧れの建物を紹介します 。堺出人口土地です。 このいかにも堅苦しい名前の建物は 1968年から1986年まで4期に渡っ て作られました。 大た正斗さんの設計です。 大たさんは未来的な建築集団である メタボリズムのメンバーです。大高さんの 建物で印象に残っているのに広島の元町 高層アパートがあります。この団地は学生 時代に行った時は団地下の商店街が印象的 でした。また団地の屋上が繋がっており 屋上庭園になっているのも特徴です。また 以前の動画でも取り上げたニュータウンの 計画にも参加しました。 センター駅や南大沢駅の人口自盤作りは大 さんの意見が取り入れられ使用施設に車道 に妨げらずに行けるようになっています。 その後玉の仕事からは遠ざかりますが歩行 車優先の都市計画は玉全般に見られます。 しかし後半のキャリアでは逆に設置面積の 多い抵走の建物が多くなりました。特に 千葉県立美術館は展示室は全て1階で バリアフリーが行き届いた建物です。堺で 人口土地は住居部分は2回以上に持ち上げ られており、1階は駐車場、店舗、ホール になっています。 施設は老朽化していますが、駅前という 立地もあり、商店街の入居率はまずまず です。 首都圏と違い地方の商店街はチェーン点が 少ないです。 建物の外観はチャンネルで紹介した桜台 ビレッジなどと比べても非常に堅実で派手 さのない作りです。 大高さんの建物はどれも飾り気がないもの が多いですが、ここは特に一見平凡な作り をしています。本作は大たさんの代表作と いうだけでなくメタボリズム建築としても 代表作なのですが、この外観のせいで損し ている印象です。 最も全代未門のプロジェクトなので予算的 に厳しいものがあったのかもしれません。 この当たり黒かは気少さんの中銀セル タワービルを思わせるものがあります。 日本は真に前衛のものにはお金を払わない 国なのかもしれません。とはいえこれほど の未来建築がごく普通に町に馴染んでいる のはやはり面白いと思います。 このような人工自盤の計画は他にも多く ありました。同じメタボリズムのメンバー の黒川脇さんは農村都市計画という プロジェクトを発表しています。 これは田の上空に回廊を渡し家よく つけようというプランです。 また同じくメタボリズムメンバーの菊た清 さんは初期のスカイハウスから晩年の愛知 旧白まで生害人工自板にこだわり続けまし た。 大さんのアプロー地はこれらの建築作品と は違います。 建築単体では日本の現在都市の問題は解決 できないと考えその糸口として本建築を 捉えています。 銀行地という建築作品ではまずつけられ ない名前がついているのも建物ではなく 土地そのものを作るという発想からです。 この建物は1962年に構走され、第1期 工事の完成が1968年。 第4期工事で全てが完了したのが1986 年です。 18年もの年付きがかかっているのはこの 建物が法律上の問題をクリアするのが時間 がかかったせいです。 メタボリズムの建築形には車の発展により 歩行者が街を安心して歩けなくなるという 考えがありました。 この問題を解決するため空中に土地を作り そこを歩くことを考えました。 例えば1970年の大阪万博では巨大な 屋根の中に展示室がありました。 しかし実際に空中に庶民の家を作れたのは 堺出人口土地だけです。 要具合から分かるように堺出人口都地は 市営住宅です。香川県堺入出市は元々塩の 生産で有名でした。 戦後は遠業に変わって埋立て地に工場が 作られ、製造業が盛になりました。 また瀬戸大橋は四国側では堺出市にかかっ ています。そのため当時堺出市は将来的に は交通の容所にもなると考えられていまし た。 堺出市は太平洋戦争での米軍の空習を逃れ ており、そのことから帰ってスラム街が 温存されていました。 現在の堺出市の地図を見ると人口都地が 堺出駅の牧田に位置しているのがわかり ます。ここがまさにかつてのスラム街で町 の近代化のため人口土地が帰れました。 と言っても初めは単なる光栄住宅を立てる つもりで人口都地は当初の計画には入って いませんでした。 銀行都地は境出しから公栄住宅を依頼され た大阪さんの粘り強い交渉によって実現し ました。 最もこれほど努力して建設された人口土地 ですが、建築会からは正当に評価されたと は言いがいです。 現に人口のアイデアは他に波及せずここ だけにとまっています。 この当たり黒かさんの中銀カプセル タワービルを思わせます。 真似されなかったのはやはり法律の壁を 突破するのが大変だからでしょう。加えて 失素な作りがな建築業界で受けなかったと も考えられます。 大さんといえばプレキャストコンクリート の建物で有名です。 プレキャストコンクリートとは コンクリートをミキサー車で運んできて 建築現場で固めるのではなく工場で固めて きて現場で組み立てるコンクリートのこと です。 現場で打つコンクリートより高品質で均一 な出来上がりになる特徴があります。 大さんはこのプレキャストコンクリートを 使って印象的な建物を作るのが得意でした 。しかし人工土地ではコストの面も考え プレキャストは見送られました。 最もプレキャストがなくとも機能的な建物 に仕上がっており、大変魅力的な建物です 。 また人口土地には市民ホールが隣接します 。 この市民ホールも人口土地の一部ですが、 こちらだけ異様に綺麗です。市民ホールは 3年間の休間を経て2024年に リニューアルオープンしました。 そのため人工地とのギャップがすごいです 。 こちらはそのホールの裏手です。 ホールの斜めになっている屋根も上も住宅 になっています。 さすがにホールの上に家があるのはここ ぐらいで人工土地の外観のアクセントに なっています。 人工土地にホールが含まれているのはここ が町の中心になるようにとの思いからです 。それではいよいよ人工土地の上に上がっ てみます。 人口土地の上には1回から4回建てまでの 団地が合計32と立っています。形の バリエーションは豊富ですが、外観は いかにも公栄住宅というものが多いです。 ただ人工土地の上にも空中歩道が多数 かかっているのは特徴的です。 これは人工土地の上にも車が上がって これる作りになっているからだと思われ ます。 空中でも歩道と車道が分れているのが徹底 しているのは面白いです。 建物の造形も面白いのですが、大さんは 建物より外部空間のデザインにこだわった ようです。 そのため人工自板に命は玄関前に植きバ などが数多く置かれています。通路に面し て物星が固定されています。 東京で言うと江戸川区や住田区の下町で見 られそうな空間が展開しています。 未来的な建築でありながら下町ちの庶民の 生活がそのまま展開しているのは面白い です。 最も光栄住宅なので当然かもしれませんが 、 結構老朽化しているのも普通の公栄住宅と 同様です。 かなり予算に制約があったことが伺えます 。 ただその中でも日差しの形や模様を色など でバリエーションをつけようとしているの が分かります。 こちらでは団地では珍しいことに犬まで 買われています。こうなってくるとここが ますます団地ではなく路ジ浦に思えてき ます。 大さんの狙い通り住民もここを空中では なく下町の家として住みこなしているよう です。 むしろ住民以外がより入ってきにくいため 、下町より自由に暮らしている印象です。 団地と下町をいいとこ取りした住宅と 言えるかもしれません。 このような豊かな暮らしぶりを見るとなぜ このような住宅がスタンダードになら なかったのか考えてしまいます。 海外でモルコルビジェのユニ手ダビタ シオンなど商店街と積み重なった住宅が 立てられましたが主流にはなりませんでし た。一方日本では六本ギヒルズなど商店 付き住宅はセレブ化しています。 しかし高齢化が進んでこのような コンパクトシティは需要が非常に高まって います。 今後は住宅と生活インフラが近接している 昭和の住宅が再評価されそうです。家の外 に大量に物を置いている人が多くいるよう です。この辺りも大たさんが外部空間を 広く取ったおかげであるともにあまり外部 の人が入ってこないせいでしょう。 正面に見えているのがホールの屋根の上に 作られた斜面住宅です。 斜面住宅は土地の安さと増の簡単さのため に作られるものです。しかしここでは空間 のアクセントとして使われているようです 。その脇にあるのは集会書のようです。 正面は車で上がってこれるスロープになっ ています。 人工土地というアイデアも去ることながら その上に立つここの建物も団地の未みたい で楽しいです。 今回の動画は以上です。ふくちゃん大活躍 のチャンネルではこれからも楽しい動画を 作成していきます。 よかったらチャンネル登録、高評価を よろしくお願いします。 またコメントもいただけましたら励みに なります。 最後までご視聴いただきありがとうござい ました。 [音楽]
香川県坂出市の坂出人工土地に行ってきました。
建築家の大高正人さんの設計した空中の人工地盤の上に多様な団地の建つ建物です。
大高さんは本建築で現代の都市生活のあるべき姿を追求しました。