中津祇園 【 下祇園 】 令和7年 (2025) 堀川町 踊車 7月24日 二葉舞踊団 初代 二葉歌子座長の名曲を受け継いで、令和7年度の町内回り開幕
大分県中津市 闇無濱神社(下祇園)三番車 堀川町踊車
大分県指定無形民俗文化財「中津祇園」
令和7年7月24日(木)町内回り
堀川町踊車、町内回り奉納1箇所目、弁財天宮前での様子です。
初代、二葉歌子座長の名曲を二葉瑞季が奉納し、令和7年度の町内回りが開幕しました。
◎遣り取り集 Vol.1 (船町上の辻)はこちら
◎遣り取り集 Vol.2 (古魚町中の辻)はこちら
◎遣り取り集 Vol.3 (2022)はこちら
++++++++ 豊前国に分布する芸能舞台付きの「だんじり」++++++++
・舞台の上で芸能を披露する
・大人数で曳き回す
かつて、この2つの特性を持った「だんじり」が江戸期の大坂三郷で多数見られたといいます。
しかし、このような「だんじり」は、いつしか近畿圏の祭から徐々に姿を消し、曳行と彫物に特化した「だんじり」へと変化していきました。
一方で、御神輿と作り物の車が中心だった中津祇園(大分県中津市)では、1683年、栄華を好む中津藩主が大坂に祇園車を注文して、中津城下の代表であった豊後町に与え、後に各町が舞台付きの踊車を出すようになりました。
それが現在の中津祇園の基礎となった他、豊前地域一帯の曳車の出る各祭にも影響を及ぼしました。
豊前国における祇園車(踊車)は、江戸期の大坂型地車(だんじり)今に伝える、貴重な曳車と表現してもよいかもしれません。
参考:森田玲「日本だんじり文化論」(創元社)
++++++++++++ 「遣り取り」(やりどり)とは ++++++++++++++
下祇園の御神幸の見せ所である、令和4年(2022)の祇園車「遣り取り」(やりどり)シーンを集めました。
「遣り取り」(やりどり)とは、祇園車が高速のまま交差点に進入し、一気に進路を変えることを言います。
祇園車には自動車のようなハンドルが付いていないので、重さが数トンもある祇園車の進路を効率的に変えるために様々な工夫がなされています。
その一つが舵取りの合図です。
下祇園では、舵取りに操船の言葉を使います。
面舵(右に曲がる)、取舵(左に曲がる)、良候(ヨーソロー、舵取りの必要なし)の言葉を使い、瞬時に舵が取れるようにしています。
中津の祇園車は、江戸期の大坂三郷のだんじりの影響を受けているとされており、だんじりのルーツである川御座船の残響が、九州の曳車に見い出されることは大変興味深い事例とされています。
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