創業の古い旅館
三朝温泉はラジウムやラドンを含む放射能泉として世界的に有名な温泉で、昔からの湯治場であり、温泉療養を実施する医療機関が複数ある鳥取県の有名温泉地である。
三徳川の両岸に旅館が立ち並び、温泉街は三徳橋の周辺に広がる。古くからの温泉街は三徳側の左岸、温泉本通りに展開し、比較的小さい温泉旅館や飲食店・スナック・土産物屋・射的場が並ぶチョットした歓楽街で、木屋旅館はそんな温泉本通りに面し、三徳川との間を占めている創業明治元年の老舗旅館。
「木屋」は当地の庄屋を勤めていた時の屋号をそのまま使用されているもの。
旅館に着いて部屋に案内して頂いたのは8代目という大女将。三徳川が見渡せる二階の部屋だった。館内を案内してほしいと頼むと快く引き受けてくれた。明治期・大正期・昭和初期の建物が複雑に建ち、表から見ると2階までしか見えないが、3階建ての建物もあり、複雑に回遊できるまるで迷路のように廊下で繋がっていた。二度や三度通った程度では到底理解できない構造。結局最後まで理解できないままでチェックアウトとなった。
旅館正面からみて右端に手摺を付けた三階建ての建物がある。外観が他の建物と違うがと大女将に問うと、昭和初期に建てられた佐伯旅館の三階建ての建物を、戦前に買い取って、内部で繋いだものだとのこと。複雑な構造をもつ訳だ。これらの建物群がすべて国の登録有形文化財に指定されている貴重な旅館と言うことになる。因みに私が泊ったのは「栃」の間、夕食後ロビーで9代目の若主人と話していると、この栃の間は作詞家 野口雨情が滞在していた部屋ということが判った。格式ある部屋に泊めてもらったと感謝の言葉を!!。
館内は伝統ある旅館に相応しい様式の意匠や装飾が各所に見られ、綺麗に整備され清掃も行き届いていて、気持ちよく過ごせた。
泊った栃の間は2方に雪見障子が備わっていたが、ガラスの部分にスリガラス加工されているものと、透明なガラスの物とが混じっている。スリガラス加工の物は明治から大正にかけて造られたもので、像が歪んで見える古いガラスのままであって、全館各所にあるガラス窓もサッシュ窓以外は「ユラユラする歪みガラスが多く残っていた。
木屋旅館の温泉の一つに「楽泉の湯」がある。半地下のお風呂で、湯面は三徳川の水位と同じと言う。浴槽の底からじわじわと湧き出しているもので、当家の先人が掘り当てた自噴源泉によるかけ流しの温泉とのことだった。
賑わった旅館なのか、当日の宿泊者は10組が表に表示されていた。表示板が一杯だったので、それ以上の宿泊者がいたのかもしれない。
料理と温泉に力を入れた旅館に泊りながら、そのどちらもあまり関心がなく、建物ばかりに関心が行く変わった宿泊客を暖かく迎え入れてもらい有難うございました。
(2019.11.29宿泊)