首なし五百羅漢 群馬県藤岡市 2025/07#首なし五百羅漢#五百羅漢#七輿山古墳

首なし五百羅漢 36.261458, 139.040352
群馬県藤岡市に所在する七輿山古墳の中腹には、「首なし五百羅漢」と呼ばれる石仏群
が存在する。この異様ともいえる「首を失った羅漢像」は、訪れる者に強い印象を与え
ると同時に地域の歴史的・信仰的背景を読み解くうえで重要な手がかりとなる。

1.五百羅漢とは
五百羅漢とは、仏教における聖者(阿羅漢)たちの群像を指す。彼らは釈迦の教えを深
く体現し、悟りを開いた存在であるとされ、多くの寺院では羅漢像が信仰対象として祀
られてきた。日本においては、江戸時代を中心に五百体の羅漢像を一堂に並べた「五百
羅漢堂」が各地に建立された。

2.首なし五百羅漢の概要
藤岡市七輿山古墳中腹のこの石仏群は、数百体に及ぶ羅漢像から成るが、その多くが頭
部を失っている。「首なし五百羅漢」という異名もこれに由来する。これらの像は18世
紀後半から19世紀初頭にかけて造立されたと推定されており、かつては七輿神社参道沿
いに整然と配置されていたと伝わる。

3.首部損壊の要因について
羅漢像の首が欠損している理由に関していくつかの説が存在する。以下は代表的な説。

a. 廃仏毀釈による破壊
明治初期の神仏分離令に端を発する廃仏毀釈運動では、全国各地で仏像・仏具の破壊が
行われた。首なし五百羅漢もその影響を受けた可能性が高いとされる。特に神道色の強
い七輿神社との関係から、仏教色を排除する過程で意図的に首部を破壊されたとする説
が有力である。

b. 戦後の略奪・心霊信仰に伴う破壊
一部の羅漢像は戦後に頭部が持ち去られたとも伝えられている。心霊的な力を信じ、頭
部を「お守り」として持ち去る者がいたという逸話もあり、民間信仰や都市伝説の影響
があった可能性も考えられる。

c. 風化・自然劣化による損傷
石材の風化や長年の雨風の影響によって、頭部から損傷した像もある。特に砂岩系の素
材は劣化しやすく、自然要因による破損と人的破壊が混在している可能性が高い。

4.、羅漢像の造立意義と民衆信仰
五百羅漢は衆生救済の象徴であると同時に、江戸時代以降の民衆信仰の具現でもある。
庶民の間で病気平癒、先祖供養、あるいは極楽往生を願って寄進された像も多く、信仰
対象としての性格は強い。藤岡地域においても、これらの像は神仏習合的な信仰の中で
祀られていたことが推測される。

最後に、「首なし五百羅漢」は、単なる破壊された仏像群ではなく、明治期の宗教政策
と地域信仰の衝突、そしてその後の時代変化を映し出す歴史的遺構である。その姿は、
民衆の信仰と政治的圧力、そして時間の流れの中で変容していった日本の宗教文化の縮
図ともいえる。今後、保存と調査の両面から地域文化財としての価値を再評価し、伝承
を後世に伝えていくことが求められる。

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