日本一の急斜面都市 前編/天住 熱海 伊豆山海光町(静岡県)

あ、まさかの住宅地を歩く。今回はですね 、静岡県の熱海に来ております。なぜかの 住宅地なのに海から始まるんだよっていう 風に言われるかもしれませんけどね。見て ください。この辺りは斜面上に住宅地が かけ上がっているんです。 熱海の住宅地をじっくり歩いていきたいと 思います。 [音楽] er [音楽] viまさかの住宅中あ [音楽] 歴史ある温泉と熱海を訪れています。今回 は急面上に形成された熱海の住宅の中から 伊豆と開町を歩きます。え、この場所は ですね、熱海の東の方にありますという 場所です。で、ここは産の行。 えっと、赤い橋があったりなんかします けどね。これは有料道路です。熱海ビーチ ラインという有料道路。ま、国道135号 線のバイパスですね。135号線はもう 少し斜面の中複を走っています。 こちらの方向が湯河原、大田原方面ですね 。東の方向いてます。え、斜面場見て くださいよ。 大きな旅館であるとかホテルだとか リゾートマンションがと立ち並んでおり ます。ここなんかすごいでしょう。水曜艇 っていうのかな?ま、古いホテルですね。 崖の上にこうハングするように立ってます 。ま、こんな建物は熱海は、ま、 当たり前っていうかですね。そんな感じな んですが。 そしてここからこっちはい。これをずっと 登っていくとですね、泉神社というのが あります。え、ここに向かう三道が、え、 なんと工程差は165 。そこをこれから歩いて登っていきます。 うわあ。 うわ、そり立ってる。 お風呂場かな、あるいはレストランかな。 お風呂場っぽいね。 はい。開罰が6m。避難場所はこっから 登ってってくださいということなんですが ね。伊豆さ神社の三道はこっから165m ですよ。厳しいですけど頑張ります。 面白いものがあります。え、大量油って 書いてある。 ここは温泉なんだろうな。 温泉の移行。 うん。 どうなんでしょうね。あ、でもここ胃舟だ ね。 うん。 ま、こう漁業で働く方ねと汗を流そうって んで ここに入ることはできるんでしょうな。 橋流橋。うん。古い橋があります。勘の ところはね、親柱は石でできてる。 どうでしょうね?これ茶色い赤茶色い石だ から小松石ですよね。伊豆石。伊豆石です ね。えっと、昭和かな? 昭和12年書いてあるかな? 早速ね、屋前に絶壁が立ち上がっており ますけれども、ここを登ってきますよ。 右側がですね、江戸時代の伊豆神社の三道 。え、ここ に海岸線でやっぱり絶壁になってますよね 。こっから登っていくと、え、ちょっと こうぐじぐっていってですね。こっから まっすぐ一直線に山道があ、登っていって ます。で、この途中にね、祝望街があり ます。祝保街でちょっと行くと鳥があって 経るって感じですかね。で、月に伊豆源が あるということですね。この辺が、ま、 現在どうなってるか。こっちが現在の地図 になりますがね。ま、3の位置、ま、江戸 時代も今も変わらないということでしょう 。今日は30年頃の三道の写真だそうです 。見ていただくと石がね、え、あの、段の ところに積んであることが分かりますが、 ま、現在はこういう風にコンクリートの 階段になってるようです。え、これ ちょうどね、階段の段数が書いてんだけど 、伊さ浜という海岸線から16段登ると 走り友人 ね。その次が指導が173段道135号線 渡るところが220段。結構登ったなと 思ってます。そっから先が大変です。え、 鳥前までが657段。そして1番上本殿前 が837段となってます。こういうね、 橋流というのがありましてね、珍しい横穴 式の厳選らしいです。こんなね、トンネル みたいになっていて、こっから入っていく と厳線が湧いているということですね。 それでは早速16弾を登ります。 あ、これがあれか。走り神社か。神社の下 に橋流があるんだな。 か龍 跡。おお。ほほ。うわ、すげえ。 これさ、ちょっと窒速しちゃうんじゃない の?これ 走りって書いて。本施設は見学のみの施設 です。もうこれちょっとすごい小音だから 無理ですよと。 おか。うわあ。ボカっと熱い。うわ、これ 曇っちゃうよ。 今眼鏡曇ってます。暑い。 うえ。 熱い。熱い。ああ、これだ。うわ、すげえ 。 おお、すげえぞ。 ああ、 これをずっと引いてるんだな。 うわあ、だめだ。これ眼ガネが曇っちゃっ た。 これが走神社と ちょうど今の走湯の上にありますね。 伊豆浜休憩車市崩壊県って今当然ですね。 この絶壁 絶壁があるんでここは垂直には登れないん で横を巻いてます。 このホテルはもう営業してませんな。 ま、海岸線の絶壁を巻いて登ってきました 。そしたらですね、見てください。こっ から一直線の階段が始まってます。この たくさんある配管はなんだ? これさ、古い配管をもう撤去しないで どんどん新しいのを設したんじゃないかな 。 ああ、そうだ、これ。旅館のうん。 お風呂場に繋がってんのかな。 はい。 快楽園という旅館ですが。あ、もうこれ やってねえわ。 は、こんなやってませんね。 まあ、閉じてからもう随分立ってますと いう感じだな。 で、こっからまた一直線階段が伸びている 。おお、 これかい。 ええ、すげえ。すごそう。橋流温泉の 今でも営業されてる浴上なのかな。 は。 はい。走り温泉厳選駆け流し浴上 組合員は大人150円。準組合員が 250円で一般が350円。 いい。 まだ開いてないか。 よいしょ。はい。広い道出ましたよ。 ここは国道135号線かな。 よし。で、こっから産神神社三道。 かなり急ですよ。 え、30°ぐらいありそうだ。 三道の脇なんですけどね、ここに古い石段 が残ってます。こういうのがずっとあった んでしょうね。 ま、多分この階段の下にあるんだろうね。 そんな気がしますけどね。 どうでしょう?石を取ってんのかな? うん。ね、これね、はい、 関東大震災の、ま、入れ費なのかな。大正 12年9月1日関東大震災の激震進は当地 にも及び川くは東海人々は逃げ惑い混乱を 極めましたと。うん。ま、そん時に 、え、民警警察文書の相バさんという巡査 が避難の誘導救助活動を本送し、多くの命 を救った2度目の教心で東壊した鳥が救助 中の巡査を襲いうん、壮絶な純職を遂げた と。去年37歳だって。 ああ、 この人のおかげでね、命を助かった方が 大勢いらっしゃったということです。え、 そこが135号線。うん。ホテル水艇の高 さまで来ましたから。 で、こっからが祝望街ですね。かつては 祝望街。ま、今ないと思いますが、 ま、関東大震災で基本的には東海してます ので、古い建物とかが残ってるとすれば それ以降震災復興機、震災復興機のもの のってことになりますがどうでしょうかね 。 うん。 ま、祝望ではないんでしょうがもそういう ね、別荘みたいな感じで立ってますよ。 ここは123ミュージックってなんか企業 が持たれてんのかな。 ま、本当ね、いいとこですからね。 あ、これ三道があって石垣があってこう 宅地作られてますと。これ宅地の段差とこ ですね。これ裏口。こんな感じでね、 ちょっと下がってます。うん。 でね、ここ桜の道なんですよ。 桜の牢木ですよね。これ綺麗なんだろうね 。 来た、来た。 新幹線見えます。 石垣がずっと詰まれてんですけど、 ちょっと赤チですよね、色がね。こういう の。 うん。小松石っていうね。伊豆石、ま、別 に小松石だけじゃなくてもいくらでも石は 取れるんで、ま、地元の石だとは思います けども、やっぱり安算というちょっと 柔らかい石ですね。 江戸城の石垣なんかにも疲れております。 おお、味が綺麗だ。 [音楽] [音楽] はい。 うん。 ああ、いい感じ。 おほ。こちらのタはもうちくりになっ ちゃってますね。 あ、これは住んでないな。 郵便配達走ってます。 どちらの家も監視カメラがあるから本当お 屋敷ですね。 おお。 これまた すごい石垣き。 うお。 はい。 ここにね、谷があるんですよ、向こうに。 で、この谷が数年前にあの土砂崩れ、土砂 が流れたとこですね。 やばい。だから谷沿ってのは怖いな。 この三道のところが谷沿いじゃないです。 お、ま、お道でしょうね。どっちかと言う とね。 うん。 ちょっとこうかつての祝望の時代のおかげ を残すような雰囲気がありますよ。 あ、この石垣はね、新しいですけどね。ま 、こういう石は古いものを使ってんのかも しれません。古い石もう1回積み直すとか ね。 はい。お、一旦平に出ました。うん。そっ から神社だな。経ガール 。 もうちょっとですね、今こっちからずっと 登ってきて、ま、この現在地という場所 です。こっから産山の神社の経に入るって 感じですか。 古い地図で見るとこういう感じでござい まして うん。走りのところからずっと祝防街が あって、ま、この場所から、え、鳥の下っ て神社の経に入るっていうような感じです ね。 はい。あ、ここに中道公民館というあり ます。ああ、 この字がいいね。 旧全房って書いてあります。に祝望があっ たんでしょうね。そしたらですね 、この 鳥の前から両側の街をね、歩いていますね 。 よく作ってるよね。 ここは柚さ土石流災害のあった地域です。 被災した私たちは静かな生活を望んでおり ます。興味本位での地域内への立ち入りや 写真党の撮影はご遠慮くださいって書いて あります ね。 そしたら 神社の方に参りましょう。 をまえで立ってますな。 [音楽] はい。本年前837弾 到達です。これが小泉教皇。 ああ、 お宮の町です。 これがお宮の初代お宮の松か。 これが初代お宮の松。 はい。ということでですね、え、伊豆の サンド歩いたんですけど、ちょっとね、 動画1本にまとめるにはインパクトが 薄かったんで、 熱海の、ま、中心市街地ですね。そこを 歩きます。続けて歩きます。 あんなとこに橋があったんだ。 いやあ、すごい崖ですね。 あの写真やからの旅客戦が戻ってきました。はい。これでこれだね。ここも建物が立ってたんだけど、このね、崖側の外壁、これが残されています。 ま、これ崩しちゃうと山が崩れてしまうと いうことでね、このここ解体できないです ね、建物が ねえ、この 崖 やばいっすよ。 フロント1階エレベーター行くんのか。 おお、 こうなってんだ。 うわあ、すごい。 いやあ、よく作ってますね。あ、 あの橋みたいになってるよ ね。 6階建て、7階建ての最上会屋上に ちょうど後ろ側の崖上の道路が接してると いうことですよね。 ああ、 その隣のホテルも最上会が入り口。 北道135号線。 そして うん。海岸線には国際医療福祉大学の熱海 病院が立っている。 いや、斜面場のね、上の方が山の上の方 行くと面白いかなと思ったんだけど、 この海岸線の1発目の崖が面白いですね。 ね。 これあれかな?駅があるとこかな?も多分 この上は別装置じゃないですかね?古い別 装置。 あそこに階段があるじゃないですか。あの 階段がね、そのまますっと降りてきたと 思うんだけど、この国道135号線を克服 するためにそこでバサっと切ってるんです よ。これ高地形になってドンと崖になっ てるはず。それが元の地形だと思います。 ね、谷になってて、あそこに古い家があっ て、これも古い、ちょっと古い家でしょ。 で、ずっと登っていって、このね、裏側が ね、ヒが別定なんですよ。こっからずっと こう、 あの、別装置なんでしょうね。 はい。こっから降りていきましょうか。 これ多分下に降りてく道だと思う。 おお。 うお。 面白い。 の家はここまで来たんだ。その上に立っ てる。あるシー。 ここは集合住宅かな? これね。 うん。 お、道がある。 はい。はい。 崖中腹の道って感じ。 ああ、 そこで行き止まりだね。うわ、すげえ家だ 、この家。 あれ、すごい屋根の形してる。 うい。 崩れております。 失礼しますよ。 うわあ。 これはやばいでしょ。 この下ぐ崖だからな。 石畳になってるけど 家がないよ。 でっかい屋敷があったんでしょうね。 わあ、あれも古い和感ですよ。 熱海坂道マン。こっから階段海岸には出られませんと書いてあるけど、これ古い石畳。はあ。 佐の薬け大の熱海イだって。わあ、いいとこだね。ああ、いいじゃないですか。この屋敷町。古い走。おお。 はあ。 石垣きが高い。それだけ上の敷地が平らの とこでかいということですよ。 あ、ずっと石畳が巡ってるわ。これ襲る。 あ、出た。これだ。 特別。 久々に来ました。ここに。 これ車で来たらちょっと大変。 なんか車来た。 シ谷さんが来た。 おお、すげえ。 電気バイクですね。 ああ ね、残ってました。 屋根はスレートですね。 あ、綺麗な建物ですよ、これ。 そこにバルコニーがあって、 もうこれね、海岸沿いですよ。 こっちも同じ敷地かな?そうだね。 デザインが合わしてあるもんね。うわあ、 すげえ坂道。 へえ。 海だね。 海に出たい。持っても行けない。 こっから先は行けません。この下は有料 道路。 うん。 そして おあそこに初島が見えます。 ああ、美しいというか、なんというか、ま 、 関東大震災になったろな。昭和初期 でしょう。 ああ、 このうりがいいですな。 石畳のうり。 お行けるこえ ね、ここまで、ワン来てる。 はあ。 はい。で、この住宅地の中のこの建道なん ですがね、やはりこれが国道135号線で 遮げられておりますんで、 135号線各服のために うん。 1回こう迂快しないといけませんと。 うん。 よいしょ。 これは開光の あれだ。はい。バスケ。 分かりますよ。 これ古い道ですよ。 古い道だけど行けないな。 あそこね、ずっと繋がせたわけですよ。元 はね。 行けるでしょうか? 完全に配道とかおります。 行けそうですね。あ、だめかな。 あ、だめだ。 左手のお屋敷の裏口と右手のこっちはもう マンションなってたもんね。その避難通路 だ。入らないでって書いてある。 ちくしよう。 しょうがない。 [音楽] これ何?お、 これもすごいな。そこに郵便受けがある から どっかの家で終わるんだろうな。 すげえ崖だな、これ。 ああ、このマンションも崖にへりついてん だろうな。 川の高座点に戻ってきました。あ、まさか の住宅地歩く。熱海編。盛り上がってき ましたね。 このまま行くとね、え、かなり長編になっ てしまいますんで、え、全編をこの辺で 終わりにしたいと思います。来週後編 よろしくお願いします。

The steepest city in Japan Part 1 / Walk around the residential area near heaven, Atami Izusan and Kaikoucho(Shizuoka Prefecture)

熱海は江戸時代から温泉地として知られ、将軍家に湯を献上する「御汲湯」が行われていたが、別荘地としての発展は明治時代以降である。1889年の東海道本線開通により東京からの交通が便利になると、都市の富裕層が熱海を保養地として訪れるようになり、海岸沿いや山手に個人別荘が建てられ始めた。大正から昭和初期にかけては、渋沢栄一(双柿舎)や東郷平八郎らが別荘を構え、政財界の交流拠点としての側面も強まった。
戦後は団体旅行の普及により熱海は大衆観光地化し、別荘地としての色は一時薄れる。しかし1980年代のバブル期にはリゾートマンションが急増し、再び別荘需要が高まった。バブル崩壊後は空き家の増加など課題が顕在化したが、近年ではリノベーションによる別荘再生やテレワークを見越した二拠点居住の場として再評価が進む。こうして熱海は、時代に応じて姿を変えながら、今も別荘地としての魅力を保ち続けている。

集落町並みWalker
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/hyoshi/index.htm
Database 熱海
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/shizuoka_data/atami_chuo/atami_chuo.html

10 Comments

  1. A lot of steps up to that beautiful shrine at 20:06 & what is that concrete structure covered in greenery at 21:54? This is a really nice town!

  2. この海光町の急坂、レンタカーのマーチでローギアに入れても登れませんでした。

  3. 久しぶりに集落街並みを見に帰ってきました。
    お元気に歩き回っておられますね!
    水葉亭・・・40年ほど前に泊まったことありますけど。まだあるんですね・・・おなじ経営なのでしょうか?

  4. いつもありがとうございます。だいたい生きてる住宅街はやっぱり面白いですね。そそり立つ凄い崖にため息ですよ。後半も愉しみ。お疲れ様でした。

  5. 伊豆もお元気ですね先生 海から始まる天界 も たまさか  しかしこの立地だと新築も大変でしょうが 解体も大変ですね 今回は別荘購入の下見ですか?

  6. 熱海出身です!小学生の時は
    温泉宿の間の細い階段を通って登校していました。
    このような風景を見ると当時を思い出します。

  7. 屋根に隕石でも落ちたよーな大穴がある建物、ホテル伊豆山辺り? 湯河原方面に車で行くと見えたキガ駿河あれは一体ウコゴ

  8. 65型4Kテレビで見ました。自分の目で見てるような臨場感を得られる素晴らしい映像です。聞いて心地よい声の質、語りと話し方が穏やかで引き込まれました。熱海の素晴らしさを再発見でき、猛暑が去った頃に、熱海に行くことを決めました。ch登録と高評価をポチ。後編をお待ちしています。 あっ!5000 回視聴 を獲得しました。

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