【日本地理】思わずゾッとする熊本県の怖すぎる地名10選【ゆっくり解説】

今日は熊本県皇の思わずぞっとする怖すぎる地名を紹介するぜ。 怖い地名って一体何なの? 日本には数えきれないほどの知名がある。その中には怖いイメージのある字を使った地名がある。 あ、青森県の恐れ山なんかがそうだわ。 そう、そんな感じの地名だ。また見た目は一見普通だけれども恐ろしい由来がある地名やその場所で恐ろしい事件や出来事があったという知名もある。 致名を見るとその恐怖の出来事をイメージしてしまうっていうやつね。あ あ。 その中には実はもちろん伝説も含まれているぜ。 うわあ、この企画かなり面白そうだわ。 他にも怖いというよりも不思議な雰囲気を醸し出している地名もある。今回はそんな地名を 10個用意してみたぜ。 ワクワクしてきたわ。早く始めようよ。 心の準備はいいか?それじゃあゆっくりしていってね。 まずは有名どころから行ってみよう。ここで紹介するのは熊本式帰宅のタバル坂だ。 田バル坂は聞いたことがあるわ。 タバル坂は青南戦争における最大の激戦地として有名な場所であり、私跡にも指定されているようなところだ。 ねえ、青南戦争ってどんな戦いだったの?あまり歴史は詳しくなくて。 青南戦争は1877年1月から9 月にかけて起きた戦争だ。熊本県を中心とする主に九州南部で最合高森を名主にしておきたによる武力氾濫だ。 明治初期に起きた一連の氾濫の中では最大規模のものであり、日本最後の内戦と呼ばれる戦いなんだ。 結果はどうなったの? 明治政府軍が近代兵器を用いて鎮圧し、種族の武力抵抗は終焉を迎えたんだ。ちなみに最後高森は自したぜ。 最後高森ってそんな最後を迎えていたのね。知らなかったわ。 田バ坂に話を戻そうか。田バ坂とは熊本市の北部、現在の帰宅上駅町一体を指すだ。 ここは熊本城の北法に位置していて大型の大砲が通れる唯一の道であり、政府軍はここを通る必要があった。 [音楽] ということは戦略とても重要な場所だったってことね。 政府軍は3月3 日にタバル坂方面の最軍に攻撃を開始し、攻撃が失敗に終わったことがあったものの 3月20日にはタバル坂を制圧したぜ。 2 週間あまりに渡る戦いだったのね。 激戦地ってことはかなり激しい戦いだったの? ああ、タバル坂では政府軍 6万人と最後軍3万人が戦い、犠牲者は 1万4000人にも登ったんだぜ。 たった2 週間あまりの戦いでそんなにも死者が出たんだ。 この2 週間あまりの戦いのうち半分は雨が降っており、振り止まない雨と戦いの犠牲者たちの血が混ざり、当たりは血の海とかしていたんだ。 うわ、想像するだけで恐ろしいわ。 現在のタバル坂は公園として整備されており、春になると花見客で賑わっている。お弁当を食べているその場所がわずか [音楽] 140 年前は地血の海だったと考えると背筋がゾっとしないか。 え、確かにそうだわ。 タバル坂はこのような場所なので日本有数の心霊スポットでもあるんだ。 具体的に何か起きていたりするの? タバル坂の戦いではわずか 19 歳の少年も戦っていたんだが、夜になると少年が馬に乗って追いかけてくるなんて噂があるぜ。 [音楽] 怖すぎるわ。 他にも兵体の足音がする。金属と金属がぶつかり合う音がする。何者かに足を掴まれるなど様々な噂があるぜ。 あれだけ多くの兵士がなくなったんだもんね。 何も犠牲になったのは兵士だけではないぜ。地元の人々も戦いの巻き添を食らって犠牲になっているんだ。もしかするとそんな人々も霊となって現れるかもしれないぜ。 タバル坂は興味本意で近づくような場所ではないわね。 [音楽] 続いては同じく熊本市帰宅の塚を紹介しよう。この場所は先ほどのタバル坂から 4.5kmほどしか離れていない場所だ。 ナって物よね。やっぱり青南戦争と何か関係があるのかしら?そうでなくとも刀って字が入るなんて物騒な致名だと思うわ。 ここで1つ質問だ。使って何か分かるか? 使って土が持ってあるような場所よね。 ああ、小さな山や丘古墳などを指す言葉だ。 ということはこの近くにも古墳があるのかな? それじゃあ地図を見ながら解明していこう。塚地区には感染道路である国道 3 号線が通っている。その道路にはナ達という交差点があるんだ。 あ、本当ね。でも近くに古墳なんて見当たらないわ。 よく見てみよう。ナ塚交差点から少し北に行って 1本入った場所にナつか古墳があるぜ。 確かにあるわ。 つまりこの名達つかという知名は古墳の名前から取られたと考えられる ということはこの古墳の名前の由来を解明すればいいのね。ところでナたってこんな字を書いたっけ? いやぜ。つまり当て字の可能性が高いということだ。 古墳と刀どういう関係なんだろ? 実はナつか古墳の名前の由来についてはっきりとしたことは分かっていないんだ。なのでここからの話はあくまで推測の話だぜ。 え、分かったわ。 このナつ塚つか古墳からは多数の刀や槍のようなものが出度しているんだというのも当時は悲装者の権力や武力を示すため刀を埋葬することがあったんだ。 あ、それは聞いたことがあるわ。 この古墳からは多くの刀が出度したということからつか古墳にはかなりの権力者が埋葬された可能性があるな。 どんな人が眠っているか気になるわね。 ただ高古学が発展していない大昔は住民には古墳という認識がほとんどなかったのかもしれない。 奈良の人は子供の頃から遊んでいた山は古墳だったって言ってたわ。 地元の人にとっては古墳なんてものは日常的な風景ってことだ。なのでこのナ塚つか古墳も昔はただの塚という捉え方であった可能性が高い。 なるほどなるほど。 そのから刀がたくさん出てくるのを見て子古大臣が刀を投げ捨てたところと考えなかと名付けられた可能性もあるぜ。 真実は分からなかったけどとても興味深い話だったわ。 もう1つ熊本市の地名を紹介しよう。 次はどんな知名かな? ここで紹介するのは黒髪だ。 うわ、めちゃくちゃ不気味な知名だわ。なんか髪の長い女の人にまつわる不気味なエピソードがあるんじゃない? おお、霊夢はなかなか想像力が豊かだな。黒髪の由来を解説する前にまずはここがどんな場所なのか説明させてくれ。 え、よろしくお願いするわ。 黒上は熊本中央区北部の地名であるが一部は帰宅にまたがっており、達田山という山の南世 6 に広がる町だ。町には熊本大学や熊本屈の進学校精成校高校があり、文教や学生街といった顔を持つ町でもあるんだぜ。 ここまでの話だと特に何の変哲もないごく普通の町よね。そろそろ知名の由来を教えてよ。 現在残っている黒髪の地名は 1921 年まで存在した黒村が由来なんだ。 そしてその村の名前は達田山のかつての名前である黒山が由来となっている。 なるほど。じゃあその黒山の由来を紐いていかないとね。 この達田山はその昔人の神のように黒と紅葉樹輪に覆われていため黒神山と呼ばれていたと地元では言い伝えられているんだ。だがもう 1つ心憑性の高そうな説もある。 え、何な?そっちも気になるわ。 それは黒髪というのが黒髪の神という友竜人の長由来だとするものだ。 これって神様の名前なの? ああ、クおの神は水電や濃厚に必要な恵の雨を降らせたり、長雨を止めてくれるとして進行されてきた水を司さどる竜人なんだ。 黒神山にはこの神様が祭祀られていたってこと? ああ、倉の神を祭る山が口伝えされるうちに徐々になり、倉さん黒髪山と変化していったと考えられるんだ。 じゃあ黒い神っていうふりが おそらくただの当て地だ。 現在の田山も友人から連想される達田から変化したものと考えられるぜ。また近くの橋の名前にも竜神橋という名前が残っているぜ。 なるほど。こちらの説がかなり有力なようね。 [音楽] 次は浮きの知らぬ日だ。 これは何とも言えない不気味な雰囲気がある致名だわ。 浮きは2005 年にいくつかの町が合併して誕生したんだが、その町の 1つが知らぬ日町だったんだ。 昔あった町の名前だったのね。 実は知らぬ日町が面するや白会の別名が知らぬ会であり、これの由来も全く同じなんだぜ。 こっちは知らぬ日ではなく知らぬいって読むのね。 そうなんだ。町の名前だけが知らぬ日で他は全て知らぬいと読むんだ。 なるほど。そういうことなのね。でもこの知らぬ日って一体何のことなの? 実はこの知らぬ日に関しては日本初期にも記されているんだ。 そうなの? 蛍光天皇の九州巡の際、天皇は知らぬい会場で方向が分からなくなってしまったんだ。ところが遠方に灯された日によって無事に陸地へとどり着けたんだ。 その日が誰かが灯してくれたのかな? 天皇もそう思い人々に聞いてみたんだ。ところが誰も心当たりがなかった。このことからこれが誰も知らぬ日。つまり知らぬ日から派生し知らぬ日となったとされている。 知らぬ日が見えた海だったから知らぬい会と呼ばれるようになったのね。 ということは知らぬ日町の致名の方が由来に忠実ってことなんだ。 そういうことになるな。 でもその知らぬ日の正体って何だったの?もしかして見えてはいけない何かなの? 実は江戸時代くらいまでは知らぬ日は妖怪だと信じられていたんだ。その後対象時代に入るとこの現象を科学的に解明しようとする動きが高まった。 で正体は分かったの? ああ、知らぬ日は新郎の一種だったんだ。 具体的にはどういう仕組みなの? 簡単に説明すると、遠くにある民家の明り合い火が屈を繰り返し、それが燃える日のように見える現象だ。他にも様々な説が唱えられてはいるが、現在ではこの新規老説が最も有力なんだ。 ということは知らぬ会以外でも見ることができるってことなの? 現象が起こるには様々な条件が必要だが、それらが揃えば理論上は可能だぜ。 へえ。1度は見てみたいわね。 続いては同じ空気しにあるわ。南雑魚だ。 何これ?超難度知名じゃない。怖いというよりもすごく不思議な感じがする致名だわ。 確かにそうだな。 しかもこの女、男、女って各自何とも言えないイメージがあるわ。 実はこれとよく似た地で男、女、男と書く振りがもあるんだ。 そもそもこの振りがなんて読むの? 両方とも送りを振ってなぶるって読むんだぜ。 どういう意味があるの? 共にたはれる、からかう、モて遊ぶという意味がある。 両方とも同じ意味ってこと? ああ、そういうことだ。ちなみに男、女、男のなる和関係一級の配当なのに対し女、男女のなる和関係配当の感じなんだぜ。 そういった違いがあるのね。 というのも男女男の方は致名に使われることが多いんだ。 そうなんだ。例えばどんなのがあるの? 秋田県横手市のりさ、埼玉県小賀の町にはブり屋があるぜ。 じゃあ女、男、女のナブルを使った地名は他にあるの? いや、それがこのはなんザくらいしかなく、この地名を表示するためだけに実がに登録された振りがなんだぜ。 へえ。調礼な知名なのね。 実はこの字は上なりと読むことができるんだ。 それってどういう意味があるの? 上なりとは市川に伝わる歌の円目でもある。 上なりの上とは後の意味で上妻を指す言葉なんだ。 そうなんだ。 室町時代には利別された前が女友達と一緒に上妻の家を襲い、上妻側も同じく女友達を集め乱闘騒ぎになるという上鳴り打ちという風習があったんだ。 まさに1人の男を間にして2 人の女が争っているのね。 歌舞伎の上なりはこの上なりうちを題材にした話なんだ。実は知名のわなんはこの上なりが由来になった致名なんだぜ。 ということは女同士の激しい争いがあったの? ああ、かつて修羅のような結婚式が行われたことがあるようなんだ。そんな事件があったことから成り雑魚と呼ばれるようになり、それが生ってはなんざに変化したと考えられているんだ。 女同士の争い考えるだけで恐ろしいわ。 次はみさ町の土だ。 土を食べるって書くのね。これは不気味だわ。土を食べる妖怪のようなものがなんて由来があるのかしら。 実はこの土みの由来はっきりしていないんだが、私なりに色々と推測してみたんだ。それでよかったら聞いてくれるか?もちろん聞かせて欲しいわ。 1 つ目は本当に土を食べる人たちが住んでいたのではないかというものだ。 本当に土を食べていたっていうの? 実は江戸時代までは日本各地で土を食べる文化があったんだぜ。 そうなの? ああ、特に基金や不作の時に食べられていたようなんだ。 土はミネラルが豊富だし、お城では老攻めにあった際には白の土壁を割って痒にして食べていたという話もあるんだぜ。そういった文化があったのならありえない由来ではないわね。 私が考える2 つ目の説はここで災害があったことを示すではないかというものだ。 知名が災害を教えてくれているってこと? ああ、実はこういった地名は全国にたくさんあるんだ。地図を見てもらおう。土葉未の南側には鶴川という川が流れている。 本当ね。川があるわ。 この川の名前というのも災害の 1つなんだ。 具体的にはどういうこと? つは鳥のツのことであり、川がの首のように急激に曲がっていることを示している。 そんなに曲がっているようには見えないわ。 川のユロが変わったのかもしれないし、火流では鶴の首のように曲がっている箇所もある。 なるほど。 そういった場所では皮が氾乱しやすく水害が起きる可能性が高いんだ。そして川が氾乱すると陸地の土を削るだろ。 つまり水が土を食うんだ。 鶴側が氾乱して土を削り取った場所だから土みだと魔理沙は考えたのね。 そういうことだ。これはあくまで私が地図を見て推測した話だ。もしも真の由来を知っている人やこんな説もあるぜって人がいれば是非教えてくれ。 よろしくお願いします。 続いては憲の流す町の地名かだ。 腹が赤いと書いて腹かって読むのね。 腹が赤いなんて妖怪か何かしかいないんじゃないの? ま、そんなイメージを抱くのも仕方ないだろう。だが原かの由来は決して妖怪ではないんだぜ。 そうなのね。真の由来が気になるわ。 その由来を話す前に流す町について説明しておこう。元々ここは原か村という 1つの村だったんだ。 へえ、そうなんだ。その後1956年に6 英村と合併して副英村となり、 1957 年に長す町と合併して新しい現在の流す町が誕生したんだ。 福英村はたった1 年しか存在しなかったのね。 その名前は現在でも中学校の名前として残っているぜ。さて、そろそろ本題へと入ろうか。さっき蛍光天皇の話が出てきただろ。 え、知らぬ日の由来に関わっていた天皇ね。 このカの由来にもこの蛍光天皇が関係しているんだぜ。それが原かの煮という話だ。 煮って何なの? ニとは紙や天皇に捧げる食べ物のことだ。これを生きたまま捧げるとイ贄と言うんだ。 ああ、確かにそうね。 蛍光天皇の巡口の際量漁師が腹の赤い魚を釣って健したんだ。 赤い腹って魚のことだったのね。 それ以来毎年のようにこの魚を頂に健するようになった。 このエピソードからこの血は原かと呼ばれるようになったんだ。 なるほど。そういうことだったのね。妖怪じゃなくて安心したわ。でもこの腹の赤い魚って一体どんな魚なの? 一般的に桜マスのことを腹かと呼ぶことが多いぜ。 確かに桜マスってお腹の部分が赤いわね。 ただ昔漁師が健した魚はなのではないかとする説もある。 どちらにしろ赤い魚が由来いってことなのね。 次に紹介するのはみ町のかだ。 え、かって鬼滅の刃じゃない? そう、鬼滅の刃の主人公か炭治郎と全く同じ名だ。このかの話をする前にまずはみ町について解説するぜ。 え、お願いするわ。 名町は県の北西部、多名軍に属する自治体だ。 菊水町と三川町が2006 年に合併して誕生した新しい町であり、かは大技として現在でも残っている地名なんだぜ。 今でも普通に使われている地名なのね。 ああ、そうだぜ。菊水町は 4 つの町や村が合併してできた町なんだが、その中の 1つ川添村を構成する村の 1つが村だったんだ。 その村っていうのはいつまで存在していたの? 川添村が誕生したのが明治 22年だからそれまでだぜ。 実は九州各地にはかど神社という神社がいくつもあり、鬼滅の刃のファンの間では聖地として人気のスポットになっているんだ。 じゃあこのか地区にも神社があるの? ああ、ここみ町にもか菅原神社という神社があるぜ。おそらくこの神社が知名の由来ではないかと思われるんだ。 なるほど。それはありそうね。鬼滅の刃もあるし由来には鬼が関係しているのかな? いや、この神社の由来は分からなかったんだ。 何かヒントらしきもないの? それならあるぜ。打財にもか神社があるんだが、この神社の北東方向にあるホマ山は昔鎌山と呼ばれており、これが名前の由来となっているんだ。 もしかしたら同じかって名前の神社だし、名町のか菅原神社もこの山がルーツかもしれないわね。 もし知っている人がいれば教えてくれ。ちなみにか菅原神社から西に 5km ほどの南関町には鬼の王と快適王神社という神社があるぜ。 かの近くにおう。まさに鬼滅の刃じゃない。 こちらもファンの間では徐々に人気になっているようだぜ。 ファンなら1度は言ってみたいかもね。 次は見た目が怖いというよりはとてもな知名を紹介しよう。 一体どんな知名なの? その致名とは上草野の別だ。 2弁当ではなくの別って読むのね。 2弁当なら2 つのお弁当でちょっと嬉しいなって思ったんだけど。 食し坊の霊夢らしい解釈だな。 もう失礼ね。 こののべ別島というのは上草にある峠の名前にもなっているんだ。 のべ島峠っていうのね。どんな場所なの? のべ島峠は天草初島上島の東の方にある峠であり、現在は峠をパスするトンネルが開通しているぜ。 峠そのものには車でも行くことができるの? トンネルができるまでの道にもトンネルがあるがそちらは通行止めとなっているぜ。 そうなのね。 でも峠を超えるだけなら車でなんなくトンネルを使って可能なのね。あ あ、先人たちが道路を作ってくれたおかげでな。だが昔はそう簡単に超えられる峠ではなかったんだ。 車だってなかっただろうしね。 そう。それこそがの別峠の由来でもあるんだ。 どういうことなの? さっき霊夢はの別峠の由来を 2つのお弁当って言っただろ。 え、食棒って馬鹿にされたけどね。 まだ根に持っていたのか。 実はこのの別峠は 2つのお弁当が由来なんだぜ。 え、そうだったの? さっきも言ったようにその昔ここは超えるのが非常に困難な峠だった。 どれくらい大変だったの? 朝に山を登り始めても丸 1 日かかるほどだ。そうなると何回食事を取る必要がある? えっと、家で朝食を食べたとして食と夕食が必要ね。 そう。この峠を超えるには食と夕食に食分を持っていく必要があった。 もしかしてそれが2つのお弁当? そう、弁当を2 つ持っていくほど大変な峠という意味でこの峠をの別峠と呼ぶようになったんだ。 今なんて車でピュって超えられるから全く想像がつかないわね。 最後は熊本市の南側にある町鹿島町のナズだ。 またナマずなんてストレートな名ね。どういった由来があるか気になるわ。でもどう考えても魚のナズが由来よね。 [音楽] そうだぜ。ナズ地区には国道266号線と 445号線という2日本の国道が通って おり、この2本の国道がぶつかる交差点の 名前が鹿島町ずという名前だ。ちゃんとし た地名として今も使われているんだ。ああ 大技ナずとして住所表示にも残る歴とした 現役の知名だぜ。実はこの地名には とある伝説が関係だ。そうだ。どういった お話なの?昔麻さんには湖があったんだ。 そうなの?初めて聞いたわ。 ある時麻では田ぼを作ることになったんだ。そこで竹は達の巫が麻の外林山を毛破りこの水を外へ出した。は達のって何者なの? たは達のことは実在した人物もしくは神だったとされている。 なるほど。神話の性格もある話なのね。 たは達のこが水を抜いていると湖の主である大ナマずが水を抜く穴に引っかかり水が出なくなってしまったんだ。 あら、それは大変ね。 そこで竹は達の巫が大ナマずを説得するとナズは自ら流れていったそうだ。その後が今の黒川と白川であり、流れついた場所が現在の鹿島町ナずだったという伝説だ。 [音楽] そのナマズはどうなったの? どうやら捕まえたらしいぜ。 そうなの? このナマズはとても大きく切り分けたらか 6つ分になったそうだ。かが 6つすなわち荷物が6 個になったことから六下という知名が誕生しそれが現在の六下という知名の由来だとする説もある。 [音楽] ナズにまつわる致名は他にもあったのね。なら説得力があるわ。 今日の解説はここまでだぜ。 なかなか面白い話をたくさん聞けて楽しかったわ。思ったんだけど知名ってその場所の歴史をずっと凝縮したようなものなのね。 そうだぜ。地名の歴史やその背景を紐いていけばその地域の歴史や成り立たちが分かることが多いんだぜ。 これからもろんな地名の由来を教えてね。 ああ、今後も全国いろんな場所の致名について解説していくぜ。 楽しみにしているわ。 このチャンネルではチリを中心に様々な話題をお送りしているぜ。取り上げて欲しい話題があれば是非コメント欄で教えてくれ。 この動画が気に入った人はグッドボタンとチャンネル登録を忘れないでね。 それじゃあ今日はこの辺でご視聴ありがとうございました。 Ja.

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8 Comments

  1. 熊本城築城当時の悲しい出来事を伝える地名として山伏塚(やんぼしづか)も入れて欲しかった・・・

  2. 龍神橋は龍田と神水を結ぶ水道管を渡すために作られた橋だから龍田と神水の頭文字をとって龍神橋になったと聞いたことがありますが・・・

  3. 黒髪はもう一つ説があり、
    昔の合戦で斬られた死体や首が流れ着きやすい場所だったからだと言われていて、「川が黒くなるほどの死体の量」だったとされており、そのことから「黒髪」と呼ばれるようになったのだとされています。
    5:54

  4. 二弁当だが峠ということであればひだる神が出る(=血糖欠乏症で動けなくなる症例が頻発する)場所だったろうし
    その対策にも予備の食い物は必要だったろう
    なお天草は今でこそマリンスポーツレジャーの聖地だけど昔は(今も?)魚より米が貴重な土地だったからな

  5. 長洲町を取り上げていただきありがとうございます。腹赤の由来の魚はニベという魚だと聞いております。

  6. 熊本市郊外の地名って大雑把に画図と江津 と 託麻 しかない気がする?

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