【廃墟巡り】100年前の藤枝市にあった幻の温泉街の跡を見に行く #廃墟探索 #静岡 #街歩き #藤枝
はい、どうも天野と申します。静岡県の 藤江田市にやってまいりました。今日は ここから幻の温泉街を見に行きます。もし かしたら地元の人でも藤江田に温泉街 なんかあるのかと疑問に思うかもしれませ ん。昔はあったんです。今は遺跡みたいに なっています。ということで温泉街の遺跡 見に行きましょう。 さてやってまいりました。新滝温泉後地。 目の前を流れているのは滝の矢川ですね。 水が綺麗で涼しいです。 川の少し上流に古風で立派な橋がかかって いるのが見えますよね。ただこの橋今は 渡った先に何もないんです。橋の名前は 清田橋。これはこの先にかつてあった温泉 旅館の経営者清田松の名前から来ています 。橋に自分の名前をつけるとはいかにもと いった感じですがここの経営をしていた 夫婦の素情を知れば納得です。ま、その 辺りは後で詳しく話しましょう。宿が現役 の頃はこの橋の下の水を咳き止めて船を 浮かべていたそうです。今では影も形も ありませんが、当時は相当豪華な宿だった らしく、業界人や有力者で賑わっていたと か。 さて、橋の対岸でまず目に入るのはこの めちゃくちゃ神秘的な階段ですね。何とも 言えない華やかな造形をしています。一応 ここ先前に作られているんですよね。この 曲線が戦前というのはちょっと信じられ ませんね。さて登ってみましょうか。 手すりにびっしりと張ったコケが時間の 流れを感じさせてくれます。ここが配量し たのは1941年。もう90年以上も前な んですよね。詳しい配量理由は分かってい ないのですが戦事中ですからね。贅沢は敵 だ。欲しがりません。勝つまでは。まあ そういうことでしょう。登った先ももう何 も残っていませんね。一応建物の基礎 みたいなものはまだあるんですけどね。で もここ数少ない現役の頃の写真では見切れ ていて何があったのか分からないんです。 ということで一旦何があったのかはっきり している階段の手前の方へ戻りましょう。 ここですね。現役の頃の写真ではこのよう になっています。ここが最初の橋でこのす みっこに移っているのが先ほどの階段です 。今は何もないこの空間にまるで千ひの 神隠しみたいな建物があったんです。 さて、ここが浴草後と言われている場所な のですが、妙に狭いですよね。まあ、それ もそのはずで、ここに湧いていた温泉は 当時としては最新の健康法であるラドン 温泉。冒頭でもここが有力者たちによって 賑わったという話をしましたが、きっと 貸し切りのような形で使う高級健康施設 だったのでしょう。 こっちは川に降りる階段ですね。これを 降りた先もなかなか美しいんですよ。 どうですか?この景色。まるで古代中国の 応急のような威圧感があります。ここも 現役の頃の写真があるのでお見せし ましょう。こちらです。現在地はここです ね。建物の後ろの縁側から出られる裏庭の ような場所だったのでしょう。そして右下 の丸で囲まれた部分には小舟が低白してい ます。船遊びの発着場はここだったんです ね。現在この川は小舟など到底浮かべられ そうもない浅い渓ですが、かつてはこれが 咳き止められ、大量の2識が放たれてその 上で船遊びができたようです。優雅だと 思いますか?それとも成き趣味だと思い ますか?まあ、どちらにせよ1度現役の頃 の詳しい様子をこの目で見てみたかった ものです。 ちなみにこの橋映像ではちょっと分かり にくいですが、下から見るとなんか赤い ものが滲んでいるんですよね。これは経年 変化による変色か、それとも赤い塗料の 名残りなのか。もしかすると現役の頃は 真っ赤に塗られた橋だったのかもしれませ ん。 さて、せっかくなので橋の反対側も見に 行きましょうか。もう1箇所川岸へ降りる 階段があるんです。 ここですね。これもまたびっしりコケに 覆われていますね。 さて、橋は先ほどと同じようにかかって いるだけですが、川岸に目をやると水を 咳き止めていた跡があります。ここに 仕切り板を張って船を浮かべるだけの水を 溜めていたのでしょう。なんだか浅いよう にも見えますが、翡水の浅い小舟なら十分 だったんでしょうね。酒によった客が某 中国の詩人のように皆の月を救おうとして 歴史したら困るので安全設計ということか もしれません。さてということでそろそろ この場所の歴史を話しましょう。ここの 経営者は先術の通り東京でゲ者をしていた 清田松という人物。彼女は資産家の容姿と 結婚しが相続した莫大な遺産を元に生まれ 故郷であるこの地で商売を始めたと言い ます。実は資料によってはこの資産化の 用姿だった夫の方を経営者とするものも あります。アパホテルのように夫婦で経営 して妻が顔になる営業方針だったのかも しれません。改良したのは1932年 ちょうど満州時の翌年です。なんでこんな 時期によりにもよって娯楽施設を改良した んだと疑問に思うかもしれませんが実は この頃の日本は軍産特で景気が回復してい たんです。きっと商売を始めるチャンスだ と思ったのでしょう。しかしそんな思惑と は裏腹に日本は徐々に戦家の統制経済へと 移行していきます。そして9年後の 1941年に配慮。この年は新珠攻撃が あった年です。こうなるともう戦事経済が 配慮であることは明白ですね。娯楽施設 なんかやってられなかったのでしょう。 そしてそのまま復活することなくこの施設 は歴史の影に消えてしまったと。ちなみに 清田松の夫の洋父だった資産か。彼につい ても少し話しておきましょう。この人物は 福島県の合津若松にルーツを持つ一族で 当時所の経営で罪をなしていました。 しかし彼は結局自らの事業を継がせること なく会社を解散させてしまいます。そして 残った資産を売ってできた現金を容姿に 相続させたんです。そこからの出来事は 先ほど話した通り、なんというかこう 金持ちのボンボンが動落として元ゲ者の妻 と一緒に時代に逆行する派手な施設を作っ て短期間で散ってしまったように見えるん ですよね。まあ、これはあくまでも想像 ですけどね。戦後にここが復活できなかっ た本当の理由は未だ判明していません。私 が想像したように資金が尽きてしまったの かもしれませんし、もしかしたら夫が徴兵 されて続けられなくなり、そのまま帰って こなかったという可能性もあります。 そちらだったら悲しいですね。あと残酷な 話ですが、仮にこの事業で散としても、 どの未彼らは没落した可能性が高いです。 というのも現金資産だけがあって事業も 投資もやめてしまった人というのは実は 経済の混乱に1番弱いんです。戦中や戦後 のインフレで現金なんてあっという間に 神くになってしまいますからね。だったら せめて資産が目りする前に盛大に使って 一瞬でも人花咲かせてやろうというのは それはそれで立派な行きざ様ざかもしれ ませんとここまでが真面目な解説。最後に ちょっと束話をしましょう。これは本当に 片耳程度に聞いて欲しいんですけど、実は この場所現役時代の建物の数と配置を 調べようと思って国土チリンの古い地図を 探したら荒くて詳細が分からないの地図 しか出てこなかったんですよね。1/2万 の地図が残っていないんです。川の少し 火流までは地図があるのにここはギリギリ その範囲以外。そして戦後の70年代以降 は川の上流側の地図も作られるようになっ たのですが、なんとびっくりその地図にも この場所は乗っていません。ちょうど上下 2枚の地図の切れ目の部分になっていて、 この場所は乗っていないんです。普通地図 を作る時って乗ってない場所ができない ように切れ目の部分は重複して作るものだ と思うんですけど、ここは逆に2枚の地図 の間に乗っていない土地ができてしまって いる。これ国土チリーンの公式な地図です からね。単に重要度が低いから載せなかっ ただけでしょうか。なんか怪しくないです か?思い返してみればここは経営人の バックグラウンドはやたら詳しく判明して いるのに肝心な現役時代の情報が極端に 少ないんですよ。浴草の数とか料金とか そういうのがまるで分からない。船遊び や識越いの話は数少ない当時の写真から 判明したことに過ぎません。この場所は小 規模ながら藤江田に温泉街のようなものが あったという意外性からその歴史の調査を 試みる人は結構多いんです。でもその誰も が現役時代の詳細な情報の入手には失敗し ています。 何か力が働いたんでしょうか?ここの利用者だった有力者の誰かにとって都合が悪いんでしょうか?というよ話でした。すみません。地図がなかったことに対するや当たりというのもこの話をした同期の半分くらいを占めていますのであんまりに受けないでください。ただこの施設は短期間で併用したもの実は現役の時は非常に繁盛していたらしいという話もあるんですよね。 にも関わらず戦後は復活せず建物がいつ 取り壊されたかも分からずも少ないこと。 この辺りが不自然なんです。まあ本当は 繁盛してなくてただ単に法経営で賑やかに 見えただけだった可能性もあります。 ちなみに一応藤江田市内にはかつて親に 連れられてここに遊びに来たという人がい たらしいのでまあ変な施設ではないと思い ます。もう併量して94年が経ちますから ね。シンプルにこの人物がここの利用者の 最後の生き残りで誰も彼にインタビュー できなかっただけかもしれません。といっ たところでご視聴ありがとうございました 。チャンネル登録と高評価をよろしくお 願いします。
#廃墟 #静岡 #街歩き #伊豆 #観光 #藤枝 #歴史 #廃墟探索 #廃墟巡り
今回は静岡県藤枝市の不動峡にかつて存在した幻の温泉街「新滝温泉」の跡地を見に行きます。現在は立派に築かれた基礎や優雅な階段通路が残り、遺跡のようになっている場所です。
1932年から1941年という、たった9年間だけ存在した温泉街。資産家の養子が、元芸者である妻と一緒に大金をはたいて建設したといわれ、当時は大変賑わったと伝えられています。
しかし、当時を記した公的資料が少なく、なぜ戦時中に娯楽施設を開業したのか、なぜ戦後は復活できなかったのかなど謎が多く残されています。
【Mr.Amano’s channel】
静岡在住の原付ライダー。学生時代は東京で過ごしたため馴染みが深く、神奈川や東京をはじめとした関東方面へツーリングに行く事も多い。愛車はホンダのスーパーカブとタケオカ自動車のアビーキャロット。アビーは四輪車のくせに50ccというイカれた乗り物。
現在は諸事情あって失職中。せっかく暇ができたからこれまでのんびりやっていたYouTubeでの活動に力を入れてみたところ、熱川の廃棄動画が当たってまさかの収益化基準達成(現在審査中)。しかし次に繋げる方法がイマイチ分からなかった為、マーケティング業界で働く友人二人の助けを借りて試行錯誤中。
【廃墟探訪】
基礎体温の低さからくるスタミナ不足に悩まされていたので体力作の一環として山登りを始めた。しかしいつの間にか廃道歩きにシフトしていき、気付いたら廃墟を探す事が目的になっていた。
バイクや車で廃墟や廃道へ向かい、そこか見出せる自然と滅びの美学を発信し、視聴者の皆さんに非日常感をお届けできれば幸いです。たまに変な観光地とか変な地形の場所とかも配信するかもしれません。
【カメラ機材】
GoPro HERO9
GoPro HERO4
【編集ソフト】
ゆっくりムービーメーカー4
29 Comments
最近アマノ氏の影響でよくカブで廃墟を回るようになりました!、オンロードの中型と違って山の中までズンズン進んでいけるカブは最高です
更新が一番嬉しいチャンネル
高級志向なら残り安かったと思う。高級料亭とかは上層部によく使われていたから。
中途半端な高級感で一般の人も対象だとダメだったのかな?
いずれにしろ戦争の影響の可能性が高そう。
90年前の温泉施設なんてよく調べましたね👏
国土地理院の地形図は戦前の参謀本部時代の頃から日本列島を一定の緯度と経度で区切った範囲で分けるようにできています。
なので同じ図幅の地図なら時代が違っても完全に同じ範囲を示すようになっていて、隣り合う図幅はお互いの時代が違ってもぴったりと合うようになっています。
戦前と戦後では多面体図法とユニバーサル横メルカトル図法の違いはありますが、日本全国の地形図を図郭通りに切り取って繋ぎ合わせると平面ではなくスイカの皮のような立体になります。
以上のことから、この温泉が図幅のつなぎ目にあるというのは単なる偶然ですね。
個人的にここ最近熱いチャンネル
何これすごくね?
隠し財宝があるとか?
機密会談の場所?
60年代の航空写真だと、まだ木々は伐採されていて
営業されているときからかは分かりませんが、平場が上にもう二段尾根を削って造成されています
わーい🙌藤枝、大好きです❤。蓮華寺池公園と、近くのカフェ最高😆。ダイエット中でも罪悪感少なく食せる、低糖質スイーツ🍰のLoccoさんとか。🤭(チーズケーキ最高!)四毒抜いてても、訪問した時だけチートデイにしてしまいます。(年1回がやっとだけど…)岡部など、自然や田園も魅力的ですし。🦋遠くは台湾まで渡りをする世界唯二の蝶の一つ、アサギマダラも見られる街。そこにこんな秘密?の場所があったなんて。新たな藤枝の魅力を、ありがとうございます😊。
写真では相当立派な家屋ですね。
まるで龍宮城のように見えました。
お大尽さま遊びしていたのですね。
ご主人さんは、想像するに芸者さんだったので綺麗な人だったのでしょうね
今は昔、なかったことにされていますが、痕跡があるので確かにあったのですね。
繁盛していたのかどうか知りたいですね。
後世に話が伝わってないのも不思議です。
お金の使い方が凄いですね。ぱっと使って、ぱっと散る。
アマノさんお疲れ様です。浜松に藤枝だんだん遠くになりますね。しかしこりゃ物語ひとつふたつ出来そうな風流な廃墟ですね。確かに写真で見る限り高級旅館の佇まいですね。熱海なんかにも東京の芸者あがりの主人の旅館いくつかあったし都会の花柳界は旦那衆の筋が良いからでしょうね。商いがご時勢で上手くいかなかったとしても一生に一度の島田美人の夢の跡なら いいですね。 あ!! 藤枝美人か お隣だからマケといてください。
私有地?固定資産税は?親戚縁者はいないのかな?
元地元民です、アマノさん、よく入り口の橋通れましたね、確か老朽化で通行止めだったはずなのに🤔
自分が古老から聞いた話ですが、廃業理由は源泉が切れたからとかまあ、本当の理由は分かりませんが。
子供の頃の自分達にとっては良い遊び場でしたね。
今、藤枝市本郷にある瀬戸谷温泉ゆらくを作るにあたって、専門家の方にヘリで地質調査をして貰った所、この温泉廃墟でも温泉が出る可能性があるとの事で候補にあがったとの事でした。まあ結局本郷に作る事になったのですが😅
この奥に滝ノ谷地区があるのですが、とにかく道幅が狭く軽でもすれ違いは不可ですのでこの場所に行ってみたいと言う方は充分に注意を🙂↕️
静岡県って、色々ありますよね、、、、チトー戦車とか、Z研究とか、丸ケとか、、!😅
なんとも妄想が捗る場所ですね
建物も資料も、地図さえも無いとか
苔むしているせいか、余計に色々想像してしまいます
旧制静岡高校出身の元首相も行ってたんだろうなぁ、などと思いを馳せながら拝見いたしました。
グーグルマップを見比べながら
動画を見るのが大好きなんですが、
ここがどこにあたるのかまったくわかりませんw
滝ノ谷不動峡の近辺なのか、もっと上の「たろべえじゅ」なる、お食事処より上なのか。。
もっと山に行くと二手に分かれる道があってそこに祠がありますね。
一回行ってみたいですw
動画面白かったです。アマノ様、カブで藤枝まで行かれたんですね。そのアグレッシブさ、本当に凄いですね。静岡は東西に長いし、私のイメージですが浜松の人と伊豆の人が同じ静岡の人かと言われると、ちょっと印象が違いますよね。月を掬おうとして、溺◯してしまった話しは、中国の詩人、李白の「月下独酌」という作品の一節ですよね。月の下で独り酒を飲む〜という文句から始まる詩であったと思います。実際の李白は、事故ではなく病に倒れていますね。静岡の温泉地というと、断然伊豆というイメージでしたが、他の場所にもあるんですね。動画面白かったです。
AIとは言えこんな気持ち悪い日本語聴いていられないね😱
藤枝と聞いて「藤枝梅安」を思い出し、確か出身が静岡だったなあ…と😊
興味深いお話をありがとうございます 本当に現役時代を見てみたい施設です 与太話も面白く ここに政府の一派閥の重要人物が出入りしてたから…と想像してしまいます 実際はネットが無い時代の記録というのは意外と穴があって大きな企業でも一時期だけすっぽ抜けというのはよく聞きますので誰も潰れた旅館の記録を取っておかなかったのだろうとは思いますが
めっちゃ地元! 子供の頃ヤマメ釣りとかに行ってました! 廃業したあとも温泉が出ててお湯をもらいに行ってたと親が言ってましたー
お疲れ様でした✨
どこかすぐ分かりました。2000年頃までは建物の一部が崩れずに残っていました。ここの前の道に大型の路線バスが定期運航してたのが驚きです。すれ違いできなのいで、見通し悪いコーナーでクラクション鳴らして走ってました。
すごいねぇ😮 美♪🎉
パソナの接待施設「仁風林」みたいなものなんでしょうか
自然に飲み込まれてないのは好事家が結構来る所為か、地元の人が手入れしてるのか。
何れにせよこういうのは残っていると嬉しいもんですね。
私も全部を見た訳じゃないのですが、もしかしたらyoutubeでここの動画がアップされるのは、
初めてじゃないですかね。貴重な動画をありがとうございます。
日本版エプスタイン島だった可能性も実はあるのでは?と考えてしまいます
変な施設ではなかったのではという説ですが、いくらでも隠せそうですし(笑)