ちばみんフェス2025in香取 千葉県民の日記念山車曳き廻し 下新町区 2025年6月15日

千葉県民の日を記念して山車の特別曳き廻しが行われました。
今回は、下新町区をご覧ください。
田山駐車場入口付近(9 :45頃)
踏切越え後の休憩を終えて曳き廻しを再開し式典会場の香取市佐原文化会館駐車場へ向います。
早朝には小雨が降っていて天候が心配でしたが今は止んでいます。

田山牛乳販売所前・踊り
あんば(佐原の里謡)
そらそら磯辺さ小屋かけて鰯の番頭さんに頼まれた
アラヨーイヤサァ よーいよお ヨーオイヤサ
あんば(佐原の里謡)
いつも賑わうお祭りは佐原囃子や水の郷
アラヨーイヤサァ よーいよお ヨーオイヤサ
数え歌
一つとや 一夜(ひとよ)明ければ にぎやかに にぎやかに
お飾り立てたる 松飾り それ!
数え歌
二つとや 二葉(ふたば)の松は 色ようて 色ようて
三蓋松(さんがいまつ)は 上総山(かずさやま) それ!

佐原イ170−9付近・踊り
あんば(佐原の里謡)
そらそら磯辺さ小屋かけて鰯の番頭さんに頼まれた
アラヨーイヤサァ よーいよお ヨーオイヤサ
あんば(佐原の里謡)
いつも賑わうお祭りは佐原囃子や水の郷
アラヨーイヤサァ よーいよお ヨーオイヤサ
あんば(佐原の里謡)
?????????????????????????????????????????????(聞き取れませんでした。 m(__)m )
アラヨーイヤサァ よーいよお ヨーオイヤサ

わっしょい わっしょい わっしょいな
 わーしょ わっしょい わっしょい わっしょい
   わしょ わしょ わっしょいな

仲川岸区 山車蔵付近
香取市入船橋ポンプ場南側
下新町区の山車で乗演している囃子連は牧野下座連の皆様です。
牧野地区をホームタウンとする「牧野下座連」は現存する最古の下座連とも言われており、牧野流
の本流です。祭礼では、佐原の大祭(秋)の下新町、多古町祇園祭では本町、鹿島神宮神幸祭では大町の 3箇所で乗演しています。
香取市入船橋ポンプ場西側で休憩(9 :59頃~)
香取市入船橋ポンプ場西交差点(10 :13頃~)
香取市佐原文化会館入口(10 :27頃~)
式典会場定位置に入る前に人形を整えています。
川岸通り・かき氷 紋治郎付近(13 :33頃~)
山車は、川岸通りを南に進んでいます。

・下新町区の山車について
山車制作年…江戸末期(後期という記述もある) ※明確な記録が残っていないようです。
飾物 題…亀と別れる浦嶋太郎
制作年…明治12年(1879)人形師…鼠屋 福田万吉
山車額 題…恩波(おんぱ)制作:明治中期  揮毫…源喬(みなもとたかし)
恩波の意味
・波のように広く行き渡る恵み
・恩恵が波が広がるように行き渡ること。
・恩恵がゆきわたることを波にたとえていう語
彫刻 題…水滸伝(下絵・歌川国芳)
制作年…文久2年(1862)彫工…石川三之助
国芳は江戸時代の浮世絵師で山車彫刻が彫られる前年に亡くなっている。彫刻のみならず玉簾も
水滸伝で統一されている。
山車の彫刻については、ちばみんフェス2025in香取に参加した山車4台の彫刻だけの動画をご覧ください。
・浦島太郎のあらすじ
子供たちにいじめられていた亀を助け逃がしてあげた浦島、数日後に助けた亀に誘われ、海の底の竜宮城に行きました。
乙姫の歓迎を受け、遂に3年の月日が経ってしまいます。
浦島は家族が心配になり帰りたいと申し出ます。
(竜宮城には、7日間の滞在という話もある)
手土産に玉手箱を貰い村に帰ると、地上では700年が過ぎており家族もすでに亡くなっていました。(数十年または、300年という話もある)
玉手箱には竜宮で過ごした3年間が入っており、あけてしまうと時が戻ってしまう、乙姫にけしてあけてはいけないと言われていたが、過去に戻るのではないかと思った浦島は玉手箱を開けてしまいます。美しく楽しかった竜宮での3年間が映し出されたが玉手箱から出てきた白い煙はしだいになくなり、残ったのは白髪の年老いた浦島でした。
その後ついには息絶えたとも、鶴になり亀となった乙姫と夫婦になったとも。竜宮伝説は、おとぎ話の一つです。
浦島太郎は、室町時代から江戸時代にかけて作られた短編物語である御伽草子(おとぎぞうし)の一遍が原作といわれています。
御伽草子に描かれる、浦島太郎の「その後」はもらった箱を開いて中の煙を浴びた浦島太郎は、
鶴に変身することになっています。鶴になった浦島太郎は蓬莱山へ飛び立ち、そこで亀の姿になった女性と再会して幸せに暮らすのです。「御伽草子」では乙姫は亀の化身として描かれます。
彼女は、浦島太郎が助けた亀が人間の女性に姿を変えたものなのです。
「御伽草子」と現代に伝わる浦島太郎には、ほかにも細部に違いがあります。これらについては、説明欄(下記)をご覧ください。
油久肥料店付近(13 :43頃~)
千葉県民の日記念 下新町区山車曳き廻しは、これで終ります。

「御伽草子」と現代に伝わる浦島太郎の、結末以外の違い
現代に伝わる浦島太郎の物語は、浦島太郎が子どもたちから亀を助けるところから始まります。しかし「御伽草子」には、亀をいじめる子どもたちは出てきません。亀は、浦島太郎が釣り上げてしまうのです。亀は長生きする生き物であることから、命を奪うのをかわいそうに思った浦島太郎は、その亀を海に帰してやります。すると翌日、美しい女性が小舟に乗って流されているところに遭遇します。浦島太郎は彼女の願いを聞き入れ、故郷の竜宮城まで送っていきます。
そこで2人は夫婦になり、しばらく楽しく暮らすのです。しかし親のことが気になった浦島太郎は、女性から形見の箱を渡され、自分の家へ戻ります。

・御伽草子「浦島太郎」
丹後の国に浦島という者がおり、その息子で、浦島太郎という、年の頃24、5の男がいた。太郎は漁師をして両親を養っていたが、ある日「ゑじまが磯」というところで亀を釣りあげ、「亀は万年と言うのにここで殺してしまうのはかわいそうだ。恩を忘れるなよ」と逃がしてやった。数日後、一人の女人が舟で浜に辿り着き、漂着したと称して、なんとか本国に連れ帰してくれと請願する。実はこれは逃がしてもらった亀の化身であった。二人が舟で龍宮城に到着すると、女性は太郎と夫婦になろうと言い出す。龍宮城は、東西南北の戸を開けると四季の草木と眺めがみえるように作られていた。ここで共に三年暮す頃、太郎は残してきた両親が心配になり帰りたいと申し出た。姫は自分が助けられた亀であったことを明かし、開けることを禁じたうえで「かたみの筥(はこ)」(または「箱」、挿入歌では「玉手箱あけて悔しき」と詠まれる)を手渡した。太郎は元の浜に着き、老人に浦島(太郎の父)の行方を尋ねるが、それは七百年も昔の人で、近くにある古い塚がその墓だと教えられる。龍宮城の三年の間に、地上では七百年もの年月が経っていたのであった。絶望した太郎が箱を開けると、三筋の紫の雲が立ち昇り、太郎はたちまち老人になった。太郎は鶴になり蓬萊山へ向かって飛び去った。同時に乙姫も亀になって蓬莱山へ向かった。丹後では太郎と乙姫は夫婦の明神となって祀られた。

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