(106)【日本一周修学旅行】舞鶴軍港と引き揚げの記憶《舞鶴》

おはようございます本日は6月5日の 木曜日現在地は京都の中でも日本海側の 都市であるマ鶴に来ておりますマ鶴といえ ば近代日本において大日帝国海軍の鎮歩が 置かれた町特に日本海側において唯一の軍 ということで海軍にとってすごく重要な 立ち位置を占めていたそのような港町です まずはそんなマ鶴をよろすことができる 場所に向かっていきます結構登ってきたと 思いますがあまだ上があるのか到着したの が五形ヶ展望台です 山に登ってさらに展望台に登ればマ鶴の町 を一望できるでしょうというか別に上に 登らなくても全然一望できるな 現在見ているこっちの方向が東の方学でこちらの方向が北の方学日本海ですねそしてこっちの方向が西の方学ですま上に登った方がさらに見えるとは思いますので登っていきます [音楽] ドアが閉まります もう上と下しかないんだな 上に登ってくるとマ鶴の地形がよくわかりますリアス海岸ですね元々川があった場所が海に沈んでしまいましてこの辺りはね今見えない懐中なんかが深くなっているんだと思います今見ているのが東の方学大体前鶴の港と言いますとこの港が 1番有名なんじゃないかなと思います この周辺に昔海軍の鎮府があったという こともありまして現在は海場自衛隊の柱が 見えますおそらく市の中心部もこの辺りな んじゃないかなと思います西側にも港が ありますね地図を見てみると現在僕がいる 場所というのはこの場所でマ鶴というのは ここに海の入り口がありこちらが西側 こちらが東側といったように大きく分けて 2つに分かれていますこのような地形で あれば向こうから波がざーっと来た時にも この自然の山の防波堤がそれを遮えまして この湾の中は穏やかな海が広がっていると いうこともありまして漁行や港が作られ やすいというのがリアス式海岸の特徴です その特徴を生かしてこの場所に海軍の鎮府 が置かれたのでしたということで次は展望 台を降りてかつて陳樹歩が置かれていた 周辺まで移動していきましょう 晴れていて高い場所から見る景色は やっぱり綺麗ですよね気分がいいですそれ では山を降りていきます向かっていくのは マ鶴の中でも東側先ほど上から見ていた港 の辺りです道路についても西側の港と東側 の港をつぐようにして敷かれていますので この周辺は完全に港を中心とした街づりが 行われていますね東側の市街市にやってき ました左側にはたくさんのこれは護衛館か ないろんな船がありますうわあすげえな こんなに近くで見れるんだああ海兵さんが 歩いてますねやってきましたのがマイズル 赤レンガパークほぼ何も調べずにここまで 来たので入りたいと思っていた施設が実は 入れなかったみたいなことが結構あるな とりあえず赤ガ博物館は大丈夫でしょう ああこれか [音楽] 現在は海場自衛隊のお膝元ですからそりゃ 入れない部分もたくさんあるでしょうとは いえの赤レガ博物館は入ることができそう です海軍ゆかりの港巡有覧線っていうのが あるのか11時の分がまだ販売中ですから 撮影できるかは分かりませんが一応聞いて みましょうすごいなレガ博物館って本当に レガの博物館なんですね世界のレガそして こちら2階に行けばですね日本のレガとか マ印市のレガとかも全てレガについて扱っ ているようです日本のレガとしてはこの 銀座のレガ街というのが有名だと思います 銀座のレガ街があったのは現在の地図で見 てみるとえ日本橋よりも南側だからこの 辺りですねこの辺りが先ほど見ていた絵の ような光景が広がっていましたで明治時代 の最初の方にね家事が起こってしまったの で火に強いレガで建物を作ろうという風に 考えて作ったんですけれどレガはね1つ 問題点があったんですよあの地震に弱いん ですねということで関東大震災の時にこの 周辺は壊れてしまったためその後鉄筋 コンクリートの街並が作られていったと 言われていますその頃実際に銀座のレガ街 で疲れていたレガというのも展示されて おり横を見てみると銀座のさらに南側に あります新橋駅ですねその駅で使われてい た鉄道用のレガもここに展示されています すごいな本当に世界各国からレガを集めて ますよ中には古代文明で使われていたレガ もあります言われてみれば今回の旅行でも レガに関連する建造物というのはたくさん 見てきましたねこれは北海道の旧本館です そしてこちらはご存知東京駅森岡では旧 森岡銀行の本店も見ました世界はもちろん のこと日本もレガに支えられてきたんだな ということを実感しますレガの歴史って 結構古いんだな僕明治くらいかなと思って いたんですけど広い意味ではレガというの は河も含むんでしょうねここには アスカデラを建設するためにクらから河に ついての知識を持っている人を呼んできた と書かれていますまそうかレガの歴史を 追うだけで動画が1本できてしまいます マ鶴の模型がありました現在僕がいる場所 というのはこの場所マ鶴市立赤レが博物館 ですでここに来るまでに2箇所ね回ろうと 思っていたんですがここにあるな海軍記念 館こちらはえ土日って言ってたが忘れまし た日曜だったかもしれません何にせよ週末 にしか一般の公開はされていない今日は 何曜だっけえ木曜ですから空いていません でしたでこっちの方にもね行きたいなと 思っていた場所ここ東郷が住んでいた場所 があるんですけれどもこちらもね月に1回 しか開かないということだったので今日は この2つは巡れませんでしたままた行き ましょうそして今からはこの港の中を ぐるっと一周する船に乗れるそうなんで しかもね撮影も全然いいっすよって言われ たからあじゃあ乗ってしまおうと思って僕 ねそんなに自衛隊の感染に関してはあまり ね知らないんですけれどもま見る経験と いうのは必要でしょうからとにかくこの港 の中をぐるっと一周しますちなみに現在僕 がいるこの博物館は元々魚来の倉庫として 活用されていた倉庫ですこのように たくさんの魚来が並べられており今僕が いるこの場所も昔はこんな光景が広がって いたんですねそれでは船のリ場に向かって いきます線が始まっていますね中に乗って いきますおうございます はいおはようございます え本線はあの予定通り出航させていただきましたこれからえ 35 分間のクルーズ楽しんでいただこうと思いますまずこちらに見えてきましたな船はえご間と言います [音楽] こちらのはえ五衛館瀬戸切りと言いますこれからきります [音楽] 前島不でございます昭和45 年からここから毎度北海道の小樽に向かう大型の旭浜が集合しております [音楽] は33時間かかりましたが今は国内快速の 20時間でオ樽に着くことができます 皆さん聞れました あの席のボートが見えますかこちら席の ボートこれはえ名前はカッターというです 若い政府が12名乗ってます4ペ30cm のオール買ってるんです 本線は右手でこうマ鶴教育隊というんです ここが会場自治衛隊の訓練ですここの生徒 さんです井川はカタ訓練だそうです えかなり歴史がある学校でございましてえ まずえマイゼル教育になったのが 昭和2につきましてはあのえ 昭和に前 学校からスタートした学校ですのでまあと はあのそしてこのでえいの高等があちら 前方ですこちらに大きな相みたいが見え ますがえ第 23はヘリコプターだけのとなってます左 の大きな船175番という船はイジスカ妙 4個そして手前の 233番ですねこれは名前はちくと言い ますえ番号は118番となります名前はり ます防衛ですね こちらはあの現在所でえ様々な商品あるいはえエがけております京営祭北橋でございます 平成15 年に日本社が完成いたしましたあった [音楽] ミサイルタヤさんそしてえお隣がこれ見たかと言います [音楽] [拍手] [音楽] さて港巡を終えて赤が博物館を離れていき ます近代の日本において海軍の重要な拠点 になっていたこのマイズルですがマイズル は第2次世界大戦が終わりますと引き上げ と指定されます引き上げ校というのは何な のかと言いますと第2次世界大戦が終わっ た際に日本という国は現在の領域よりも 大きな領域を持っていましたしかしこの 領域というのが制限されましたので海外に 取り残された人々がいたんですそのような 人々は民間人や軍人いろんな人がいたん ですけれどそういった人々がこの日本本土 に帰ってくることを引き上げと言いまして その港が引き上げと呼ばれます わあチあ引き上げ自体は日本の各地に作ら れており例えば別府や博多なんかも 引き上げとしての歴史を持っているんです がこのマ鶴には引き上げ記念感があります 実際に引き上げが行われた場所というのは 現在工業団地になっていてその場所は 変わってしまっているんですが1部分だけ その橋が復現されていますのでまず記念館 を見に行く前にそちらを見に行きましょう 到着しましたこちらが復現された三橋です 近くには少しだけ解説がありましたこの マ鶴校は終戦間もなく引き上げに指定され て13年間にわって主に旧ソ連の領域 もしくは中国大陸などから66万人余りの 引き上げ者と四国の石ずとなって無言の 帰国をされたつまり戦士された方ですね その1万6000ありの三玉を迎え入れた の苦難に耐え夢に見た祖国への第一歩を 記した三橋でありますこの周辺にやってき た人々それぞれにそれぞれの物語があると 思うんですが例えばここには我が子や夫を 待ち続けた女性もいたし戦場から帰ってき た人々をこの周辺に住んでいる市民たちは 温かく迎えたりしていますこちらが復現さ れた3橋ですものすごく感素な作りをして いますが実際にはもう少し北側この辺りに 1つあってそのさらに奥の方にもう1つ あったそうです戦争がもうすぐ終わると いうタイミングでソ連という国は日層不可 条約という条約を一方的に破棄しそして ソ連の領域にいた人々つまり日本人の人々 ですねそういった人々は欲留されてしまい ますそして極感の地であるシベリアに送ら れて強制労働を行わされたということが ありましてそのような悲劇が起こったと いうことをここに残しておくために症例の 日といった石費があります抽選の タイミングで日本土にいなかった人々と いうのは日本各地の引き上げ校にやってき てこのマイズルもその舞台となりました よって本当に数年ぶりに日本の土を踏んだ という人もいたんでしょうマ鶴はそのよう な歴史を持っている場所なんですそれでは すぐ近くにある引き上げ記念館へと向かっ ていきます 3 日間連続ではありますがま海軍の街といえばカレーでしょうと思いましたのでカレーを食べてます緊急 ライブ入ってみるとこのような燃票がありまして基本的に戦争が終わった後からお話が始まっていくようです 日本社会の状況を説明された後はすぐに 大日本帝国の崩壊と引き上げの展示が 始まります現在僕がいるマ鶴という場所は 日本海側にある港ということもありまして それにいた人々が帰ってくるそのような港 という風に考えられていましたそしてここ で準備をして待っていたんですが一向にね ソ連から人々が帰ってこないんです彼らは どうなっていたかと言うと強制収容書に 入れられてソ連の国のための労働をさせ られていましたこちらの模型というか実物 代の再現ではあるんですが彼ら何をして いるかと言いますとこの食パンですね 食パンを均等に分合っているところです このような食料を巡って日本人同士で争い が起きたため見て分かりますかねここに 天秤があるんですがこのようにして全て 同じ量に切り分けていき争いが起こらない ようにしていたと言われます欲流中の彼ら の食事というのは本当に粗末なもので こちらが朝食おにぎりとスープスープは もうそこについてしまってスプーンが救え ないくらいの量しかありませんそして 昼ご飯は黒っパンそして夜ご飯はおにぎり とスープこれさっきと同じだな彼らが入れ られた強制収容症というのはこのような形 をしていましたロシアでラーゲリというん ですが周りを柵で囲われていましてその中 にいくつかの弊車があるという作りです 弊車の中はこれはおそらく2段ベッド でしょうねストーブもあったようですが おそらく極感の地では全然意味がない でしょうし多分あんまり使わせてもらって いなかったんじゃないかなと思います彼ら が欲留されていた頃の光景を少し再現して いますちょっと寒いけどこれはもう クーラーが入っている程度であり全然ね 体験とかそのようなレベルではないと思い ます 寝るスペースが狭すぎて頭と足を交互に 入れ替えなければ寝ることができなかった んでしょうね寝る時に使っていた毛布 なんか見てももう本当にペラペラの1枚 これは毛布と言えないなブランケットと いうか布ですね欲流された人々というのは 基本的に土木工事に同員されていましたの で近くにはこのような道具が置かれてい ます 昭和20年11月前津東の旧海軍開平時に 厚生省前鶴地方引き上げが開されました これによって前鶴は民行から月行港へと 警合しも多くの車を迎えになっとなったの でした 日本1周が終わったら僕も戦後の動画を 作りますからね細かい個人が印た手紙 なんかは実物はねこういう場所に来ないと 見れませんから本で勉強するだけじゃなく 足を運べて良かったですこの記念館の裏側 には丘がありこのように階段を登って上に 登ることができます1番上まで登ってくる と慰例費があり奥の方には展望台があり ます苦難を乗り越えたせいに日本に帰って くることができた人もしくは骨になった 状態でこの日本に帰ってきた人それどころ かこの日本に帰ってくることすらでき なかった人も大勢いると思いますこのマ鶴 の風景はこの風景を見ることができなかっ た人々も含めて尊い風景だったんだと思い ます

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#旅行 #日本史 #日本一周修学旅行

9 Comments

  1. 日本一周修学旅行では初めての遊覧船ですかね?海上自衛隊の艦船やカッター訓練、なかなかの迫力でした

  2. 2~9歳まで東舞鶴に住んでいました。通っていた三笠小学校の名前は戦艦三笠が元ネタでした。商店街辺りの通りにも明治時代の軍艦名が付いていたことを覚えています。調べてみると、三笠、初瀬、朝日、敷島、八島、富士など、日露戦争で活躍した軍艦名が付いているようです。私が住んでいた当時は市役所近くの公園に防空壕跡が結構残っていました。

    残りの旅もどうかお気をつけて。

  3. 小樽行きフェリーに舞鶴から乗りたいと思ってました。引揚記念館があるのですね。これは是非行ってみたいです。
    この動画が6月初めだとすると、、もう今は既に福岡に帰ってきている?

  4. 世界各国の煉瓦を集めた博物館は興味深いです。古代文明の煉瓦まであるのですね。
    遊覧船から観る事ができる戦艦や埠頭も興味を引きました。前島埠頭から小樽行きの船が出てるのですね〜

  5. 数年前までは毎週土曜日に桟橋が一般公開されていました。
    たまに珍しく艦船も入港しており、
    例えばロシア海軍艦船が共同訓練で定期的に入港して一般公開も実施されていましたが、
    昨今の情勢からして来航は困難でしょう。
    港湾都市として発展した東側と城下町として発展した西側で随分と毛色が違う街です。

  6. れんが博物館や自衛隊の艦船のツアーの遊覧船など、見るべき所が沢山あって面白かったです。
    シベリヤ抑留での展示も中々見られないと思うので、貴重なものだと思います。寒さ、強制労働、配給される食料の薄さなど、本当に悲惨なものですね。

  7. いつもありがとうございます。舞鶴は天橋立に行きましたが、今回の動画は全く別の顔を持つ舞鶴を知ることができました。海の青さはきれいなのに悲しくつらいストーリーを持つ待ちなんですね。また、舞鶴に行こうと思いました。そして、戦後の動画を企画されているとのこと、とても楽しみです。まずは日本一周修学旅行、後少し頑張ってください。

  8. 舞鶴、名前は聞いたことがあったけどこんなに面白いところだったとは!行ってみたくなりました。

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