地域環境概論250623
はい皆さんこんにちは地域環境外論のえ深 担当会の2回目なりますえ前回はえすい ませんでしたバタバタしてしまいました けれども役島の話をねえ1時間ぐらいえさ せていただきました皆さん方のねえ レスポンスシート今一生懸命課題を採点を しているところですえ前回のえ授業少しね 振り返っておくとえ環境に配慮した観光と いうことでねまず初めにま観光とは何かと いうお話をえしてみましたえ観光の定義に ついてえま場所の移動をするということが まず出てきますねこれは楽しみの移動で あるということですまた楽しみというのは 人によって色々違いがあります歴史観光が 好きだという人もいればまグルメのね 食べる食 のような観光が好きだという方もいたり あるいはあのコンテンツツーリズムといっ た分野もあってえアニメとかドラマとかの ま政治礼ですねこういった観光が好きだと いう人もいますそれからアグリツーリズム というのもあります アグリツーリズムえ主に農業 体験をするというねまこういったえ内容が え中心に出てくる観光ですねで役島の場合 はエコツーリズムですえエコな観光という ことで環境配慮型環境にえ優しい観光と いうものを思考していこうとこういった 場所としてま先週は役島のお話をしていっ たということになるわけですそして今回ね 取り上げる場所はえ予告をしていた通りえ 島であるのは同じなんですね前回とねえ 今度は長崎県になります長崎県の五列島と いうところがあります皆さん方是非天気 予報とかあるいは地図とかねあの見て いただくと分かると思うんですが長崎県の 離島は大きく五藤と池と津島というねこの ま3エリアがあるわけですけどその中でま 最も え面積やえ住んでいる人の数が多いのが 五島列島地域ということなんですねただ 五島列島というのは南の方に人が多くてえ 北部の方はえわりかし比較すると人が 少なめであるということになっています あと私たちはねあの五藤うどんというのが とてもえ名前を聞くと思うんですけれども 五等うどん有名なのは3地としては五刀 全体では実はないんですね五刀の北部がえ 五刀うどんでで南の方は五藤うどんを作っ てないですほとんどで南はねチャンポン 文化という感じです長崎はチャンポンが 有名ですけどえこれ長崎市とか佐保市とか ま本土のエリアだけではなくてえ五藤に 行けば五列島南部主に5等と呼ばれるえ町 がありますけどねえここはちゃンポン文化 ということですはいまそういう感じで色々 な島巡りをするか観光というのもねえ アイランドツーリズムあるいは島旅という 言い方をすることがあります今回はえ長崎 県の中でえ最もね小さな自治体ですけれど も小さいからこそできることがあ るっていうねそういう地域を紹介したいと 思います長崎県のえお家町というエリアに なっていますアイランドツーリズムどんな ものがあるのかということねパワポに まとめました はいま大きく3つですどんなことをやっ てるのかっていうのを具体的に紹介してい くっていう感じなんで今回は写真が多め ですえ前回はごめんなさい私のえ資料配布 は何もなくてただお話をするだけでした けれども今回は写真がメインになってくる かなと思いますねえ初めにの次はですねえ おじ島というところが初めて聞く人もいる と思うんですよおじというのはこれ私県外 から来た時おじ家というのは実は漢字で 書かれているのを見て読めませんでした おじ そうね読めなくはないけどお願とかねなん か別の読み方をしているのかなどうなのか なと思ったらおじでおじのGは地に点々 です死に点々ではなくてねえ値で価値の地 っていうものの感じの点々なんで地に 点々てということになってますおじの中に ある小島の概要紹介しますえそれから おじ島の挑戦ということでおじアイランド ツーリズム協会という団体がありますので えこちらのえ色々なねえチャレンジどんな ことしてるのかというものを取り上げて いきたいと思っています はい初めにま島旅ということでアイランド ツーリズムなんですね今日はねえテーマと してはそれがメインになってきますけれど もまアイランドツーリズムというものはね 皆さん方ま名前初めて聞く人も多いと思い ますえこれはえ何の紹介かと言うとえ私が ね鹿児島にいた時に元々私大学の教員に なる前は何やってたかと言うとまNPOを 作ってえ地域作りとか街づりとかま観光 ツアーとかねそういうものを作ってま市民 参加型のえそうですねまか地域活性化と 言ったようなことををねえ活動としてやっ ていました鹿児島探検の会というグループ がありますよかったら検索してみて ください今もあの代表をね引き継いでえい ます2代目の代表の方が鹿児島探検の会と いう団体を大きくえしてくれていますねで その鹿児島探検の会という団体などでえ私 は元々人の少ないどちらかというと小さな 箇所の島ですねそういうところにま少ない 人数でえ知る人と知る場所に出かけていく というようなねまそういったまツアーと いうのをやっていたと私どちらかというと 現場にいた側が長かったんですけどねま 長崎大学で働いてる間にだんだんだんだん 現場よりももっと大学のねえ教員でま現場 に時々出ていきながらま大学にいるという まそういうこう内と外と両方かけ回る みたいなねそういう立ち位置になってい ます はいこの新聞記事興味がある方は是非ね 読んでみてください画面をストップしてね 見てくださいね はいでま長崎の場合は特に島の観光という のは注目をされています島というねま環境 はどまどういった特徴があるかというと 独特の生態系であるとかそれから独特の 景観ですねこれは自然景観もそうだし文化 的景観もそうですま色々なものがギュっと 詰まっているという魅力もあると思います え先週の役島のようにねえ役島は世界遺差 の島ですけどえ評価された1つの観点が えっとで決め手になったのが生体系の豊か さなんです生体系の豊かさというものは 約島の場合は海辺に集落があるんだけど この集落がある辺りは姉熱帯機構ですねで 山を登って行っては標高が1936m あるんだけどえここは 1936なんでえ気温の変化を皆さん理下 の時間で習ったと思います乾燥した空気 湿めった空気で100m登るごとにえ気温 が何度変化するかっていうねこれは細かい ま計算をしないといけないんです本当はね まあ大体100mで0.6°気温が変化を していきますから焼島の場合は標行に近い ところはま今の東北地方に見られるような 生体系が広がっているということでねま そう広くない島の中にま熱帯からま霊体の ちょっと手前ですねその段階までのえ色々 な同植物のえ豊かなえサンクシアりが 気づかれているとまこういうことですねで 島というのはそういう独自の文化や自然と いうものが見られるということでこのおじ というところもそういった魅力は確かに あるんだなということを前置きでお話しし ておきたいと思います はいおじ島の概要です2番目ですねえおじ というのはどこにあるかと言うとこの地図 で言えばですねえ五刀が左下に位置してい ますで左下にあるえ五刀レッドの1番北側 にあるこのカーソル動いてますけどこの カーソル動かしてるところが福島という ところです福島というところは 今何でニュースでよく出るかというと再生 可能エネルギーと呼ばれる風力エネルギー 発電所のメガソーラーですねえメガ ソーラー発電症ができていたりあとは太陽 光ですねソーラーパネルがま非常に広いえ 範囲ね引き詰められていて本当にこれが 地域にとって役に立つのかどうかという ような議論がなされていますま私たちはま 再生可能エネルギーというものがなんか すごいねえその言葉だけ聞くと地域にとっ てプラスになりそうなイメージが湧いて くるけれども実際にそのエリアにね住ん でる人にとってはそれが地域にとって プラスになるのか住んでる人にとってえ プラスのね色々なあ波及効果があるのかま 長めで見た時にねどうなのかということは 実は色々なあのケースによってえ判断は 変わってくるということですねでその奥島 の南の方に位置しているのが小じという ところですおじ島を中心とするエリアです ねでえ行き方としては船ですえま前はね 空港があったんだけど今は船だけでえ佐ぼ 校から基本的には出航する定期便で生きを していますま高速戦もありますけどまそう ですね2時間ぐらいでえ佐世ボからつく ことができるという感じですかねえそして えここのエリアというのはま仮の島なので 1つの自治体としてねやっていくには なかなか財政的に厳しいということがあり ましたのでまそれを解消するために対岸の 海を挟んでね佐星と合併したらどうかと いう住民投票がなされています え今紹介したえメガソーラーの発電所が あるあ今建設中ですねそろそろ稼働だと 思いますけどもえ奥島の場合は住民投票し て福町からえ佐星市に合併してえ街づりし ていこうという方が賛成多数だったんです ねそれでえ浮町という町は亡くなって今は 佐世保市の中に含まれています はいそれからえお家の場合には2004年 に住民投票を行いましたでこちらの方は 賛成と反対が非常にねあのき行したんです けれども基本的にはこれはあのどちらか1 票でも上回った方が民主主義の今のルール の中ではねえそれで決定ということになり ますのでえ合併をしないという選択をした とそれでおじ課長は今長崎にあるえ市と町 長崎県は村がありませんえ死と町の中では え最も規模の小さな人口が少ない町として ね存続をしているということになります はいえおじの人口の推移ですね右側の方に 書いてありますけど1番多かった時が 7000人台です結構人がねたくさん住ん でいた時期もあるんですけれどもまそこ からどんどんどんどん減っていってえ 2000え20年の6月というねえ時点で はま235人となっていますでさらにま5 年今また経過しましたのでえその5年後の ま数字というものがこれはえ今2000人 をままだ切ってはないけどまこのままで 行けばねいずれ切るだろうなというような 感じで現象を続けていますまこういうよう なま長崎の場合だと特に離島と あとは半島です ね離島と半島というのはえまこれ典型的に え人口が減っていく自治体が多いという ことになっているわけですね でおじ科町も色々な制作をね打ち立てた ことがありますえゴルフでえ人を呼ぼう ゴルフ場を作ってみたりとかえ高級思考の リゾートの島っていう売り出しをねやって みようということで福岡それからえ長崎と いうねえ2つの定期路線を作ったりした こともあったんですよね特に福岡は関西や 関東の乗り継ぎ便の利用を期待してえ多く のえ まリゾート客というのをね呼び込もうとし たんですけれどもま空港ができた当時が 1985年なんでバブル経済で日本が最も 景気が良かったという時期になりますね 歴史上歴史上の出来事に皆さん方にとって はなるわけです私は小学校4年34年生か なぐらいの頃でしたけどだからバブルの 恩恵っていうのは受けてないんですねお 小遣いが増えるとかいうことも特になかっ たのでそれがバブルのおかげだっていうの も小学生なんで認識してないんでね で2006年にまこの空港は結果としては まそのバブル経済の崩壊っていうのもあっ たりしてえ利用をねしなくなっていると いうことになっていますまただ今ま臨時便 とかですねそれからいざという時のま緊急 避難をするために一応空港として利用 できるようにはま最低限の整備はしてい ますあのもう廃止になって草が生えてと いうレベルまでは放置はされてないです けれども定期路線がなくなったということ ですね はいお家長のここからえ様子をねえ皆さん 見ていって欲しいなと思いますけれども ちょっとお待ちくださいね はい失礼しましたえおじのメイン ストリートはここになりますえようこそ おじという風にね書いてあると思いです けれどもえこちらね皆さん見ていただいた お分かりの通りお家長というところは人口 が2000人台ということになりますから ま言ってみれば長崎で言えば1つの団地 ぐらいの感じですかねイメージで言うとね なのでえハカ外と言っても何か大きなお店 があるわけでもないしチェーン店がある わけでもないです昔からの磁場のま個人 経営のねお店が少しだけえ営業をしている という感じですでお家町というところは1 つ面白いのはここは魚業のえ島なので 魚屋さんがないんですよ普通の島という風 に聞くと魚屋さんとかありそうなイメージ が皆さんしないですかねえそういう イメージも私も最初は持ったんですけど ここはもう人口が2000人ぐらいの島 ですからねだからそうなってくると いちいちえおろし売り市場とかそういう ものを通していくというもう手間がかかる わけです弾きはっきり言うとねなのでえ物 交換をやってるとえ漁業の方はね魚介類を 持ってくるわけですで農業の方はねえお米 とかあとは蓄産品ですねそういったものを 持ってくるでそれで交換したりっていう ことをやったりあとはもう直媒ですねま そういうような形で営業しているのがあま 多いという感じですだから直走そうです 3地直走ですを構える前にえ朝え魚がね 取れたところに皆さんが足を運んでいって でその場でもう買い付けをして持って帰る とかねだから取れるだけの量を取っている というようなイメージです はい次に行きますねえ次はねお家調立歴史 民族資料館というところですでここもあの 字の方ね下の方ちょっと見にくいですけど え旧小田住宅と書いてありますここ織田 さんという家の後に作ったえ歴史民族資料 館になりますまおじ長の歴史を知ることが できるというねえ場所になるわけです けれども普通こういうようなま資料館を 作る時というのはまわかし何億円とか場合 によってはね何十億もお金をかけてえ比較 的そうですね大きな公共事業というような イメージになるわけですけれどもこのお 自家町の特徴というのは歴史え歴史民族 資料館作る時に新ねえ建物を作る予算が ないと それでこの織田さんていうオタクねここ昔 からえおじにあったメ家なんですけれども このおじのえ色々なねえ 資料館を作るのにいい秋屋はないだろうか と でその秋屋と言ってもやはり大事な歴史 資料などをねえ展示する場所が必要です からま木造だけじゃ困るただあの木造で昔 ながらの屋敷の様子が分かりかつ 鉄筋コンクリートでそちらの方には古いね え手紙とか歴史資料とかあそういったもの を展示できるようなねえ明るさとか湿度を 調整できるっていう資料のえ保管ができる 場所ですねなんかそういうようなところが ないかなと探していたところこの織田さん というオタがもうあの年を取ってこられた のでえ島を出るとお時間を離れるのでこの 場所をお直に寄付しますということでねえ この歴史民族資料館っていうのはま オープンしたということになっています ですからもちろんあの多少リニューアルを かけたりはしてるんだけれども元々の値段 は0円からスタートしてるという島の方の 気造で始まってるっていうねまそういう ような特徴が大変珍しいんじゃないのかな と思いますね でその歴史民族資料館の中にまどういった ものが展示されているかというとやっぱり 長崎ですから長崎はえキリスト教の関連の ねえ遺産が世界遺産になっていたりします しえここもですねえ1番最後の パーポイントで出てきますがえ旧教会と 呼ばれるところがま世界遺産のま島小島の 隣に野崎島ってのがあるんだけどその野 崎島は島全体が世界遺産になっているん ですねでその中にえ今使われてないえ旧 教会旧備協会っていうのがあってでこの 旧び協会のえ 人たちね利用してた人たちから受けてここ にええ島のねえ人たちのま生きた証という ものをね展示してくださいということで 持ってきてくれたというものですえ左側は ロザリオと呼ばれるものですねこれあの カトリックの方はこのお祈りをえする時に これ手に持つんだよねてじゃなかったかな 確かそうだったと思います はい次ですねでその旧び協会を作る時に ステンドグラスを利用してたんですが ステンドグラスこの当時ねえ日本ではまだ 国産としてね作ることが非常に難しくて なかなか手に入らなかったということで これですね明治41年にヨーロッパからえ 輸入をしたというものが今も残されてい ますま明治41年っていうのはまだ19 世紀ですねえ非常にあ19世紀じゃない 20世紀のですねえ100年以上も経って いるわけですけれども非常に貴重な資料だ ということで展示されています ま野木島のようなねあるいはおじ島のよう な ま中央から遠く離れたところにも長崎の 場合にはそういったキリスト教の文化って いうのがま根付いているま潜伏キリスタの 方たちが住んでいたということがねまこう いった歴史から分かるわけですね はいそしてこちらは何でしょう古い絵なん ですけど えっとこれはね元々の 色彩はもっと丁寧に 鮮やかに書かれてたはずなんですがま長年 のねえ年月が経ってきたことでえその絵の 表面の絵のなどがちょっと取れてきて しまってますえちょっと拡大をしたいと 思います一体何が書かれているのかという ことですちなみにこれはあの 何の絵かと言うとエマですエマ皆さん方 受験の時にどこどこ高校にとかどこどこ 大学に合格しますようにみたいなことを 書いて神社にあの紐でこう結ぶみたいな ことしなかったですかねでそういうのって こう手のひサイズぐらいですよね 非常にまコンパクトな形なんだけれども 元々のエマというのは非常に大きいですで ここにある今写真に映っているものは畳1 畳分ぐらいあります非常に大きいですねで 木星でえ掲げられているま神社とかま神社 が中心ですかねお寺にもたまにあるけれど もあの神社の中に奉能される ものなんですねやっぱり願い事を書いて いるわけです はい絵を拡大しましたでこれはえっと左右 に 左側の方に いくつかこう船がねこに似たような船が つっているのが見えると思いますそして 1番右側に 黒くね書かれているのがクジラです ということはここクジラが取れる町補形の 町なんですこれ大事の町ね長崎って いろんなところでクジラが取れていたん ですけども特に江戸時代は平戸とかおじと か五刀ですねこういったところでクジラの 量というのが盛に行われていたということ ですでクジラを取るとどうなるかと言うと もちろん食べるっていうことも しますしクジの油ですねクジラの油はえ ま食用の油にも使っているしそれから 日本の場合はまだ江戸時代は電気とかが ありませんのでえー明りを取るための油 ですねそういう利用をしていましたそれ から骨などは骨粉と言ってえ粉なごなにね 砕いてでそれを畑などに巻くと肥料になる みたいなねまそういう感じでねいろんな ものが捨てるところがないという理由の 仕方を日本のえクジラ量では行っていたと いうことになるわけですですから補形で まみんな出かけていってねでクジラを 見つけて帰ってくるとま非常に いろんな触手の人たちが関わりながらその 集落やその島自体が非常にね潤っていく 経済的に豊かになっていくという風にねえ なっていったというのがまこういうこと からも分かりますだからクジ田が取れます ようにということは地域が反映しますよう にということをねお祈りしていたという ことですね はい今のま小田というところですけどま 元々この息から移住してきた方だそうです まそしてえ平戸ま佐世ぼえ五藤おじねこう いったところがまあまあホ芸のねえ盛んな 日本の中でもま九州のねえで西九州エリ アっていうのがわかしよく取れる場所だっ たとされていますねま今もそうなんです けどなかなかくじられってのはそう多くは えま現役でされてる方は少ないと思います ねむしろ和歌山県の太地長とかあちらの方 がまちょっと致名度的には上がってきてる のかなと思いますねでホ芸 というところは地域の名刺です地域の名刺 としてえ補迎や神殿開発や食産工業ま産業 を育成するっていうことですね色々なねか 手といったことを行いながら地域のま まとめ役をやっていたそしてその方たちが 先ほども紹介したようにえ平成元年ですね 1989年にえ織田さんの屋敷をね 譲り受けて歴史民族資料館を開管したとま こういうことでおじの資料館は非常に 手作り感がえ豊かなえ場所だなと思います 風庭園とかもね私庭園に詳しくないけど 多分五藤先生が見たらあの色々ねえ解説を してくれると思いますまだ1年生だから どうでしょう五藤先生って授業は担当が ないかもしれないけれどもま検索してみて くださいホームページをねあこういう先生 もいらっしゃるんだなということでねえ 参考になるかなと思います はいそれからここはですねえちょっと 飛ばしますけどまポットホールというこれ はま地学にね関係があるような場所です けどえお島のすぐ隣に橋がかかっているん ですがマダラ島という島があってそこの島 には日本で2番目に大きなポットホールが ありますボットホールって何だろうという ことでえこれは中学生だと思うんですけど 小学生かな小中学生どちらかなんですけど ねえ書いてあります 海岸に行くとま色々な珍しい石とかあり ますよねえその中でもすごく綺麗に つやつやしたスべスべの石とかあるいは ゴツゴツした石とかあったりしません海岸 が歩きやすかったりゴツゴツして足が 痛かったりねすると思うんですけどここの えマだ島というところのえ何箇所かにね見 られるものがこのポットホールっていう もので元々この 丸 石がね沈んでいたわけではないんですこれ 不思議なんですけど元々は平坦な海岸線 だったところに ま海の道などでねえ海水の出入りがある わけでその海水の出入りがあると 浸食されます 侵食ね傷がえ染み込んでいってえ少しずつ え表面の岩肌を削っていくそしたらある 程度大きさになっていったところで 1まそうね1mから 2mぐらいですかね結構深いですけど まこれ以上まこの岩石硬くて 波がもう削れなくなってきているという ところでね 塩の道でえ波がまだ入ってくるので 石がね ここでゴロゴロゴロゴロ 激しくじゃないですよ長い時間かけてもう 何万年っていう単位ですかけて石がね削ら れていくわけですゆっくりゆっくり削られ ていくと 上にえ艶のあるねえ丸っこい石が中に誕生 してる非常にこれ神秘的なんでえポット ホールというものは神社などに奉能されて いたりすることもありますま昔の人から見 てみればそれをねあの自然が作り出すって いう風には思わないですよなかなかねえ 何か神様が作ったんじゃないかという風に 思ったんだと思いますまそんな感じでこの ポットホール日本でえーあごめんなさい 世界で2番目に大きなこの丸石なんですよ ホットホール丸石なんでえ昭和33年です からえ19008 年ですね1958年に国の天然記念物に なっているというようなま需要的なねジオ サイエンス的な見所っていうのもあると いうことですね はいでまおじっていうところあとは報北を やっていたりします とても綺麗ですね報北をしてますけど基本 的には えっとこう小犬じゃないえっと報北なんで 講子ですえ講師を報北してでそれを全国 各地に講師を出荷します ねえそれで全国の 松坂牛とか有名ですよねえ田島牛とかそう いったところの行使として出荷はされて いってそして牛になります正牛になってま 大人の牛になった時にえ肉に加工され るっていう状態になるわけですがこの加工 されたところの場所が3地になります 肉の加工の場合はねだからあのおじおじの 牛っていうのは あの講子しかいないので奉仕子の段階でえ 肉にすることはなかなかありませんので 私たちは叔牛っていうのは見ないんだけど えそれは全国に鹿島牛とか松坂牛みたいな 形で出荷されてるのをね見ると元々辿どっ ていくと結構ま お時間に限らず5頭だったりえ島原だっ たり色々長崎のねえエリアのえ出身の牛 だっていうことが分かりますあの国産の牛 というのは全て個体え個体識別っていうの が振られているので どこで生まれてどこで 飼育されていたっていうのが全て終える ようになってますね個体式別番号日本のえ 地産技術のね非常にこだわりがあるところ だと思いますね はいじゃあちょっとこの写真を見てですね 1分ほど私ちょっと黙りたいと思います はいちょっと1分ほどえ休憩をしました けれども え皆さんこのねえ写真を見ていただいて 何の食事かなていうのをね考えて欲しかっ たということになりますけどほとんどが海 の になると思いますま一部サラダとかは違う けどねまメインで食べるものっていうのが ま魚るま魚だ うん魚当たり前だねえ煮付けだったりお 刺身だったりそれから伊勢だったりとか 非常にこれねえ豊かなま海のというのを 味わうことができるというねそういう様子 なんですけれどもこれは私が撮った写真に なりますえおじ家というところは今何を やってるかと言うともちろんその漁業でえ 補ゲをしているかと言わればま補ゲはま ピークを過ぎてえなかなか本格的にね 取り組めているというわけではないしそれ からカ疎島で観光も一見するとねえそれ ほど ま多くないまバブル経済の後でねえ多く ないようなイメージもあると思うんですが 色々観光のね戦略というのをま練ってえ こういった方法をやってみようというよう な取り組みで進めているのがアイランド ツーリズムの中の島ぐらし体験というやつ ですでこちらは民泊です私たち民泊と言う とま完全に部屋だけを貸してくれる スタイルの民泊というものもねもちろん これも需要があるので今あちこち増えてい ますま問題も出てきてるけどねま今後運用 どうするか考えないといけないけどえ部屋 だけ貸してくれる民泊これは都会に多い ですね都市に多いえであとは ローカルなエリアに多いのは こういったね体験型えっとこの場合だと 地元の方の家にえ増築をして宿泊 施設をね部屋を1つとか2つとか増築をし てま綺麗なねえま民泊 を併設するような感じですね そして食事などはま一緒に作ったり一緒に 食べたりま地元の人と触れ合うというよう なねま観光をするこれをまアイランド ツーリズムっていうことでお家は一生懸命 進めています ここの 素材ねまもちろんこれ1人分じゃありませ ん12345人分になるんだけど 1人この時私が行った時はいくらだったか というと8000円でしたね1人 8000円今ちょっと値段がね上がって ますこれは物価高等のねま流れもちろん あるんだけどま担手の方たちがちょっと 減り始めているのでえできるだけその内手 がね利益が出るようにっていうところをま 理解してくださいっていうところで値段は 少し上がっているかなという感じがします これは旅館ですえ民泊ではなくて旅館の方 でもま美味しいえ海のさが味わえるという ことになります はいおじ島には船で行くことができるので ま基本佐ぼとの生きを私もしたということ になりますね えそして島の方というのがどの船が入って きた1日1日ね2便か3便なんですよだ から船のあの 大体今が出行ですよとかあるいは船がつき ましたよとなると島の方がね港に集まって くるみたいな感じになりますそれで民泊の ねお世話になった方などが見送りに来て くれたりするとこうやってえ手を振ったり することもあったりするわけですね はいでこちら3番目ですけどえおじ島の 挑戦ということでおじランドツーリズム 協会ここがどういうことを取り組みとして ねえ推進しているかというのを紹介します えおじでは今お話をした島ぐらし体験を 中心としたアイランドツーリムツーリズム 島の観光ねえこれをまメインとしてま地域 進行に逆立っていこうとまそういったね NPO法人を作って活動をしています そして元々はこのえおじアイランド ツーリズム協会というところは1つの組織 ではなくて3つねえ別々の団体があって それが1つに合流したという形を取ってい ます1つ目が叔長観光協会というところ ですねま観光協会ですからま半分民間半分 超みたいな感覚でいいと思いますねで こちらが1番歴史が古くて96年に誕生し てえこれ旧ターミナルっていうのはさっき の船の港のねターミナルに事務所を設置し たということになりますねえそれから長崎 島の自然学校っていうのもえ1999年に ね誕生していますえ行政それから民間団体 町の特徴というのは ま島の人口を2000人ぐらいと考えてで 役場の人口もそんなに職員のね数も多くは ないですからえ役場まいわゆる行政とえ 民間の人たちNPOとか地域の活動を色々 する団体とかねこういったところがま結構 早い時期から共に手を取って共同事業やり ましょうということが多いですね でこの長崎島の自然学校っていうところが まその共同事業の1つでえ夏に夏の間にね 2週間です長いけど2週間長期キャプって のをお時間ちょうど行っていましたこれ コロナの後確か再開はしてると思いますね いろんな形を変えながらね はいそしてま3番目におじらツリズム通信 協議会っていうのがまできていてでこれが 民泊をねえしようということで2005年 にえ立ち上げられた団体で最初は7件で 民泊が始まったということですね はいオッケーですちょっとお待ちください 少し待ってくださいね はい失礼しましたえ続きに行きたいと思い ます え続きはですねえこの民泊を行うという 団体も合流してえ叔ジカイランド ツーリズム協会ができたということです そして大きなきっかけ天気になったのが 2007年なんですけどえま節めとなった 事業ということで地元の方たちもよくね 言ってますこう20年近く前のことになる んですがまアメリカのね高校生たちを民泊 で受け入れようという事業がありましたで これは何かと言うとPTP事業というもの ですま後で次のパワポイントで紹介します PTP事業で高校生から1000あ 1800じゃない多すぎるえ180人を 受け入れたっていうことなんですねでえ この学生たちは生徒たちはね ま長崎というところはまいわゆる原爆の 歴史などで聞いたことがあるんだけれども それ以外の見所ろっていうのは色々ある はずだということで長崎の一般の 人たちとの触れを通して平和を考えたいと いうことですねまそういうことでこのおじ というところが民泊をやってるみたいだよ ということでこの高校生たちがアプローチ をしてえ英語とかできる家は少ないんだ けどえ島体験というねま 本当にこう飾らない長崎のえ 魅力っていうのをね触れてもらったという ことですそしてま高校生たちこのPTP 事業っていうのはあちこちえ高校生が長崎 だけじゃなくて世界各地に出かけていく ものなんだけれどもえその中でこのおじに 来たえ人たちのねプレゼンというものがえ このアメリカの高校生平和大使アンケート でえ世界一っていうね評価を得たという ことですはいPTP事業ですアメリカの アイゼンハワー大統領という方がいますで このま大統領が作ったま財団ですねえ民間 外交でえ平和を構築していこうという考え 方をしたえ人でで世界のねリーダーになる べくしてえアメリカの若者たちを要請して いこうと保育趣旨でね年間2000人 ぐらいのま主に高校生ですけどえその若者 たちが世界各地へ派遣されてそして色々な 平和について考えたことをプレゼンをして いくということですだからま長崎のおじ家 にやってきたえ人たちが180人ぐらい ですからまその人数で言うとまおよそです ねえ ま10から12ぐらいのえ団体でそれぞれ 散らばっていろんなところに出かけていっ てそしてその成果をまプレゼントして報告 することでま投票などがなされてねそして 長崎のおじのお話を聞いた皆さん方が一票 を投じたということになるわけですま アメリカでもこれかなりね取り上げられ ました当初ね そして翌年になりますけれども2008年 にはえPTP事業またこれ連続してですね えまたお時間に行きたいというまた別の メンバーです次の台のメンバーがやってき てえ2年連続世界一ということにえなって いますえそれから民泊ということに注目し た韓国のえ行政の人たちの視察がやってき たりとかえそれからその民泊を行うに あたって2種類の民泊1種類は先ほどあっ た島ぐらし体験の民泊もう1つはこの パワポイントの背景にもあるようにえ補ゲ で栄えていた当時のまいわゆるこう 和風 の非常に高級なねえ素材をま材料を使って 作建築されたえカオクをまいわゆる リフォームをかけてでコ民化として活用し ていきたいとまこういうこともねこの当時 考えていたのでえその調査事業を行ったり していますそれから2009年になると 修学旅行生もやってきましたでこの修学 旅行生は主に都市部からやってくるという 感じです修学旅行のお話は先週もした けれども基本的に行き先っていうのは先生 が決めるということですね先生が決める中 で生徒はその中から選ぶっていう感じです よねま学習要素があるのでこれはまある 程度仕方がないところはあるんですけどえ 主に 都市部から地方へで地方の生徒は都市部へ 行くことが修学旅行は多いのではないかな と思いますそういう感じで自分たちの生活 権を離れたところでのね日頃できない体験 をするというのがま修学旅行の1つの役割 になっているのかなと思いますね はいそしてパワポこれが最後だと思います けれどもえ野崎島自然学熟村っていうのが ありますねえ野崎島っていうのはお島の隣 にある島で人口1人なんですなぜ人口1人 ですかと思わないね人口1人になるまで 住んでる島も確かに他にありますえ どんどんどんどん人が減っていって最後 1人だけえ自分の地元だからって言って 住んでる島もあるんですけどねえでここの 場合はね 600人の再世紀のねえ人数のお多さが あったんだけれどもまそこから一旦0に なります0になるのはやっぱり加疎化が 進行すると色々なねえインフラの維持って いうのがお金がかかるようになってくるの でえ多くの方がおじ島や佐星などにえ移住 していったということになりますで現在 1人住んでいる方はこの野崎島のねえ自然 学塾村っていうところのま施設管理員をし てる役場の方ですね役場の方が上駐して いることによってこの島は無人島ではない 扱いです人が住んでいるということで実は 無人島と人の住んでる島って国から出る 交付金っていうのが違うんですよ ねやっぱり人が住んでるとやっぱり多めの 交付金人が住んでいるためのま最低限の インフラ維持のためのねえお金とのが予算 としてえ出されてきます特に国境に近い島 ですからね長崎の島っていうのは そうだ津島五等というのは国境離島国境 当初と言いますね国境離島にするのでえ そういうところでえ住んでいる人たちには 予算が比較的手厚くねえなっているという のが今の日本政府の方針ですそれからこの 野崎島にはえ無人島ですけれどもあの ステンドグラスがね資料館にあったのでお 分かりのようにえノび天使道というのがえ 立っています今は使われていないので旧備 天指導とかま旧協会という言い方をします ま1908年ということなのでえ1908 年は明治時代ですね明治 明治41年ですねえ完成しているという ことでまとても古い 建物ということになりますもう間もなく 120年が多としていますね でえこの哲川よ介さんという人はあの覚え なくて大丈夫だけどえ長崎と天草地方の 潜伏キリシュタ関連遺産 というね世界遺産が長崎にはありますで この世界遺産のえ中ではま必ずね哲介さん ていう人があの建築家として登場してくる んですがこの方にとってね初めてのえレガ 教会建築っていうのがこのおじ家の特備 天使道だったということです で 教会建築を立てることができかつステンド ブラスをヨーロッパから輸入することが できたっていうのは言い換ればこの叔ジ家 というエリアが 補形を中心にして明治の終わり頃は非常に 潤っていたということが言えるということ ですねまこの点っていうのは今私たちが なんとなくま九州の地図を見て長崎県って いうのは西の端っこにあるんでねえ ちょっと不便だなとかなんか端っこの方だ なとかいうイメージあるかもしれないんだ けれども逆に言うとそれ 西九州エリアの海に開けてい世界に開けて いるるっていう意味で言えば最先端なわけ ですよねでその最先端に一致をしていた おじエリアでは補芸が盛んだったという ことを是非ねえ最後これ強調しておきたい なという風に思いますはいそれではま今回 は 島旅の作法という名前をうちをつけました けれどもま場所としてねアイランド ツーリズムっていうものはどこでも展開 しるんですがその中でも特にこのおじと いうところでえ 見られるねえ島ぐらし体験のアイランド ツーリズムについてご紹介をしていきまし た ということでこれでパワボ多分はい最後だ と思います で今日のねえ課題についてはまたラックス の方にあげてありますのでそちらの方から 記入していただけるとありがたいです提出 期限ね気をつけてくださいよろしくお願い しますはいそれでは今日はこれで終わり たいと思います はいそれでは皆さんお疲れ様でした