「伊勢擬革紙」 第Ⅰ編
上芝居 伊勢学市第1編代 自馬葉産業であった伊勢学市 始まり始まり 先 ちゃんが三重県に引っ越してきました 太郎ちゃんとめ衣ちゃんは地域を案内 しようと大張り切り 博物館の先生に相談をして準備をしました ところが分からないことがいっぱい1つ 分かるとまた新しい謎が出てきます太郎 ちゃんとめ衣ちゃんはネットで調べたり 語り辺さんに話を聞きに行ったりしました 三重剣士という何冊もある熱い本も見せて もらいました だんちゃんおはよう おはよう今日はこの地域のことを紹介するね 博物館の先生やりさんに色々教えてもらったんだ 頼もしいなあよろしく 任せて 太郎ちゃんこれは何 タバコ入れ うーんタバコ入れ 今から250年くらい前の江戸時代着物を 着ていてヘアスタイルも今とは違っていた 頃とってもおしゃれな持ち物だったそうよ へえ これがタバコ入れなんやね ダんちゃんだんちゃんこれ見て 博物館の先生に教えてもらった伊勢さ宮 名所杖伊勢神宮にお参りに行くことをお 参りんだけどね そうした人たちのためのガイドブックみたいなもの男の人たちタバコ入れを腰に下げているだろう わあかっこいいなあ着物に似合ってる女の人は紐がついてない同じようなものを着物の中に入れてたんやって [拍手] お侍さんなんかは白い髪に包んでたんやってそうなんやこれってさなんでできてるんやろう この地方には知恵のある人たちがたくさんいてワを使ってタバコ入れを作る工夫をしてたんだってそれわしは軽くて強い 値段も手頃デザインもいいと思うおい狭いの人がお土産に買って帰ったら江戸でも大人気になったそうや うんうんこのタバコ入れみたいに見えるね模様も綺麗新しい物好きの江っこの心わし掴みってとこやね その通りやよだんちゃん 夕立ちや伊勢の稲のタバコ入れ 来るなる光強い雷太田食人という江戸で有名な人が松坂の稲というところにある店のことを強化という歌に呼んでるくらいやもん 雨がたくさん降って雷がゴロゴロと大きく なっても 古くなるほど光ってくる美しくて強い タバコ入れっていう意味なんだよね ガロゴロゴロゴロゴロゴロ きゃあ私は雷は苦手 クアに入ると伊勢の国お伊さんの近くで 自分も伊のタバコ入れを買おうとたくさん の人が思ってたそれでこの地方でどんどん 売れるようになるもっといいものを作ろう て工夫したんやよね そっか 地域の人たちみんなが頑張ったんやね そうなんよちゃん 僕たちの住んでる地域の産業となって みんなの暮らしを支えてきたんだ それにしてもたくさんの人 歩きだから大変そう茶店でわじという履き物に帰って餅を食べて休みながらおさんを目指した乞食という日本で 1 番古い歴史の書き物の研究で有名な坂の通中先生 はお勢参りの人の数を書いているおかげ 参りという特別な都年には50日間の間に なんと362 万人の人がおさんを目指したんだって へえ 松坂市名和町玉町伊勢を合わせた人口の 10 倍以上やよねどうやって人数調べたんやろ そうやねどうやったんだろうなあ でねおかげ参りで内年でも全国から毎年 100万人くらいその頃の日本の人口は今 の1/4の3000万人くらいだから 赤ちゃんもお年寄りも入れて30人に1人 ってとこすごい数やよね それから東北や九州からもたくさん来てた んやって江戸はまだ近い方江戸からでも 15日くらいかかったんやって またまたうへえや僕よう歩かんわ おさんで何日かおって 帰りには京都にも寄ったりするんやろ 生き帰りで2ヶ月くらいかけた大旅行やっ たんやなあ 多くからせっかくおさんに来たということ で薬やお城いタバコ入れといった軽いお 土産もたくさん買ってった人が行ったり来 たりする道にはつやさん山中さん愛さんを 初めとしてなんと100件以上紙のタバコ 入れの店が並んでたんやって ねえねえ ところでんちゃんめちゃんもっと軽いお土産知っとる 軽いお土産?何 え あれ太郎ちゃん踊るやっとこせよいやな 温度 うわあ僕も踊りたい おさんで見たり聞いたりした異温度を歌いながら踊いながら帰ってそれが全国に広まってお祭りの歌や踊りになったんだって語り辺のおばさんに教えてもらったんだ なるほど踊りもお土産やったんやね この踊りが日本中に広まってったなんて 流行を生み出す最先端の町やったんやね センスのいいタバコ入れを作る工夫をする 知恵があったのもようわかるわさすが太郎 ちゃんとめ衣ちゃんの故郷 時代が江戸から明治へと大きく変わる頃 万国博覧会がヨーロッパやアメリカで開か れるようになった 色々な国が参加して技術や芸術を展示する 白覧会やよね のものは素材もデザインもヨーロッパの人たちには珍しくって人気になったやろうねそうそうわしはヨーロッパの人たちを驚かさせたんだ 伊勢の国の人たちはタバコ入れの技術を生かして壁紙などを作って持っていったの 1873 年にオーストリアで開かれたウイン万博 から この時を加工した神に師という名前がつけ られたんやって 明治になって名前がつけられたんだ 伊の師はデザインがいいって世界でも有名 になった何 度も賞をもらったって美重県に書いてある私にはちょっと難しくて読めやんかったけど博物館の先生が教えてくれたん さっき話したサンチさんには 1900 年のフランスパリ万博で自称したゴールドメダルが残されているよこの前見せてもらったんだ え僕も見たい 記車が走るようになると街道を歩く人も 少なくなってね その上安い川が輸入されて種に変わる新しい素材も開発されてしまってえそうなると 残念なことに異の義格士は売れなくなっていく 今から100年くらい前昭和の初め頃に なると企画市の店はほとんどなくなって クラも潰されて実物も捨てられてしまった 作り方はそれぞれの店の秘密でね作り方が 分からなくなってしまった め衣ちゃん 残念やよね わしは自然からの贈り物で 師はとってもいいものやと思うのに 僕もそう思うよそれでもう1 度みんなに知ってもらいたいと思った人たちがサングブランドの会を立ち上げて再び作り始めたんだ まずは元になる遺跡隠しを買の人たちが作るその遺跡隠しを料にしていろんな分野人たちが工夫していろんなものに仕上げるこれが今の製品 環境に優しくてええ感じじゃない250年 前の江戸っこや150年前のヨーロッパや アメリカの人たちを取にしたと思うと ロマンチックやよね 太郎ちゃんめ衣ちゃん僕は引っ越してきた ばっかりやけどここも故郷やと思ってる からいいものを作ろって みんなで工夫してきたことや街の暮らしを支えてきたのこともっと知りたいな 私もずっとここに暮らしてきたけど改めて昔の人の知恵を宝物のように感じたわこの地域にはたくさんの宝物がある気がする よしじゃあみんなで宝も探そうよ 3人で宝探しだ
この紙芝居は、参宮ブランド擬革紙の会が、公益財団法人岡田文化財団2024年度助成「三重県南勢地域の地場産業学習資料作成提供特別事業」で作成したもので、明和町内での郷土学習の促進を目的として参宮ブランド擬革紙の会の了解を得て公開しました。