224)菩提山城【49歳独身の黙々とひとり旅岐阜編】城跡までは徒歩1時間 軍師・竹中半兵衛の居城 西美濃最大級の山城(岐阜県不破郡垂井町)Bodaisan Castle
2025年4月12日に訪問。
2年程前に大垣城、竹中氏陣屋と訪問した際に菩提山城の存在に気づき、一瞬予定を変更してこのまま菩提山城に行こうかなと考えたが、結局予定通り関ケ原町の松尾山城に向かったことがあった。
それ以来、行こう行こうとは思っていたが、タイミングが合わず、訪問が延び延びになっていた。
真夏に訪問する城ではないので、行くなら今か!ということで訪問。
菩提山城に向かう前に、こちらもタイミングが合わずに訪問できていなかった南宮大社を訪問し、旅の安全を祈願。
駐車場に戻って、ふと隅を見ると小さな観光案内所がある。
南宮大社と菩提山城は同じ岐阜県垂井町にある。菩提山城の縄張り図とかが載っているパンフレットとかあるかもしれないと思って立ち寄ると、案の定パンフレットがあった。
ちなみに城跡にはパンフレット類は一切無かったので、事前に手に入れた方がいいと思うが、ここは土日祝のみ。
JR垂井駅前にも観光案内所はあって月曜日と年末年始以外はやっているようだ。
午前10時過ぎに竹中氏陣屋跡の目の前にある無料駐車場に到着。
既に数台が駐車してあった。
城跡では10組近くと遭遇。明日の日曜日が雨天ということもあるだろうが予想以上の人の多さだ。
駐車場からだと城跡まで約1時間程。
自分の滞在時間は、駐車場からスタートして駐車場に戻ってくるまでの時間で、動画を撮りながらということもあって3時間半程だったが、それなりの時間は確保しておいた方がいい城だ。
菩提山城は竹中家の居城で、関ケ原の戦いで東軍につき所領を安堵されているが、石高は6000石。それほど大きな城ではないだろうと思っていたが、予想外の大規模な城だった。
ということは竹中家は、当時はそれなりの勢力を誇っていたんだろう。
ちなみに大手道入口は竹中半兵衛の菩提寺である禅幢寺の横にあり、駐車場からは徒歩5分程で着く。
竹中半兵衛の墓があるとのことなので、帰りに立ち寄らせていただいた。
竹中半兵衛は1570年に秀吉の軍師となり、1579年の三木城攻めの際に病死している。
天下統一へ大きく時代が動いたのは個人的には、桶狭間の戦いではなく、織田信長が美濃を平定した1567年からと思っている。
そこから豊臣秀吉が明智光秀との山崎の戦いを制したのが1582年。
個人的には、この15年が戦国時代で一番激動した時期と思うが、その時期にのみ大活躍したのが竹中半兵衛だ。
黒田官兵衛とともに両兵衛と評された竹中半兵衛だが、関ケ原の戦いでは、ともに東軍についたのに黒田家が福岡藩52万石の大名になったのに、竹中家は1万石に届かず6000石の旗本に。
実力主義と言いながら、完全な実力主義では無いのは、いつの時代も同じということか。
入場も駐車場も無料です。禅幢寺の駐車場は参拝者専用のようなので、竹中氏陣屋跡横の駐車場をご利用ください。
【投稿のいきさつ】
49歳独身の自分がただ黙々と一人旅をした映像です。大学を5年間でなんとか卒業後、24歳より西日本で有名なブラック企業に入社。1年のうち平均358日が仕事で、早朝から深夜まで数字に追われる日々を20年近く続ける(休日はお盆2日、年末年始5日ぐらいのみ。勤務時間は普通の時で朝7時〜夜11時、ひどい時は書きたくないほどひどい)。そんな会社もそこそこ営業結果を残せれた為、小さい営業所の所長をやったりと、ズルズルと在籍。そんな会社も数年前から労基の指導や働き方改革で週に1日は休めるようになる(最近は2連休もある)。当初は20年近く、毎日一息もつけない働き詰めの生活の反動から休日は全く何もしたくない、と思い本当に何もしない生活を続ける。ただ、この20年間、働き詰めで仕事だけのこのままの生活ではいけない、少しだが時間もお金もある、と思い、自分は何がしたいのかを考えたところ、自分は城跡を見るのが好きだったことを思い出し城跡を巡るようになる。2020年3月にスマホにかえたのを機会に投稿を始める。それ以前に訪問した犬山城、岐阜城、広島城などの記録を残さなかったことに後悔しつつ投稿を続けています。
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2 Comments
嫡男の竹中重門が、当初、西軍側だったのが、東軍に転じたのも、西軍側にとっては痛かっただろうな。関ヶ原も領地だったから。
時代と共に、山城としての利点は、無くなり、平地に、居を構えたのか‼️🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉