【在郷町・福岡県大川市小保榎津 藩境のまち】筑後川から大川家具を支えた藩境の港町 小保・榎津/重伝建制覇への道 福岡大分編#2

[音楽] はい。ここですね。うん。先ほどの川教会がさほど離れてないとこなんですけど [音楽] はい。福岡県大川市に来ました。 うん。 大川の町って有名なんですよ。いや、この辺で私車回してきたんですけど うん。 大家具の町、大川っていう看板もいくつもある。 おお。 ちなみに諸みも家具の街ですけど。はい。 で、その家具の街を支えた。 はあ。はあ。行きましょう。 [音楽] [音楽] 前回のあすじ賀県探市から越海軍ショートを眺めつつ後川教王は渡った一向北部九州を巡る初回の移動区間では水運の大動脈としての後側の役割の大きさを実感したのでした。そしてたどり着いたのは福岡県大川市。今回は大川市の母江の傷川を支えたメ班と柳川 班にまたがる半酒海の街並を尋ね歩きます。 [音楽] 川感じるでしょ。 ちょっと川感が出てきました。花川です。 [音楽] はい。花川立花胸しげの荷物ともです。 あ、そうなんだ。 で、これ工場なんです。 そうですね。 多分この辺から見るだけになると思います。これはまだ入れるところかな。これはね、江戸時代初島に作られた人工の川なの。 あ、そうなのね。はい。 四国川の歴史って結構深くて遡れば吉あるからね。 ああ、古い。はい。 奈良時代とか平安時代からあったような名前の知らないような身筋がたくさんがあってその中の 1個ちゃ1個なんでうん。 花舟です。こんなん皮と同じです。 ほう。 取りましょうか。はい。 これでも川港の町っていうインプットはできましたね。 できました。 大川っていう町がかつて所属してた水。 あの、あれは三とかミていう強に由来するです。 うん。うん。 ま、水辺を開拓しつつ水上輸送を駆使してきたような毒。うん。 水と共に歩んできた歴史を感じますね。 それはまだちょっとこの辺は久保っていう街ですね。 はい。ま、港町。うん。 地川の対岸佐賀県の前然前寺井とかいう街があるんですけど うん。うん。 そこへの都とか宿の機能がありました。 はい。ありました。 で、変なこと言うんですけどうん。 この花をちょっと遡った上流にも同様に肥然に渡る港がありました。 なんか複数化所あり。これこそが今回の母江の傷半酒海の町っていう遊園です。 はい。この確信部分ですね。はい。 半裸海ってのはどういうことかと うん。 江戸時代に柳川班の母、くる班の江の傷っていうそれぞれの町があって はい。はい。 それぞれに対して間違ってきたんです。 ああ。はい。うん。 その様子を示したものがちょっとだけ見えるかな?見えんかったらありそう。 [拍手] [音楽] ここ、ここ。ん?あ、はい。 この細っ水路。細い水路。うん。 今まで残る大川市江の傷と大川市母の境い目であり はい。はい。はい。 江戸時代には班と柳川班の境。 ああ。 じゃあ仲悪くなったらここを境いにやいのやいのやるわけですね。 やいのやいの。 あの、昔はもっと広かったみたいで、 最大2件だから3.6m ぐらいやってはあ、 それこそを積んだ船が花骨川からってくるっていう輸送にも使われたらしいです。 はい。今じゃこんなんですよ。 今じゃね。 はい。はい。 じゃあ私たちは今母から絵の傷に入りました。 はい。 クルメの側の人間です。気持ちも何も変わりません。 ああ、ラーメン美味しいよね。 そんな変わる? いや、ちょっとブリジストンに入りたいな。 ブリジストンに入りたいな。ここ が絵の傷の街。 はい。じゃあ選んでください。うん。 犯罪の歴史を聞くか。 はい。家具の歴史を聞くか。はい。 家具。家具ですか?はい。 なんで家具の街なのか。はい。 昔は河線といえば船で物を運ぶための輸送ですよね。 はい。はい。だからです。 だからここに木はないけど木が運ばれてきましたか? 木は下の方ですね。 あ、はいはい。下から 意外に遅刻川自体は水深が浅くて有界から入ってこれる大型の船ってここあたりが限界なんです。 あ、こっから先もう浅くてこれ。 はい。ちっちゃい船から大きい船の積み替えとかここである。 はい。はい。船大工が多くことになって うん。船大工家具作れる。 作れる。船工具作れる。 上流からひのきくる。はい、 ということで境いました。 じゃあ家具作ること。はい。それでできたのが、ま、江差し物。 はい。はい。今の大川の円形ですね。 へえ。ということで来たのがはい。 あれすね。もう高橋住宅です。 はい。 はい。高橋ですね。 はい。これね、家古いですよ。18 世紀半ばのやつです。 すごいな。 江戸時代中江傷では現存する最後の住宅です。 ほお。 で、素りは1711 年から行われてて、もう300 年超えましたね。歴史のある素作り。 はい。ということで気になるオ酢のお店です。 はい。 あとそうですね。は、えっと、鬼も巣と書いてございます。 素だ。 気になるオかがですか? ちょっと入ってみますか。 [音楽] このような買い物しました。分すごいですね。 すごいね。広いし2階レストランや。 こっちレストランだってしっかりするわ。はい。引き続き進むんですけど。はい。このちっちゃい通りを見ようじゃない?これ。 ほら、ベタベタくっこ通り。何?くっこね。なんか変なクリーチャーがいる。 クリーチャー。クリーチャーみたいな。 細い路ジ通りの名前ね。 うん。この地域の妖怪の名前なの? クリーチャーで合ってたじゃないか。じゃあ、 あの、地元では牛の下、あと下びらメのことを口底とか靴底っていうの。 ああ、ヒラメぺったりしてるから。 そういうことだろうね。うん。 路ジとはいえ反社会なので子供が下手に迷い込んで争いに巻き込まれないように大人がそういう妖怪を考え出したのかなっていう話です。 [拍手] ああ、ベタベタとこが来るからこっち来ちゃだめだよ ていうやつ。 どこが境なんでしょうね。こっちか。あ、くっつこいたよ。 [拍手] こいつかく いっぱいいる。たくさんいた。思ったよりか。 いや、足元にベタベタみつかれるわ。 いや、てか本当にいっぱいいるわ。ほら。 あ、これですね。半酒。 あ、これ。ふふ。もう本当かよっていうぐらい。 [拍手] うん。これがか。はい。 え、そう思われます。うん。 ていうベタベタくっこ通りでした。 くっそこいっぱいいたよ。これ怖い。 [拍手] 最除録画中 すごい猫いるんだ。 いるわ。あ、どんも いるどこ猫可愛い。ああ。 いや、なんかあの子猫が飛ぶ瞬間をちゃんと取っちゃいました。いや、あの道見てさ うん。 猫いとか言ってるけどだったら道まっすぐにせえと思いますよ。 見通し悪いかね。 これはね、敷地が道路に対してまっすぐついてないの。 あ、そうなの? 蹴り上のギザギザしたち割りになってるの。 わざと。わざと。 これね、敵から身を守るとか2 車を置くとかの用途で ああ、はいはい。ロゴ切りの街並 ああ、こんななんだ?ガンレンチ。お寺様。 絵のきの付けによって ああでに作られたお寺です。 えの木寿司作用でございますか? 作用でございますか? さらに向こう側にね、江の木城って白跡があって ああ、白跡。はい。 白山公園があるんですよ。 はい。ただここね、 排場後に小学院っていうお寺の土地になってたらしくて はい。はい。 道路が北側についてるんですよ。 あ、こっち南なんですよ。はい。 めちゃくちゃ遠いんで。そうね。 なんで白跡と江白住宅はスルーします。 はい。 江白は江戸時代末ッキに立てられた狼作りの街屋です。重要分化剤です。 十分ではあります。 はい。今度なんだ?中村だ。 はい。ここが江地のバスの中心部だ。 ここ中心。 この辺りに考察があった。あ、ありそうね。 考察あった感はあるね。 この辺これね、江戸時代からの荒野屋で昭和の戦後に神朝になった はあほていうやはりここもいらかな ですかね。はい。 でね、町屋明治時代に立てられたらしいんですけど うん。2024年に修復完了したらしくて ああ、 屋根の河らも新しいよって綺麗になってる。 確かに街が思ったよりちっちゃくてさ、 コンパクトシティ 喋って歩いてるうちに追い越しちゃった。 追い越した。 良くないな。待って。半酒海の街広場。あっ 広場。 多分ね、駐車場ここ使いに来るべきなんだよね。 来車駐車場こっち半坂のここからスタートです。 あれ というわけでね、半崎の町です。 です。 大川市一体はですね、戦国時代に立花の支配だったんですけど うん。 関ヶ原の戦いで軍に組みしたので新しく地後一国 国持ち代名として田中吉正が来るんです。 はい。はい。 吉は地府に入る前にいた岡崎でも下町を整備した人で おお。 そうね。後で回る福島城を気づいた人でもあるしもちろん大川でも川を回収して船大工の限税とか色々頑張った人なんです。 [拍手] はい。はい。 そのように大川の発展には起与したんですけど、田中市は 2 台で断してしまいました。ほっと。その際に うん。 地後の国は柳川班、黒班、あと三木班、3 つの半で分されました。はい。はい。 その柳川班とく班との半酒がここっていう話です。 はあ。はあ。は。 じゃあこれからコンボの街を見ていきましょうか。コンボ。 よいしょ。 [拍手] あ、案内ある。 で、ここからじゃあスタートです。 スタート。 っていう広場にあるこんな説明とか。これ何ですか?お、これより東柳川って書いて。 [拍手] あ、半酒を示す石ですか?はい。反石ってね。 反響。うん。 はい。反石。さっきの中村上店の前に立てられていた石中かな?標中だね。 うん。 え、江戸時代の旅重なる半酒屋争いで引き抜かれていた立てる。引き抜く。 引き抜いてた。 あ、ま、昔木だった頃は引き抜かれてたんだ。 うん。 そんな強引なやついるんすね。ちょ、見てみて。このここさ、配地によってハが排出になった後に路に倒されていたっていう。そんな扱いされてたの? え、いらねえ。 倒される。扱いが悪い。 扱い悪い。さあ。はい。右が江だったから左のコだ。はい。 上福寺です。上福寺年代はよくわからない。古い 戦国時代は天台州の受信寺って言いました。 ははは。ピピピピピピピピピ受信してる。 この3 本がですね、元々柳川町の辻5問ですね。 はあ。お城、後ろのもんでしたか。はい。 だから装飾とか彫刻が一切ない。 そうね。確かにお城のもんだから。 あの偉い人来てんね。井先生ご挨拶したけ。 はい。はい。ああ。ま、ていうかいきなりこれ気になるよね。やっぱり [音楽] なんか石っいっぱい 反響の列ですね。これが半酒海を示す石です。 あ、その石並べてあるの?ここに 穴の中に横着を通して馬をつぐ機能もありました。 あ、こつなぎ ね。今この母宿泊とかジム継ぎた機能も宿なんで はい。 あと絵の傷もジョコに向かう積み替えの皆さん うん。 なんで行業しい石晶が置かれることもなくこんなあっさり はい。はい。 ちゃんとか作るとしゃら臭いからめんどくさいから毎回通るの 頻繁に通るのにはい。 お酒石。お酒です。下の穴は現在見ることができない。あ、あったんだ。 埋もれてるのかな? うん。そうだね。はい。ぼ神社です。八神社。これは最かな。 はい。 平安時代のです。ほ、この人の前で開かれ た位置が町の機嫌と言われています。はい 。追信ですか ?も綺麗。あ、いらっしゃい 。ほぼ8万人ではご挨拶できそうだからし ます。はい 。いや、 こ民かマジぼの中心って感じはするな。 そうね。 まだ母がカタカナんですけれども、どうすればいいですかね?文字見たろ? 見たのにまだちょっとカタカナなんです。まあでも街並の感じは大きく違わないかな? そうね。こっちのがちょっとまっすぐですよ。 猫いても大丈夫? 猫いてもまだ見えるかな?ここは宮崎ですね。これで 1番古いのはね、1番じゃない? 古いよね。でも 昭和初期創業だそうですよ。 ああ、ガラスのおタ服窓ですけど。 はい。はい。 これ本当に古いよね。でも入村屋でさ、このと 目立つわ。 えっと、甲方戦寺が左にある。もうありますか?ありそう。ありそうな気がしてきました。戦ジです。はい。 あ、桃山時代にできた土州ですね。土州のシです。 ジほら小老門ですよ。 本当だ。分かりやすかった。素敵。 素敵なショ。あ、 ショラボンはね、立派さはね、岩松の方が私は好きなんですけど はい。これもまた紋章あるもんね。 ちゃんとね。 で、本道の作りが両性胸でも切り立までもない。 工業作りてます。方行作り。 あの、四方に向かって屋根が降りてるんですね。 はい。はい。確かに。 はい。一応アイスだけ。ま、こういう場合の挨拶って何をやってるのかっていうのはあんまり言わないですけど、ちょ、増材できそうなとこがあればしてます。 [音楽] [拍手] そうなければごめん。使用。 ごめん、ごめんちゃ。はい。えっと、ここですね、看板さすがにありすぎ。 吉原住宅フルネーム住宅です。 はい。この家地帯は19 世紀前半、え、自体立てられた町屋ですね。はい。 この先にある吉原家の文家 ああ、作り遣いをやってました。ほんほん ヤゴが酒場って言ったんで、ここ酒場です。 酒場ですか?ベタベタく仲間にできます。 酒場ルイーダった。 ここね、台風被害の後94 年に屋根拭き炊いてるんで綺麗ですね。 あ、確かに綺麗な。 新しい屋根。はい。酒場ですね。 はい。酒場でしたか。 うん。東住宅イカ屋。 こちらもそうだったんだ。はい。 イカリアっていう野望通り船道具を作った。 はあはあは。 神戸分かりにくけどちょっと離れると屋が分かります。こういう感じかな。よいしょ。 明治35 年かもねっていうかもね。ま、見た感じはすごいそんなに古くもない感じだけど。そう新しくはしてるけどね。 離れると。うん。 いや、なんかパンでも買ってくれよかったね。 焼きたパン。焼きたてパン屋さんがあります。これ本当に素で言ってるだけなんですけど。 チェックポイントではないです。 単純にパンどうですかって言ってます。 ちょっと買い戻しようか。 とあるパリの待ちください。 ちょっとお買い物タイムです。はい。 また買ったモンスリーでした。おっしゃれ。おし。上がね。上いいね。こ上になん立派なのいますよ。鬼からすごいな。 はい。はい。これ入村の家多いですね。 そうですね。確かにここも面白いよね。なんか今度石で あ、本当だ。メた。うん。 これは九州立てく木の負 食人熟って書いてありますよ。 いや、まさにそうよ。すご。 これね、戦後56年に立てられた後の 木造2階立ての倉庫です。 はい。はい。木造なのね。 はい。証明してあげますね。はい。 いや、現役の家具とか竹具の工場です。 そうですね。 いや、本当に家具の町大川を実感したね。 塾なんかやってるところ。そうそうなよ。 ほら木造でしょ。 ああ、確かにこう見るとあれ表面なのが分かる。 倉庫です。はい。お白いな。表面だけ。 うん。 で、あなたの後ろにはね、大型住宅です。 ああ、 あれ。 あ、はい。はい。江戸時代19 世紀に立てられた武器屋敷なん、これ。 うん。 ま、ファンに使えるお医者さんだったとか 話なんですけど。はい。 侍身分の家で式の高い屋敷が見えますね。 ちょっとね、心の目が足りなくて無理です。 そうなんです。これ完全に工事中です。中理工事。 そうです。はい。 2026 年を目のドに一般利用できるようにすることが格策されてます。 はい。工事中って書いてありますもんね。残念。 え、色々あるんですけど。お、多いね。 これ右コーラ首です。 はい。これそが立花柳川によって建された ロ土新州の本願地派の人です。 はい。 え、はい。え、お寺の話なかった 中ですかね?これは 本道にこんな遺体があります。 はい。はい。作用ですか? あ、入れないよね、これ。 はい。え、ご挨拶だけします。 はい。はい。失礼します。 [音楽] あ、で、あ、それうるし点です。忙しかった。はい。古いとこなんですよ。ほ、 1829人創業のうし安さ。 うん。うん。 これもね、レイジの建物だって。 この何ですか?ああ、なんか波、波石吹きですか? はい。ちゃんと凝ってる。 リシアでした。はい。 ここはすごいな。もう隣にあるよ。これが吉原住宅か。はい。 いや、広すぎない?なんかま口からあそこまでよね。 [拍手] あ、コボの別色を務めたで王城屋を兼ねた家ですね。 はい。はい。 なんか屋根がね、複雑なのすでに。 で、レガ通本はい。おかしい。 おかしい。そんな立派なお家がこにありましたね。 立派すぎる。 これ見落するようなもんなんですか?どうなんですかね? あ、なんかあるな。 入れそうなのかな? はい。え、見ます。 見ます。はい。します。 [音楽] 何ですか?この辺の街には話好きな人多いんですか?写真を撮るのを完全に忘れるっていうかチャンスがないぐらいずっと そう建物とかあと修に関するお話がありました。 がっつり話していただきました。ごめん。玄関ぐらいの写真しかなかった。ああでも王はすごいと [音楽] の技術が普通にめちゃくちゃあった。そう。 入ってきたね。入ってきました。終わり 終わり。 そうね。開発されずに残りました。めでたし。めでたしみたいな。めでたくはないんだけど。 はい。ま、 明人になってもね、港町としての重要性がせたわけじゃなくて うん。 むしろが増えて賑わったからああいうち部川鏡みたいな作るとかしなきゃいけなかったり。うん。 あとヨハネ付けデレーっていうオランダ人が来て おお。はい。 あの、活水時でも水が確保できるように若つ子を同流艇で作ったりしたんですけどね。それはちょっと今回見に行けずですけども、王冠はすごいとこです。 すごいところでした。 ありがとうございます。終了です。 おしまい。 小ぼの傷面白かったすね。なかなか見応えありました。お話が聞ける。王川結局こう 1 時間聞いてるよね。フルバージョンだった。はい。 明治橋こがですね。 うん。 えっと、地区は紹介のとこって国鉄探線だったじゃないですか。 はい。はい。こっちには 西鉄の大川線だったかな。路線名ごめんなさい。間違ってた。 駅がありました。電車に駅あった。 はい。この辺りありました。あと道間違えました。 あい。はい。あ、ここ若です。 わかこ来ました。あれ ?もう1回見ちゃった。橋が上がったり 下がったりする。ちなみに橋の駅 ドローンパから車回す時私ここ通きました 。そうだったの。はい。ありがとうござい ました。じゃあ充電券としては次行くのが えっと福岡編1発目になります。はい。 地行きましょう。はい。 でついに進撃の話をせねばなら あするの? [音楽] ご視聴お疲れ様でした。福岡県大川市母と絵の傷にまたがる半酒会の街並でした。母江の傷は後川を利用した水運において栄えた港町の絵の傷と宿機能を持った母にまたがる連続した街並で町を通る水路に柳川 班の教会が惹かれ特族を生み出すと共にそれぞれの下界へ 向かう交通の要承として発展しました。 大川には船大工が多く住み、北からの木材 が集まったことから木光業が始まり、それ が現在の大川家具や木光につがっている ことを実感できました。福岡大分編、次回 は大川市から一路東へ高速道路を経由し て橋に向かいます。直後吉下町と天井を つぐ白壁の町並にお邪魔します。宿場に 水路に金融意外に手い町なのでした。 [音楽]

それなりに旅行好きな油屋ヒマンニャム* が、福岡県と大分県の重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)や重文景(重要文化的景観)などを巡るようすです。

第2回では、福岡県大川市にある「小保・榎津 藩境のまち」を散策し、そのあとうきは市筑後吉井に向かう様子を描きます。

今回のテーマは「家具のまち・大川に残る藩境の町並み」です。
全10回

前 その1:筑後川昇開橋 https://youtu.be/vumyfDueN6M
次 5月27日
再生リスト https://www.youtube.com/watch?v=vumyfDueN6M&list=PLwS-a8werFqUyCnwE2HzqMQ7kxnbFwOGi

前回シリーズ
重伝建制覇への道 瀬戸内編 その7:神戸北野 https://youtu.be/hmMRgQNf2BY
マイリスト https://www.youtube.com/watch?v=MDIw9RO4Cv0&list=PLwS-a8werFqUqvVyRyxYmlUd5eDh3mqg5

別シリーズ 30秒で紹介する重伝建(ショート) https://www.youtube.com/watch?v=dKAYPLrpQHA&list=PLwS-a8werFqWk11g8WmIi3pNT4pDTwJ1U

前回から引き続いて、筑後川周辺を徘徊しています。
頭の中の地図では大川・柳川・城島など何がどこにあるのか分からないゴチャゴチャとした筑後川下流域の自治体を、なんとか自分で理解するために大川に行ってみました。その結果、ここにも境界があったでござるという結果に。
旧吉原家住宅では、「泉のように情報が次から次へと湧く」タイプのあまりに感心してしまうガイドさんの説明を聞き続け、写真も動画も蔑ろに。べたべたくっぞこ通り近辺では、おびただしい数のくつぞことネコに遭遇してつい和んでしまう。そんな、各方面で人を魅了するまちでした。

00:00 オープニング
01:21 花宗川
03:24 御堺江湖
04:17 旧久留米藩・榎津の町並み
05:27 高橋家住宅(庄分酢)
06:27 べたべたくっぞこ通り
07:52 仔猫とのこぎりの町並み
08:42 願蓮寺〜榎津城と江頭家住宅の話
09:31 中村家住宅(中村紙店)
10:29 藩境のまち広場〜藩境の歴史の話
12:07 藩境石
13:07 旧柳河藩・小保の町並み(浄福寺)
14:00 御境石(藩境の石列)
14:59 小保八幡神社
15:56 宮崎建具〜法泉寺
17:25 吉原義朗家住宅〜東家住宅〜パリ・モンスリー
19:19 九州建具
20:00 旧緒方家住宅〜光楽寺〜森田うるし店
21:46 旧吉原家住宅
23:38 筑後吉井への道のり〜西鉄大川線の話
24:52 小保榎津のまとめ
25:24 次回予告

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