羽柴秀吉の出世城 長浜城(滋賀県長浜市)

「豊臣秀吉の出世城」としても知られる長浜城(ながはまじょう)。小谷城の浅井長政を滅ぼした功により湖北三郡を拝領した秀吉は、本拠を小谷から琵琶湖沿岸の今浜に移し、織田信長から「長」の字を賜り長浜と改名した。

この地は元々、室町期初期の「婆佐羅(ばさら)大名」京極道誉(どうよ)が出城を置いたところで、今浜氏、上坂氏などが守将を務めた。秀吉の後は、清洲会議で柴田勝家の甥、勝豊が入城するが秀吉に攻められ降伏する。その後は、山内一豊、内藤信成・信正父子が城主となる。元和元年(1615)の一国一城令により廃城となり、その役目を終えた。石垣や建物の一部は彦根城や城下の長浜別院・大通寺、知善院などに移されたと伝わる。

織田政権の湖上ネットワーク4城信長の全盛期には安土城、明智光秀の坂本城、織田信澄の大溝城を結ぶ湖上交通網の一角を担った。発掘調査では沿岸部から、船着き場の跡と見られる石組み遺構が見つかっている。しかし、関連資料が少なく、全域の発掘調査も行われていないことから、実は秀吉時代の様子はあまりよく分かっていない。

長浜城跡は現在、豊公園(ほうこうえん)として整備されており、昭和58年(1983)に建てられた模擬天守(長浜城歴史博物館)がシンボルとなっている。低い石垣の上に鎮座した建物は望楼型で天守の形としては古いタイプであり、秀吉時代の風情が感じられる。江戸期には宿場町や、大通寺の門前町として栄えた長浜。訪城ついでに歴史の香りが残る街中へ向かい、北国街道や石田三成の出生地、姉川古戦場などへ足を伸ばすのもまた一興。
※お城めぐりFAN WEBサイトより引用 https://www.shirofan.com/

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