【武蔵松山城】現地でわかった!北条・武田の猛攻に耐える小さな城の防御戦略

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埼玉県比企郡吉見町。ここには戦国時代、松山城という城がありました。武蔵松山城などと呼ばれています。松山城の一番の特徴は堀。なんと城の面積の約半分(52%)を占めているとのこと。その分曲輪はとても狭く、兵士たちがどのようにすれ違っていたのか謎を感じる場所もあります。松山城は数多くの戦いの舞台としても有名。中でも北条氏康と武田信玄、そして上杉謙信がこの城を巡って直接対決する可能性があったことはよく知られています。謙信が救援に来る前に松山城が落城したため三雄がここで会することにはなりませんでしたが、時期がずれれば関東の歴史を揺るがす決戦がここで行われていたのかもしれません。今回は松山城の紹介に城郭工房たちばな屋さんが制作した模型を使わせていただいています。

5 Comments

  1. 写真映える城ですよね
    東松山市には、松屋さんと言う埼玉銘菓の五家宝があるのでオススメです!
    道の駅とかで買えるので、近くの小倉城訪問の際には是非!

  2. 数年前に行きましが、数々の攻防戦があり多くの兵が亡くなっているからなのか、本曲輪まで登った時にえも言われぬ寒気と言うか理由もなく不安感にかられたのですぐに下山しました。
    私は霊感などはないので、攻防戦があり多くの兵が亡くなったであろうとの思いからの思い込みと先入観のせいだとは思いますけどね。
    深い堀が多く、本曲輪まで行くのにかなり疲れました。

  3. ここが武州太田十犬伝の場ですか。
    一城別郭というか、曲輪ごとに土豪や国衆が数十人程度の手勢で入って守ったのでしょうかね。

  4. UPお疲れ様です。
    前回の「三重三日月堀」に興奮し、何度も見返しているうちに今回あがってきましたね!こういう古城は本当に想像が膨らみます。ありがとうございました。

    市野川の対岸にある街(東松山市)の東武線「東松山」の駅近くに「箭弓稲荷神社」(やきゅういなりじんじゃ)があります。元々「食べ物の神」でありながら弓矢がシンボルという変わった神社です。名前の読みから野球選手や関係者が参拝することも多いそうですが、ここには天下三槍「御手杵」のレプリカが奉納されています。このあたりが松平大和守家(旧結城家)の領地であり、箭弓稲荷神社が源頼信と深い縁があったからだそうです。

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