【日本一の銅山⁉︎】足尾銅山の歴史と今
今回は足尾銅山の歴史をたどります。
足尾銅山は日本で一番銅を産出した銅山で、特に明治時代以降の日本の産業に大きく貢献しました。
一方で、銅山の急速な近代化は日本で最初の公害問題として、社会に知れ渡るようになりました。
今回は、今の足尾のまちの様子をご覧いただきながら、銅山の発展と足尾の繁栄、そして公害問題とその後の対応についてふれていきます。
〈この動画の内容〉
(1)概要
(2)発見、江戸時代の繁栄
(3)古河市兵衛による買収と足尾の発展
(4)公害問題とその対応
(5)足尾の再生
(6)閉山、そして今
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#足尾 #足尾銅山 #歴史
5 Comments
そうそう、昭和に始まった公害じゃないのよねぇ。公害といえば高度経済成長期のものと記憶の中ではまとめて一括りなってしまっていますが。(個人の記憶です)
この脱硫装置によって、硫黄鉱山の閉山に繋がっていくんでしたっけ。
日本の歴史を深く知る良い勉強になりました。資料を集め現地の取材そして編集ご苦労様です。
動画、待ってました。実際に現地を歩いて来られた上での解説、わかりやすくて、ほんとためになります。これからも期待してます。またバス旅の動画もお願いいたします☺️
とても簡潔に、それでいて詳細に足尾の歴史を解りやすく解説した動画でした。以前、足尾に行って駅前で一服しつつ地元の人と会話した際、その方が「古河さんが~」と閉山してかなりの年月を経ているのに、いまだに古河鉱業に対して「さん」づけで話されているのに驚きでした。
別子銅山も公害がありました。その為に四阪島に精錬所を移しました。また銅山跡地も保全活動で住友林業という会社を作りました。