那覇歓楽街の表と裏/遊里 那覇 社交街(沖縄県)

The Front and Back Faces of Naha’s Nightlife Districts / Walk around the nightlife districts, Naha(Okinawa Prefecture)

栄町社交街(那覇市安里)
戦後の闇市を起点とし、1950年代に栄町市場と周辺の飲食・娯楽街が形成された。木造平屋の小規模店舗が密集し、細い路地が迷路状に伸びる独特の市場街区が特徴。戦後復興期に建てられた市場建築と、後に増築・改築された雑居風の建物が織り交ざる。現在は飲酒系の小規模店が多いが、元来は日用品・食料品を中心とした生活市場空間であった。

竜宮通り社交街(松山・久米)
戦後の国際通り拡大とともに形成された歓楽街。米軍統治期の需要を背景に、バー、クラブ、キャバレーなどが集積。RC造の中層雑居ビルが建ち並び、ファサードにネオン看板が付く典型的な高度成長期の社交街景観を残す。道路幅は比較的広く、国際通りやその周辺からの歩行者の流入が多かった。

桜坂社交街(牧志)
戦後初期から映画館・芝居小屋・飲食街が並び、那覇有数の文化娯楽エリアとして発展。坂道に沿って小規模木造店舗が密に建ち、その間を石垣や段差のある路地がつなぐ。桜坂セントラルの前身である映画館群の存在が街ににぎわいをもたらし、戦後文化の象徴的エリアとなった。現在はバーやスナックが多く、古い木造家屋のリノベーション店舗も残る。

松山社交街(松山)
那覇随一の大型社交街として高度成長期に拡大。米軍関係者の需要と、県内外のビジネス客の利用で店舗数が増え、RC造中層ビルによる整形街区が形成された。道路は碁盤目状に整備され、建物は雑居ビルが主体で、店舗看板が建物正面を覆う特有の歓楽街景観を呈する。現在は県内最大級の飲食・風俗系街区として知られる。

前島旧青線(前島)
戦後復興期から1960年代にかけて存在した青線地帯の一つで、港湾労働者・軍関係者向けの簡易旅館・カフェー建築が集積していた。細い路地が海側へ向かって枝状に伸び、木造・RC混在の狭小建物が密集。内部に小部屋を複数備えた簡易的な建築形式が多かった。売春防止法以降に衰退し、現在は住宅・小規模商店・駐車場に転換され、当時の建物はごく一部のみ痕跡的に残る。

集落町並みWalker
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/hyoshi/index.htm

3 Comments

  1. そこはかとなく、60から70年代の商店街を思わせますね。昼の様子も見てみたい。

  2. 初めまして
    自分も離島マニアでもう何年も前から隠れファンでした
    最近は離島記事がなくなり少し淋しく感じます

    てか視聴者数が少ないのが不思議でなりません!
    倍か3倍あっても全然不思議じゃないのに

    マンボウさんにはやはり離島が似合ってると思うのは私だけでしょうか

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