丹生川上の地 

明治維新後、所在不明とされた丹生川上神社の研究調査が行われました。
調査では、明治4年(1871)に丹生村(現在の下市町)、続いて明治29年(1896)には川上村の神社が有力視され、それぞれ官幣大社丹生川上神社下社・上社とされました。
しかし、大正11年(1922)当村出身の森口奈良吉翁による『蟻通神社こそが丹生川上神社である』と定義した研究調査が認められ、当社が官幣大社丹生川上神社に列格され、通称「中社」と位置づけられました。
ここに従来の二社に当社を加え、ひとつの官幣大社丹生川上神社としていましたが、戦後は氏子の気持ちに寄り添い三社は独立、それぞれの社名をもって今日に至っています。

3 Comments

  1. 初めましてm(_ _)m
    私もGWに3社巡りに行ってきました。
    良い所ですね。
    個人的には、下社さんが好きです。

  2. いつも動画を楽しみにしています。
    本日念願が叶い中社だけですが、参拝できました。
    美しく優しいパワースポットですね。
    私には本宮の御神氣が最も強く感じました。
    東の瀧が左右2つの流れがあるように、
    本宮には母娘2柱の女神様がいらっしゃるように感じました。

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