多良海道を往く|江戸から続く“歴史の道”48kmを歩く旅

江戸時代長崎と佐賀を結んだ道 武士も商人も旅人もこの道を生き換い文化 を育く組んできました。今回はその約 48kmを歩きながら 歴史と自然 そして食が折りなすパラカ道の魅力を 紐解きます。 ヘイよう。どうもサラ町の魅力をラップで 紹介するサラッパーです。今日はサラ町で はなく 市にやってまいりました。今日は田海道 街道の魅力を探ってみたいと思います。 その海道の魅力を一緒に紹介していただけるスペシャリストお呼びしております。大島先生どうぞ。 おはよう。 おはようございます。大島先生たラッパーです。大島と言います。え、カ道は何回も多くしてまして、え、田井の魅力を皆さんに紹介したいと思います。よろしくお願いします。 大島先生は市美術歴史館の主任専門員寄り道が大好きなユモアたっぷりの案内人です。 こんないいみかみかないわ。 よくご存じですね。じゃあ 48km行ってみましょう。 へいよ。 田中海道は江戸時代佐賀半種が長崎警備へ 向かう際の重要な道。今回の旅はたら街道 の伊早から田までを中心に 山道と海沿いのルートを合わせた約 48kmの工程です。 少し乗り道すれば思わぬ発見に出会える 奥深い旅地です。 旅の始まりは伊早駅から歩いて5分。 神社からスタートです。 これはだから社代来ましたね。えっと、 イサ神社なんですけども、江戸時体は、ま 、佐賀班の、ま、総所っていうことで、え 、の、え、日の本の神社になりまして、ま 、方だと今でもですね、あの、お正月に なるとこちらの方にじ参りていことでお 参りに来られます。 それとですね、ちょっと包能の膜がありますけども、ちょっとあの はい。 マークがありますけども、 象徴的な なんか上に上がってるような感じになってますけど、 これがですね、ま、イの家紋の上り富士っていう、 富士か。 はい。 ですので、ま、これがあるってことは、ま、イヤ神社はそういうイさやけと関わりがあるっていうことが分かるかなと思います。 えっと、やっぱじって言ったら小犬がつき物なんですけども、トラパーさん、このここの小犬で 何か気づくことありませんか?え、 まあ、可愛らしい小犬があって、路装飾。あ、先生、これですか? よく気づかれましたね。 えっと、 の家紋の登り富がここにもですね、やっぱちゃんと施してあるっていう。 登りフジが施されてますね。 これはやっぱカ道歩く上でもこういうとこに来たらそういうのも探すのも楽しみですね。 はい。 素晴らしいね。 経にそびえる大きなクの木は早の象徴。旅人にも力をくれるご親睦です。 お、こんぐらいすかね、これ。 これぐらいの こんなに大きいんです。 はい、実際にですね、今から道歩きたいと思います。 はい。はい。 行ってみましょう。 はい、お願いします。 目の前に早を象徴する、本名川があります。 はい。本名側流れてます。 こう渡れるんですか? はい。結構ですね、あの珍しいと思うんですけど、飛びを渡って向こうの海岸の方に行きたいと思います。 飛び飛び石がある。 本名顔は全長 22km と短いものの県内で唯一の一級河線乱と共に暮らしてきた町の歴史がこの飛び石にも刻まれています。 足元に気をつけてきましょう。 はい。 ちょっとタらパさんこれ止まりますけど、 なんでこの飛び石あると思うんです。 はい。 ええ、ま、やっぱ普通に考えたらやっぱ、 ま、この本名が自体がちょっと大雨が降るとすぐ流される洪水を起こすんで橋をかけても流されるんで、え、 あの、江戸自体は、え、うんとか差があ、皮渡る時にはこの飛びっていうのがイの人たちにとっては重要な交通手段 っていうじゃ気をつけてます。 はい。 みんなで参ろう。 イ早神社堂はイ早の中心部を縫うように続きます。え、 あ、たらパさん違う違う違う。 そっちはじゃないです。 あそこにですね、ちゃんとタラパさんみたいに はい。 道を間違えないように あそこにちゃんと道って書いてある。 本当だ。あ、そうですね。 先生、これを見ていけばたら街道を迷うこと間違いなし。福沢幸も歩いたこの道。街門の小さな痕跡がその当時を物語ります。 ここにちょっと書いてあるんですけど、副沢幸地屋で大崎を。 ええ、 ま、あの、副幸地自体があの長崎に遊学する。 はい。 で、自体はちっちゃい頃からお酒が大好きで、ちょうど今ここに立ってるところに昔藤世酒場っていう うんところがありまして、そこでお酒をいっぱい飲んだっていうのがですね、幸地の日記の中にも出てきます。 へえ。 すごい成に名を残す人が歩いた道。そう。 それがたかい。 戦かいた。 あ、先生、もう僕は迷いません。こう行ってこうだね。 そうです。こっちです。こっち。 いや、海道今歩いてるけど、比較的新しい 建物が多い気がするなあ。 その答えは本沿い に残る水の痕跡にあります。 案内したところがあるんでちょっと 寄ってみます。ありがとうございます。 なんかお寺の石垣きみたいな はい。 えっと、たらパさん、そこのところに 32.7.25 って書いてある。 書いてあります。数字がはい。 これですね。昭和32年の7月25 日にイヤ屋大水害って呼ばれてる。 えっと24時間で、ま、800mmから 1000mm降った大雨が降って、え、 ここまで水が来ましたよということを表してます。 で、今自分たちがいるとこもですね、え、昭和 30年水以降に埋めてあるところでして 重揚げしてるとこで本来はこれよりまだ 1mでした。 低いんです。ていう で先ほどあのタラパーさんが はい。 海道こう歩いてみて新しい家ばっかりだったねって話をしてたんですけどこういう 32 年まっていうところが本名家側が大雨降ると水害をこうして氾濫しますのでそのたびに家が流されてしまってから大体昭和 32 年の以降の建物ばっかりなので古い建物っていうのがあんまり持ってないっていう感じになります。 なるほど。 そういうことだったんですね。 じゃあ、タラパーさん、またこの飛び渡ります。 ああ、飛び。あれ、さっき直線になってたすけど、なんか、あ、これがメガネ橋すか?この形。 いや、違いますよ。た、さん、あれです。あれ? あ、あれ?あ、あれだ。 はい。じゃあ行きますよ。 はい。 眼鏡の形をした石を渡ると早や自慢の石橋が姿を表します。おほ、メガ意外に大きいですね。かなり そうですね。 あ、でも川渡ってきましたけど川にはかかってないんだなっていう感じが そうなんですけ よ。 はい。 えっと、今池の中にあるんですけど、本来は本名側にかかって なるほど。 で、32 年の大きい水害の後に、ま、河線回収があって、その時に、え、昭和 36年にこの場所に移ってきました。 と長崎のメガネ橋の方が古いんですけども、 石橋としての国の重要文化剤はこのイのメガネ橋の方が 先です。 ええ、これが長崎市のやつより先なんだ。 はい。 に指点になって、 あの、それあと長崎のメガれましの違いはアーチのところがですね、長崎の方は半炎なんですけど、 の方は少し潰れたようなこうちょっとこう アーチ 円みたいな感じになってます。 から本来のこうメガネみたいな丸目長の方は丸メガネ でイサの方はこうウルトラマンみたいなこう はい 眼ガネになるっていうところへえすごい橋の上からは当時の石の技と守り継いだ人々の思いが見えてきます。 えっと、実は言うとこれ石をただ今で言うセメントみたいにくっつくてるわけじゃなくて 鉄で繋いでありまして、 それがちょっと見えるのがこの場所になります。 ちょっと覗き込んでもらうと、ちょっと真ん中の辺りにですね、ちょっと鉄のちょっと茶色っぽいやつがあって はい。はい。 あ、ああいう感じの鉄が石と石を繋いで 大雨が降ってもビクトもしない。うん。 はい。大島先生 はい。 なんかあっちにもなんかちっちゃいメガネシ風のやつがあるんですけど。 あ、あれなんですけども本物のメガネを こう一くする前に実験用として作られた 1/5長さが1/5のサイズの メガネマシになります。 ミニチュアみたいなやつってことですかね? そうです。 ええ。 で、あれを、え、火境実験をして、これが初めてできると ダブルメガネバス ホットスポットです。 本名沿いを下っていくと 綺麗なしくっの ああ、いいすね。 白壁のこうお寺なんですけども、 ここは安子さんていう お寺になりまして はい。はい。 え、ちょっとこう見てもらうとですね。 おお。 あの、ま、こう結構あの紅葉スポットになってるんですけど、ちょっとこうが早いんですけど、ちょっとあの昔のお寺とちょっと違うのが本土が見えないと思います。 見えないですね。 で、ここはですね、結構その江戸時代は、え、シーボルトとか、えっと、そういう人の人たちが止まってた宿泊所になってるので、ここの目の前のた道から中が見えると敬語とかそういう目的あるので、 要はプライバシーとセキュリティを兼ね備えた。 そうです。 へえ。 えっと、だいぶあの本名柄流の方に入ってきましたけど はい。 ここ結構重要な場所になりまして はい。 えっと、江戸時代はですね、ここが三越って言って、 お、 あれ役海 のコ路の1つ。 なるほど。 ここから柳川に行ったりとか佐賀城家までの船つ場 の後になります。 えっと、昭和の40 年代ぐらいまではここまで船が上がってきてたりとかしてます。 で、1日2便です。 アのカ満が満潮が 1日2回ありますんで、 え、引き症の時に出航する。は い。なるほど。 で、道の時に入行しないと塩の流れに逆らえないので ああ、1日に 密は本当にこ 看板を利用した塩の港 旅人が上陸した大切な場所です。どまることに。 そして本名側が育くんだ味。 イ早楽焼きウナぎ。おイハエのウナぎは こちらの器が非常に特徴がありますね。 イハ落薬ウナぎ食べてみたいと思います。 オープン。 このイハ落ぎ。この京都の楽焼きを使用さ れてます。普通は焼いて提供するところ、 こちらの楽ウナぎはこの器の中にですね、 お湯が入っていて1回蒸す工程が入るので この器を作ってらっしゃいます。 持った瞬間分かるね、このうまさが。 うん。 これは 肉厚で でもこう食感も残りつつの柔らかさもあっ てジューシーで非常に美味しいです。さあ 焼きビミじゃ 美味しい。大島先生今度は一緒に食べ ましょうね。 Aptから10kg。 へ向かう途中にあるのが和道寺 言が履いてるおになります。 あ、ワド、 和とかなんです。 そう、ド会とかの 和元年だったと思うんですけども できたんでワド なんかこう重きのあるはい。 じゃ、こっちの方にしようか。 で、一応この本存が、え、県の指定文化剤で はい。60 年に1度の5会長 はい。 ていうことでそれが会長しないと秘物 皮物。 はい。 はあ。 わ、素晴らしい構えですね。 本存や二王像、そして竜造寺高信ゆかりの 石頭。 静かな形に歴史が行きづきます。 そして再び海道へ。やっぱ影承の市街市と はやっぱこうまた違った 物価的な風景ですね。 の地ならではの優しい風景が続きます。海道沿線にはこういう風にみかの無人販売所がありますね。タラッパーさん、こんないいみかみかないよ。よくご存知ですね。本当にこんな美味しいみかない。 みかない。 おほ。 ありゃめっちゃわからねえわ。もうこれ先生こっちでいいんすかね?多分合ってると思います。こういう時にはですね、この宿から竹崎区のマップが ええ、 あります。で、これを開いていただくといろんな海道の沿線にある席とか はい。 あの、歩く時には一番便利かなと思います。 腹道を歩く時はマップも アプリも あるよ。 レッツゴー。あら、お島先生、何か標中らしきもありますけど。 そうですね。ま、あの、旧街道って書いてますけど、ま、海道とことなんですけど、 追い分けって書いてありまして、ま、これは比較手が新しくて、右に行くと竹道、 はい。 左に行くと道っていうことで、こっちのただけ道を行くと結構距離はある し、勾配が結構きつい道です。 で、竹の道はえっと、ま、アップダウンがありますけども、海を見ながら行ける。 はい。なるほど。 ア焼きカを見ながら行ける道です。 はい。 で、最終的にはどちらも正しく合流します。 なるほどね。 のでタラッパーさんどっちに進みますか? へよ。 シから言えわけウwith大し 先生レクシー 田ボた過去未来 メガネバ続くストーリータラパカ道伝道行きます たらラパ行ってらっしゃい レッツゴーなぜ道 が別れたのか。 それは三越からの船が竹崎宿に旅人を 下ろした名残り。 海と山のルートが暮らしを支えていました 。 お標発見。旧海道 ですね。そしてここが歴史の道百線に選ば れた田海道の区間になります。 早速山道行ってみましょう。ここからは江戸のおかげが色濃く残る大御の道。こ 石や鳥が天在し 昔の旅人気分を味わえます。 いや、A賞区からね、故えおい景を経由し てサラカドを選んできましたけど、イ早の 市街地はまた違ったこの歴史の道の佇まま いっていうか、すごく雰囲気があって 時代を感じますね。 ああ。 ただ大源1の鳥井に来た。 うわあ。 見てください。この鳥から見る木々の 佇まい。これはただきのある金銭寺の三道 ということなんで三道っぽさ、この雰囲気 素晴らしいですね。 その三道の先にあるのが日本最古の主元場 金寺。 山岳進行の中心として多くの祈りを集めて きました。 さあ、結構進んできましたけども、 開けた場所に来ましたね。 お、なんか鮮やかなが立ってますけど、 行ってみましょうか。 田海道の石碑。 そう、ここがサザカジャヤ。 旅人が腰を下ろし、一息きついたチやです 。 よし。茶ヤ後についたね。サザカチやト。 茶やといえばまさかサザンカチやの看板娘。 そうです。 あ、チやに来ました。 茶屋にお越し。お越しです。 あ、ありがとうございます。皆さんもお越しください。茶屋で人きつく。 これは昔も今も変わらない旅の楽しみ。さ 、サザカチートで一服しました。そして あれはご覧ください。これはね、昔の軍の 境えの後なんですけども、こっから下って いくとですね、いよいよ佐賀県たら町に 入ります。たら長といえばタラッパーの ホームグラウンド。た町の田海道も作ぞ。 レッツゴー。 道を下るとたら調川 と共に暮らしてきた町は氾乱を沈めるため 多くの神社が立てられました。 原町の遠教寺です。 アラホ神社跡神社 。 これ多分 社代があった時にこの 上の方についてたやつじゃないですかね。 多分ね。 こちらがタラッパーおすすめのポイント。 大魚神社です。佐賀けさんにも認定されて います。早速鳥をくぐってみましょう。 やっぱりこう雰囲気のある社代ですね。 経済もいいような感じでね。 ここで問題です。今まで通ってきた道で 共通ポイントがあります。そこはどこ でしょう? これは佐賀の名簿胃腸。これもいいけど 違うんです。 大名人地者の木。これもいいけど違うんです。さ、皆さんもクと考えてくれましたか?正解はこちら。大王神社の社代にあるこの 上富士の 家紋ですね。大島先生並ましたね。早神社で早神社と同じ富士の家紋。 この地もかつて早やだった名残りです。 さあ、大神社の本殿かでしたでしょうか? そしてですね、皆さんこの大神社のこの鳥 のちょうど直線場有明け替 に向けて第2の鳥があるんです。 さあ、こちらがウ神神社の第2の鳥。 大神社の懐中です。この有明け会のカ満々 差で見せる姿を変え観光客を魅了してい ます。 大神社と懐中是非セットでお楽しみ ください。 道ラブ 再び山道 旅は最終勝 よし 坂を登り切りましたと。おお有会 が広がって素晴らしい景色だ。おヤゴタ まであと少し。レッツゴー。 ヤた応えへ向かう途中には民用竹の慎太郎 さんで歌われる金仙寺に使えた若い 寺の慎太郎 のお墓があります。 金仙寺に使えた美成青成年に恋した娘の 思いが歌になりました。 の新太郎さんの す道にゃんざんざ 風の先内 かし の水者で じゃああらよい よ おいよい たのし太郎さん。 うわ、すごい。 たのし太郎になった気分だね。竹のし太郎さんのくだらすにゃ。 ザンザンざ と ああららら はい。うわあ。A賞からやた応えまで来た か。俺を待ってるのはこの旅の疲れを癒す や水場。 山のしさと歩いてきた48kmの重み。 全ての景色と出会いが最後の一歩を後押し してくれます。 よっしゃ。 A少から48km歩いてようやくこのヤゴ の水置きどころまでたどり着きました。 やった。よし。 あ。これ疲れた体に染みるこの有水ですね 。非常にこう旅が思い出されます。 タラッパーはもう1つの道。海沿いの竹道 も歩きました。ご覧ください。運前がね、 見えます。海が広がる絶景の道。 そして何より食の方向。 ご覧のようにこの柿き小屋がですね、色々点在してる形になります。ケスに解散物を収めていて耳で焼る。の主役牡蠣 フルーツバステ行われるカ肉。降りて この海の道は後日改めて特殊します。 最高。最高。最高。 海海道は今も昔も多くの旅人を魅了し続ける道です。タラッパー頑張れ。 ありがとうございます。 ラストはタラッパーの感謝のラップ。 48kgありがとう。ヘイ よ。た えしから山たえまるで人生山あり谷あり時には暗闇よけど光たらカド早くたら鬼なすモに届けるたらパ Ja

#多良海道 #太良町 #諫早市

江戸時代、佐賀藩主が長崎警備へ向かうために歩いた「多良海道」。
武士、商人、旅人が行き交い、文化が交わった48kmの歴史街道です。

本編では、 諫早・永昌宿を出発し、本明川の飛び石、眼鏡橋、和銅寺、山茶花茶屋、
そして太良町の大魚神社・海中鳥居、矢答峠の湧き水まで──

多良ッパーと大島先生が、当時の景色をたどりながら歩きます。

途中には、 ・昭和32年の大水害の痕跡 ・福沢諭吉が歩いた道 ・歴史の道100選「大越」 ・諫早名物「楽焼うなぎ」 ・地元に今も愛される民謡「岳の新太郎さん」 など、多良海道の魅力がたっぷり。

山と海、歴史と食、人の営みが交差する48km。 江戸から続く旅の記憶を、あなたもいっしょに歩いてみませんか。

※本動画では、江戸期に長崎と佐賀を結んだ「多良海道」のうち、
諫早・永昌宿〜矢答(竹崎道を含む)区間を歩いています。
多良海道は、この先、嬉野市・塩田宿まで続く歴史の道です。

00:00 多良海道 48kmの旅
02:13 諫早・永昌宿(諫早市街地)
本明川が育んだ城下町
15:10 湯江宿(分岐点)
山か海か、旅の分かれ道
19:21 歴史の道百選
山茶花茶屋へ
22:43 多良宿(太良町中心部)
神社と街道が息づく宿場
26:05 矢答峠(多良海道のゴール)
湧き水と民謡の峠
28:55 竹崎道(海の道・予告)
食と絶景の港町
29:49 多良海道 48kmの旅

■当動画について
「歴史の道観光・文化交流推進協議会」観光PR事業として制作されました。
歴史の道観光・文化交流推進協議会ホームページ: https://tarakaido.jp/

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太良町観光協会
HP : https://tara-kankou.jp/
住所 : 〒849-1601 佐賀県藤津郡太良町大字伊福甲3488-2 道の駅太良 観光案内所内
TEL:0954-67-0065 FAX:0954-67-0067
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