【廃道調査】北海道泊村の兜岬に眠る9本のトンネルに迫る 道路調査録File.01

北海道村にあるカブ。 この険しい地形に本格的な道路が気づかれ たのは大正時代初期のことである。 今は通れない先人たちが切り開いた道 を辿どってみた。 道路調査録ファイル1 カブに眠る道代 に建設された道に迫る。 皆さん、こんにちは。 今回は北海道の泊まり村にあるカブにやっ てきました。 ここはカブト洗浄時期岩と呼ばれる継承地 で畳のように広がる岩肌は有名な釣り場と しても知られています。 その美しくも険しいカブトみ崎に眠る古い 道。 この南所に通された道の歴史をまずは 地刑図から追ってみます。 明治27年後に停まり村と合併する坂月村 との教会に一致するカブは険しい地形が ゆえに海岸線を避ける形で賛道が気づかれ ていた。しかしみ先を超えるだけで2時間 以上も要するため波が穏やかな時は道なき 海岸を岩に歩いて生きしていた。 大正2年同長地方費を持って海岸道路に 着手。 南を超えるためには 9 本の随道を建設する必要があり、泊まり村の特殊家が建設費を寄付して行われた。 この路線は開通後、1920年までは家庭 剣道西海岸線。その後は準道 29号入内戦となっていたが昭和28年 国道229号に指定される。 9本のり道はこの時も現役として使われて いた。 昭和37年道路克服に伴い対象時代に建設 された急報の水道は全て廃止または回収を 得て新トンネルを通過するルートになる。 昭和50年道路克服と先形改良の結果 トンネル1本を廃止 さらに既存の2本は1本に結合され合計2 本のトンネルとなった。 平成18年カブを1本のトンネルで通過 する現行のルートに行こう。 として知られたカブも今は1分で通過 できるほど利便性が向上している。 3世代のルートを比較してみると世代を 追うごとに道路が直線化されていき、時間 短縮や燃料費削減はもより落石や交通事故 といったリスク低言、すなわち安全性の 向上にも起与しているのがよくわかります ね。 ではその原点とも言える赤い線で示した旧 球道を構えない側から辿どって見ていき ましょう。 正面が現在のルートで球道と旧道は右の 海岸沿いに進んでいきます。 球道時代に作られた逆月きトンネルの場所 には大正時代に建設された株1号随道が ありました。 こちらは最終的に坂月トンネルとなりまし たが、大正時代はカブト2号移動で球道 建設時はカブトみ崎トンネルとして建設さ れています。 なお球道建設時はこのような道路位置でし た。 1975年の道路改良では海側を生み立て て新ルートを建設したため逆月トンネルは 不要となりましたが名所だけ引き継がれて カブトみ先トンネルから解明されています 。 ここからは海岸沿を歩いていきます。 ご覧の通り配信になった旧トンネルは閉塞 されているので当然ながら通行はできませ ん。明治時代のように岩伝に進むしかあり ませんね。 実は以前このルートを行こうとしたことが あるんですが、その時は1人じゃなかった んで、あまり無理はできないなと断念した んですが、今回は単独なのでマイペースで 行ってみようと思います。 まあ、明治時代の人たちもここを生きして いたわけだし、それなりに歩ける道筋は なんだかんだあるんだろうなと考えてここ まで来たんですが、結構やばくないですか 、これ。っていうか歩いていける場所が あるんでしょうかね。 昔の人はどうやって通っていたんでしょう かね。そんなことを考えながらなんとなく 見ているとルートが見えてきました。これ で行ってみましょう。 今回は普段の撮影で使うミラーレスカメラ はやめて小型のカメラにしたんですが、 この南所だけはカメラ回してる余裕が一切 なかったのでと々で写真だけ撮影しました 。はい。なんとか南をクリアしました。 明治時代の人たちは相当苦労して移動して いたんだなと身を持って経験することが できましたね。 先の先端で1人で食べるおにぎりは最高 でした。 一息つきながらこの先のルートをドローン で偵察しておきます。 シャドウは45°ぐらいでしょうか?これ なら問題なく行けそうです。 先ほど見ていた球道の坂月トンネルの反対 側に到着しました。 その先には旧カブトトンネルへとつがる 副道が続きます。 いや、相変わらずから見る外の景色はいい ですね。 旧カブトトンネルの高口が見えてきました 。これまで見たトンネルは全て球道時代に 使われていたものとなります。 何か名盤らしきものがありますね。 副道の塗装にどんな塗料が使用されたか などが書かれていました。 さて、ここで一旦球道と分れて旧球道が ある海岸沿いを進んでいきます。 しかしこの先にあるはずの株と3号図道を 発見することができませんでした。 かなり探したんですが、3号水道は愚か、 そこに至る道すらも落石や動車の体積に よって埋没してしまったようです。 近くまで行ってみましたが、活落する危険 があるため、この先はドローンでの探索に 切り替えます。 接近した際に気づいたんですが、水道が あったと思われる地点にわずかな空間が あることが分かりました。 もしかしたら完全に埋没したわけじゃない のかもしれません。それを確かめるため 思いっきり接近してみたいと思います。 やはりわずかな空間があり、体積した増車 が3号随道に流れ込む形で高口の一部が 残っていました。 3号移道の反対側に向かいます。 海岸に降りて回り込むことも検討しました が、これは一旦海を歩かなければならな そうなので、今回は断念しました。ここ からはドローンだけで探索します。 3号移道の言わない側は明り区間に土砂が 退積していますが、しっかりと口は確認 できますね。 毎度世話になっている北海道トンネルウイ さんの画像を見てみると内部は綺麗な状態 で残っています。 そしてその先にすぐあるのがカブト45道 です。 4号随道と5号随道の間は路番そのものが 崩壊していました。 北海道トンネルウキさんの画像は2013 年に撮影されたもので、その時と比べると だいぶ崩壊が進んだようです。 6号随道の先は土砂と落石でかなりすごい ことになっていました。 わずかに残る五が壁で過ろじて道筋が 読み取れますが、もはやどこが道なのか 分かりませんね。 その先にあるカブト7号水道は道で最も 長いトンネルとなっています。 こちらは当時の北海道新聞に掲載されてい たカブト7号随道の写真で昔から人気の 釣り場だったことが伺える記事と共に カブトラインが紹介されています。現役 当時を知らない私からするとここ車が通っ ていたという事実はとても衝撃的です。 ぽっかりと水道の中が見える。この場所は 元々7号水道の一部として巻き立てで追わ れていましたが、軽年劣化による崩壊の ためでしょうか。今は剥き出しの状態と なっています。 旧球道のルートを置き合いから見てみると 、ものすごいところに道を通したことが 改めてよくわかりますね。 これは村市に掲載されていた昔のカブト み崎で、当時は巻き立てでしっかり塞がれ ていたことが確認できます。 こちらは大正時代に発行された絵書きで 正確な発行年は不明ですがすに海岸道路が 開通していることから1916年以降の ものと思われます。 江が書きと現在の様子を見比べるとこに気がついたんですが、皆さんもこの違いに気がつかれたでしょうか?これはトンネルを延長したんじゃないでしょうか?行時は何らかので新たな道を前に掘 巻き立てで切合する形で7号随道を延長し たようです。 その経緯は資料に残っていないため詳細は 不明ですが、トンネルウキの管理者である 森源さんにもご協力いただき、導き出した 結論は当初から巻き立てによる切合を計画 していたが、道路回通を少しでも早くする ことを優先したため、一時的に迂快処置を 取ったのではないでしょうか。 台通からまもない頃に撮影された写真が エア書きに移るもので、その後予定通り 追加の随道を掘って巻き立てで切合したと いうのが道路の先形的にも1番利に叶って いると考えられます。 なかなか面白い発見がありましたね。 さらに進んでカブト85戸に向かいます。 救急が現役だった頃の写真を見ると8号と 9号の間には道が存在していましたが旧 カブトトンネル建設に伴いその道と高口の 一部は失われています。 コンクリートの巻き立て部分に旧球道が 通っていたんですね。 なお、球道時代に建設されたカブト トンネルも、当初は2本のトンネルでした が、後に巻き立てによって切合され1本化 されています。 カブト合道の一部もカブトトンネル建設に よってその一部が失われておりその横に 開いてる四角い穴はカブトトンネル建設時 に設けられた通用口です。 いよいよ急堂も残すところわずかです。 株合水移道の反対側に向かいます。 球道時代に使われていた旧カブトトンネル の横を通り抜け、旧道を進んでいきます。 この道は海岸までの通路として今も釣り人 に利用されており、海岸に降りるはしごも かけられています。 急合道は森戸によって閉塞されたようです が、大口の一部が露出していました。 内部は放落もなく綺麗な状態と言えますが 、甘水が内部に溜まっています。 道は9 本の水道を抜けるとカブトみ先を後にします。 旧道の痕跡がわずかに残っていますが、現動と交差するでそのものがなくなっています。 これで旧道の探索は終了ですが、昔の道は いかがだったでしょうか? 大正時代初期にこれほどの南所に道を 落とすということは相当な労力と苦難の 連続だったと思われますが、それを 成し遂げた先人たちの鉱石は間違いなく 交通インフラの歴史を切り開いたと言える のではないでしょうか。 最後にこのカブみ崎には黄金伝説がある ことをご存知でしょうか? 資料によってアイヌの集長またはアイヌの 乙女という2人の説があるんですが、その いずれも金のカブをこのカブトみ先の洞窟 に隠したが、その隠し場所を誰にも言わ ないままこの世を去ったため、やがて その兜は岩になって現れたという言い伝え です。 それがカブ岩の由来につがっているものと 思われますが、もしかしたら今もカブト み崎のどこかに金のカブトが眠っているか もしれませんね。 ではまた次回の動画でお会いしましょう。 さようなら。

新シリーズ「道路調査録」の第1回は、北海道泊村にある釣りの聖地カブト岬を通る大正時代の道を行く。大正初期に建設されたこの道は、9本の隧道で難所を越える。今どうなっているのか?現状を見ると共に、過去の資料から道の歴史を振り返る。

▼おすすめサイト

北海道トンネルwiki
https://tnwiki.jp/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

#廃道#国道229号#廃トンネル#旧道#泊村

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動画編集ソフト
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6 Comments

  1. 投稿、お疲れ様です。私は昔から地図を見るのが好きだったのですが、中学生の頃、図書館に古い地図があり、
    北海道のページには海岸沿いの道路には、トンネル記号が沢山描かれてました。今から思えば旧道とかそれ以前の
    道路が描かれてたんでしょうね。コピーを取って保存しておけば良かったです。

  2. 時間軸が全く異なる時代を、兜岬、道路、トンネル、という要素が繋いでいます。

    高評価(定期)

  3. Dziękuję Ci bardzo za Twoją ciężką prace by pokazać całą historię tej drogi i jej kolejne etapy. Bardzo interesujący film.

  4. 美しい景観も素敵ですが、今では見ることの叶わない隧道が眠る伝説の岬…ロマンですね。
    旧旧道には「ここへ絶対に道を通す」という大正時代の方々の強い意志を感じました。
    しかし、海岸線を歩いている時の映像は、観ているだけで怖かったです。(くれぐれもご安全に)
    今回もステキな映像をありがとうございました!

  5. モッチです!おはようございます!
    ヤマグチさんの新作を待ってました!(笑)
    すごく楽しみにしてましたよ!

  6. 連投すみません。17:40頃の上の写真の真ん中辺りに、柵の向こうに小さな穴が開いてる様に
    見えるのですが。岩の影かもしれないですけどね。

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