【廃村】滋賀県の旧・霊仙村付近の集落跡を巡る2 – 今畑集落

はい。それでは次に向かっていきます。 またこの入谷集落を抜けた先にね、 配損がありますので、 今端集落だったかな?ちょっと何集落だっ たか忘れましたけど 集落があります。 今ね、1台車が通ってったので、おそらく ワンバーだったので、集落を見に来た人で はないかと思います。 多分車が貯めてあるかもしれない。 雨が降るのは想定外でしたね。 どこだろう?次はどこだ?まだ先かな? ちょっとね、もうここからずっと県外なん ですよね。 しかしワンバーで山を走ると この辺かな? この辺に集落が後があるみたいですけど。 もう少し先かな。 この辺ですね。ちょっと お断るとか ここにも一応ね、集落があって 上部かな?この はい。ここが今端集落のようです。 ここにいくつか、ま、建物あるんですけど 、 この山の中にあの建物が昔あったみたい ですね。ま、ここもね、すでに東会して ますけど、 こんな感じの 建物があります。シャコっぽい感じがする けど、 ま、こんな感じね、しております。 で、ここかな? 今端と登山口 両前山っていうらしいんですけど、この 上部にいくつか建物があるみたいです。 ちょっと行ってみましょうか。 どの辺か分からないんですけど。 ま、建物があったらね、この上あった みたいです。 電波が入らないので全然場所が分からない 。 人です。 登山者だ。 登山者の方がいらっしゃるみたいですね。 さすがにね、この勝負までは上がらないん ですけど。 このこの辺っぽいですね。 がある。 どの辺だろう? 全然それらしい見えてこない 結構登残車の方多いみたい。下から上がっ てきてる。 はあ。 ちょっと上げの方見に行きます。 すっごいな。しかし石書きが綺麗。 しかし山の中にある岩談残ってるのは すごい。 うわあ。 これですね。 ああ、 かどかな?あれ湯戸のか? ああ、すごいな。しかし 大丈夫にもある。 こっち側してますね。 すご がかなり残ってる。 これはもう屋敷は東海した。 川くは東ですね。 あれはクラかな? クラがあったり 結構残ってますね。 あと登山車い。 おもある。 どの辺まであるんだろう?ちょっと上まで 行ってましょうか。 両然山 すごいがある。 の中にこれだけ残ってるのも珍しいですよ ね。また クラだ。 あ、すご。 あ、ここに重やがあったのかな?あ、東海 しますね。ここは すごいな、これ。まだ上がある。 3カ板に残る家って結構少ないんですけど ね。 他にもクがある。 すご。 ま、やっぱり重やがき崩れたんですかね。 クラっぽいけど多分これ左側に大やがあっ たんじゃないかなと思うんですけどとかは なさす。 これ 暗ですね。 どっちが正面だろう? え、いや、あ、塞がれてるのか正面が。 いや、こっちは正面だ。ほら、あそこ 入り口がある。 で、上部には墓地がありますね。 もうこの辺ぐらいかな。 多分ね、ここが大丈夫じゃない?なんと なくそんな感じがする。 あそこに墓地の隣に 岩がある。 これですね。 墓地の隣に岩がある。これも昔のお墓か ですかね。 おそらくここが最だと思います。ま、ここ 墓地があるんですけど。 ちょっと何年かわからんでも未だに感じさ れそうな感じではありますけど。 はい。ということでね、下っていきます。 割と登山車多いのかな?この両然山 しょ。ま、右側にはね、あの神社があって 、 これが最後のようですね。ま、神社は 大丈夫に大体あるので、おそらく 今端集落の最部になるんではないかと思い ます。 うん。これですね。あ、神社向こうにも ある。もしかして建物が2つ見える。これ はシ務 的なもんなんかな。ああ、ご親睦がある。 結構大きいこれ。 大きいですね、これ。 こんな感じ。 結構大きいかも。 すごい。 え、ここにね、 神社があって、 ま、小さい祠ですけど 立派祠が ちょっと手を合わせます。 わかんます。 はいっす。それでもう1つの方行ってみ たいと思います。 うわ、よいしょ。しっかしこれ親睦が すごい大きい。 ちょっと後から見てみようか。あ、これが 本電っぽいですね。 こんな感じです。 よいしょ。 は、 菅原点 マングみたいな。 ああ、でもなんだろう。 ダサみたいな作り。 屋根が何作りか忘れたけど、ま、屋根のね 、作れが色々あるみたいです。 中に 膨らがります。 はい。じゃあね、お参りして進んでいき たいと思います。左にはね、左というか、 ま、この右側に体木があります。これ小前 と比べたら分かると思うんですけど、では ね、手を合わせてくだっていきたいと思い ます。 いや、しかしこの龍がいいですね。また 小さいながらも この龍の彫刻が あと上には鳳凰的なやつ 違うかな。 で、これが体木ですね。 これ すごい大きい。 ま、でも下の方が大きい気がするけど。で は下っていきます。こっちの方が大きい けど 見た感じ。 これぐらい大きい。 いや、でも大きいね。本当 枝がすごいもん。 枝がすごい大きい。 太い。 これはしゃムシ的な役割を果たしたん でしょ。ではね、見ながら下っていきたい と思います。 ここが集落の道かな?ここ道が気づかれ てる。 そして両サイドに家があったんでしょうね 。あのここに電柱が来て総電線も来てます から。 この左側とこっち側とこっち側ですね。 もうこっち後がなく 崩れてますけど。 で、この下を下っていこう。 あ、ここにがある。 よし。こっちかな?うわ、つ。 よいしょ。 うわあ、見晴しがいい。ここはこっち見た かな?こっち見たよね。確かさっき見たよ ね。そういえば。 ま、こんな感じです。は で、戸があってね、さっき見たと思います が、 さらに下っていくと こっちが見たっけ? ま、ここは屋敷ですね。なんか見たない気 がするけど。 で、 クラがあそこにあります。 しかし建物多いいな。 お寺がある。ここには これでも結構 綺麗だけどね。しっも 未だに利用されてるとかないですよね。 では降りていきます。 こっち見てないね。 ここはゆ殿のですね。電ガ作り。 すごいな、これは。て うん。暗とやが両方残ってるここ。 え、何?教育行く委員会 で建物が残ってます。 し多いいですね。建物の数が。あと体木がここある。 ここの下にね、体箱あるんですけど、 あのミき回りがすごい。これはなんかいく つも 根回りか根回りあたりがすごいでミケが いくつも生えてる。 これは 川屋の後 どういう感じでしょうか。 腹がすごいしてる。 すっごい多いいですね。建物の数が すごいな、これ。 ま、ここまでかな。 多分この辺りまでが今集落 の建物。 ま、こんな感じです。 はい。 あ、でもこっちみないというかここは何? 登山道 石上 ちょっとよくわかんない。 防化水槽的なものかな?日の用人って書い てある。水番みたいな感じになってるけど 。そう。さっきこれ見たと思うんですけど 、この杉の大きさ見てください。右回り 見回りじゃない。根回り根回りがすごい。 わすごいな。これ根回りが。 ま、ここ石垣があって、ま、こんな感じ ですかね。大抵回ったんじゃないかな。 はい。これが今端集落でした。ということ でね、これから 下ってって大集落の方まで向かっていき ます。

滋賀県犬上郡多賀町霊仙に位置する今畑集落(いまはたしゅうらく)は、霊仙山(りょうぜんざん)の南西斜面、標高およそ420mの地に築かれた山間集落であり、現在はその歴史を物語る廃集落跡として知られています。この集落の歴史は、その特異な地理的条件と密接に結びついています。

■人口の推移
1695年:69人
1970年:20人
1975年:7人
1980年:2人
1985年:1人

■住民の姓
鹿野・藤井・辻村を確認。特に藤井姓が多い。

1. 成立と山間での生業
今畑集落の正確な成立時期は定かではありませんが、古くからこの一帯の山岳地域を行き来するための**産業道路(生活道路)**沿いに集落が形成されました。この道は、近世においては彦根方面との交易路としても機能していたと考えられています。

集落の最大の課題は、その急峻な山の斜面という立地にありました。平地が極めて少ないため、住民は斜面に石垣を築いてわずかな平坦地を造成し、そこに家屋を建てて生活を営みました。

生業の中心は、山林に囲まれた環境を活かしたもので、古くは木材を加工する木挽(こびき)が主であり、近代以降は林業が主要な産業となりました。農業においては、水田はなく、傾斜の強い畑地を利用して主にゴボウなどが栽培されていました。集落は最盛期には20戸ほどの世帯で構成されていたと記録されています。

2. 宗金寺の創建と信仰
集落の歴史において重要な存在が、集落内にあった宗金寺(そうきんじ)です。記録から、少なくとも1625年には天台宗の**宗金庵(そうきんあん)**としてこの地に存在していたことが確認されています。その後、本願寺に帰依して浄土真宗本願寺派に改宗し、宗金寺と改称されました。山深い集落でありながら、長きにわたりこの寺院が住民の信仰の中心を担い続けたことは、集落が一時的なものではなく、強固な共同体として機能していたことを示しています。

3. 衰退と廃村への道
明治7年(1874年)に周辺の村と合併して霊仙村の一部となりましたが、その後の近代化の波が、集落の運命を大きく左右しました。

集落の立地が険しすぎるため、昭和期に入って全国的にインフラ整備が進む中でも、今畑では自動車が入れない歩きの林道に頼るしかなく、道路や水道などの近代的なインフラ整備が極めて困難でした。この交通・生活の不便さが深刻な離村(山を下りて平地に住居を移すこと)を招き、特に若い世代の流出が加速しました。

そして、ついに1970年代末頃、住民がすべて集落を離れたことにより、今畑集落は事実上の廃村となり、山村としての歴史を終えました。

4. 現在に残る痕跡
廃村から時間が経った現在、今畑は霊仙山への登山道沿いの廃集落跡として訪れることができます。当時の暮らしぶりを伝える痕跡として、急斜面に築かれた石垣の遺構や、倒壊した家屋の跡が残されています。また、集落の入口にある水場は、現在も「命の水場」として登山者の喉を潤しています。

住民がいなくなった後も、宗金寺は手入れが続けられており、山深い地で懸命に生活を営んだ人々の歴史と精神を、静かに今に伝えています。

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5 Comments

  1. この建物は物置き(倉庫)か何かでしょうね。電波が入らないとは相当な山奥ですね。
    地理的に厳しい環境で若い人は不便な集落から流出してゆくことになるでしょうね。
    すごい幅の狭いみちですね。これはたまらんわ。蔵が多いですね。登山道右上ですね。
    蔵が比較的そのままの形で持ちこたえているのが印象的でした。

  2. この村はかつて養蚕をしていたように思えます。秩父のほうにも同じようなところがあります。

  3. こんにちは!ミツキさん、ありがとうございます!いつもながらとても興味深い動画ばかりで、いつものように新しい動画を楽しみに待っています!

  4. いつも楽しみして拝見しています!
    車も入れないような傾斜地にこんなに立派な建物を建てたなんてすごいですね😳
    この集落にお住まいだった方がご存命でしたら建築時の様子などをお聞きしたいです。

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