【東海道踏破】原宿宿から吉原宿へ!知られざる移転の歴史と富士山の絶景

魅力ある景色を足跡と共にウースゆっけ です。東海道東を目指して歩いてみた。 原く大雨の中を越え一瞬体を休めましたが 一旦諦め次の日に。晴れている時のこの道 から見る富士山は絶景で不思議と足が軽く なりました。吉原は2度の大津波で2回 移転しているので、元吉原、中吉原、吉原 と移動しており、東海道の道が内側に えぐれるような形になっていました。その 中で表方面に歩いているのに左側に富士山 が見えるので左富士というそれってヘリ屈 だろうみたいな継承地があったり吉原の あった場所がアーケード街になっていたり と見応えがありました。今回は東海道線 原駅の入口付近から2回移転し内側に入っ た吉原区を目指します。それでは どうぞ。こんにちは。今から雨で学ぶです が、吉原を目指して歩きたいと思います。 駅前に地蔵菩薩があり、旅を見送ってくれ ました。ここから進んで旧東海道に合流し ます。少し行くとこのエリアの白院にちん だ自酒の白院正宗の倉本の184年創業 高島手がありました。この天気と体力だっ たので買えませんでしたが口コみを見ると とても美味しそうなので次この辺に行った 時は飲まないとな。そしてその高島四の 少し西には原宿西跡がありました。ここが 原宿の京都方面の出り口なんですね。と いうことでここから次の宿町吉原を目指し て進んでいきます。この辺は一線の割に 交通量が多い気します。海沿いには街道、 陸側には国道1号があるはずなので裏道と してちょうどいいんですかね。そして進む とこの川は一級河線沼川第2水路でこの橋 は日大橋です。跡が止まっていて可愛かっ たです。その少し奥には腹の一輪塚後の 標石がありました。説明一本末の一塚とも 言うそうでこの辺に江戸から32人目の 一輪塚があったようです。そして少し進む と藤士山行の名を持つ宣言神社がありまし た。別名シャグーとも呼ばれ1本末神田の 陳樹だそう。そしてちょっと行くと大字が ありました。ここは相当州のお寺で海岸山 と合されていて爆末にはテロこ屋が開かれ ていたそう。入口から見える経雰囲気が 個人的に好きです。今度晴れてる時訪問し てみたいです。 そしてあまりにも雨が辛い中歩いていると カインズはこっちという看板があり服が 濡れて寒かったので一度中に入りご飯を 食べることにしました。中にモスバーガー があったので、ここでカロリーを摂取して 1時間ぐらい服を乾かしながら休んでい ました。休憩を切り上げ、一旦原駅の次の 駅の東号の裏駅で中断し、宿泊予定の富士 駅に向かい、体を休めることにしました。 そんなわけで急道に戻り再び足を進めたん ですが、1時間も休んだのに雨が全然 弱まらず気合いで歩きました。せっかく 東破するのでちゃんとスポットは巡ります 。雨で体温が削られてようと関係ありませ ん。ここは朝神社です。1743年の双剣 打だそう。奥に見える本道の屋根が赤いの が特徴的ですね。そして戻るとこの辺では 珍しい気がする大きなマンションが見えて きました。行き前はもうすぐなんですかね 。そして進むと今度は東海道線と交差する ために踏切りを渡ります。この自然の車は 真夏に浴びたかった。てなわけで住むと八 神社がありました。この辺の知名は上田と いう名前で名前の由来は江戸時代から 始まり宿間の開拓で編集浪人の上田三十郎 を中心に堤防を築づき開拓を測りましたが 失敗したものの後に開発が進められ神殿の 名前を御人の上田三十郎から取ったよう です。そして上田炭獣郎はこの八神社に 祭祀れているようです。として雨でぼやけ ちゃってましたが、すぐ前には富士市の 看板がついに富士市に入りました。名前の 通り富士山から名前が取られていて、晴れ ていれば町のどこからでも富士山が見える 町で古くからの町として発展し、政業が 日本優だそう。面積は約245km。人口 はおよそ24万人です。そして進むと専本 街道と合流しました。この辺は柏原という 地名で東田の裏駅よりちょっと西には あのしく柏原があるみたいです。そして 一旦中断する東の裏前にあるのが六王子 神社です。かつてここの近くの美と呼ば れる縁には大者が住んでいて少女生贄とし て捧げていた伝説があったそう。ある、 生贄用に7人の巫女が捉えられ、その中の 最年勝のお味が生贄として選ばれ、捧げ られそうになったところ、富士宣言の人力 で大者が静まり、命は救われたもののそれ を知らない残りの6人が生贄に捧げられた お味のことを思い命を立ってしまった。 そう。そんな6人が祭祀られているので 6王子神社って名前になったという悲しい 話です。八王子出身として似たような感じ かと思ったのに6王神社はとても暗い話 でした。てなわけで天気も体力も風然の 楽しみだったので一旦東の裏駅で中断し藤 駅にある宿に向かいました。てなわけで 止まったのは富士駅にある富士グリーン ホテルです。ゴールデンクまった中なのに 6000円弱で止まれてリッチよしも必要 十分で風呂場もこんな感じ そして夜ご飯は湾わンで姉さんの桜エビの かき上げやシラスや自魚のお刺身の入った 定食を食べました。力が突きかけた体に ドんと響いてめっちゃ美味しかったです。 藤駅周辺の街並はいずれ投稿予定です。お 楽しみに。てなわけでおはようございます 。東の浦駅です。昨日の天気が嘘みたいに 晴れています。6王子神社に生えてたのは 松だったんですね。雨が強すぎて気づき ませんでした。というわけで東海道に合流 します。相変わらず歩道は狭いですが傘を 刺さなくて良いのでそこまで気になりませ ん。そして見てください。右を見るとこの 圧倒的な富士山。撮影時は5月3日でまだ 適度な液晶が残っていました。もう有名な 絵を見てる気分です。そして左側には腰 ぐらいの高さの標識ですがシレッと あのしく柏原本人跡がありました。本人 って普通の人は止まれないだろうし整形が 取ってたのかな。そして見えてきたのは 竜園寺です。このお寺は日連習のお寺で 3号は小方山というそう。そして経済には 暴学の日というここから見る富士は 素晴らしいという日を文化5年に終わり班 の範囲柴田影が検立したみたい。 ぶっちゃけこの辺のどこから見ても晴れの 日だったら絶景な気もしますがね。そして 右に一瞬見えるヤ島をスルーし、そして 昭和様水路にかかる広沼橋を渡っていき ました。渡る中で川と富士山を取ったん ですが最高ですね。そして左側に見える像 は増田兵士郎像でその隣に見えるのが海根 増田兵士郎王妃です。増田兵士郎は原宿の 人で転方の大金や旅重なる水害から村を 救済するため宇島の開拓に障害を捧げ 排水路の土木工事を行った人なんだそう。 完成した排水路は水星って呼ばれているん だって。そして少し行くといや正直見えて きてませんがこの左側ら辺に沼田神殿の 一里塚があり江戸から33輪目の一輪塚 みたい。そして進むと進行道シ第1号の 同票があり瀬戸村役場へ1里吉長村役場へ 31丁と刻まれているみたい。立てたのは 2等しさんで128機ほど立てたそう。 そして米宮神社の大きな鳥島神社が隣合っ て連続している場所を超え、歩道をくぐっ た先には足か神社があり、結構広い広場に なっていて、居心地が良さそうでした。先 を急いでなければ入ってみたかったです。 というか、最近公園という公園を見かけて いないんですが、この辺は神社が公園の 代わりの広場になっているんですかね。 そして剣道380号とはお別れし、1本 海沿いの剣道140号へ旧東海道は続き ます。藤士では見よう歩こう藤士市の 東海道という素敵なキャッチフレーズと共 に順路が示してあって良かったです。 そしてここは相柏原と吉原宿区が最初に あった元吉原の間のようです。そしてすぐ そこに富士マリンプールの標識が結構 大きめの野外プールがあるみたいですね。 に入ったら気持ちよさそうというか1日前 大雨だったと思うんですが水溜まり1つ 残っていなくてこの辺は昔から水害で 苦しいんだって話が多かったって思うん ですが設備投資をしっかりしたんだなと 思いました。こういう道を歩いていると 自分自身が小学生に戻って夏休み歩いて いる気分になりますね。今は集合で仕事 大変です。そしてここには高橋勇吉と天文 記念費がありました。資材を投じて天門堀 という排水を作ったんだそう。戦後の土地 改良と道路整備を経て現在は残っていない ようですが。そしてそんなことを話して いると今という致名の場所に来ました。 この辺に1番最初の吉原があったそうで今 は元吉原と言われています。そしてこの緑 が深い神社は妙ほと言ってこのお寺は日 連習のお寺で3号は神ぐ山と言って3大 だるま祭りの1つだるま市が2月に行われ ているそう。そしてこの時は営業してい ませんでしたがこういうローガルスーパー を見ていると旅している感があって良い ですね。そして東海道線で言うと吉原駅に 近づいてきたので工場が増えてきました。 藤市は正子が盛なのでさっき見えたのも 日本精士の工場だったみたいです。この辺 までがかつて吉原があった元吉原のようで ここから旧東海道は現道170号とともお 別れし鈴鹿踏切りを渡ります。この方向 から渡るということは富士山もばっちり です。そして線路沿いに見えるのが吉原駅 です。吉原はまだ先で吉原の森駅は学南 鉄道の吉原本町駅です。ここから西に住む というより北側にどんどん進みます。吉原 駅北口交差店におしゃれな日本の古い家が ありました。目に止まったので調べてみる とジカフェカフェって結構有名なカフェ みたいで口コみを見るとカレーが美味しい みたいですね。行ってみたかったな。 そして少し行くと和藤像があり、まだ 富士山は右に見えますが、角度的にかなり 内向きに道が続いていることが分かります ね。そして見えてきたのが沼川です。 6王子神社の大蛇が住んでいた話があるの がこの川の六王子神社付近の話なんで 交わったのは初めてですが割とずっと並行 して歩いていた川です。そしてこの まっすぐ進んだら富士山に着きそうな道を 横に曲がり倉庫の前を通ると松の木が1本 だけ見えました。名残り松です。かつては この辺り一体は立派な松の木が整備されて いたそうです。そして相互街を超えると超 久しぶりに国道1号と合流します。どの くらいぶりかと言うと三島宿区から沼津区 の途中で山岡屋によって以来です。そして 富士ユバイパスの下を通り進んでいくと 米田橋という地名の場所に入ります。この 辺のもう1つの呼ばれ方としてちょうど いい場所が見えてきました。左藤神社です 。そうこの辺は左と呼ばれていて、もう 少し行くとその理由が分かります。あと この神社には米田橋村の一塚の モニュメントがありました。江戸から34 の一立塚です。 この左藤神社は公園にもなっていて、 雰囲気もいい感じです。学生だったら放課 後の集合場所としていいなと思いました。 公民館も近くにあるし、将棋とか冷房の中 で打ちたいですね。 そして渾身苦刀を通るとついに左フがの前 にたまたま東海道をしている極にお会いし ました。東海道を歩きたくてここまで来 ましたが、仲間に会えて本当に嬉しかった です。母親の誕生日を祝いに帰るという ミッションさえなければゆっくり行けたん ですが、これも運命なので進みました。 名称左富は建物で全部は見えませんが、 確かに江戸から京都方面を歩いているのに 左に富士山が見えますね。すげえとは正直 なりませんが、2度の吉原の水害による 移転が生み出した名称左フジという キャッチコピーはポジティブで好きです。 どんちが効いていますね。ちなみにこの辺 が吉原が最初に置かれた元吉原から1回目 の移転をした場所の中吉原です。1680 年に再び大津波に見舞われて移転した先が 今回の目的地の吉原宿なんです。そして 少し行ったこの交差点は吉原の移転に 関する場所ではなくさらに過去に戻って 自称4年兵藤川の河戦の際平のこれ森を 総大に立てた兵器が陣を敷いた場所だった みたいです。これ森は沼ず区から原宿区を 歩いていた時にあった6の松の石の6台の 父のことですね。として陣を敷いた話には 続きがあり、水取りの歯を適収と驚いて しまい今日まで回層してしまったんだそう 。話とは裏腹に立派な石碑がたくさんあり ますね。この石中は東海道って書かれてい ました。ここを通りすぎると今度こそ吉原 までもうすぐです。そして吉原の方に歩い ていくとだんだん市街地が近づいてきて おり、住宅地や工場というよりビルが増え てきて踏切りの音も聞こえてきました。 そしてついに吉原区東木戸跡が見えてき ました。ここから吉原区に入ったことに なりますね。中心地まではもう少しあるの で進んでいきます。学鉄道の吉原本町駅が 見えてきてついに着きました。吉原宿です 。吉原は東海道53次の14番目の宿場で 陸上交通や水雲の拠点であった他富士山が 近いので富士山系の宿益としても機能して いたんだそう踏切りを渡るといきなり長い アーケードが正面に新しめのマンションが 見えますが基本は古めの商店街のような 雰囲気です。夜開くタイプの店が多いから なのか。この時間はそんなに空いている店 はなかったですが、似たちが思いつかない 独特の雰囲気です。そんな素敵な アーケードを歩いている映像で今回は 終わりたいと思います。次回はこんな素敵 なアーケードの中の吉原の本人アートなど を紹介しつつカバラシを目指したいと思い ます。ご視聴ありがとうございました。 チャンネル登録、高評価よろしくお願い いたします。 ではまた次回。 [音楽]

#宿場町 #富士山 #東海道 #吉原宿

皆さんこんにちはゆっけと申します。
東海道踏破(原宿から吉原宿までの動画です)
水害とどう向き合ってきたのかがたくさん残っているエリアでした。

沼津宿から原宿まで歩いた寄り道の動画はこちら

Corrections:
8:22 建立(こんりゅう)読み間違えていました。
8:52 天宝ではなく天保の変換ミスです。失礼いたしました。

使用した音源
・Tomato_and_Salt(オープニング)
・Happiness_Spece_Pop(加速時BGM)
・Sunlit_Path(エンディング)
すべでのBGMはDOVA-SYNDROMEから利用させていただいております。

SNSは以下の通りです。
X(旧Twitter):@Shikimino2018

1 Comment

Write A Comment