【#3苫前~海と森と遺跡~】軽キャンで北海道旅行20泊(2025年9月)
前回の動画では旧上川道路の執着点の旭川 まで進んだね。今回は内陸の旭川から日本 海側の町前方面へ向かうよ。まずは旭川 から国道40号線を北上してワッサム町に あるワッサム塩カ峠公園を訪れたよ。 たまたま通りかかって興味を持ったので 立ち寄ったんだ。この公園はJR宗本線の 塩カ駅があるよ。塩カという地名は手塩と 石の境にあるからそう呼ばれているみたい 。長は明治32年に北海道関節鉄道手線が 開通したことに伴い本州各地から移住して きた人々によって開拓された町だよ。 なよろぼ地の南タに位置することから感断 差が非常に大きく夏と冬ではなんと60° 以上の気温さがあるんだって。開拓当時は この環境で育つ稲がなく稲作はできなかっ たけど禁種改良が進んだことなどから現在 では稲作が主要な作物の1つになっている よ。他にはかぼちゃやキャベツの生産が 盛んだそうだよ。この公園には塩駅の他 旭川市出身のクリスチャン作家三浦彩子 さんの小説潮峠にまつわる記念費などが あるよ。この小説はこの塩借り峠に起きた 列車事故をモチーフにしているよ。この 事故は明治42年2月に峠の頂上付近に 差しかかった旭川行きの蒸気機関者の客者 の連結が外れ、客者が逆行してしまったと いうものだよ。たまたませた鉄道員の長野 正尾は暴走する客者を停止させることを 試みてついに線路上に転落し暴走する客者 の下敷きとなって命を落としたそうだよ。 しかし長野の命がけの行動の回あってか 客者は間もなく停止し乗客は無事だった そうだよ。ちなみに小説塩カ峠の作者の 三浦彩子さんが住んでいた旭川の建物を この地に一撃 年間として開かれているよ。 次に立ち寄ったのは道の駅森と湖の里だよ 。前方面に向かうルートからは少しはれて 寄り道してみたよ。 道端に蛇がうまっているのを見つけたよ。 どうやら青大みたい。ううねしていて ちょっと怖かったよ。でも青大には毒は ないから危険は小さいはずだよ。北海道に いる毒下は日本ムだけだそうだよ。アヌ語 では蛇は稲るものという意味の親うや長い 神という意味のかいと呼ぶそうだよ。 ところで愚かない町は人口1200人ほど のとても小さな町だけど3つの日本一が あるそうで1つはそばの作付け面積そして 日本最大の人造であるシュ閉まりない子 最後は日本最低気温のマイナ41.2°だ よ。だから道中でもそば畑ら屋らしき景色 をよく見かけたよ。道の駅にもそばを売り にしたレストランが入っているよ。昔は 稲作が盛だったそうだけど、1970年代 の原端政策の始まりを受けてそばの栽培が 本格的に行われるようになったそうだよ。 感段差が大きい滅か内の気候などが栽培に 適していたみたい。この道の駅には西和 温泉という天然温泉と無料の足湯もあって 、今回は利用しなかったけれど施設が充実 していたよ。 さて、次に立ち寄ったのは同じホか内長にある内子展望台だよ。まり内子は戦時中の昭和 18 年にウリ側を咳止めて完成した武が完成したことできた日本最大の人造庫だよ。 水力発電のために作ったそうだけど、物資 や労働力が不足する中、過酷な気候などの 環境もあり、多くの労働者が犠牲になった そうだよ。入り組んだ小がや深い森の景色 を見ると天然の湖のようにしか見えないよ 。ちなみにご飯に人気のキャンプ場がある みたいだけど、今回は立ち寄っていないよ 。ちょうどお昼時だったのでインスタント ラーメンを作って展望台で食べたよ。 シュリナの有大な景色を眺めながら食べる ラーメンもなかなか良いものだね。 ちなみにこの閉まりない子は幻の魚と言わ れている伊東が釣れる場所だそうで釣り人 に人気のスポットだよ。ただし数年前に この湖で釣り人がひ熊に襲われて亡くなる 事故が起きているから北海道で釣りをする なら熊対対策は必須だね。 さて次に訪れたのは旧新命線の添え牛内駅 だよ。ここも地図を見ていてたまたま目に ついたので立ち寄ることにしたんだ。新命 線は深川とろを結ぶ鉄道で平成7年に敗戦 になったんだけどこの駅は有子の人々に よって保存されているみたい。この駅舎に は普段は入れないのだけど、立ち寄った日 はたまたま配線30周年の記念イベントの 直後で仲を見せてもらうことができたんだ 。ちなみに深川は1つ前の動画で紹介した 町で、札幌と旭川を結ぶ急上川道路の途中 にあるお米と駅底が有名な町だよ。 さて、次はいよいよい館内の町前町に入っ ていくよ。最初に立ち寄ったのは3別ひグ 事件の副現地だよ。この事件は前町がまだ 開拓時代だった対象年12月9日から10 日にかけて現在の3系といううちで 開拓小屋が巨大なひグに襲撃され大児を 含む7名が犠牲となり3人が重症を負うと いう世界の有害史場最大の悲惨なものだっ たよ。この凶暴なひグは同月14日に討伐 に加わっていたまたの山本兵器地によって 仕留められ事件は終わったよ。再現現場の 縦札によると当民士ったひグが空腹から 凶暴性を発揮したために事件が起きたのだ と伝えられているよ。討伐隊は12日から 14日にかけて活動し、愛ヌス等鉄砲 60兆の270人が加わったそうだよ。 さらには陸軍大士団にも救援要請がなされ たけど、第7次団の歩兵30名がルモイに 到着した頃にひグは仕留められたため結果 的に第七士団とひグが戦うことはなかった みたいだよ。ゴールデンカムイ第2巻10 話で第七団とひグが雪山で首を繰り広げる 場面があるけれどゴールデンカムイの時代 設定は明治時代の末期だからこの3期別 ひグ事件はそれより後の出来事ということ になるよ。ところでこの事件が起きた時3 期の地の区長だった大川崎地の息子大川 春吉は子供ながらに事件の一部指重を 見聞きしており事件後にまたとなって犠牲 者たちのあ打ちを誓い昭和52年に漁師を 引退するまでに100等ものひグを仕留め たそうだよ。そしてその年事件の犠牲者を 痛み地元の産経神社に有害慰例費を混流し たそうだよ。 さて、そろそろ夕方に差しかかってきたの でこの日はそろそろ進むのをやめようと 思うよ。海沿いの国道232号線まで出て 道の駅ふわっと戸前を目指したよ。でも その前に戸前町役場の駐車場にあるひの モニュメントでちょっと記念撮影したよ。 過去に立ち寄った際に何度か写真は撮っ てるんだけど、こういうのってついつい 写真を撮りたくなってしまうね。 さて、いよいよ道の駅ふわっと戸前に着い たよ。町長は日本海に面したルモイ館内の 町で江戸時代に松前班が場所という名で 呼ばれるアイヌとの攻撃の拠点を設置した ことにタを発するみたいだよ。道の駅 ふわっと前は宿泊施設と日帰り温泉施設 オートキャンプ場もあり施設がとても充実 していたよ。オートキャンプ場からは巨大 な風力発電の風車が見えてすごい迫力だよ 。それだけではなく、この道の駅は地域の 交流の拠点にもなっているようで、2階に は子供向けの自習スペースのような場所も あったよ。この日は天気が悪くて見られ なかったけれど、天気の良い日は海の 向こうに利フや手売り島、八尻島が見える みたいだよ。ただ手売り島と八島は戸 とま前長ではなくお隣の歯ボロ町の間轄だ よ。翌朝海岸付近を散索したけれど、 やっぱり天気が悪くて景色は今1つだった よ。白い砂の浜辺はホワイトビーチという 名前なんだけど、曇空の下だと残念ながら 浜辺の白さはよくわからなかったよ。それ から終戦直後、ソ連の進行を受けて カラフトから引き上げてきた人たちが乗っ た船が国籍不明の潜水艦に激沈された事件 の慰例費があったよ。北海道の沿岸には こうした慰例費がいくつもあるんだよ。 さて、次に訪れたのは前町共土資料館だよ 。道の駅から車ですぐの場所にある資料館 だよ。昔の木造の街場を回して使用して いるみたいだね。入間量は310円だよ。 正直に言ってあまり期待せずに訪れたんだ けどとても面白かったよ。主な展示内容は 3個別ひグ事件に関する資料、前の町の 発展の歴史に関する資料、北海道の高古学 に関する資料などがあったよ。前日に訪れ たひグ事件の復元地にはない詳しい資料 なども多くあったよ。ちなみに受付で希望 すれば三国連れ太郎が主演の事件を再現し た古いテレビドラマ熊嵐を上映してもらう ことができるよ。受付のおばあちゃんに 聞いたら1時間半くらいあるみたいだった から今回は諦めたけどwikキペディアを 見ると短縮版の50分の映像だと書いて あったよ。大きなひグマの白星がいくつか 展示してあるけど気造者の名前に事件後に またになった少年大川春吉やさらにその 息子の高吉の名前を見つけることができる よ。この前の町は北海道の日本海側の他の 町と同様に昔は二料が盛んだったんだって 。最盛紀の明治30年頃には2万t以上 取れた年もあったそうだよ。2は2カスと いう肥料に加工して本州に送られたんだっ て。ゴールデンカムイコ 第4巻37話から第5巻41話まで シャコタの2両で働く労働者ヤ州に紛れて いた凶悪な脱獄集味和夫が登場する エピソードがあるんだけどそこで当時の二 の正強ぶりや二カスの製造工程などが紹介 されているよ。 最後に紹介するコーナーには北海道の高古 学に関する資料が展示してあるよ。北海道 は霊量な気候のため縄文時代の後、本州の ように稲作が定着せずやい時代ではなく俗 縄文化という独自の道を歩んだんだ。縄文 時代のように縦穴式住居に住んで狩猟最終 生活をしていたようだよ。今週が奈良時代 の頃になると質問文化という文化に発展し たよ。質問というのは刷でこすったような 模様がついた時が作られていたことから そう呼ばれているんだって。この頃北海道 のお法つく会沿岸やサハリン千島列島など には殺問文化とは異なる文化を持つ人々が 住んでいたことが分かっているそうだよ。 彼らはおつく文化と呼ばれ、船に乗って あざらしなどの怪獣を狩る海洋狩猟民族だ そうだよ。彼らのルーツについては諸説 あるようだけど、どうやら現在のカラフト 北部の少数民族2部付属だとする説が有力 みたいだよ。ゴールデンカムイ単鉱本第 17巻170話でカラフトに渡った アシリパたちが2部付属と行動を共にし船 でイルカを狩るシーンがあるよ。おつく 文化は鎌倉時代頃までには北海道から 消え去ってしまったんだけど多数派を 閉める文化に吸収されたと考えられている ようだよ。そしてちょうどその頃にアヌ 文化が成立したとする説があるんだって。 彼らは縄文の遺伝子を多く受け継いでいる 一方、おつ人との根結の形跡も見られる そうだよ。アヌ文化の時代になると縦穴式 や土キを使わなくなったり、熊を申請士 風習が現れるようになったみたいだね。 ちなみにこの資料館の敷地内には縄文文化 や門文化の縦穴式住居を復言したものが あるよ。 いかがでしたか?今回の動画では海と森の 町とママへの発展の歴史を買いまみること ができましたね。次回は輪っかない方面に 向かって海沿いを北上していきます。それ じゃあアばよ。
2025年9月に軽キャン(INDY727)で北海道内を20泊旅行したら、過去最高に楽しかったので、動画にしましたよ。この動画は、苫前とその周辺の映像がメインです。旅行全体のダイジェスト版の動画もあるので、もしよかったらそちらも見てください。
【旅行全体のダイジェスト版動画】
【バックナンバー】
#1 上陸(空知の道の駅)
#2 旭川~北の護り~
【トピック】
塩狩峠公園、三浦綾子、長野政雄、道の駅ほろかない、朱鞠内湖、深名線添牛内駅、三毛別羆事件復元地、道の駅風Wとままえ、苫前町郷土資料館、擦文文化、オホーツク文化、アイヌ文化
【目次】
00:00 オープニング(エサヌカ線)
00:10 わっさむ塩狩峠公園(カワウ、塩狩駅、塩狩記念館)
02:37 道の駅森と湖の里ほろかない(アオダイショウ、せいわ温泉ルオント)
04:18 朱鞠内湖展望台(お昼にインスタントラーメン)
05:38 旧深名線 添牛内駅(深川~名寄の廃線)
06:32 三毛別羆事件復元地(キタキツネ、三渓神社、慰霊碑)
08:37 道の駅風W(ふわっと)とままえ(とままえだベアー、ホワイトビーチ、樺太三船慰霊之碑)
11:06 苫前町郷土資料館(三毛別羆事件、ニシン漁、続縄文文化→擦文文化・オホーツク文化→アイヌ文化)
15:21 エンディング・次回予告(稚内方面)
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【目次】
00:00 オープニング(エサヌカ線)
00:10 わっさむ塩狩峠公園(カワウ、塩狩駅、塩狩記念館)
02:37 道の駅森と湖の里ほろかない(アオダイショウ、せいわ温泉ルオント)
04:18 朱鞠内湖展望台(お昼にインスタントラーメン)
05:38 旧深名線 添牛内駅(深川~名寄の廃線)
06:32 三毛別羆事件復元地(キタキツネ、三渓神社、慰霊碑)
08:37 道の駅風W(ふわっと)とままえ(とままえだベアー、ホワイトビーチ、樺太三船慰霊之碑)
11:06 苫前町郷土資料館(三毛別羆事件、ニシン漁、続縄文文化→擦文文化・オホーツク文化→アイヌ文化)
15:21 エンディング・次回予告(稚内方面)