懐かしい町並  京丹後市網野町浜詰  京都府

浜詰集落は丹後半島の付け根、久美浜湾の北西に位置する。
江戸時代はじめは宮津藩領であったが、延宝3年(1675)より一部が幕府領となり、浜詰集落が宮津藩領と幕府領に分れた。
浜詰は耕地が少なく、古来より漁業とその加工、農業の出作が多かった。明治9年調「浜詰村誌」によると、家数271のうち農業208、漁業34、縮緬業12、魚売業11、船大工2、医者1、鍛冶1とある。
江戸期の産業は、絹織物が細々と続けられていたが、縮緬の製造がやや隆盛に向かったのは江戸末期で、享保年間(1716~36)には102台の手織織機が動いていた。
漁業は延縄などの釣漁が中心で、僅かにイワシ地曳網も行われていた。
今集落内を歩くと、海岸に沿って大きな旅館・ホテルが建ち並んでいる。海岸は浜詰海岸と云って夏は海水浴場になっていて、多くの海水浴客がホテルを利用していた。また、この地は間人と同様に冬は松葉カニで賑わっている地域である。
さて、古い町並みはと云うと、ホテル・旅館に客をとら廃業した民宿や、丹後縮緬の織機の音が板貼りの古めかしい家から聞こえてくる町並みである。今でも細々と続く絹織物の産地と判る光景。
もう、40年も前には、毎年この辺りの民宿や旅館に泊まって海水浴に来ていたのだがと、面影を探すが、当時海岸にあった松林が全く見当たらないで、殆どが近代的な鉄筋コンクリート造りの旅館になっているようだ。そして「夕日が浦温泉」として盛んに宣伝されている。

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音楽:中北音楽研究所

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