人々が消えた炭鉱町…三菱美唄炭鉱の今「我路〜常盤台 編」

[音楽] それでは報道135号に戻りまして先を 進みましょう。 [音楽] 車を走らせますと、すぐ正面の方にビバイ 国接スキー場のレストハウスが見えてき ます。このビバイ国接スキー場ですが、 なんと日本で初めてナイター設備が設置さ れたスキー場なのです。 てきました。三角屋根の建物がビバイ国節 スキー場のガロレストハウスです。 こちらがビバイ国接スキー場です。 こちらの写真はこの辺りから見下ろした 昭和2年のガロの街並を移したものです。 ガロレストハウスは元々小東中学校の体育 館だった建物を増改築して作られたもの です。 ガロレストハウスの奥には円形校舎として も有名な小東小学校の後が今でもひっそり と佇んでいます。 それでは草の勢いもだいぶ収まり、秋も 深まった頃に改めて来てみましたので、 小東小学校の現在の姿を見に行ってみ ましょう。 [音楽] 左手を流れるガロの沢側に沿って山の奥へ と進んでいきます。私の足で23、3分も 歩くと体に校舎のような建物がうっすらと 見えてきます。 [音楽] この辺りまで来ると円形であることが確認 できるくらいしっかりと校舎が見えてき ます。 肛門の名残りのようなものが見えると思い ますが、当時はここに橋がかかっていて、 ここが正面の肛門となっていたのです。 先へ進むことに不安を感じる方はここで 戻ってもいいと思います。ただ真夏の草が しげってる時期はこんなにはっきりと校舎 は見えないんですよね。前方に橋が見えて きました。 ここまで運転して入ってきている人は見た ことがあります。 ガロの沢川です。Googleップにより ますと、この上流にいくつかの滝がある ようです。 ここから一気に道が険しくなります。 スニーカーは確実に無理なので、必ず長靴 を履いていきましょう。 この辺りも炭鉱宅が多く立っていた場所 らしいので、ここもそうなのかもしれない ですね。 ご覧いただいているようにここから後舎 まではひたすら湿地体となっています。 土質もかなり粘り気のある泥のようになっ ていて、長靴が脱げそうになるぐらいです 。転んだらかなり悲惨なことになると思い ますので、気をつけましょう。 [音楽] 小東小学校の体育館の後です。現在は鉄 だけになってしまっています。 [音楽] そして木々の隙間から円形校舎が見えてき ました。ちなみにこれ真夏だと全くまだ 見えないでしょうね。 [音楽] ついに到着しました小東小学校の後地です 。 [音楽] 小頭小学校はピーク時には1570人の 生徒が通っていました。現在円形校舎は1 つだけ残されていますが、当時は2つあっ たそうで渡り廊下で繋がっていたようです 。 1階部分は完全に水没してしまっています 。 たくさんの子供たちがここで学び、そして 多くの笑い声が響いていたであろうこの 校舎が今はこうして山に帰ってしまって いる姿を見るのは何とも切ない気持ちにさ せられます。 [音楽] こちらは堂々135号を挟んで向い側に ありますガロファミリー公園です。現在は キャンプ場としても利用されています。 この写真はこの辺りの対象年の様子を映し たものです。 小onder中学校の後地だったことを 示す石碑があります。こちらが昭和46年 の小東中学校の写真です。 三菱美記念館がありますので中を見学して みましょう。 [音楽] 三菱美記念館では三菱美炭鉱の歴史や当時 の様々な出来事、そして人々の営波などを たくさんの写真や展示物などを通じて学ぶ ことができます。 炭鉱が実際に稼働していた時代にタイム スリップするようなそんな没入体験をする ことができました。 当時を知る人にとってはとても懐かしく、 また私たちのように当時を知らないものに とってもとてもノスタルジーを感じるよう な何とも言えない切ない感情にさせられる そんな施設です。 観光という1つの産業を通じて大発展を 遂げた町が、今はほとんどが森に帰って しまっているという姿を見るのは何とも 切なくて、また当時の人たちは一体この 閉じ行く山をどのように見ていたんだろう と想像すると胸が張り裂けそうになります 。 [音楽] まるで当時の人たちの行き遣いが耳元に 聞こえてくるような気がします。この山で 生きてきた方々の多大なる努力や力があっ て今の北海道があるんですね。 先ほどのガロの街並もそうですが、廃墟が 数件残っていることで廃墟好きの方に人気 の町になったり、また怖いもの満たさで 訪れる方々もおそらく多いと思います。 それを否定はしませんが、もしも少しでも 単鉱の歴史やこの地で生きてきた方々の 思いなどを知ってからここを訪ればまた 違う美の楽しみ方ができるのではない でしょうか。 [音楽] こちらはガロファミリー公園内にあります 山の日です。とても印象的な言葉が刻まれ ています。 の炭鉱は閉じ、多くの甲府たちはちりじり に山を去った。炭を掘り、働く喜びは 盆踊りの賑いも楽しく、それぞれに忘れ ない生活のなりがあった。時代は過ぎ去り 、人々は役割も終えてもう誰もいない。 ただ静かに地底に眠り、歴史を話しかける 山だけが生きている。 さて、車はさらに奥へと進んでいきます。 このビバイという町にはかつてかなり多く の学校が存在していたそうです。私の母親 が美の出身だという話をしましたが、母は 自分の学校の外の学校までわざわざバスに 乗って通っていたそうです。 母は子供だったからなぜ別の学校の学校に 通っていたのかは分からないと言ってい ましたが、おそらく生徒が入りきらなかっ たので分散させられていたのでしょう。 当時南美にあった小学校は日本一の マンモス学校と言われていたぐらい非常に 生徒数が多い学校でした。それほど美には 人がいたんです。また当然ですが生徒数が 多いということはその家族も多いという ことですから運動会の時は自分の親が一体 どこに座っているのかを探すことができず 時間内にお昼ご飯を食べることができない 子もいたというそんな話も母から聞きまし た。 右手に坂があるのがお分かりでしょうか? ここを登ったところにちょっと見てみたい ものがありますので寄ってみましょう。 少し高かいところに登ってきました。こだと堂々沿いにかかっていたこの重向きのあるのがはっきりと見下ろせるんです。丘の上にはこのような皮紐を立っています。罵当音のです。 [音楽] [音楽] [音楽] 昔の人々は馬と共に生きてきた歴史があり ますから、各地でこのように罵倒観音を 見ることができますよね。 馬観音の奥にはこのように石で作られた橋 がかけられていました。 9月と書かれているのは確認できるんです が、何年の部分はかけてしまっていますね 。こちら側にはおそらく橋の名前が書かれ ていたのではないでしょうか。 [音楽] 水は流れていないようですが、当時は川が あったんですかね。 [音楽] 足の一部が放落していて下が見えています 。これは近寄らない方が良さそうですね。 車は再び堂々135号に戻ってきました。 先ほど丘の上から見た石作りの橋はこちら です。 だいぶ山の奥の方に入ってきました。 前方に赤い大きな鉄塔が2期見えてきまし た。 この2期の鉄頭が立っています炭鉱 メモリアル森林公園にこれから向かいたい と思います。 この2期の鉄頭が現存する三菱美単鉱の 移行の中では1番の象徴とも言っていいの ではないでしょうか。 [音楽] 炭鉱メモリアル森林公園です。 遠くからも見えていた赤い2期の鉄塔縦コ やがそびえ立っています。 それでは公園内を散索してみましょう。 とても大きな建造物が見えてきます。貯蔵 約1300t、現存する同内最大規模の 原端ポケットです。ここで保管された石炭 は写真のように先端場という場所で選別さ れます。 [音楽] それでは散索を続けていきましょう。 この非常に立派な縦コヤグは1923年に 建設されました。高さは20m、深さは約 170mです。 1972年の平山まで使われていました。 [音楽] 前方に見える建造物は電源を総合的に管理 していた開閉所です。 現在はほとんどが山に帰ってしまいました が、当時はこの写真のようにたくさんの 施設が立っていたんですね。 先ほど山の日にありました。ただ静かに 地底に眠り歴史を話しかける山だけが生き ているという言葉の通りですね。 ご覧のように時台は完全に山に帰りました 。 一時代を築づき北海道の経済を支えたこの 三菱美炭鉱は1972年にその役割を終え ました。 [音楽] 私はこの動画をなかなか完成させることが できませんでした。私にとっては美は第2 の故郷です。そして三菱美単鉱を知れば 知るほど伝えたいことが増えてしまいまし た。完成が見えず何度もくじけそうになり ましたがそんな時は何度も美に通いました 。するとこの大自然や残された移行が私に 毎回新たのことを教えてくれました。 そしてこうして動画を完成させることが できたのです。 それでは本日もご視聴いただきまして誠に ありがとうございました。もしも よろしければチャンネル登録や評価、また コメントやハイプもいただけるととても 励みになります。それでは次の動画でまた お会いしましょう。どうもでした。 [音楽]

1972年に閉山した北海道 三菱美唄炭鉱。その遺構や炭鉱町の2025年現在の姿に迫ります。
円形校舎で有名な沼東小学校や三菱美唄記念館、そして竪坑櫓がそびえ立つ炭鉱メモリアル森林公園など、見どころ満載の「我路〜常盤台編」です。
北海道の廃墟集落、廃線跡としては知名度上位に挙がるであろう美唄の炭鉱跡地は今、どんな姿を見せてくれるのでしょうか。当時の貴重な写真と共にお届けします。

日東〜我路編はこちらです!

同じ炭鉱町として三笠の炭鉱跡の動画もぜひご覧ください!

15 Comments

  1. 時々通る美唄市。
    かつて炭鉱で栄えたことは知っておりしたが、この動画を見させていただいて美唄市の繁栄ぶりがさらによくわかりました。ありがとうございます。
    私もガリまささんの動画を思い出し、これからひとつずつ訪ねてみようと思います。
    良き動画の配信ありがとうございました♪

  2. 動画中の馬頭観音があった橋の下に線路がありました。また、朽ちた橋があるところには炭鉱病院があり、あのカーブは魔のカーブ、引っ張られるという噂もありました。ちなみに馬頭観音の奥には学校があったはずです。

  3. 後編、お疲れ様でした🙇

    …やはり良い所ですね、美唄市。いつも行く所・素通りする所・行っていない場所等盛り沢山でした。道道135号も冬季閉鎖になったので、美唄市方面は来春迄行けない?行かない予定です😢(目的地や林道走破) 本当にお疲れ様でした🙇

  4. 沼東小学校、以前チャレンジしましたが夏場だったので空撮のみで行けなかったのでこれからの時期なら行けそうですね😊
    メモリアル森林公園はよく整備されていますよね❗
    当時は大きな病院や数多くの炭鉱施設、住居があったようですがほとんど自然に還っていますね😊

  5. ガリまささんの動画からは、ガリまささんの暖かい人柄があふれ出ていて、とても嬉しく思います。

  6. 美唄の我路の動画は何人もアップされてますがとても懐かしいです。もう五十年以上前になりますが我路に住んでました。沼東小学校にはたまに美鉄バスに乗って通った記憶があります。降車ブザーが当時は珍しくチャイムが鳴るのが楽しみで押してました。たまに登校時に先生がクルマで何人かを乗せてくれて学校に行ったのを覚えてます。閉山になって全国生徒が数人の時代です。
    これは誰もアップしてないのですが、沼東小学校が閉校式する時はテレビ中継もしたんですよ。俺はその時はすでに札幌に移り住んでましたけど。
    当時のことが走馬灯のように記憶が蘇ってきました。懐かしい映像を制作していただき大変ありがとうございました。

  7. 美唄ダムの湖底に二ノ沢が有ったでしょうか、69年前そこで誕生した私です。幼い記憶で、赤とんぼと夕日が坂道を埋め尽くして
    本当に綺麗な景色が、今でも目に焼き付いています。本当にありがとうございます。

  8. 動画ありがとうございました。80年代スキー場でパラグライダーをした当時を思い出しました。記念館も時間の空いた時に見学したこともあり、懐かしい。

  9. 我路地区は風前の灯ですね😰国営スキー場は知っていますが、この先はミステリーゾーンです😅炭鉱による繁栄があったのは間違いありませんが、炭鉱が閉山した後は、特にこれといった産業もなく、衰退の一途は仕方ないとはいえ、寂しい限りです😰

  10. いいですね~歴史探訪!!私も歴史大好きおじでしてw目が見えているときはあちこち行ってはHPに載せていたのもです。美唄は結局行けず終わってしまいましたが(笑)。
    クマよけに蚊取り線香を使うのもひとつの手段だと思います。熊さんもそうですが、穴などに落下するリスクもあるので本当に気を付けてくださいね。

  11. とても良い動画でした!
    美唄市の教育委員会から資料として子供たちに見せたい、とお声がかかるのではないかと思って見入ってました!

    20年以上前、沼東小学校は時期によっては水没を免れ、夏場の夜、特に週末には心霊スポットとして賑わい、他のグループと出会う度にドキっとし、お互い笑い合ったのを覚えています。

    そして私は取り憑かれました。

    霊では無く、我路、とりわけ沼東小学校の魅力に。

    幾度となく昼間に出かけては沼東小学校を外観から眺めたり、中へお邪魔してくまなく探索しました。

    特にお気に入りなのは天窓でした。
    外の光が「射す」のでは無くぼやっと中央の螺旋階段を照らすのです。

    扇形の教室、窓からは外の緑がまるで窓枠を額縁に見立てたように美しく映え、心が洗われるようでした。

    年を追うごとに水没がひどくなり、ついには通年で水が引かなくなってしまい、長靴で行っても古釘を踏み抜くなど危険を伴うと判断して訪問しなくなり久しいです。

    人によっては心スポかもしてませんが、私にとってはパワースポットでした。

    沼東小学校のことばかり書いてしまいましたが、郵便局も当時現役で、その規模に驚いた記憶があります。
    議員さんの生家もまだありました。

    焼き鳥ガロはそのうち行こうと思っていたら閉店してしまい、後悔しました。

    それから水無しの谷にかかるアーチ橋、私も足を運んだ際、不思議に思い、下に鉄道の引き込み線でもあったのかな、なんて推察したりしていました。今となっては推察の域を出ませんね。

    立坑櫓は三菱さん、美唄市さん、よく良いコンディションで後世に残してくれたと思います。
    またふらっと見に行きたいですね。

    最後の「何度も足を運び、その度に遺構や自然が新しいことを教えてくれた」と言う言葉に大変共感しました。

    長くなってしまいましたが、ガリまささんの力作、とても心に残りました。
    これからも頑張ってください!

  12. 母が我路出身でした。閉山で叔父一家が東京の丸ビルの三菱に異動になったことを覚えてます。自分のルーツがここにあると思うと感慨深いです

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