首里城から続く昔の石畳の街道を歩く、浦添市安波茶橋と石畳の道~
中北西街道とあ茶橋と石畳道 国指指定指席 こんにちは町歩き沖縄です今日は浦添市に 新しくできたスーパーユニオン京都塚店の 前から出発してます。 ちょうどユニオンの前が歴史の道として 一部保存されている 不天マ3系道の入り口となっています。 場所的には分かりやすい位置にありますね 。 チリ場頂の日1度であるとみんな兄弟の ように親しくなろうという意味ですがこの 言葉がなぜここにあるのか調べてみると 現在地の町の名前は教塚と呼ばれる地区 ですがこの地区は1944年に周囲にある ア茶前田私の3集落の一部を抑えて作られ た新しい集落でした。 新しい集落の名前は 15世紀日のお経をここに埋めた伝説から 知名が教となりました。 中神法制街道とは 各地につがる街道の1つで 主理場起点に 平大直通り 浦添えの 塚あ茶牧港を経て読みにいたりさらに北の 女国神方面につがる琉球時代の主要街道の ことです。 冒頭から説明が多くて申し訳ありません。 この後ろには何があるのか見てみましょう 。 高齢者がよく遊ぶグランドゴルフ場でも あるのかと思えば 何にもありませんね。 一応宇宙毛公園と名前がついています。 一周してきました。 席塚の日 昔この辺りは松が追いしげる人と離れた 寂しい場所でした。 ここには妖怪が出ると言われていました。 16世紀の初め 高夜さんで終了を積んだ日常人がお経金剛 教を書いた小石を埋め、その上に金剛例と 刻んだ石碑を立てて妖怪を納めたと伝え られています。 お経を埋めたス塚と言い、この地域の名前 の由来となりましたなどと説明されてい ます。 こちらが金剛教を書いた恋石を埋めた。 その上に金剛例の石碑を立てたとされる 場所。 次は中西街道の後をたどりながら 石橋茶橋まで歩いてみましょう。 周辺は住宅街となっています。 路面に石畳の模様替えが枯れているので この上を歩いていけばあ茶まで たどり着けると思います。 歴史の道 中街道 ここから守城まで3kmしか離れていない んですね。 扉 中神ホ道の説明版があるのでようやくして 読み上げてみたいと思います。 中神法制街道 琉球時代に主料府から続いた宿道の1つで 空道とも呼ばれています。 主義場を起点に浦添えの逆市教茶 牧港を経て読みたに至るルートを指し王朝 時代の修行道路でした。 1597年流の浦添え城の前の石踏には 少年洋の命令によりシラから浦添え城まで の道を拡張し平橋を木造から石橋に かけ替え 道に石畳を敷いて国家的大土木工事を実施 したと記載されています。 1597年には続く石畳道があったという ことはなかなか素晴らしいことですね。 ここから石畳道が始まっています。この 石畳道は復現されたものか、それとも昔 からある本物かよくわかりませんが坂が急 すぎて滑りそうで ちょっと怖いです。 道路のアスファルトに下には 昔の石畳道があるという写真。 この場所の地下1.5m下には発掘された 石畳道が保存されています。 道幅は3.1mほどのやきつい坂道で、 外側には甘水を外に逃す速がつけられてい ますなどと記載されています。 奥に石橋が2つ見えます。 あれが家茶橋でしょうか。 造形の石橋が 2 つ並んでいます。ここはじっくりと撮影したいところですが、急に雨が降ってきました。 どこかに避難しないといけないのですが、 周囲に隠れる場所はありません。 困りました。 画面では伝わりにくいんですが、雨はやみ そうにありません。 私の体もどんどん濡れてきました。 前の木の下に避難します。 濡れる、濡れる。急ぎます。 木の下に避難して20分くらい過ぎました 。少し小ぶりになっています。この木は 下がりバの木だったようです。 水辺に下がりの木をよく見ますが、この木 はかなり太い木でした。 雨も小ぶりになってきたので撮影を再開し たいと思います。 石橋が2つ並んでいます。あ、茶橋は2つ の小さな橋で構成されています。手前があ 、北橋、向こうが南橋となっています。 橋も見ることができたのでそろそろ帰り ましょう。 この階段を上がるとバス通りに出ます。 どの辺りに出てくるのか分かりませんが、 通りに出て右に進めば出発地点のスーパー ユニオンに行くことができます。 そうか、そうか。ここに出るのか。 目の前に沖縄そばの有名店、買出し沖縄、 奇跡、浦添え店があります。 今は回転前ですが、ここはいつも強烈なん ですよ。 最後はバタバタな編集になってしまいまし た。 そろそろ終わりの時間が来たようです。 今回の中法西街道石道 と茶橋の様子はいかがだったでしょうか? 短い距離でしたが中法街道を歩けたことが 良かったと思います。お待たせいたしまし た。391 番三英コシティ行きです。家、大宮川三英ティ方面 から覇ちゃ家までわずか 3km ですが差がかなりあり、ここまで来るのも大変だったと思います。 今回の皇帝 スーパーユニオンを出発して谷底にある 茶橋まで約20分間歩きます。 帰りは平坦な道が多いので約15分で ユニオンまで戻ることができそうです。 本日も最後までご視聴ありがとうござい ました。
石づくり2連の「安波茶橋」小さな橋だが造形が素晴らしい琉球時代の橋~
10 Comments
APFです。久しぶりにコメントします。街歩きさんの映像で沖縄のさまざまな場所に行きましたが、特に印象に残っているのは真珠道でした。琉球王朝時代の多くのものが沖縄戦で破壊されてしまったのはほんとうに残念なことですが、ここにも、このような美しい、趣のある橋が残っていたのですね。次に沖縄に行った折には必ず行ってみます。また、先日紹介されたあまわりパークの演劇(ミュージカル)も素晴らしいですね。私は国立劇場の組踊りや芝居もよく見に行きますが、これはこれで、若い人たちが琉球の踊りを継承し、その動きを若者向きのダンスに取り入れてすばらしいステージを作り上げていますね。前のあまわりをめぐる歴史ミュージカルも感動的でしたが、この作品もすばらしい。年末から正月にかけて行きたいところが増えました。いつもながら素敵な映像をありがとうございます。
いつも撮影 ありがとうございます
沖縄の歴史の勉強になり
感謝します
中城ハンタ道もそうですが、首里から様々な方面に街道があったんですね。また經塚の地名に関しては、本土とのつながりについては1609年(17世紀頭)の琉球侵攻が私にとっては象徴的ですが、看板にある「16世紀のはじめ」ということは1500年始めなので約100年前ですが、その当時から本土と人の行き来があったというのも驚きでした。昔、軽くは琉球の歴史を学びましたが、もっと深堀りしてみたいですね。
こんにちは、今日は休日なので以下省略(笑)予告のときからちょっと気になっていましたけど、安波茶橋はアクセスが良いですね。これは課題リスト入りです。橋の石積がやっぱり見事で。すごいなぁ。ここはぜひ行きたいと思います。ありがとうございます。
お初です。
沖縄は海だけが観光ではなく、こういった歴史に関わった土地や建造物に触れる事でより深い楽しみ方を得るのだと思います。
お疲れ様です。
浦添の警察署通りの南側ですよね。あ!最初は経塚でした。
嫡子なんかと一緒に、保育園から来ましたが、あ〜、こんなふうになっているのですね。
お家から、うすまさ近所でしたが、いつか来れるさーーと思いつつ、結局保育園から来ただけでした。
いろいろと、史跡があってからに時間をかけて巡りたいですね。
考えてみると、こっちの道は王朝時代58号線のようなもので、いろいろな人が、アッチャーアッチャーしてからに、周りにもお店なんかがあったりした所なんですね。
少し想像すると、楽しくなってきます。
かたぶいの雨宿りに使ったサガリバナも、ひょっとすると昔々、いにしえの人が雨宿りをやったかもーーですよ。
おはようございます。
首里城近くの石畳街道と琉球時代の安波茶橋が美しいです。
案内板も設置され、きれいに維持管理が進められています。
これは沖縄の宝物です。
今、大阪の難波では大変なことが起こっています。
多くの観光さんが訪れて食べ歩きをして、ポイ捨てを行い、街がゴミだらけになっています。
また、いたるところで立ちションをして衛生的にも良くありません。
大阪市は公衆トイレの設置を考えているそうです。有料にすればいいのにと思っています。
沖縄も首里城の修理が終わると、より観光さんが増えてくると思います。
ごみ箱や公衆トイレが必要かもしれません。
ルールを守られない観光さんは、来てもらわなくてもいいですね。
地域の美しい景観は地域の宝物です。
地域で守らなければならない時代かもしれませんね。
街歩きさん、こんばんは。経塚の地名の由来が知れて、なかなか興味深かったです。そういえば安波茶も凄く気になります。お茶が有名な場所ではなさそうですが・・・。安波茶の交差点は何度も行った事ありますよ。
街歩きokinawaさん、撮影ご苦労様です。経塚は、クリスマスの頃に、住宅街でイルミネーションしているので、時々撮影に行っていますよ。又、最後にあった茶山団地に、知り合いがいたのでたまに行っていましたよ。安波茶橋は昔浦添市の史跡を撮影していた頃に行った事がありますが、懐かしかったです。 これからもよろしくゴザイマス。
久しぶりです
神回ですね
歴史の変革に影響を受け、場所を移動され案内板が設けられない遺構をよくぞ探りだし、絶妙なMCで伝えて下さいました
本来、行政が県民に対して報告すべき内容に思います