懐かしい町並 大崎上島町木江 広島県
大正期の木造船の造船ブームでは、この木江に25軒もの造船所があったという造船の町、又ミカン産地としても有名であった。
木江は近世には大崎東野村に含まれていた港町。嘉永15年(1638)に広島藩が第一回目の地詰を行っているが、その時には木江は未だ東野村・中野村の一部で、耕地も少なく人家もまばらな地であったと思われる。
木江港は深い入り江状になった天然の良港で、享保年間(1716~36)の頃から、木江沖を通る沖乗り航路の船が増加した。潮待ち・風待ちをする船が多くなり、それに伴って港も整備され、造船所、船具店、船宿などができ、港町として発展していった。
幕末から明治にかけて、九州~阪神間の石炭船の食糧・飲料水などの補給港として賑わい、明治30年代以降、多くの造船所が設立されて、造船の町となった。そして第一次大戦の勃発によって鋼材が不足したことによりが、木造船の需要がにわかに増大し、大正6年の造船ブームのピーク時には、造船所の数は25にも達し、船具屋や船釘の生産も増大した。
ミカン栽培は近くの大長(現呉市豊町)の「渡り作り」に刺激されてミカン栽培も活発であった。古い町並みが残るのは、大崎上島の玄関口木江港の近く、海岸に沿って造られた新しい道の一本山側の細い路地道に沿って展開する。
その細い道の両側に木造3階建・2階建ての建物が建ち並んでいる。細い道幅に対して高い建物が道に沿って建っているのだから道は暗く写真を撮るのも苦労する。
これらは港町時代の繁華街、旅館街、遊郭として栄えていた名残であるが、遊郭跡がこれだけ色濃く残っているのは珍しいと思う。遊郭の特徴だろうか2階・3階の通りに面したところに手摺が付けられている。
また、昭和33年の売春禁止法施行まで、「おちょろ船」があり、船乗りの慰め相手を務めたという。
今は造船もミカン栽培も一時ほどの活況は無いが、今でも造船の町・ミカンの町として売り出されている。
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音楽:中北音楽研究所