日本の城【館山城】伊達政宗誕生の城か?米沢城が伊達の本拠でない理由
山形県米沢市にある米沢城は、1548年に伊達政宗の祖父にあたる晴宗が入ってから、その後40年以上本拠として使われてきました。現在上杉神社となっている米沢城跡には政宗誕生を示す碑があります。しかし、これは間違いかもしれません。というのも、伊達家が本拠として使っていた米沢城。実はここではない別の城だった・・という説があるのです。にわかには信じられない話ですね。ですが、理由を見てみると「確かにそうかもしれない」と思える内容。そして、政宗が生まれた「米沢城」の場所も、ある程度特定されているようなのです。伊達家の「米沢城」とはどのような城だったのでしょうか。今回はいろいろある説のうちのひとつを取り上げて紹介します。
16 Comments
まあ、江戸城も道灌時代と北条時代と徳川時代ではだいぶ違うし。
仙台城の物見台はこれを模したものだったのでしょうかねえ
戦国武将で伊達政宗公、上杉謙信公、明智光秀公、武田勝頼公、武田信玄公のファンです🎵
いいね! 今度、行ってみます。
米沢舘山城の一曲輪から見た景色が仙臺城や岩出山城によく似ていますね。そこに懸造りが存在したら、結構良い眺めになっていたかもしれません。動画では、伊達氏のシンボルである懸造りが紹介されていましたが、実は我が故郷・福島県にある陸奥梁川城(むつやながわじょう)にも懸造りらしき建物が存在したそうですよ。
陸奥梁川城は福島県伊達市梁川地区にある国史跡の平山城であり、鎌倉期~室町期にかけての中世伊達氏歴代当主の居城として知られ、本丸には中世伊達氏時代の庭園である「心字の池」が現存しています。陸奥梁川城本丸の東側にはかつて伊達氏の菩提寺の1つである東昌寺があったとされる茶臼山北遺跡があり、その遺跡の発掘調査では懸造りとみられる遺構や木材が検出されています。
また、陸奥梁川城とその城下町は室町期の京都や鎌倉を意識した都市プランを主軸とし、陸奥梁川城周辺には、東昌寺をはじめ、多くの寺社仏閣が配置され、伊達氏が奥州の覇者として相応しい街づくりを行っていたのかが分かります。きっと政宗公は先祖代々の伝統的な懸造りの建築技術と街づくりを受け継ぎ、それを仙臺城下にも活用して、平和な街づくりを行ったのかもしれませんね🌙
昨今の山城見物は熊が怖くてなかなか行けない。
確かに岩出山城、仙台城の縄張りに似ている気もしますね
お城の解説動画いつも楽しく観ています。解説が丁寧でいいですね😊
故郷で長年無名だった館山城取り上げていただきありがとうございます。地元の方の熱い保管に胸が熱くなります。ここで述べられている懸崖造りの件ですが現米沢城跡にも内堀に接して昭和の一時期RC造りの建築物があり、レストランを開業していました。なにか関係はあるのでしょうか?単なる勘違いと思えますが、古い記憶が蘇りました。ありがとう。良いレポート。
子供の時、館山で暮らしてたので色々懐かしい動画です
米沢駅ー米沢城(上杉神社)ー上杉家廟所ー館山城は県道でほぼ一直線なので、レンタカーかレンタサイクルを借りて回るのが良さそうです。バスもありますが循環線なのでやや遠回りになるのと、1日11本とやや少ない。米沢牛、米沢鯉、牛肉どまんなか(弁当)、金ちゃんラーメンなどもあってグルメの宝庫ですし、上杉城史苑は東北トップクラスの土産物店だと思います
私有地につき、立ち入り、大歓迎の、立て札が大好きなんだなぁ。
館山城、以前に歴史群像で伊達政宗の本拠として記事が書かれていましたね。
本拠があったからこそ「館」山なのでしょうし。
政宗時代の時は館山城で上杉時代の城が米沢城だったのかな?
初めて知った。
舘山城は米沢城の詰めの城ではなく、本城です。
今の米沢市街は直江兼続が造成したもの。
その時は伊達家は岩出山に国替えしていました。
発掘の結果、伊達時代、中世の遺物はまともに出てないみたいですね。