「国際、スバル、日活…」“街角の映画館”全盛期のにぎわい復活を 松江の街なかで開く「白潟映画祭」
映画館と言えば 1 つの施設に複数のスクリーンを備えるシネマコンプレックスシネコンが主流ですが、え、かつては 1巻1 スクリーンの街角の映画館が前盛で街の賑いにも必約買っていました。 そうした王子の姿を蘇らせようと松江市では明後日 1 日限りの映画祭が開かれます。開催に向け奮闘する人を取材しました。 今そういった街の映画館がこの白地区には一見もなくてとてというよりも松井市に一見もなくてでそういった街の中の映画館をなんとかこう再現できないかなっていう。 花田裕二さん61 歳会社員として働く傍本を書きこれまでに何本かの映画を自主制作しています。 その花田さんが街門の映画館の全盛期の賑 を蘇らせようと映画祭を企画しました。 その名も松江白方映画祭です。 かつては通り沿いには多くの商店が気を つねていましたが松江駅周辺に大型店が 進出したことなどにより今では日中後 人通りが少なく当時のおかげはありません 。 とし、およそ30年ぶりに土曜一を復活さ せるなど賑わ組みが進む中、映画をテーマ に町に賑わそうと考えました。 映画祭ではかつては映画館もあった白方 地区を中心に6つの会場で松画部隊となっ た作品など40本の映画が上映されます。 こちらが当時松江国際と松江スバルがあったビルです。 会場の1 つが白方地区にあるこの空きビル。 [音楽] ま、僕の映画の原点と言ってもいいかもしれません。 1968年昭和43年頃ビルの1階と2 回に映画館がオープン。当時は画が上映されていたと言います。 [音楽] また少し歩くと元々東方系の映画館がありまして、結構大きな映画館だったんですよ。これだけの敷地が全部映画館だったんで、ここで東方なんでゴジラがはい。上映されてました。 JR 松江駅近く上外船県売り場があるこの場所にもかつて映画館があったそうです。 の反対側もです。 はい。こっちはあの大撃っていう日系の日活ロマンポルの大人向けの映画者にありまして、僕がちっちゃい頃はなかなかそのいろんな作戦を練って入ろうとするんですけど、こごとくあの跳ね返されまして 映画館は子供たちにとってちょっと背伸び大人の世界を買見る場所でもありました。 こちらはおよそ60年前。1961年の 松江市の地図。新宿の国道431号線は 計画中。大橋側にかかるのは松江大橋と新 大橋だけ。国引大橋新宿大橋もないこの頃 の地図を見ると当時の中心街には映画館を 示す文字。 角の映画館がいくつもあったことがわかります。 ま、子供たちに見てもらいたい。 今回の映画祭の上映作品で監督県主役を務めた国さん。 飲食店のマスターで役者でもあります。 花田さんと中学時代の同級生で白方映画祭を支える 1人です。 子供たちにあの原介柱の話聞いたことあるって聞いたらや知らないっていう人が結構多くて 蒼田さんが制作したのは小泉役も負妻がモデルのドラマにも登場する松江の人柱になった原介についての言い伝えや新事故に浮かぶ嫁ヶ島の伝説など松に伝わる物語をモチーフにした映 が若い世代がこうした地域の伝承を知るきっかけになればと考えています。 エンターテイメントがないとやっぱり町って面白くないんで、そのエンターテイメントがあるような町に戻していきたいですね。 1 番はやっぱり松江の地元の方に、え、松って昔はコロナんだったなっていうことを、あの、ま、もう 1回認識してほしいな。 え、賑いについての何かヒントになるような人たち集まってほしいなということ。 映画を通じて町に映画館があった時代の輝きを蘇らせ町に活気を取り戻したい。そして松恵を新しいドラマが生まれる町に。そんな映画好きたちの思いが詰まった松江白方映画祭は明日 [音楽] [音楽] 12日に開かれます。 [音楽]
【2025年10月10日放送】
映画館といえば、1つの施設に複数のスクリーンを備えたシネマコンプレックス“シネコン”が主流ですが、かつては1館1スクリーンの「街角の映画館」が全盛で、街のにぎわいに一役買っていた時代がありました。
そうした往時の姿をよみがえらせようと、松江市では10月12日、1日限りの映画祭が開かれます。
開催に向け奮闘する人を取材しました。