尾道風景 福本渡船ラストラン編 HD ウォーターマーク有り
広島県尾道市 まもなく1つの航路が消えようとしています 福本渡船 現在運行している3航路の真ん中に位置し、135年の歴史を持っています 令和7(2025)年3月31日をもって、廃航となります 尾道水道に9つの航路がありました 1789(寛政元)年から1817(文化14)年頃、尾道最古の渡船「兼吉渡し」 通称「本渡し」が尾道土堂渡し場と向島町兼吉を結んでいます 当初、向島の割庄屋、高田恒次郎が島民のために手漕ぎ小舟一艘と船頭を無賃で提供したため、「只渡し」と言っていました 1807(文化4)年、広島藩からの渡海規則書によって、業としての渡し船に移行します 1868(明治元)年頃、有料化し1回1厘、後に経営困難になり2厘、5厘と値上げしていき 1文銭の時代には肖って「一文渡し」と呼ばれるようになりました 1897(明治30)年頃まで、尾道・向島の間を唯一の営業渡船であったという 1825(文政8)年4月(8月に運行許可)、「東渡し」、通称「浄土寺渡し」や「ドック渡し」が 尾崎浄土寺下と向東町西谷(当時は向島東村1本松)を結び、当時の日立船渠会社に通勤する人々を支えました 運行は玉里渡船(創業時期不明)です 初めは手漕ぎ舟で、渡船賃は2厘、後に5厘、1銭、2銭へと値上げされていきました 1917(大正11)年頃、発動機(焼玉エンジン)付き(いわゆるポンポン船)の巡航船に改められました 1880(明治13)年8月、「肥濱渡し」、通称「桑田渡し」が 山波町桑田と向東町肥浜を結んでいました 運行は宮本汽船(創業時期不明)です 初めは手漕ぎ舟で、渡船賃は2厘でした 1893(明治26)年8月3日、「烏崎渡し」、通称「廿五番渡し」が 尾道東御所町鹽務局前と、向島西村字軒島海岸(現在の向島町西富濱)を結んでいました 運行は福本氏によって渡船業が開始されました(創業時期不明) 初めは手漕ぎ舟で、渡船賃は2厘、後に5厘、1銭、2銭へと値上げされていきました 1929(昭和4)年11月、利用者数や地理的な理由により廃止されました 1905(明治38)年頃、「有井渡し」が、尾道西御所と向島町有井を結んでいました 運行は有井渡船(創業時期は1868(慶応4・明治元)年から1912(明治45)年頃)です 初めは手漕ぎ小和舟で、渡船賃は3厘、後に1銭、1923(大正12)年1月に2銭へと値上げされていきました 同じ年の12月、手漕ぎ小和船を廃止し、高橋氏と5名によって渡船組合を設立し 発動機(焼玉エンジン)付き(いわゆるポンポン船)の巡航船による渡船業を営むようになりました 1909(明治42)年1月19日(運行許可日)、「小浦渡し」、通称「明神渡し」や「八幡渡し」が 尾道土堂と、向島小歌島(当時は向島町白石)を結んでいます 運行は烏崎渡しの経営者、福本氏による福本渡船です 初めは手漕ぎ舟で、渡船賃は5厘、後に1銭、2銭へと値上げされていきました 1918(大正7)年から1923(大正12)年頃、「彦ノ上渡し」、通称「岸元渡し」が 薬師堂浜から向東町彦ノ上を結んでいました 運行は岸本渡船(創業時期不明)が行っていましたが、しまなみフェリー(創業時期不明)に引き継がれました 初めは巡航船で、渡船賃は2銭でした 1922(大正11)年から1926(大正15)年頃、小肥浜渡しが、山波村(尾崎と山波の境)から向東町肥浜を結んでいました 運行、渡船賃は不明です 1946(昭和21)年、「駅前渡し」、通称「駅前渡船」が 尾道東御所から向島町富浜(当時は東富浜小浦)を結んでいます 運行は向島運航(創業1947(昭和22)年10月)が行っていましたが、歌戸運航(創業1998(平成10)年10月)、そしておのみち渡し船に引き継がれました 初めの渡船賃は不明です この他、尾道・向島には6航路がありました 「歌渡し」、向東町歌から浦崎町戸崎を現在も結んでいます 「道越渡し」、通称「岩子島渡し」が、向島と岩子島を結んでいました 1968(昭和43)年7月13日、廃航になりました 「津部田尾道航路」、津部田、岩子島、吉和、尾道(岩崎桟橋)を結んでいました こちらは山陽観光汽船が運行していた航路です 津部田、岩子島、尾道(吉和)を結んでいました 「津部田大浜航路」、因島(大浜)、津部田、岩子島、尾道(吉和)を結んでいました 「立花尾道航路」、立花、干汐、大町、尾道(向栄舎桟橋)を結んでいました 主な島を渡船が結んでいましたが、1968(昭和43)年3月4日、尾道大橋が供用を開始しました 当時、この場所に料金所があり、有料道路でした 2013(平成25)年3月31日、料金徴収期間満了に伴い、翌日より無料になりました 1968(昭和43年)年7月13日、向島大橋が共用を開始しました 1990(平成2)年、トラス橋の向島大橋連絡歩道橋が併設されました 1999(平成11)年5月1日、新尾道大橋が供用を開始しました 西瀬戸自動車道、通称「しまなみ海道」の一部で有料道路です 橋が架かったことにより、1997(平成9)年5月、東渡し 2001(平成13)年5月1日、有井渡し 2008(平成20)年3月31日、彦ノ上渡し 2011(平成23)年3月31日、桑田渡しが、廃航になりました 兼吉渡しの運営は、1917(大正11)年、25名からなる兼吉渡船組合が組織され 経営が移り、手漕ぎから発動機(焼玉エンジン)付きの船に代わり 片道1銭の運賃から「1銭ポッポ」と呼ばれました 1921(大正15)年、片道2銭になり、1日平均約3,000人を運んでいました 1951(昭和26)年、公営尾道向島渡船事業組合(公営渡船組合)が創設されました 1953(昭和28)年1月、尾道向島公営渡船が運行を開始し 9月、兼吉渡しが公営に一本化されました 1970(昭和45)年3月、経営難により、夜間運行廃止でも 当時約4,000万円の赤字を抱え、向島町議会にも取り上げられました 1984(昭和59)年6月30日、公営渡船事業組合が解散し 7月1日より民間の尾道渡船によって運行が開始されました 約31年間に及ぶ公営渡船が幕を閉じました 2021(令和3)年3月、兼吉渡しの航路が尾道渡船から歌戸運航に譲渡され 5月、おのみち渡し船になりました 港町として栄えた尾道は、江戸時代から浚渫と埋め立てが行われてきました 尾道水道は砂が堆積しやすかったため、北前船が通行できなくなってしまいました 1887(明治20)年頃、大規模な浚渫工事が始まり、1899(明治32)年頃に終了しましたが、 何度か繰り返し行われ、1932(昭和7)年夏に現在の形になりました かつて向島は歌島(うたのしま)、宇賀島などと書き表されていました そして、その隣にある小さい島として、小歌島(おかじま)と書かれています また岡島城が築かれたこともあり、岡島(または小ヵ島)と表記されていた時代もありました 1924(大正13)年、瀬戸内海勧業博覧会が行われました
※小歌島は私有地です 現在も尾道灯台が残っています。
※初点記念銘板は小歌島灯台 福本渡船の創業は1889(明治22)年 かつて渡船賃が1円だったことから「1円ポッポ」と呼ばれました 開設当初の航路は、四軒島、東富浜小浦、小歌島、尾道石崎桟橋を結んでいました 嚴島神社の別称、富浜の明神さんから、明神渡しと言われるようです 2025(令和7)年3月30日、廃航になる前の最後の日曜日 感謝の思いを込めて午前10時から午後3時までの臨時運行が行われました 「どうもありがとうございました」
「ありがとうございました」 2025(令和7)年3月31日、福本渡船最後のエンジン始動が行われました これから約15時間、向島と尾道の架け橋としての役目を果たしていきます 午前6時30分、最後の始発が出発しました 「皆様、ありがとうございます」 「向島発尾道着便が最終です」 「皆様、福本渡船ラスト運行にお集まりいただきましてありがとうございます」 「もうすぐ135年運行してまいりました福本渡船の最終便が発港いたします」 ♪「福本渡船 1円ぽっぽ」 ♪「135年 行ったり来たり」 ♪「学生時代 お父さんも渡船に乗って 学校行った」 ♪「ボンボン ボンボン ボンボンボンボンボン」 ♪「長い間 おつかれさん」 2025(令和7)年4月1日 第拾五小浦丸は尾道水道の流れに船体を揺らしていました 尾道側の旧石崎桟橋には柵が設けられ、待機場には椅子などが置かれ、休憩スポットになりました 桟橋は一般財団法人 尾道海技学院が取得し、実習に使用する小型船の係留施設となりました スタッフの方にお話を聞いたところ、渡船の譲渡予定はないそうです
尾道風景 福本渡船ラストラン編 渡船と歴史
Onomichi scenery Fukumoto Ferry and Ferry History (Watermark included)
※字幕をオンにしてお楽しみください
00:00 オープニング
00:32 イントロダクション
01:10 渡船の繁栄と衰退
08:56 兼吉渡し
10:41 浚渫と造成
11:56 福本渡船
18:26 最終運行日
25:06 その後
撮影:
2019年~2025年
Shooting date:
2019-2025
撮影場所:
広島県尾道市
Shooting location:
Onomichi City (Hiroshima Prefecture)
備考:
1789(寛政元)年から1817(文化14)年頃、尾道最古の渡船、「兼吉渡し」、通称「本渡し」。
尾道土堂渡し場と向島町兼吉を結ぶのが尾道の渡船の始まり。
当初、向島の割庄屋、高田恒次郎が島民のために手漕ぎ小舟一艘と船頭を無賃で提供したため、「只渡し」と言っていました。
1807(文化4)年、広島藩からの渡海規則書によって、業としての渡し船に移行します。
(割愛)
1889(明治22)年、福本渡船創業。
かつて渡船賃が1円だったことから「1円ポッポ」と呼ばれました。
開設当初の航路は、四軒島、東富浜小浦、小歌島、尾道石崎桟橋を結すび、手漕ぎ舟でした。
嚴島神社の別称、富浜の明神さんから、通称「明神渡し」や「八幡渡し」と言われるようです。
1909(明治42)年1月19日、運行許可。
戦前は小歌島渡船と呼ばれていました。
1968(昭和43)年3月4日、尾道大橋が供用を開始し渡船の経営にダメージを受け始めました。
2018(平成30)年11月頃、日曜日が運休になる。
2025(令和7)年3月31日、廃航。
Remarks:
From 1789 to 1817, Onomichi’s oldest ferry, the Kaneyoshi Ferry, commonly known as Hon-Watashi, operated.
The Onomichi ferry service began connecting Onomichi Tsuchido Ferry Terminal with Kaneyoshi in Mukaishima-cho.
Initially, Mukaishima’s village headman, Tsunejiro Takada, provided a rowboat and a boatman free of charge for the islanders, hence the name “free ferry.”
In 1807, the Hiroshima Domain issued a set of sea crossing regulations, leading to the transition to commercial ferry services.
(Omitted)
In 1889, Fukumoto Ferry was founded.
It was nicknamed “1-yen Poppo” (1-yen Poppo) because the ferry fare was once 1 yen.
The original route, connecting Shikenjima, Higashitomihama Koura, Okajima, and Onomichi Ishizaki Pier, was by rowboat.
It is commonly known as “Myojin Ferry” or “Hachiman Ferry” after Tomihama Myojin, another name for Itsukushima Shrine.
Permission to operate was granted on January 19, 1909.
Before the war, it was called Kogashima Ferry.
On March 4, 1968, the Onomichi Bridge began operation, and this began to affect the ferry’s business.
Around November 2018, service will be suspended on Sundays.
It will be discontinued on March 31, 2025.
資料:
福本渡船
Instagram:
https://www.instagram.com/fukumoto_tosen/
尾道まちかど広報室
Document:
Travel info of Onomichi
https://onomichijp.com/shimanami/onomichi_tosen.html
https://onomichijp.com/shimanami/fukumoto_tosen.html
無料写真素材おのみちや
Free stock photos of Onomichiya
https://www.ononavi.jp/onomichiya/search/index.php?keyword=%E6%B8%A1%E8%88%B9&scflg=NKS
資料:
向島町史 通史編
尾道海事史年表
広島県尾道市全図
尾道市街圖誌:最新實測訂正増補
尾道小史
今昔マップ on the web
ひなたGIS
山陽日日新聞
尾道市 Web Page
びんご経済レポート〔備後WEB版〕
中国ジャーナル
ひとり歩きの山陽山陰
歌島の民俗信仰
くるり おのみち
山陽本線 尾道駅界隈 改訂版
尾道商業会議所記念館 企画展示解説
camera:
SONY α7SⅢ
※The translation is google, and there may be places where the grammar is wrong.